3-2 海からきた金魚


 早朝六時の海岸は閑散としていた。むせ返るような海の匂いと波の音が太一たちを迎えてくれる。


「足場が悪いからな、気をつけろよ」


 連れてこられたのは、毎年遊びに行く海水浴場から少し離れた場所にある海岸で、大きな流木やゴミなんかも流れ着いていて気をつけないと危なそうだ。

 宏斗くんが立ち止まり、太一に向けて口の端を上げる。


「ほら、宝探しの始まりだ」


 どちらかというとゴミ拾いになりそうな海岸は、つい昨年までは来てはいけないと母親に止められていた場所だ。何をしでかすかわからないから、という理由らしいが、太一にだって分別くらいある。


「このあたりの高潮線こうちょうせんが狙い目だな。珍しい貝殻だとか骨だとか、シーグラスや陶器片、あと釣り具に流木だろ……」


 一際ごちゃごちゃと貝殻やらゴミやらが溜まったラインを指さしながら言われて、太一は目を凝らした。


「それホントに宝物?」

「まぁ、やってみろって」


 宏斗くんがにししと笑うとしゃがみ込んで、集まった貝殻の中からいくつかを取り出して太一に見せてくれる。


「貝殻だけでも色々あるだろ? この巻き貝とかは割れやすいから割れてなければ結構レアだぞ。それに自分が宝物だと思ったらその時点で宝物だ」


 割れた巻き貝に穴の空いた白くて平たい貝殻。欠片になったピンクっぽい貝殻にアサリの親戚みたいな普通の貝殻……?


「こんなの拾ってどうするの?」


 子供ならともかくもういい大人アラサーの宏斗くんの宝物にしては少ししょぼい気がした。宏斗くんには悪いけど、祖母からのガラクタ扱いも仕方ないかもしれない。


「そのまま飾ったり、小物……アクセサリーなんかに加工したりだな」

「アクセサリーっ!? 宏斗くんが?」

「結構器用なんだぞ」


 不器用そうに見えるというつもりはなかったけど、洒落っ気のない宏斗くんがアクセサリーを作っているのは正直、似合わないと思った。


「よし、次行こう」


 今の場所に見切りをつけたのか宏斗くんが歩き出す。歩き慣れない砂に足を取られないよう注意しながら、太一も急いで後を追った。


 早朝だけあって暑くはないけれど、それでも日差しが肌を焼いて、潮を含んだ風が頬や腕を撫でていく。


「あ」


 何かが鈍く光を反射した。しゃがみ込んでよく見ると、赤っぽい丸みを帯びた欠片が落ちている。

 親指の第一関節までくらいのそれをつまみあげると、すべすべとして太陽の熱でか少しだけ温かい。


「お。シーグラスじゃん。赤は結構珍しいぞ」

「ふぅん」


 角が取れて艶の消えたガラスはグミかキャンディーみたいだ。


 歪な三角形っぽい形は金魚の胴にも似ていて。連想ゲームみたいに浴衣に泳ぐ金魚が浮かぶ。



『お母さんとちゃんと話、したほうがいいよ。手遅れになることもあるから』



「……きちんと話をしなくて、手遅れになったこと……宏斗くんはある?」


 ころころと手の内で赤いシーグラスを弄びながら言葉が漏れた。


「お? あぁ、と……」


 宏斗くんが困ったように眉をしかめて、失敗したなと思う。

 自分だってどうしてこんなに引っかかるのかわからない。手遅れなんて強い言い方をされたためなのか。さやの元気がなかったように見えたためか。


「いや、いいや……」


 別に親と話そうなんて思っていない。さやだってきっと何を話したかなんてすぐに忘れて、仲直りしたっぽい部活仲間と仲良く過ごしているはずだ。


 わからない太一だけがもやもやしているだけで。


 寄せては返す波の音が思考をさらっていく。


 それからはただ黙々と浜を見ながら歩いた。何度か碧や緑のシーグラスを見つけ、真っ白で欠けていない貝を選んで拾った。

 砂にいくつかの貝を並べて吟味していると、斜め向かいに宏斗くんがしゃがみ込んできた。


「さっきの話、……あるぞ」


 とっさに答えが出せなくてじっと顔色をうかがう。宏斗くんはこちらを見ずに手を動かして、貝殻を選別している。

 

「ただ言わなくていいことを言って後悔したことだって同じくらいある」


 貝殻をつまみながら呟くように宏斗くんが言う。


「じゃあ、言わないほうがいいじゃん」


 どっちにしろ後悔するなら、余計な傷を付けたくはない。


「そうでもないぞ」


 じっとこちらを見つめる瞳は優しい色をしていた。


「何も……言えなかったとしても?」

「それこそ相手が宝物を選ぶさ。今日の宝探しみたいに」


 ざざぁん、ざざんと波の音。

 汗なのか潮なのかでベタつく身体。火照った頬。気持ちペタリとした髪。だけど、数日ぶりに気持ちは軽かった。




 ――珍しいらしい赤いシーグラス。


 せっかくだから、宏斗くんに細工の仕方を教えてもらって本当に金魚にしてしまおうか。

 そして、うまくできたらさやに見せてやろう。ついでみたいに、『この前はどうしたんだよ』なんて聞いてしまえばこんな憂いもなくなるだろう。



 帰ってシャワーを浴びるなり、座卓に張り付いて金魚の設計図を描き出した太一の後ろからひょいと母親が覗き込んでくる。


「せっかく海で拾ってきたなら海の生き物にすれば良いんじゃない? ほら、赤だと……タイとかタコとか」


 気を削がれて太一は口を尖らせた。不満そうな反応にまたかとでも言いたげな様子で母親が肩をすくめ、台所の方へと戻っていいく。

 親と話すのなんて、まだまだ先でいいと思う。



 まだ耳の奥で波の音が聴こえる気がして、太一はそっと目を閉じた。

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