かつての知り合い

ぼつぽつと傘に

雨粒の当たるような今日。


悠里「うわー…懐かしい。」


横浜東雲女学院の校門を前に

自然と声が漏れていた。

かつて私の登校していた場所で、

ここで1年間を過ごした。

毎日休むことなく通い、

授業を受け、部活をして。

夏休み明けからは授業を受け、

記憶を失った結華の近くにいつつ

部活をしていた。


ほぼ触ったことのない楽器。

去年度が終わる頃には

これまでの音楽経験もあってか

割と吹けるようになっていたけれど、

今年度ではめっきり触れなくなった。


少しすると、シノジョの生徒が

続々と下校していく。


悠里「…やっぱ勝手な早退は良く無かったかな。」


かと言って6時間目まで

授業を受けていたら、

シノジョに移動するには時間がない。

これまで早退も欠席も

自分の意思で行うことはなかったので

心臓がばくばくと

よくない脈打ち方をしていた。

自分から嘘をつくのはまだなれない。


シノジョの生徒からの視線も感じる。

他校の人間が校門でぼうっと

突っ立ってるのを見れば

多くの人は気にするものだと

割り切っていてもいい気はしなかった。

何時に誰が通るかも

わからないこの中で

人を待つのは無謀だろう。

1時間待っても見つけることが

できなければその時は大人しく帰ろう。

そう思った矢先だった。


緩やかにうねった髪が

風に吹かれるのを見た。

ローファーが雨の色を吸う。

間違いない。

奴村陽奈先輩だ。


悠里「…!陽……。」


陽奈先輩。

確か…そう呼んでたはず。

けど今更。

今更何と呼べばいいのかわからなくなって

言葉が喉につっかえた。

だって彼女は結華が傷つけられたところを

もろに見ている。

一叶はまっさらになんて

当時言っていた気はするが、

どこまでの記憶が正しいものと

結びついているか定かではない。


何より、指示も保護もない槙悠里が

ここに立っていて、

しかも去年までの実験対象と

話していいのかと、

家を出る前に固めたはずの意志が揺らぐ。


昨日の七の言葉を

どうにか記憶の奥から鮮明なままになるよう

願って引っ張り出す。





°°°°°





七「あのね、提案なんだけど…もし悠里ちゃんが嫌じゃ無かったらこのこと、みんなに伝えようよ。」


悠里「……え…?」


七「…悠里ちゃんが辛いだけで終わっちゃいけない気がする。」


悠里「伝えるって…。」


七「指示に逆らえなくて辛かった!って大声で言うの。具体的じゃなくても、これまで辛かったってだけでもいいし。」





°°°°°





今日は、話をしにきた。

これまでのことをどうにかして伝えたくて。

自分のために生きてもいいと言うのなら

本当のことを知って欲しい。


茉莉にも伝えるか迷った。

東北へと一緒に旅をしたのは

結華じゃなくて私なんだって。

けれど、衝撃が強いんじゃないか、

結華にだからこそ、

結華として接していたからこそ

話してくれたこともあるはず。

そう思うと私の心は弱く、

言い出す勇気を持てなかった。


やっぱり、陽奈先輩にも

話すのはやめておこう。

上げかけた手を下ろす。

その時だった。


ふと。

校門を抜ける陽奈先輩がこちらを見た。

思わずすぐに傘で顔を隠す。


もしかして気づいた?

いや、この距離なんだし

気づいてしまうか。

もっと早く勇気を捨てて

この場を去っていれば。


陽奈先輩の靴は流れる生徒の

波の存在を些か忘れるように

数秒立ち止まり、

今度はこちらに向かって

おずおずと近づいてきた。


ゆっくりと傘を上げる。

今だけは雨に打たれていたかった。


今度は近くで目が合う。

陽奈先輩の綺麗で潤った瞳が

私を刺すように見つめる。

陽奈先輩は慌てて

自分の鞄を漁り出した。

傘がぐらついて頭に雨が降っている。

傘を持ってあげると困ったように、

そしてはにかみスマホを取り出した。


陽奈『あの…結華ちゃんか悠里ちゃんですか…?人違いだったらごめんなさい。』


どき、とする。

あなたにとって私は

どちらであることが正しいのだろう。

結華として接し、

最後の最後で私は悠里だと

吐露した時のことは覚えているのだろうか。


悠里「悠里です。久しぶり、陽奈先輩。」


陽奈『久しぶり…!元気にしてた…?』


悠里「…多分そう、かな。」


陽奈「…?」


悠里「急にごめん。」


きょとんとした彼女の目。

傘をぎゅっと握った。


悠里「少し話があるんだ。」


陽奈「…!」


陽奈先輩は少し考えてから

スマホを素早く打つ。

前に見た時より少しばかり

また早くなった気がする。

それほどにこの生活には

慣れたということなのだろう。


陽奈『音楽棟の方行こう。傘持っててくれてありがとう…!』


頷くとスマホをしまって傘を受け取り、

こっちだとと言われるように

時折彼女は私の方へと振り返りながら

音楽棟の方へ向かった。


音楽棟の校舎外に

まるでバス停のように簡易的な屋根が

一部分だけ設置されているところがあった。

背もたれのない長椅子があるが、

横殴りの雨にあたったのか湿気っている。

まだ部活は始まっていないのか

それともやはり雨だからか

校舎の中の方が騒がしかった。


座る気持ちになれずそのまま立ちすくむ。

陽奈先輩も座ることを促すことなく

ぼうっと屋根で見切れた空を見る。


悠里「…あのさ、一応確認なんだけど…。」


陽奈「…?」


悠里「私ってこの高校からいなくなった時、どういう説明があったのかなって聞きたいくて。」


陽奈『引っ越したんじゃなかったっけ…?』


悠里「…え。」


続けて『何も連絡がなかったからびっくりした』

『みんなも寂しがってたよ』と

文字にしてくれた。


それは。

それは、私1人で…?

それとも。


けれど、陽奈先輩の対応や表情を見るに

そこまで暗い雰囲気がないことから、

そもそも結華の死すら

覚えていないのではないだろうか。

結華のことを忘れてや

いやしないだろうか。


それを聞き出すのは

どうしても辛くて、

喉が言葉を通さなかった。


悠里「…あのね。」


陽奈「…。」


悠里「私…私、去年度のこと…。」


陽奈「…。」


待ってくれているのがわかる。

目を合わせるわけでもなく、

互いに前を向いて

陽奈先輩は空を、

私は地面を向いていた。

その違いが今現在に向かう

姿勢のようで心苦しい。


怖い。

知られたら、どうなるのか。

身勝手はまた大切な人の命を奪うのか。

それでも。


それでもどうか

今は自由であると証明して欲しい。


悠里「…っ。」


陽奈「…。」


悠里「本当は全部…全部手伝ってたんだ……。」


陽奈「………!」


それから雨よりもぎこちなく

ぽつぽつと話し出した。

実験の参加者として

去年度の不可思議な出来事の

サポートをしていたこと。

実質仕掛けた側であること。

全てを操っていたわけではないが、

台本や行動計画があり、

それに則って行動していたこと。

でも本当はしたくなかったことだって

たくさん、数えきれないほどあったこと。

それを乗り越えたこと。

このことを今の今まで話せなかったこと。

今ではもう解雇も同然なのか

意図せず自由になってしまったこと。

そしてここには

去年苦しめてしまって

ごめんなさいと伝えにきたこと。


全部、全部

ひとつひとつ丁寧に

陽奈先輩に渡していく。


悠里「……こんなこと…今更許されない……けど…。」


陽奈「…。」


悠里「…ごめんなさい……っ…。」


陽奈「…。」


陽奈先輩はいつからか

驚いた顔をしながら

こちらを見つめていた。

スマホを両手で持ち、

けれど動くことはなく指が浮いている。

目を合わせることなんてできず背を丸めた。


許されることはない。

許すなんてできない。

そんなことはわかっている。


わかっている。

そう言いながらもきっと

私はどこかで許されたがっている

浅ましい人間なんだ。

被害者ぶるのもいい加減にしろ、と

自分自身でも思う。

それと同時に、

これまで頑張ってきたんだからと

慰めようとする悪魔もいる。


少しして、雨の音に紛れて

爪が画面を叩く音がした。


怖い。

何で今更帰ってきたんだと

言われたらどうしよう。

のうのうと帰ってきて、無理矢理会って。

2度と顔を見せるなって。

声を返せって言われたら。

そこまでは私は関与していないからと

また逃げるのだろうか。

事実だろうとそれは

あなたへの加害でしかないのに。


視界の隅に光がふわり。

スマホの画面が傾けられた。

怖い。

怖い。

指示を通さずに接するみんなが

何を思っているのかわからなくて怖い。


でも向き合わなきゃ。

自分のしてきたことの責任は取るべきだ。

何歳であろうと、

自分で選択できる頭がある限り。


恐る恐る画面を覗く。

白くて眩いそれに目を細めた。


陽奈『今はびっくりして何も言えなくてごめんね。でも、悠里ちゃんの大切な人を守るために頑張ってきたのは伝わったよ。勇気を出してくれてありがとう。』


ありがとう。

それがよくわからなくて手で口元を覆った。

言葉としては理解しているはずのそれが、

うまく咀嚼することができない。


ありがとうと言われるようなことを

していない事実への嫌悪と、

そう言われるだけの勇気を出したことに

理解を示してくれた嬉しさとで

ぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。


引いた顔をされると思った。

話した時、1歩でも後ずさると思った。

私を置いて逃げるように帰ったって

おかしくないとすら思った。

そのくらい私は陽奈先輩のことを

わかっていない。

何ひとつあなたを人として理解していない。

記憶にあるのは性格や特性の分析の文章。

舞台装置のひとつとして

陽奈先輩を見ていたのに。


なのに陽奈先輩は私のことを

ずっと1人の人として見て

接してきてくれていた。


それこそどう返事をしたらいいかわからず、

手で口を覆ったまま瞬きをすると

わけもわからず涙が溢れた。

最近泣いてばかりで嫌になる。

咄嗟に屋根の下から駆け出して

先ほどより強くなった雨に当たった。


頭から冷えていく感覚はあるはずなのに、

服が重くなって沈みそうな気はするのに、

どこか浮ついていて体が熱い。


すぐに雨の音の色か変わる。

誰かが傘を差してくれたらしい。

無論、陽奈先輩だろう。


今度は顔を覆う。

雨の中聞こえづらいだろうけど、

そんなことはお構いなしに口が開いた。


悠里「………ありが、と…。」


ずっと前からごめんよりも

この言葉を伝えたかったのかもしれない。


それから泣き止むまで雨の中に紛れ、

陽奈先輩が袖を引っ張ったのを合図に

屋根の下に戻った。

私の制服もずぶ濡れだし

風邪ひかないようにと気を遣ってくれて

すぐに解散する運びとなった。


並んで校門まで向かう。

授業が終わり一斉に

下校していた生徒たちの姿は

とっくのとうに消えていた。


別れ際、陽奈先輩がまた袖を引く。

視線を向けるとスマホの画面を突き出された。


陽奈『結華ちゃんにもよろしくね…!』


悠里「…!…うん。伝えておくね。」


じゃあ、またいつか。

そんな甘い言葉を舌の上で転がして

陽奈先輩と別々の方向へと

足先を向けた。


またいつか。

それがあるのかないのか、

もう私は知ることはできない。

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