② 打ち上げ花火が泣いた夜
お祭りになんて、本当は行くつもりじゃなかった。
気が変わったのは、最後のお別れくらいきちんとしたいと思い直したからだ。
水色の波にピンクの金魚が泳ぐお気に入りの浴衣はさやが自分で着付けた。赤い付け帯には相当苦戦させられたし、着崩れないといいなと祈るしかない。
髪の毛だって、去年はお母さんがセットしてくれて凝った髪型をしていったけれど、今年は自分でできる簡単アレンジだ。
吹奏楽部の子たちも来るだろうな。きっと、さやが部活を辞めることも顧問から聞いているだろう。
せっかくソロパートをもらったのに、中途半端な時期にいなくなるなんて、不満に思うメンバーもいるかもしれない。
重くなった気分が変わるように、強めに膝を叩く。時計を見るともう家を出てもよい時間だ。
「お母さん、行ってきます」
母の寝室に向けた挨拶に返事は返ってこなかった。涙腺が緩みそうになり、急いで下駄の代わりにサンダルを履いて玄関を出た。
遠くから浮かれたような笛とお囃子の音が聴こえてくる。
夏休みが始まって少しした頃のこのお祭りが、子供の頃の楽しみだった。両親や幼馴染の太一一家と一緒に屋台を巡り、お神輿を見た。
小学校の高学年からは数人の友達とお祭りを回って……。中学に入ってからは、その友達のほとんどがさやと同じ吹奏楽部に入った。
小中と通いなれた通学路を通って、メインの会場となる神社へと足を進める。秘密基地にしていた大きな木の横を通過するとき、つきりと胸が痛んだ。
提灯の明かりが見えて、お囃子に交じる掛け声や喧騒が大きくなってくる。どこか浮足立った人波が、ぼんやりと明るく光る祭り会場へと吸い込まれるように進んでいく。
ちらほらと屋台が出始めたあたりで、吹奏楽部の友人達を見かけてぴたりと足が止まった。皆それぞれが浴衣姿で、屋台で買ったっぽいクレープを片手に話し込んでいる。
話しかけようと思ったタイミングで友人達が楽しそうに笑い合う。じゃれ合うように盛り上がる腕にお揃いの光るブレスレットが見えた。
一人がこちらに目を向けて、とんとんと隣の子の肩を叩く。
「さややじゃん! どうしたの? いきなり
「そうだよ、めっちゃびっくりした」
さやに気付いた友人達が口々に声をかけてくる。
「ごめんね。親の仕事の都合で急に引っ越しが決まっちゃって」
言おうと決めていた内容はすらすらと口をついた。本当のことはさやもよく知らない。
わかっているのは、家を引き払って母の実家にしばらくお世話になることと、そこに父は含まれていないことくらいだ。
「嘘!? いつ?」
「もう少ししたらすぐ引っ越しなの。夏休みが終わったら向こうの学校に通うんだ」
「やだ。寂しい」
「私もだよー。考えただけで泣きそうになってきた」
力を込めて口に出すと、友人達が頭を撫でたり軽く抱きしめたりしてくれる。
「最後にちょっとくらい、時間取れない?」
「難しいかも。ちょっと荷造りが遅れてて」
最近、泣いてばかりいる母。ちょっとどころではなく、荷造りはまったく進んでいない。
「ええー?」
「今日も本当は来るのやめようと思ってたんだけど、みんなに会いたくて来ちゃった」
「さややぁ」
もみくちゃにされながら、誰からも退部を咎められなかったことにほっとしていた。話は、さやが担当するはずだったソロの話やさやの知らない最近の出来事へと移っていく。
また、つきりと胸が痛んだ。
「あ」
どんと大きな音がして、夜空に大輪の花が開いた。毎年、お祭りの最後に花火が上がるのだ。
最初は黄色味を帯びた大玉で、次に小ぶりな緑色。真円だった花火がシダレヤナギのように流れて、キラキラとした光の粒に変わる。
さやには、最後に残った火花が涙のように見えた。
この街ともお別れかぁ。
ここしばらくは色々なことがありすぎてごたごたしていたけれど、最後くらい綺麗な思い出で締めたい。
煙だけが残った空。一年ぶりの硝煙の匂い。
一年前は別れのことなんて考えてもいなかった。
「ほら、また上がったよ!」
歓声があがる。一際大きくて、凝った花火。華やかな赤が夜空に散って、同時に小さな花火が開く。
夜空に溶け込むように光が薄くなっていく。
こんなふうになりたいな、とさやは思う。
打ち上げたあとの残渣が煙臭くて汚くても、みんなの心に残るのは綺麗な花火だけだ。
センチメンタルな思いを封印して、できるだけいつもどおりの顔に見えるように笑った。
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