かつての迷子

学校が終わって寄り道をして帰宅して、

家でぼうっとしている時間が長い。

勉強をすればいいのに

どうしてもする気が起きない。

これまではそんな気の迷いで

休憩などできなかったのに、

今となっては怠けるのも自由で

これまでの綿密なスケジュールで

動いていた体を労うように

無意な日々を過ごしていた。 


テレビも動画も流す気になれず、

部屋では時計の呼吸する音が響く。


悠里「…。」


今日も七と探検に向かったので

それもあって体は疲れているのかも知れない。

秋がやってきてから

天気はあまり安定せず、

晴れたと思えば翌日には

曇りや雨なんてことが多い。


悠里「…そういえば。」


と、ソファに横たわり

消したままの照明を眺めながら

今日の放課後のことを思いだす。





°°°°°





七「あれ、ないね。」


悠里「うん。」


七「もう終わりってことなのかな?」


悠里「糸も針金もないってことはそうかもね。」


七「連休明けで忘れてるだけとか!」


悠里「じゃあ念の為明日か明後日も見に行く?それでなかったら終わりにしよう。」


七「うん!そーしよ!」





°°°°°





先週まで2日に1回のペースで

糸が針金が巻き付けられていたのに、

今週に入って見に行けば

それはなくなっていたのだ。


悠里「…まあ…それもそうか…。」


あの映像を作成しているのが一叶なら、

いやそうでなかったとしても

少なくとも上の人らが作成しているなら、

年度末の1件は見せたくないだろう。

指示を破った私が悪いことは確かなのだが、

罰するにはあまりに過激であり

それを露呈させることはないように思う。

…それなら私と結華の入れ替わりだって

酷い内容ではあるのだが…。


悠里「…でもあれは、側から見れば私がただ結華を殺したようにも見える…よね。」


直前に結華が私への指示が連なった

タブレットを見たような描写はない。

映像を見ただけでは

勘違いされかねないのだ。


悠里「……七はどこまでわかってる上で「友達」って言ってるんだろう。」


抜けてる彼女がどこまで理解しているのか

正直なところ不安でしかないが、

時折沼の底から掬ってくれるような

言葉をかけてくれたのはありがたかった。

彼女の中での善悪の境界は

微々ながら揺らいでいるようで、

悪い、悪くないの基準が僅かずつだが

変わっているようにも感じた。


悠里「ただただ気分によって変えてる可能性もあるけど…それはそれで七らしいか。」


気分で動いてもいい。

全部が全部それに則ってるわけじゃないけど。


知らずのうちに七に感化されていたから

先日は陽奈先輩の元に

向かってしまったのだろうか。





°°°°°





陽奈『今はびっくりして何も言えなくてごめんね。でも、悠里ちゃんの大切な人を守るために頑張ってきたのは伝わったよ。勇気を出してくれてありがとう。』


悠里「………ありが、と…。」





°°°°°





話せば全ての垢が流されて

これまでのことは綺麗さっぱり、

爽快感で溢れると思っていた。

が、話した後数日間は

話してしまったという罪悪感でいっぱいだった。

私の命は。

家族の命は。

もしこれが規則外なら。

嫌なことばかりが駆け巡っていたのに、

その全てが杞憂でしかなかったらしい。

数日経って、力が抜けた。

だから今こうして寝転がっている。


誰に話しても

もう咎められないのかも知れない。

それこそ、これまで関わったみんなや

今同時に不可思議なことに

巻き込まれているみんな。

そして、これまでのことを見守っている

インターネットを通して知り合った人々にも。


悠里「…。」


…そうするかどうかは

まだ迷っていていい。

まだ迷っていたい。

迷っていて…迷ってるフリでもいい、

決断する時を遅らせたい。


その決断をする前に、と

徐にTwitterを開いた。

去年度関わった人の名前を入れる。

すると、アカウント名の変わっていない

あの人の連絡先があった。


久しぶりの挨拶と

急で申し訳ないが時間ある時に話したいと

連絡を入れる。

彼女が今どこで何をしているのかすら

情報のまとまっていたタブレットを

失った私はもう勝手に

知り得ることはできない。


すると、すぐさま返事が返ってきては

LINEのQRコードを渡され、

登録するや否やすぐに電話がかかってきた。


悠里「あの」


『もしもし?聞こえとう?急におらんくなったけん、ばりびっくりしたとよ。』


悠里「あはは…ごめん、篠田さん。」


澪『半年間も…まあいろいろあったんやろうけど、とにかく連絡取れてよかったわ。』


篠田澪とは私としての関わりは

あまりなかった。

よく関わっていたのは

記憶喪失の結華の方。

けれど、篠田さん視点では私が記憶喪失に

なっていたことになるし、

私と関わっていたと思っている。


私と結華、そして篠田さんとでは

夏の思い出が色濃く残っている。

過去から来たミオの面倒を見たのだ。

一緒に遊んだのは楽しかったし、

指示だとはいえ関わっている人の

数年前を見られるのは少し面白みがあったのを

それとなく覚えている。


電話越しにがやがやと

人が通りゆく音が聞こえる。


悠里「もしかして今忙しかったですか…?」


澪『いいや。授業終わったところやっただけ。うちからかけとるんやしそんな心配することなか。』


悠里「そっか…ありがとうございます。…えっと…最近何してるんですか?」


澪『大学行ったりバイト行ったりやね。もうすぐで初めての大雪やろうし気張るわ。』


悠里「…ん?大雪…?関東の方にはいない…?」


澪『そうなんよ。今北陸の方おると。』


そもそも大学に合格していたことすら

知らなかったのに、

ましてや北陸の方にいるだなんて

全くもって知らなかった。

あまりに現実っぽくない話にびっくりする。

知り合いだった人が遠くに行く話は

これまでにあまりなかった気がする。


澪『そっちはどうなん?確か引っ越したっちゃろ?』


悠里「うん。でも神奈川県内なんです。」


澪『そうなんや。じゃあ今度神奈川行った時簡単に会いに行けるな。』


悠里「会いに来てくれるんですか?」


澪『そりゃあ。まあ互いに時間が合えばやけど。』


校内から出たのか

風の吹く音がスマホから流れてくる。

機械越しの風は音を聞くだけでも

凍えそうな気すらする。


澪『そういえば体の方は大丈夫なん?』


これまでの彼女の声

去年と変わらずはきはきとしていたが、

今一瞬だけは風に包まれ

勢いが弱くなったように思えた。


体の方は。

それは無論、結華の方。


悠里「…。」


澪『…悠里?』


悠里「今日さ、そのことで話したくて連絡したの。」


一間空く。

緊張しているらしいことが

空気の狭間でわかる。

「うん」と少しして返ってきた。


悠里「…私。」


大丈夫。

もう1度。

そう言いつつ何度も唱えて

やっと口を開いた。


悠里「私、記憶喪失になってない。」


澪『………は…?』


悠里「順を追って説明するね。」


それから陽奈先輩に話した時のように

これまでのことを話した。

篠田さんはどこかで足を止めたのか

足音は止んで相槌を打ちながら、

時にそれすら忘れながら

耳を傾けてくれた。


篠田さんの記憶に残っているだろう

「姉にならなくてもいい」という

言葉をかけたのは

悠里ではないことも。

それは記憶喪失の結華が

発した言葉であることも。

全て。

全て伝えた。

でもやっぱり最後の

屋上での出来事だけは伝えられなくて。

陽奈先輩にもこのことだけは

話せなかったなと思い返す。


伝えてどうしようというわけではない。

情報の加虐にもなりうるが、

ただ知って欲しいだけ。


篠田さんはうん、うんと

最後自分を納得させるように頷いた。


澪『……なるほどな。そこまでひっくるめて去年の事件やったったいね…。』


悠里「…。」


澪『今になってでも、話してもいいって思ってくれたんは嬉しい。』


悠里「あはは…含みのある言い方ですね。」


澪『思うところがないと言ったら嘘になる。事故のこと、どうにか引き止められんかったとかいなとか。…けど、そんなの悠里じゃないうちの意見でしかなくて、うちが考えられることは既にあんたが長い時間かけて考えとったんやろうなと思う。』


悠里「…優しいですね。」


澪『これから先は今までの分も優しくされとき。じゃないと釣り合わん。』


話してくれてありがとうも

気づけなくてごめんねも言わないのが

篠田さんらしい返答だなと

不意に口角が少し上がる。

その人らしさに触れられるだけで

今人として生きている実感が湧いた。


それから話を逸らすわけでもなく

自然と互いの生活の話に流れていった。

今は文化についての分野を学んでいること。

私は学生マンションで

一人暮らしをしていること。

一人暮らしって大変だよねと盛り上がって。

どうでもいいことを話した。

七と話している時のように自由で、

七と話している時とは

また違った楽しいがそこにある。


そろそろ電車が来るからと

電話を切る流れになった時。


澪『そうや、ひとつ。』


悠里「…?」


澪『散々迷った上で決めたことなら多分間違いやないけんな。』


悠里「…あはは、あんなに迷子だった人に言われるなんてねー。」


澪『しゃーしい。』


篠田さんの声は

昔対面で話していた時より

幾分か明るくなっていた。

きっと迷子から脱するのは

そういうことなのだろう。


それなら。

私もいつか迷子から抜け出したい。

そのためにはやっぱり

決断をしなければならない。

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