④ チョココーヒーにさよならを

「アメリカーノのトール、アイスで」


 この季節のコーヒーはきっと苦すぎるくらいがちょうどいい。しばらく迷って決めた注文を店員さんに伝えると、隣から「ええっ」という声が上がった。


「さやや、新作にしないの!?」


 高校から仲良くなった美宇が、受け取ったばかりの生クリームを盛り付けたコーヒードリンクへと視線を移す。

 エスプレッソコーヒーとチョコレート、氷、それからいくつかのシロップをミキサーにかけた甘くて冷たい飲み物は火照った身体にきっとぴったりだ。


 この新作ドリンクが最近の美宇の一押しで、学校帰りに飲みに行こうと誘われてこの店まで来たのだけど。


「やっぱやめとくことにした」


 内心困りながら笑顔を作って見せると、美宇の目が瞬き、口が尖っていく。


「美味しいのにぃー」

「また今度、ね?」


 いい加減、もうそろそろ大丈夫な気がしていたけれど、店に来たら急に怖気づいてしまった。せっかく中学の同級生が誰も来ないような遠くの高校に進学したし、今度こそうまく過ごしたいのに。


「期間限定なんだから! 絶対飲んだほうがよいよ」


 美宇は気分を害した様子もなく空の拳を握るようにして力説し、もう片方の手で甘そうな飲み物をずいと突き出してきた。


「ほら、一口だけでも」

「もうっ、いいって」


 あまりの熱意に苦笑しながら勧められるドリンクを軽く押し返し、店員さんからクラッシュアイスとコーヒーの入ったプラカップを受け取った。


「ほら、どこ座る?」

「じゃあ、あの奥。飲んじゃうからね」


 まだ布教を諦めきれない様子の美宇が、観葉植物の奥のソファー席を指さす。少しお節介で、だけども優しい性格に救われていると思う。


「ありがとう。ごめんね」

「いいって」


 美宇が通学用のリュックを床に置かれた籠に下ろしながら、さやにも籠を差し出してくれる。ありがと、と小さくお礼を伝えて黒地に濃いピンクのラインの入ったリュックを収めた。

 柔らかなソファーに腰を下ろすと、汗で制服のプリーツスカートが脚に絡む。


 向かいでは、美宇がスマホをテーブルの上のドリンクカップに向けて映える角度を探している。


(本当に好きなんだな)


 SNSに写真をアップするのだろう。さやも一応アカウントは持っているけど、ほとんど覗くだけだ。

 しゃくりと氷ごと黒い液体をかき混ぜて、慎重に一口吸う。


 ――苦い。


 だけど、ほっとする。

 記憶の片隅にある甘い甘いコーヒーアイスとは別物過ぎて。




 中一の夏――仲が良いと思っていた両親が離婚した夏。

 木の上の秘密基地で、幼馴染の太一とチョココーヒー味のボトルアイスを飲んだ。


 太一が子供の頃の宝物の話なんてするものだから余計に感傷的になっていたのだと思う。


 葉っぱ越しの夕焼けを見ていたら、なぜだか無性に泣きたくなった。

 一日の最後の煌めきがあまりに綺麗で、太一が帰ってからも目が離せなくて。一人になってから、涙がどんどん溢れてきた。


 子供時代の記憶が幸せ過ぎて、甘過ぎて。

 失ってしまう大切なものが多過ぎて。


 ツンとした鼻の奥で、甘いチョココーヒーのあと味が残っていた。


 ふとした瞬間、その日の記憶に気持ちが引きずられてしまいそうになる。




「さては、男だな」

「えっ?」


 美宇の声に現実に引き戻されて、ぎょっとした。太一は確かに男の子だけどそういうのではまったくないし、第一、話が飛躍しすぎて文脈が掴めない。


「お? その反応は当たり?」


 にやりと笑う美宇は本当に楽しそうだ。


「違うってば。ちゃんと聞いてなかっただけ。なんの話?」

「アメリカーノ好きなのかから始まって、上の空だけど大丈夫かって」

「やだ……!」


 思った以上に過去に思いを馳せていたらしい。美宇がぐいと身を乗り出してきて、「で?」と続きを求めてくる。


「本当にぼんやりしてただけ。ちょっと昨日、遅くまで話し込んじゃって」


 元部活すいぶの友人たちとはたまに連絡を取ってはいたけれど、実際に会うのはかなりひさしぶりだ。返信の一つ一つに敏感になって、スマホを気にするうちについ夜更しをしてしまった。


「お」

「女の子ばかりだよ。オープンキャンパスで前住んでた街の近くに行くって連絡したら盛り上がっちゃって」


 あの日見た夕陽があまりに綺麗だったから、最後くらいは綺麗に終わりたくなって。だいぶ無理をして出かけたお祭りでまた会おうと約束し合った。

 その約束がやっと叶えられる。


「そういうの良いね」

「うん」


 まだ、あの輪の中に居られたらという気持ちが残っていて切なくなるけれど。

 両親の離婚のことや転校先の中学にうまく馴染めなかったこと。色々と話していないことがあるし、もしかしたら元のようには笑いあえないかもしれない。


 もう一口と手元のアイスコーヒーを吸い込めば、苦味が口いっぱいに広がった。ほかの風味もあるような気がしても、苦味に邪魔されてよくわからない。


「やっぱり、ちょっと苦すぎるかも」

「ほら。こっちにしとけばよかったのに」


 笑いながら美宇が、近くのガラスポットに入れられたポーションタイプのガムシロップを取って差し出してくれる。

 受け取りながら思う。


 次こそは、美宇のお勧めの甘いコーヒーを飲んでみよう。

 きっと、別れの切なさを出会いの味に上書きできるから。


 容器を開けて、注ぎ入れたシロップはくゆりと揺れて真っ黒なコーヒーに馴染んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る