ある夏の日、秘密基地にて

今井ミナト

1-1 ある夏の日、秘密基地にて

 絶対、母さん怒っているだろうな。


 太一は上がる口元を抑えきれないまま、太い枝をまたいで下ろした足をぶらぶらさせた。ここまで来れば、そうやすやすと連れ戻されはしない。

 小五にもなれば、夏休みの過ごし方のさじ加減くらいわかっている。最初の一週間、宿題に手を付けなくたって困らないはずだ。


 自作の荷物スペースに置いたリュックにはありったけの装備が詰まっている。

 水筒にお菓子、懐中電灯、手回し式の小型扇風機。それに何より重要なソフトケースにしまったゲーム機。他にも、役に立ちそうなものは手当り次第に詰め込んできた。


 緑の葉が重なる隙間からは、同じような形をした家々の白っぽい壁が覗いている。太一の家もそのうちの一軒で、根元付近に敷かれた細い遊歩道をまっすぐ行った先にある。

 遊歩道の反対側は、今通っている小学校や進学予定の中学校に繋がっていて、この遊歩道は太一にとって通学路でもあった。


 むわりとした熱気がうっとうしい。手触りの良い幹に寄りかかると、さっきまで背負っていたリュックのせいで背中にこもった熱がひんやりと逃げていった。


 母さんはわかっていない。


 大きく息を吐いて、中断していたゲーム機を取り出す。ゲームの読み込みが終わる頃には、太一の意識はラスボス戦へと吸い込まれていた。



   *  *  *



 エンドロールが流れる画面から顔を上げると、葉の隙間から紺地に白ラインのセーラー服がちらちらと見えた。


(さやだ)


 中学からの帰りだろうか。いつもは部活を遅くまで頑張っているらしく、こうして見かけるのも随分ひさしぶりだ。

 こちらに注意も向けず歩いてくる姿に、驚かせてやろうといたずら心が湧いた。


 手近にどんぐりでもあればよかったけれど、あいにく投げるのに都合のよいものなんてなくて。葉っぱはうまく飛ばなそうだし、何もしていない相手に枝をぶつけるのも気が引けた。


 仕方がないとリュックを開けて、赤地に笑顔の子供が描かれた箱から中身ビスケットを取り出した。メタリックな赤に光る残弾は三つ。

 一つ目は、葉っぱに阻まれて雑草がまばらに生えた地面に落ちた。狙いを定めて二つ目を投げると、ちょうど一つに束ねた髪のあたりにぶつかって髪の先を大きく揺らした。


(よっしゃ!)


 弾かれたように顔を上げたさやが、一瞬だけ泣き出しそうな顔をしているように見えた。一度視線を落として、落ちているものに気がついたのか、秘密基地をまっすぐ見上げてくる。


「よっ? ……うちでまたたこ焼きやろう、って母さんが」


 見間違いかとどぎまぎしながら、あたかも伝言があったように声をかける。すると、さやは驚いたように目を瞬かせた。


「だからって、投げつけなくてもいいじゃない。しかもこれ、あーあ……」


 落ちていたパッケージの端を摘んで、嫌そうに口を引き結ぶ。土でも付いていたのだろうか。

 普段どおりの反応に内心ほっとする。


「やるよ」

「いらないって」


 さやが少し迷ったように手元を見、大きく振りかぶった。放物線を描いて投げ返された菓子を太一は難なくキャッチする。


「ちょっと緊急避難中でさ」

「お母さん?」

「そ。絶対ブチギレてる」


 悪だくみが成功してほくそ笑むと、さやがしょうがないなというように眉を下げた。


「笑い事じゃないでしょ。もう」

「よし。特別に事情を話してやるよ。ここまで登ってきたら」


 枝をぽんぽんと叩いて見せる。さやだって三年ほど前までは、ここの主だったのだ。


「そんな子供じゃないから!」

「小さいんだし、まだいけるって」


 昔っからさやは小さいと言われることを嫌う。太一が歳下扱いを嫌がるのと同じくらいには。

 さやは目立って小柄なわけではないけれど、物心ついたときには少し大きめなくらいの太一と身長がほぼ変わらなかった。


「そういうこと言う?」

「だって事実じゃん」


 さやと太一の誕生日は実際のところ、一年と数日しか変わらない。もし予定日通り産まれていたら同級生だったと聞く。


「中一はまだ成長期ですぅ!」

「全然変わってないじゃん」


 ムキになってブツブツ言うさやがおかしくて、自然と笑えてくる。


「登ってこないか? アイスもあるぞ」


 リュックには、物資がたっぷり詰まっている。どうせ帰ったらお説教は確定だろうし、こんないい気分は誰かと共有したい。


「制服だし無理だって」

「たいして汚れないぞ。ほら」


 今着ているスポーツブランドロゴの描かれた青いティーシャツもハーフパンツも汚れているようには見えない。太一は、身を乗り出して、ティーシャツを引っ張って見せた。

 さやは断る言葉を探しているようだったけれど、諦めたように息を吐いた。


「……まぁ、もう着ないしいっか」


 言うが早いか、一番下の枝に手を伸ばし、ひょいと足をかける。その拍子に紺色のプリーツスカートから、白い膝が露わになった。

 いまさらになってスカートは木登りに向かないと思い至ったけれど、かける言葉を探す間もなく、さやが顔を覗かせる。


「うわぁ、めっちゃ作り込んでない?」


 開口一番のコメントに満足して、口元がにやける。一生懸命改造したものの、誰彼かまわず話したら秘密基地ではなくなってしまうため、自慢もなかなかできない。


 いい感じの枝に設置した荷物置き場に、非常脱出用のロープ。鳥よけの飾りに家の物干し竿から失敬してきた吊るすタイプの虫除け。

 すべて太一が集めたり作ったりしたものだ。


「それほどでも、……あるかも?」

「調子乗ってるなぁ。あ、あの穴どうなった? やっぱり今もある?」


 きょろきょろと秘密基地を観察していたさやがうろを覗き込もうとするように首を伸ばした。位置関係のせいで、ぐっと距離が縮まる。


「そりゃあるよ。誰かさんが宝物をしまうの拒否したせいで大したものは入ってないけど」


 近すぎる気がして、さやのおでこを軽く押し退けた。少しだけしっとりとした前髪が指をかすめる。


「宝物かぁ……。まだなにか残っているかなぁ」


 おもちゃの宝石もアクセサリーも当時のさやの宝物だったのに。特に赤い宝石を大切にしていたことだってよく覚えている。面白くなくて、ぷいと顔をそらした。


「で、事情って何?」


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