3-1 海からきた金魚
大きく開いた花火に照らされた金魚模様の浴衣。哀しげにも見えるさやの横顔。思い出すのは、別れ際の会話と目尻に光っていた涙。
『お母さんとちゃんと話、したほうがいいよ。手遅れになることもあるから』
祭りまでの数日の間、心のどこかで気になっていた。さやが手遅れになってしまったと後悔するような何かがあったんじゃないかって。
だから、祭りにさやが来ていて、正直すごくほっとしたんだ。
話しかけようと思ったところで、部活の友達と一緒なことに気がついて。楽しそうに笑う姿に聞きたかった言葉を飲み込んで、気づかなかったことにした。さやが祭りに来ていたことにも、あの日の違和感にも。
今さらになって飲み込んだものが胸につかえている。
* * *
バタンと音をたてて、小型車の熱しきったドアを閉めると、一年ぶりに会う祖母が歩み寄ってきた。
「まあ、随分大きくなって。疲れたでしょう?」
大きくなったと言われてもどう答えればよいかよくわからないし、退屈ではあったけど疲れたというかんじでもない。
毎年同じようなことを言われているような気がする、なんて考えていると、運転席を降りて歩み寄ってきたらしい母親に後頭部をはたかれた。
「太一、もう五年生でしょ。返事くらいしなさい」
「てっ……」
言われなくたって返事くらいできる。じとりと母を見て言い返そうとしたところで、明るい祖母の声が割り込んできた。
「いいのよ、いいの。長旅のあとなんだから」
「お母さん、ひさしぶり。宏斗は?」
「あの子はまた浜よ。相変わらずガラクタばかり拾ってくるの」
二人の会話を所在なく耳にしながら、祖母の家を見まわして前回と変わったところを探していく。
建てた当時はモダンだったらしい白い壁に少しメッキの剥がれたドアポスト。踏み石が並ぶ玉砂利を敷いた庭。縁側のガラス窓からはきれいに貼られた障子が見える。
多少は変わっていそうなものなのに、太一には何ひとつ変わらないように見える。
「いつもの二階の部屋、使って大丈夫でしょ? ……太一っ! 荷物運んでおいて」
「……わかったよ」
これでやっと退却できる。手伝おうとする祖母を押し留め、バックドアを開くと、手近にあったボストンバックを掴み上げていく。
ガラガラと少し建てつけの悪い引き戸を開けると、よその家の匂いがした。祖母の家は、その匂いが友達の家よりもずっと濃い気がする。
その晩は、祖母手製のごちそうを食べて、軽い
「ごちそうさま」
ひょいひょいと皿を重ねて、流しに運ぶ。
母はビールを片手に、太一の知らない知人の話をしていて、祖母がにこやかに応えている。
(よくあんなに話すことがあるな)
自分の親と何時間も話し続ける未来なんて、太一には想像もできない。
皿に残った汚れをざっと落として、水を張った洗い桶に突っ込んでいく。部屋に引きこもって持ってきたゲームに興じてもいいのだけど、初日からでは咎められるだろうか。
目先の得と後の過ごしやすさを天秤にかけていると、開け放した縁側からちょいちょいと手招きをされているのに気がついた。
少しくたびれた白いシャツを着ているのは母の弟の宏斗くんで、相変わらず無造作といえば聴こえのよい
「おう、飲んでるか?」
ビールの缶を目線の高さに上げて、いつもどおりのトーンで声をかけてくる。太一がもっとずっと幼いときですら、宏斗くんに声を高めて話しかけられたことなんてない。
「飲んでるわけないじゃん」
宏斗くんは「だろうな」と返してきて、声を落として「長話に付き合うのもめんどくさいよなぁ」と囁いてきた。思わずふっと笑ってしまい、慌ててダイニングの方を伺い見た。
「明日の朝早く、海に行かないか」
宏斗くんは悪巧みでもするような顔をしていた。
「とっておきのところ、教えてやるよ」
* * *
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