私のヒーロー
七「おはよ!」
悠里「おはよう。」
七「今日も探検いっくぞー!」
悠里「おー…?」
七「そこはもっと元気におー!だよ!」
悠里「おー…!」
七「うむ!悠里ちゃん隊員、元気がよくて素晴らしい!」
七が納得したのならそうなのだろう。
私は今日も今日とて
七に誘われて探検に
出かけることになっていた。
さして用事のない日々は
安堵できると同時に
不安にもなる。
こうして用事を作ってくれるのは
ありがたい話だった。
七「今日の目標は…秋っぽいものをたっくさん探すの!」
悠里「秋っぽいもの?」
七「落ち葉とか紅葉とか、どんぐりとあと松ぼっくりも!」
悠里「なるほど。」
七「あとあと、さつまいものお菓子と、長袖のお洋服とか!」
悠里「ショッピング…ではないんだよね?」
七「うーん、欲しいって思ったら買うかもしれないけど、今は秋を見つけたい気分!でも見つけなくてもよし!」
悠里「…とにかく散策ってこと?」
七「うん!」
悠里「七の探検って運動みたいな感じだね。」
七「その効果も期待大!いろんなところ見たり立ち止まったりするからね!」
今回も前回と同じ駅に降り立ち
散策することになっていた。
それとなく見覚えのある風景が続いている。
同じ道は通りたくないのか、
前回とは全く違う方向へと
リズムよく進み始めた。
七「ちいさいあーき、みーつけたいっ。」
悠里「見つけたになるといいね。」
七「するのー!」
悠里「ふふ、そっか。」
小さい背中だというのに
それはとても頼れるように見える。
もしも七から声をかけられていなかったら
自由な休日をどう過ごしたのだろう。
部屋にある椅子の上で膝を抱え
思いを巡らせて一晩を
明かしていたかもしれない。
こうして私の手を引くように
放置せずに一緒にいてくれるから
不安も紛れるのだった。
七「あ、これ…なんだろ?」
悠里「…?」
しばらく進んだ先、
線路沿いを歩いていた時だった。
線路内に立ち入らないよう
背の高い柵があり、
その網目にひとつ、
青い糸が蝶々のように結ばれていた。
細い細い青い糸。
何かを引っ掛けているわけでもなく
糸が1本結ばれているだけ。
悠里「よく気づいたね。」
七「青いのが浮いてるなーって思ってたの!蝶々結びになってるし、この柵丸ごとプレゼントとか!」
悠里「…っていうより、願い事をする時に誰かがくっつけたみたいなふうにも見える…かな。」
七「無断ってこと?」
悠里「さあ…でも誰かの敷地っぽくはないよね。」
奥にはすぐに線路が、
手前は道路を挟んで
一軒家が並んでいる。
明らかに誰かの家の庭などではない。
七「じゃあいたずらなのかな。解いた方がいい?」
悠里「え、私…が決めるの?」
七「なんかね、私いっつも急にどばばーって動いたり決めたりてみんな困っちゃうことがよくあるんだ。だから意見を聞こうって頑張ってる!」
悠里「すごいね。」
七「でしょー!私はこの糸気になるし解いてゴミ箱にポイした方がいいと思う!悠里ちゃんは?」
覗き込んで首を傾げられる。
私は。
糸を解くか解かないか。
そもそもゴミかそうではないか、
解いたら誰かが喜ぶのか。
悩み続けていても
答えなんて出てくるはずもない。
転がってもいなければ
そこらに誰かが通っているわけでもない。
答えは私。
私が決めていい。
突きつけられるたび、それがひどく怖い。
震える手で服の裾を握った。
悠里「解…く。」
七「わかった!じゃあせっかくだし悠里ちゃんがやって!」
悠里「え…。」
七「だってこの糸綺麗だよ?ほら、全然汚れてない!最近つけられたのかな。」
持って帰っちゃおうよと
言いそうな口ぶりだったが
流石にそこまでは言わずに
糸をじっと眺めていた。
彼女の視線の先、
1本の糸に手を伸ばす。
確かに綺麗な糸だった。
青く、背景からは
浮き彫りになっているはずなのに、
草木や空に馴染むような青が
心の隙間にちょうどよく染みていく。
古傷が痛むようだった。
この青さが昔ずっと好きだったような。
蝶々結びの一端を掴む。
そして、徐々に力を加え
硬く結ばれた中央から
翼が縮んでいくのを見つめる。
ほつり。
片方の翼はなくなり、
糸は蝶々の形を保てなくなった。
その時だった。
ぶわりと髪を吹き飛ばすのではないかと
思うほどの強風が正面から吹き、
思わず目を閉じて腕で顔を覆う。
体が風を全面に受け、
1、2歩と後ろへ下がる。
手の感覚がない。
掴んでいたはずの糸が
どうか指に絡まっていることを祈って。
しかし。
次に目を開いた時には
鮮やかな青い糸は無くなっていた。
吹き飛ばされてしまったらしい。
心にぽっかりと穴が空いたような
虚しさが残っている。
七「ね、ねえ!」
悠里「…?」
七「見て、前!あと周り!全部!」
七が私の肩をばしばしと叩き、
あたりのあちらこちらへと
指を指している。
ふと手のひらから目を離す。
顔を上げる。
今度は心地よい風が
頬をくすぐっている。
さっきよりもまたさらに
涼しくなったような気がした。
そこは。
そこには先ほどまであった
柵も線路も住宅街もない。
高層ビル同士の間の
薄暗い路地裏が伸びる。
あたりは人がぱらぱらと
足早に歩いたり
電動スクーターに乗ったりしている。
背にあった大きな交差点では見たことのない
…いや、見覚えのある
車らしきものも動いている。
空では荷物を抱えた
ドローン型のロボットが
安定感を持って飛んでいた。
七「何これ!?すごい、なんか車がするする動いてる!浮いてるみたい!」
七は怖いよりも先に
面白そうが前に来たのか、
嬉しそうに車を指差す。
見覚えはある。
この景色。
この空気感。
灰色の空気の漂う感じ。
間違いない。
そう思ったと同時に
路地裏の方から1人の影が
すっと伸びてきた。
はっとして振り向く。
2人の小さい女の子が
手を繋いで歩いている。
薄汚れた服を着て、
髪は乱れたままの
顔が全く一緒の2人。
七「子供がいる?おーい!2人ともー!ここってどこかわかるー?」
七が2人に向かって手を振る。
けれど、その2人は無視して
真っ直ぐ私たちのいる方へと
歩いてくるではないか。
七が声をかけながらも
当たらないように数歩下がる。
七「危ないよ!ぶつかっちゃう!」
悠里「…。」
それでも動くことはしなかった。
だって。
その2人は私の足を
すり抜けて行ったのだから。
ぱちくりと七が瞬きをしている。
それもそのはずだろう。
人間が、人間だと思っていた子供が
私の足にぶつからなかったのだから。
七「え、何で…?」
悠里「あれだけ大きい声をかけてるのに反応がない時点でおかしかったんだよ。」
七「…じゃああの2人は?」
悠里「…。」
口を開く。
砂っぽい空気が肺に悪い。
実際には空気まで
再現されていないのかもしれない。
けれど、見ただけで
金属の山から吹いた塵を
飲み込んでいるような気分になる。
悠里「あれは…私。小さい頃の私…私たち。」
間違いない。
この路地裏の先には
家という家のない人たちが集まる場所。
そこから出てきた全く同じ顔の女の子2人。
私と結華だ。
ああ、間違いない。
私がいた場所だ。
私がいた場所を再現したところなのだ。
七「…!なら2人のこと追いかけよう!もしかしたら何かあるかも!」
悠里「待って…私は…」
七「待てない!見失う前に行かなきゃ。ほら、手!」
悠里「怖い。」
七「…それでも、絶対大切なことだと思うの!なんかこう…絶対ついて行かなきゃって。なんとなくだけど、見失っちゃいけないよ!」
七はそう言って強引に
私のことを引っ張って行った。
足がもつれる。
小さい頃の私と結華の背は
七よりももっと小さくて
今にも壊れそうなほど脆く見えた。
脆かった、
だから、怖い。
○○○
お姉ちゃんはいつも私の手を引いてくれた。
気づいた時から、本当にずっと。
家がなくなった時のことは
あまりよく覚えていない。
時折お母さんが
お父さんの会社がなくなった時は
どうなることかと思ったと
お酒を仰いだ時だけ話してくれた。
記憶の始まりは
知らないおじさんやおばさん、
お姉さんも出入りしていた、
家とは言えない家だった。
挨拶もするし、話もする。
けれど、どこの誰だかわからない。
犯罪に巻き込まれるのではと
後になって思ったけれど、
思い出してみれば両親が
注意を払ってくれたおかげで
これと言って嫌な思いはしなかった。
コンクリート剥き出しの床に、
どこから持ってきたのか
小さな穴やほつれが
たくさんある布を出入り口にかけてあるだけ。
のれん、というものに
似ていたらしい。
冬はお父さん、お母さん、お姉ちゃん
家族みんなでくるまって眠り、
夏は暑い暑いと言いながら
家の中は狭くて離れられず
肌がべたべたする中眠った。
私とお姉ちゃんは
お昼間どうしても暇で、
近くのゴミ箱を漁って
食べ残しを探したり、
子供らしく公園に行って遊んだりした。
公園に行くといつも1番初めに
砂場に連れて行ってくれた。
砂に線を引く。
例えば、家族みんなが笑ってる絵。
それをお姉ちゃんが覗き込む。
悠里「何描いてるのー?」
結華「みんな。」
悠里「すごーい!」
結華「えへへ。」
悠里「これがお母さん、こっちがお父さん?」
結華「そう!すごい、なんでわかるの?」
悠里「だって結華の絵、好きだもん。」
好き。
お姉ちゃんからそう言ってもらえることが
ものすごく嬉しかった。
普段コンクリートの床で過ごしているから
石で落書きするのだけど、
跡が残ってしまってよく怒られた。
だからこうして砂のある場所まで来て
絵を描くことが多かった。
その落書きは形に残らず、
時に他の子供達に、
時に雨風によって
跡形もなくなってしまうけれど、
お姉ちゃんのくれた好きは
いつまでも心に残っている。
私はこれがあれば大丈夫。
そう思うようになってから
さらに絵にのめり込んでいった。
身の回りのものをよく観察するようになった。
たくさんたくさん真似して描くようになった。
その全てをお姉ちゃんは
絶対に褒めてくれた。
悠里「じゃあ行ってくるー。」
結華「行ってきます。」
小学生に上がった頃。
お父さんの仕事も見つかり、
ものすごく小さな家へと移り住んだ。
見知らぬ人が出入りしない
自分たちだけの家。
3LDKなどといった
まるで夢のような大きな家ではないが、
ぎゅうぎゅう詰めだろうと
自分たちの居場所があることは
とてつもなく嬉しかった。
義務教育を受けることはできたので
そこから学校に通った。
が、これが地獄だった。
これまで似たような人が集まる
…言えば小汚いが普通となるような
環境で過ごしてきた。
だからこそ、びっくりしたのだ。
新品で艶々のランドセル。
おしゃれに着飾った同級生らは
ゲーム機や携帯を
当たり前のように持っている。
授業で必要だからと
配布されたタブレットに
感動していた自分が恥ずかしい。
初めて話して友達になった人は
次第に遠のいていった。
みんなは毎日違う服を着る。
それについていけなかった。
服が欲しいと駄々をこねた。
今は難しい、と
お母さんは口早に、
しかし申し訳なさそうに言った。
みんないい匂いがした。
反面、私はよく臭いと言われた。
給食用のマスクの内側が
黄色くなることだって
他のみんなはなかったらしい。
初めは仲間はずれだった。
それだけだった。
けれど、学年が上がると
今度は露骨にひそひそと
話し声がするようになった。
「また同じ服着てる。」
「靴ぼろぼろじゃん。」
「お風呂入ってるの?」
「やめて近寄らないで。」
双子だから違うクラスにされることに対して
こんなにも恨んだ日々はない。
けれど、お姉ちゃんに
迷惑をかけるわけにも行かない。
きっとお姉ちゃんだって
大変なはずだから。
だから、口をきゅっと閉じた。
が、そんなことも知らずに
突如お姉ちゃんが
隣のクラスから
殴り込みに来たことがあった。
陰口を聞いていた場面を
ちょうど聞きつけて
反射的に胸ぐらを掴んだのだ。
「きゃー!離れて!」
悠里「お前今結華の悪口言ったでしょって。」
「悪口じゃないし。本当のことだし!だって臭いじゃん!」
悠里「うるさい!」
「みんなだってそう思ってるよ!嫌なこと言われたくないなら綺麗にしてきてよ。」
ねー、と
鼻を摘んで手で仰ぐジェスチャーをした。
それがお姉ちゃんにはかちんときたらしい。
「じゃあ汚い方が悪いと思う人手ーあげ」
悠里「人のこと傷つける方がもっと悪い!」
そう言ってお姉ちゃんは
そのまま同級生を殴ってしまった。
周りは絶句。
その後、殴られた人の友達が
わらわらと駆け寄ってきたり、
ある生徒は先生を呼びにいったりで
しばらく騒然とした。
担任の先生や双方のお母さんが
駆けつける事態となってしまい、
ひどく謝っていたお母さんの姿を
初めて見た瞬間だった。
お姉ちゃんはというと
間違ったことはしていないの一点張り。
相手もまさか殴られるとは
思っていなかったらしい。
少し罰の悪い顔をしていた。
確か仲直りのごめんなさいはしたけれど、
その後仲良くなることもなければ
突っかかられることもなくなった。
結局担任の先生からの配慮もあり、
古着を回してもらうことになった。
コインランドリーに行って洗濯したり、
お風呂の回数を増やしたり。
その分1回で使う水の量を
節約しなければならなかったけど、
少し「普通」に近づけた気がして嬉しかった。
小学校の帰りには近くの繁華街で
試食をしたり物乞いをしたりした。
家はあるが、家計は火の車もいいところ。
両親は共働きになり
家はいつも伽藍堂。
それでもみんなで集まって
毎度ご飯を囲む。
お母さんは心配性だったし
お父さんは時折酒の勢いで
口汚く会社や世の中を
罵ることはあったけれど、
誰1人として家族の悪口を言わなかった。
そんな家族が大好きだった。
悠里「すいませーん。」
「あら、この前の。」
悠里「あの、いらないゴミとかあったりしませんか?ご飯の隅っこのいらないところとか。」
「なんだっけ、段ボールコンポスト…だかを授業でしてるんだっけね。」
悠里「そうなんです。私の家、生ごみあんまり出なくて。だからちょっとだけ分けてほしいです。」
「そう。少し待っててね。それにしてもこんな時代に段ボールコンポストだなんて珍しいわ。懐かしいことありゃしない。」
悠里「昔の文化に触れようみたいなやつで、長くやるらしいから時々もらいにきてもいいですか。」
「常にゴミがあるわけじゃないけどね、まあ都度聞いてちょうだいよ。」
悠里は人と接するのも
嘘をつくのも上手だった。
段ボールコンポストなんて嘘で、
実際は食べられそうなものを漁るのだ。
家はあれど、それでも借金なり
なんなりがあったらしく、
贅沢な暮らしはできなかった。
が、万引きなど
犯罪には手を染めずに
こうしてなんとか生きてきた。
たまに綺麗な状態で
パンの切れ端などをもらうことがある。
とてつもないご褒美だった。
ある日、2人で夕方から
繁華街の散策をしていた。
いつも通うようになった
お団子屋さんへ向かう。
髪を括った若いお姉さんが
私たちのことを見つけては
「あ!」と口を丸く開く。
エプロン姿の似合う女性だった。
「今日も来たんだね。」
悠里「はい。もしあればでいいんですけど…売れないお団子とかがあったら分けてほしいです。」
結華「お願いします。」
「ちょっと待ってね。聞いてくるから。」
店番を離れ、奥へと消える。
誰かと話した後、
袋を持ったお姉さんが出てきた。
袋1枚を無料でつけてくれたことも
とても嬉しかった。
「はい、どうぞ。毎回言ってるけど本当は良くないから、他のみんなには内緒ね。」
悠里「わかってます!ありがとうございます。」
結華「ありがとうございます。」
このお店のお姉さんは
いつも笑って見送ってくれた。
それが好きで、
ここには何度も通った。
2人で別れて
ご飯をかき集める時は、
私が必ずこのお団子屋さんに向かった。
その度に「また来たの?」と
困ったように笑い、
ぼろぼろの服を着た私たちから
距離を取ることなく
ご飯を分け与えてくれた。
賞味期限切れのものしかなかったが、
それでもご馳走の他なかった。
ある日、分担して回収することになった時。
お団子屋さんに向かったのだが
お店のあった場所は
ぽかんと空いていた。
看板は畳まれ、シャッターが閉まっている。
人が並ぶこともなく流れるばかり。
結華「…!お団子屋さん…。」
探さなきゃ。
途端にそう思った私は
近くの人に声をかけた。
夕方、夜に近づく街。
怪しいおじさんが近づいてきた時は
いつもお姉ちゃんが追い払ってくれた。
自分が非力であることをわかっていたから
すぐそばにいる1番怖そうな
お兄さんに声をかける。
連れて行かれそう、助けて、って。
名演技だと思う。
怖い人は大体良識があるのか
おじさんを追っ払ってくれた。
ありがとう。
たくさん感謝をして、
学校のプリントをちぎって折った
覚えたての鶴を渡す。
捨てられるか、
爽快に笑って受け取ってくれる。
私はそんな怖い人に
声をかけることなどできなかったが、
お姉ちゃんはいつだって
怖くないみたいに話しかける。
本当は手が震えていたことも知っている。
お姉ちゃんは怖がりで
すぐに手に出るから。
でも、それでも私たちのために
立ち向かってくれる姿がかっこよかった。
そんなお姉ちゃんが今は一緒にいない。
それでも、お団子やさんを探さなきゃ。
お引越ししだけかもしれない。
現に、スーツを着たお兄さんから
「お団子屋さんならあっち」と
指を指して教えてもらえた。
よかった。
お姉ちゃんにいい報告ができる。
けれど、向かった先は
全く知らないお団子屋さんだった。
成果がないのも嫌で、情けなくて
おずおずと近づく。
すると、鋭い目つきをしたおばさんが
きっ、と睨んできた。
「なんだい。」
結華「あの…私…家族みんな…お腹が空いてて…もしよければ」
「おまえさんにやれるもんなんてないよ。」
結華「そこのところを…」
「とっととお行き。はぁ、汚い汚い。」
お姉ちゃんの真似をするも駄目で、
他のお店に行ったとしても
上手く懐に入ることはできなかった。
お姉ちゃんだからできたことなんだ。
落ち込みながら、
またお団子屋さんの場所を聞く。
この場所ならまだわかる。
あの道を逆に辿れば。
自分を信じて行動した私が馬鹿だった。
当然というべきか、
道に迷ってしまったのだ。
知らない建物。
遠のきどこにあるのかわからない
繁華街の光。
お姉ちゃんの声。
どこ。
どこにいるんだろう。
結華「お姉ちゃん!お姉ちゃーん!」
叫ぶ。
喉が違う震え方をしている。
結華「おねえちゃーんっ!」
あたりは既に真っ暗。
近くの電光掲示板では
外で見たこともない21時を示している。
怖い。
連れ去られちゃったらどうしよう。
もうお姉ちゃんと会えないのかな。
ひとりぼっちなのかな。
どうしよう。
怖いよ。
死んじゃうのかな。
1人はやだ。
結華「お姉ちゃん…っ。」
コンビニの裏で小さく膝を抱える。
自然と涙が溢れてきた。
表の方では若い男性たちが
エナジードリンクやらお弁当やらを買ったり
タバコを吸ったりしている。
その和気藹々とした
話し声が聞こえてくる。
それすら怖くって仕方がない。
お姉ちゃん。
お姉ちゃん。
ずっとつぶやいていた。
助けて。
会いたい。
お姉ちゃん。
何時間経っただろう。
もう夜も更けて
日付を回ったかもしれない。
怖くて顔を上げられない。
そんな時だった。
「結華っ!」
遠くから走ってくる足音。
そして私の名前を呼ぶ声がした。
反射的に顔を上げる。
刹那、お姉ちゃんの手がぐんと伸びて
次に大きな衝撃が加わった。
地面に一緒に倒れ込む。
コンクリートが固くて痛い。
抱きしめる力が強くて苦しい。
それでもよかった。
それがよかった。
目の前は涙で霞んでよく見えない。
悠里「繁華街のところから離れちゃ駄目だって言ったでしょ!こんな遠くまで来て…何で約束破っちゃったの!」
結華「お団子屋さん…なくなって……んで、見つけなきゃって……ぐずっ…ごめんなさい……お姉、ちゃ…」
悠里「今回は見つかったからよかったけど、もしかしたらのことだってあるかもしれないんだよ!もうしないって約束して!」
結華「う、ん…ごめんな、さい…ぃ…。」
悠里「うん、うん…次から守ればいいよ。ほら早く帰ろう?」
結華「うあぁぁあぁーっ…お姉ちゃんん…っ。」
ぼろぼろ泣く私を宥めながら
手を繋いで帰路を辿った。
ずっと大丈夫だよ。
1人にしてごめんね。
今度から守ろうね。
一緒に約束守っていようね。
と優しい言葉を絶え間なく
かけ続けてくれた。
たった数分違いで
一緒に産まれてきたはずだけれど、
お姉ちゃんはものすごくかっこよくて
自慢の…そして尊敬している人なんだ。
お姉ちゃんは私のヒーロー。
いつでも駆けつけてくれて、
私のことや家族のことを守ってくれる。
いつまでも大切な私のお姉ちゃん。
小学生高学年の頃。
学校内でも浮いた中で
不思議とたまに話す人ができた頃。
お父さんがとある実験に
応募してきたと話をした。
もし選ばれれば
ものすごく大量のお金が手に入るんだって。
初めは嘘だと思った。
けれどしばらく経ったある日、
スーツを着た人が家にやってきて
私たち家族が選ばれたことを
お知らせに来てくれた。
お母さん「急に…そんな都合のいい話あるわけないでしょう。」
お父さん「そう心配になるのもわかる。」
お母さん「それに、主に子供たちを関わらせるだなんて…そんなのごめんよ。」
お父さん「…けれど契約前の資料にあっただろう、こちら側が逃げ出したり背いたりしなければ大丈夫なんだよ。」
お母さん「どんなひどいことをされるか…。」
お父さん「ここに書いてあるよ。ほら…計画のとこ」
お母さん「計画でしょ!?それの通りに進むわけがないでしょう。絶対裏があるのよ。じゃなきゃあんな多額のお金をちらつかせるはずがないわ。ただの貧困な国民1人にどうしてここまでするの?他にはしていないのでしょう?おかしいとは思わないの?」
お母さんもお父さんも
家族を想っているからこそ
喧嘩が起きているのだということは
容易に理解できた。
小学校でのお姉ちゃんと
悪口を言っていた人との喧嘩とは訳が違う。
どっちが悪いとかではない。
両方とも素晴らしく、
けれど双方譲歩しなかった。
悠里「私、大丈夫だよ。」
が、そんな険悪な雰囲気の中
お姉ちゃんは堂々と口を開いた。
彼女の手を見る。
少し、わからないくらいに震えていた。
悠里「今のまま暮らしてても苦しいなら、実験のお手伝いして守られてた方がいいよ。私、家族大好きだもん。そのためなら頑張れるよ。」
結華「私も。」
考えるよりに先に
口が動いていた。
結華「私も、やる。」
お父さんは誇らしげに頭を撫でてくれた。
お母さんは困惑し
口をぱくぱくさせていたが、
その後誰よりも契約書を読み
何度もスーツの人と話した挙句
了承してくれた。
私たち2人が主に参加することよりも
今後私たち2人が
野垂れ死ぬことがないようにと考えたらしい。
お金どころか住む場所まで
貸してもらえるらしい。
あの時お姉ちゃんの言葉がなかったら
もしかしたらこの先
悪い未来が待っていたのかもしれない。
反対に、今進む先の未来が
もっと悪いものかもしれない。
けれど、お姉ちゃんが行く先であれば
私はその背中をいつまでも
追いかけるだけ。
大好きなヒーローから
目を離さないように。
○○○
気がつけばまた線路沿いの
柵のところに戻っていた。
昔住んでいた家々の景色を思い出し、
その場所どこにも
結華がいたことに気づく。
胸が苦しい。
腹の底に溜まった濁り水が
そのまま喉を競り上がってくるのを感じる。
それでも。
それでも結華は
もういない。
七「今のって…?」
悠里「…。」
七「悠里ちゃん?大丈夫?」
悠里「…っ。」
その場でしゃがみ込む。
車が通ったら危ないな。
ただの細い歩道。
背中にはガードレールもなく
すぐに車道が伸びている。
予定通り、
真っ直ぐに向かってきた
トラックが──。
悠里「……っ…………無理…かも……っ。」
七「…じゃあ、落ち着くまでここでゆっくりしてよう?ここ危ないから、あっちのバス停のところまで行こう?」
七は心配そうにこちらを見て、
鞄を持ってくれて
椅子に座らせてくれた。
七「待ってて、何か飲み物買ってくるね!」
走り去っていく七の背中を
俯いたまま横目で見やる。
自由に跳ねる髪の毛、
恐れを抱かず地面を蹴り上げる足。
その全てに枷がないのだ。
まるで過去の私たちのように。
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