第4話 事情
実は、今回事前にプレゼントとして指輪などの記念品を交換し合おうではないかという話をしていた。というのも、十真と交際して15年経つが、ヴェルナーは先の見えない不安をずっと抱えており、それが今回の話に繋がるのである。
恋人たる十真のことはもちろん心底愛している。少なくとも現状は彼以外の相手と愛を誓う気は全くない。しかし、いつになったら一緒になれるのか分からないし、周囲から見たら同性カップルであるということを差し引いても『15年も交際している相手がいるのに結婚どころか同棲する様子も一切ない』というのは少し不思議な光景だろう。
事情を知る友人は不安に思いつつ見守ってくれているが、中には『本当に恋人はいるのか』『なにか騙されているのではないか』と心配する者もいる。大きなお世話だと思うが、心配する相手の気持ちも少しは分かる。
更に、ヴェルナーの両親も70代後半と若くはない。いくら二人の仲を応援してくれているとはいえ、現状にはいくらかの不安を抱いているだろう。実際、母に『私達が生きているうちに、二人で生活できるようになってほしいわ』なんて言われたこともある。
あと数年待てばきっと十真と一緒になれる、家族にも安心してもらえる――そう思って生活しているものの、甥と姪がある程度成長しないと十真も保護者として安心できない。それに、十真の姉たちがきちんと保護者としての役割を果たしてくれるようになるのがいつかも分からない。かといって十真は与えられた――いや、押しつけられた『責務』を放り投げる無責任なことをする人ではない。
だからこそ『愛の証』として、かつ高価な品を贈呈し合えるほどに信頼関係を築いた恋人がいることの証明として、なにかそういったものを交換し合おうと考えたのだ。
……まぁ、そもそも十真の姉たちが保護者としての責任を果たしてくれる人であれば何も問題はなかったはずではあるが、そこは過度に考えないでおく。ヴェルナーが話にしか知らない十真の姉達に腹を立てるのは勝手だとしても、それを十真本人にぶつけるのはあまり褒められた行為ではないことくらい理解しているためだ。
閑話休題。そんなこともあり、旅行の計画を立てていた日のとある場面で、ヴェルナーは自室のリビングにてそんなことを口にした。突然の提案にも関わらず、モニターに映る十真は、肯定的なリアクションを露わにする。
『ヴェルナーの言うことも分かるよ。確かに僕たち、プレゼントはし合っててもそんな高価なものはなかったし、それこそ指輪はなかったもんね。だけど、その……ヴェルナーを不安にさせてるのは悪かった……』
「別にいいよ。トーマにはトーマの事情があるし。それに、その、この指輪だのなんだのってのは俺のわがままだから、大丈夫かなって思うんだけど……」
『別にいいよ。寧ろ、そんなくらいの我が儘ならしっかり叶えてみせるよ』
「ふふ、ありがと。優しいねトーマは。……じゃあ、俺に指輪プレゼントしてくれるってことでいいんだね?」
『うん、大丈夫! ……まあ、流石に、日本で昔言われてたみたいに"給料三ヶ月分"みたいなことは厳しいかもしれないけど……それなりの指輪は贈れるはずだから!』
「ありがとう。嬉しいよ。……あ、もちろんそんな高価なものを要求するつもりはないからね。ていうか何給料三ヶ月分って……」
『僕が子供の頃からそういう広告の文言みたいなのがあるんだよ、日本には。まあ、実際はそんなの気にしなくていいって言われてるけどね』
「そうなんだ……まあ、でも、ほんと、トーマが無理のない範囲でいいからね。そもそもこっちに来るまでもお金かかる訳だし……」
『ありがとう。まあ、実際用意するとしたら、相場に則ったものにするつもりだけどね』
安堵させるように目を細めたトーマを見て、ヴェルナーはついつい頬を緩ませた。その後金額も少し話題にしたが、実際ヴェルナーはそんなに高額なものを求めていない。
やはり『愛の証』たるものを贈り合うという場合は指輪が多いだろうし、婚約指輪という体で用意するなら高価にもなりがちだ。だが、ヴェルナーが欲しいのは『愛情』だ。例え
自分自身の気持ちも明確にしたところで、念のため十真本人の気持ちも確認する。
「トーマはやっぱり指輪ほしいって思う?」
『ん~……どう答えるか悩むな。そりゃもらえたら嬉しいけど、絶対欲しい訳でもない。だけど、指輪を嵌めてたら本当に恋人いるんだって思ってもらえる可能性もある。……いや、でも、そういうことの為に指輪嵌めておくのも変だしな……』
画面内で十真が思案する様子が見える。やはりあれやこれやと細かいところを考えてしまうらしいが、ヴェルナーとしては『欲しいか、欲しくないか』で決めてもらっていいものだった。
しきりに悩む彼にそれを伝えると、十真は漸く『だったら、欲しいかも……』とぎこちなく返した。彼の気持ちが聞けて満足である。
「了解。じゃあ指輪のサイズとどんなのがいいかだけまた教えて」
『うん。それじゃ後でヴェルナーもサイズと好きなデザイン言ってくれよ』
「はーい」
にこやかな笑顔と共に発された陽気な声を聞き、少し安心する気持ちを抱いた。しかし、同時に、ふと考える。『指輪さえあれば自分は安心できるのか?』――と。
何故自分自身が先の見えない不安を抱えているか――それは、やはりいつ十真と同居できるかが分からないためだ。そう思うと、やはり指輪だけではいけない、もっと踏み込んで具体的なことを訊ねなければならない。そんな気がする。
話に一区切りついたところを見計らってヴェルナーは、とある話を切り出した。
「トーマ、ちょっと真面目なことを聞きたいんだけど、いい?」
『……いいよ、何?』
ヴェルナーから発せられた落ち着いた声色に、十真も少々顔つきや姿勢を正す。真剣な話だと察したのだろう、声の調子もどこか真摯さを帯びている。
十真のその態度を受け手、ヴェルナーは徐に口を開く。
「君は、指輪を交換することは受け入れてくれた。それはとっても嬉しい。ありがとう。……けど、よくよく考えたらそれだけでは安心できないんだよね。だってさ、その……指輪があっても、同居できる時期が明確になったわけじゃないから……さ……」
『あー……そう、だよね』
「とっても我が儘で申し訳ないし、そこばっか気にしてるみたいでよくないけど、なにか、目安があると、ちゃんと安心できるかもしれない……」
『別にいいよ。言いたいことは分かるし、そりゃ不安だよなって思うから。にしても、目安、か……』
「まあ、トーマが俺と同棲する気持ちがあるなら、だけど……」
『そこは大丈夫。僕も一緒に生活したいとは思ってるから』
「……それなら良かった」
迷いながらも発された自身の気持ちに、十真も画面の向こうで当惑したように眉を寄せて頬杖をついた。そしてヴェルナーが添えた言葉には当然のように肯定的な言葉を返す。少なくとも不快感を抱いているわけではないようだし、同棲したいという気持ちは一致している。だが、いきなり目安を示せと言われても困るだろう。幾許かの罪悪感を抱きながら、怖々と言葉を続ける。
「例えば……その、トーマが面倒見てる子達の中で一番幼い子って何歳なの? あと、その子が成人するまで何年かかるの?」
『えっと、一番幼い子は……10歳だね。それで、成人するにはあと10年かかる。今の日本の成人年齢は20歳だから』
「そうなんだ……。うーん、自分から例えに出しておいてなんだけど、流石に10年は待てないかも……。俺60歳超えちゃうし」
『だよね。それはそうだろうなって思うし、そこまで待ってもらうつもりはないよ。僕もここから10年はきついし。……だけど、その子が高校卒業するまでなら8年、義務教育が終わるまでなら5年だから、そのどっちかを区切りにすればまだいいかも』
「そっか……」
十真の明示した期間はどちらも比較的長い。しかし、10年待つよりはよっぽどいいし、こうして一つの区切りができるとお互い将来の見通しが分かりやすくなり、行動も起こしやすいだろう。そうなると、ヴェルナーが提示する答えは決まっている。
「そっか、じゃあ……5年でどうかな。一つの目安。それを最長期間として、トーマも動いてもらうって感じで……」
『うーん、5年か……』
その言葉に、十真は一瞬悩ましげな顔つきをした後でなにやら日本語で言葉を零した。続けて数秒思案するような面持ちに変えて沈黙していたが、暫く経過したところで短く肯定する。
『それなら、いけると思う』
「本当!?」
『うん。あと5年なら、僕も余裕持って動けるし準備もしやすいと思う』
「本当に? 大丈夫そう?」
『うん……きっと大丈夫だと思う。……まあ、もしかしたら厳しいところもあるかもしれないけど……でも、5年もあれば一番幼い子も、少なくとも中学は卒業するから大分手が離れるし、もしかしたらその間に僕も家族に打ち明けて姉さんとも話し合いができてなんとかなるかもしれないし……。そうでなくとも、同棲に向けて動くには充分余裕持ってやれると思う。うん、きっといける!』
不安げに問いかけたヴェルナーに、十真はしっかり頷いた。長々と羅列された言葉から察するに、やはり不安はあるのだろうが、けれども、改めて力強く頷いてくれたことにより、ヴェルナーも少し気持ちが落ち着くような感覚があった。
「じゃあ、一応の目安としてあと5年俺は待つね。6年目は待たないから」
『わかった。……ちなみに、もし、6年目に突入したらどうなる? もしかして……別れるのか?』
「まさか! そんなことはしないよ。ただ……高頻度で急かす感じになっちゃうかもね。まあ少なくとも別れるってのはないよ」
『あ、あぁ……そっか……。ま、まあ、いくら別れないと言ってもそんなことにはさせないけど! 折角区切りをつけてくれたし、5年もあるんだからなんとかしてみせる!』
「それを聞いて安心したよ。俺も過剰に急かしたいわけじゃないからね」
十真のことだ、少なくとも故意に嘘を吐くつもりはないだろうしなんとか動いてくれるはずだ。ただ、十真がヨーロッパに来ることはほぼ確定しているとはいえ、すべてを彼に任せて自分は何もしないのも忍びない。こちらも改めて海外からの移住者がすべき手続き等を確認しておこうと、タスクメモに追加した。
それから、改めて指輪について確認し合い、後日お互いにデザインやサイズについて連絡をした。金額のことを考えると決して安いものではなかったが、一年に一度会える大切な人であり、かつ将来を誓い合うための記念の品となれば、少々値が張るのも致し方ない。
唯一の懸念点はジュエリーショップで自分のものとは異なるサイズの男性向けの指輪を買うときに怪しまれないかという点だけであったが、実際は特になにもトラブルはなく杞憂で終わったのだった。
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