1-2 ある夏の日、秘密基地にて

「で、事情って何?」


 気にした様子もなく、さやが尋ねた。計画の成功を自慢したかったし、また気分が乗ってくる。


「次の土日が祭りじゃん? そこでゲームを全クリしたって自慢したかったんだよ」

「くっだらない……」


 脱力したようにさやが言い、太一はつい顔をしかめた。


「だって、あとはラスボス戦だけだったしさ。もう少しだって言ったのに」

「あんまりお母さん困らせちゃだめだよ。あーあ。心配して損した」


 そのまま降りていこうとするセーラー服の襟を太一が掴んだ。


「せっかくだしアイス食べてけよ」 

「いらないよ」

「いいや、口止め料だし」


 さやの動きが止まったのを確認して、リュックをゴソゴソとあさる。外側がくにゃりとした保冷剤がたっぷり詰まった給食袋の中から、目的のブツを見つけ出してニヤリと笑った。


 チョココーヒー味のボトルアイス。袋を開けてから、二連になっているプラ容器の片方を差し出した。

 容器越しのむにゅりとした感触。気をつけていたつもりだけど、もう溶けてきているのかもしれない。


「ん」

「じゃ、遠慮なく」


 さやは苦笑するようにアイスを受け取り、太一に身体を向けて隣の枝に腰掛けた。視線を感じて、何か言わなきゃいけないような気分になってくる。


「えと、クラブじゃなくて部活?」

「…………そんなとこ」


 少し悩んだようにさやは答え、容器についたリングを引いて、アイスを開けた。アイスを咥えながら、ぼんやりと学校への道を眺めている。


(もしかして部活でうまくいっていない?)


 太一もボトルを開けて、口に咥える。やはり結構溶けてきていたらしく柔らかくなったアイスはすんなり吸えて、甘みと微細な氷の粒が口いっぱいに広がった。

 何も言わなくなってしまったさやに、話題を失敗したなと思う。アイスをもてあそびながら、さやの表情を伺う。


「ゲーム、さ。他の奴らはとっくにクリアしてるんだ。俺、ずっと話題に乗れなくて。半年間ずっともやもやしてたんだ。それももう終わり」


 場の空気を変えたくて、ペラペラと言葉が出てくる。手の中では、みるみるうちにアイスが柔らかくなっていく。

 視線が太一を捉えた。


「その話、お母さんには?」

「したって無駄、無駄。頭ごなしに宿題しなさいとか、皆って誰と誰とか言ってくるだけだって」


 大げさに嘆いて見せると、さやの目が柔らかくなる。


「言いそう」


 物心つく前から家族ぐるみで付き合ってきたから、太一の母のことはさやもよく知っている。


「耳がタコになる」

「タコができるじゃなくて?」

「そのもっとすごい版」


 さやの笑顔が見れたことで、太一はやっとほっとして、溶け切ってしまったコーヒー風味の甘い液体を一息に吸い込んだ。

 空の容器を咥えたまま、もう一度リュックを漁ってビニール袋を取り出す。咥えていた容器を捨ててから、ビニール袋をさやの方へとつき出した。


「完璧だ」 


 捨てながらさやが小さく笑う。


「いつもこんなことしてるの?」

「いや、たまに? 気持ちいいしさ」


 たまにと言うには頻度が多い気がしたけれど、子供扱いされると思って言葉を濁した。「確かに」とさやが身体を伸ばす。


「また来てもいいぞ」

「えぇー?」


 さやは大人びた笑みを浮かべていた。もう来る気はないんだろうな、と太一は思う。


「じゃあさ、最後に俺が気に入ってるとこ教えてやるよ。あともう少しだけ待てるか?」


「いいけど……」


 勢いに負けた様子のさやに、心の中でガッツポーズをする。ずっとさやに見せたかったものがあった。


 時間つぶしに取るに足りないような面白かったものの話をして聞かせた。控えめな相槌と息が漏れたような笑い方。初めてさやを遠く感じた。


「ほら、見てみろよ」


 だいぶ高度を落とした太陽の方を指さした。

 金色の雲や滲み始めた空が葉っぱの影で切り取られてきらきらと輝いている。

 さやが目を見開いて、「綺麗」と呟いた。


「だろ?」


 得意になって言葉を続けようとしたけれど、さやが見惚れているようだったから、じっと押し黙る。

 そのまましばらく、さやと一緒に葉っぱ越しの夕空が色を変えていくのをただただ見つめていた。


 夕方らしい空に門限のことを思い出す。起き上がろうと身を乗り出すと、「ねえ」とさやが声をかけてきた。


「お母さんとちゃんと話、したほうがいいよ。手遅れになることもあるから」

「え……?」

 

 葉っぱの隙間から射す橙味を帯びた光が、さやの目元できらりと反射した。見てはいけないものを見てしまった気がして、心臓がばくばくと鳴る。

 慌てて顔をそらして、リュックに手を伸ばした。


 憶えている限り、さやが泣いているところなんて見たことがない。だけど。


 もしどうしたのかと聞いたら、さやは無理して笑う気がした。ほんの一瞬の表情が、まぶたに焼きついて離れない。

 手早くリュックを背負って、今までいた枝に手をかける。身体を反転させ、飛び降りるように木から降りると足の裏がじんと傷んだ。


「じゃあなっ! 適当なとこで帰れよ」


 ふらつきながら数歩進み、ろくに上も見ないまま、別れの言葉を吐いた。まだ違和感のある足の裏以上にひりつく気持ちを抑えて、太一は走り出した。


(なんだ……あれ? なんで、さやは……?)


 家々の窓からカーテン越しにうっすら明かりが漏れている。ほんの僅かなはずの家までの距離が、遠い。

 

 玄関ドアに身体を滑り込ませてやっと息ができた気がした。




 その晩は、目を閉じるたび秘密基地でのことを思い返してしまい、太一はいつまでも眠れなかった。

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