第2話 食事

 食事を終えた後は特急に乗車し、空港の駅から新幹線の駅までおよそ1時間移動する。そこから京都駅まで約2時間、そこから更に電車で約30分ほど移動し、十真の家の最寄り駅に到着。そして駅近くの駐車場に停めた車で移動すること数分。漸く、十真が住むアパートに辿り着いた。日本に到着したのが夕方だったこともあり、もうすっかり周囲は暗く、空も黒や紺の塗料を広げたようでもあった。時間は23時近くになっており、いつの間にか随分と時間が経ってしまっていた。

 アパートは洋風でシンプルな外観の2階建てで、十真はこのアパートの1階の部屋に住んでいるのだそうだ。1LDKほどの部屋で、一人で生活するには充分らしい。

 駐車場に車を停めて荷物を下ろす。季節柄やや肌寒く感じる中、十真が玄関を開けて荷物を運び込み、続けて『入って』とジェスチャーで示す。それに従い中に入ると、短い廊下部分の突き当たりに風景画が掲げられており、左側にはリビングへの扉があった。

 十真がそちらの扉を開け、部屋の電気を点けて部屋へ入っていくので、ヴェルナーもそれの後を追う。


「お邪魔しまーす……」

「はーい。あんまり広くないけど、良かったらゆっくりしてってくれな」


 リビング――もとい、リビング・ダイニング・キッチンが一体になったその空間は、偏見もあるかもしれないが男の一人暮らし部屋にしては随分と清掃が行き届いていた。

 リビングルームのスペースにあるのは床に敷かれたラグマットに、ローテーブルとソファ。小型ではあるがテレビも置かれ、細々した小物は棚などに綺麗に収納されている。また小さいが観葉植物も置かれており、葉の色合い等から手入れは行き届いているようだった。キッチンは比較的広く、冷蔵庫や食器棚といった基本的なものだけでなく、様々な便利道具も揃っているらしく、料理が趣味の十真にはよいだろう。その他キッチンの奥には別の部屋への扉があり、そこは寝室だそうだ。

 交際から随分と経過してから訪れた恋人の家に、ヴェルナーは高揚感と初々しい緊張感を抱く。


「ここが……トーマの家か……」


 ゆっくりと発されたその言葉に、洗面所で手を洗ってきたらしい十真が呆れたように言う。


「なんだよそんなしみじみして。何の面白みもないぞ? あんたの家に比べたら狭いし」

「いや、狭い広いの話じゃなくて……やっと来られたから、さ。なんだか嬉しくて」

「そっか。まあ、僕も嬉しいよ。漸くヴェルナーのこと呼べたし。……あ、荷物適当にその辺に置いていいから。あと一回ちゃんと手洗ってきて。洗面所あっちだから、使ってくれていいから」

「え、あ、うん、わかった。……ついでにトイレ借りていい?」

「もちろんいいよ。トイレは洗面所の隣な」


 ヴェルナーの発した『嬉しい』に十真が頬を緩めたのも束の間、彼はすぐに洗面所を示して指示をする。突然の切り替わりに少し驚いたが、とりあえずヴェルナーはそれに従い、適当に荷物を置いてお手洗いを借り、きちんと手も洗った。

 その後は、羽織を片した十真が台所にてつまみの用意を始めたためそれを手伝い、ちょっとした飲み会の準備を行う。

 シャワーで汗を流したい気持ちもあるが、まずは腰を落ち着けてゆっくり休み話したいという気持ちが勝った。二人ともそんなに大量に酒を飲む気はない。いつもの調子で軽く飲む程度ならきっと平気だろう。それに、空港のラウンジで一度シャワーは浴びている。そんなわけで二人で酒を飲もうということになったのだ。

 酒は赤ワイン、おつまみはバゲットにチーズやハム、野菜を載せたブルスケッタと呼ばれるものと、牛肉にチーズを載せてオーブンで焼いたものだ。どちらも赤ワインと食すのに丁度良いだろう。これに付け合わせの白菜とツナを混ぜたサラダも添えて、気づけば想定より豪華な食卓になった。

 ちなみに、あれこれ作って時間がかかりそうではあるが、一部の食材の下ごしらえは出発前に済ませていることと、十真本人の手際の良さからさほど時間はかかっていない。

 ヴェルナーとしては、もう深夜に近いのだからスーパーマーケットやコンビニで買った適当な冷凍食品でも良かったのだが……そこは十真のこだわりだったのだろう。

 ちなみに『ヴェルナーの口に入るものはやっぱできる限り僕がちゃんと作りたいんだよね』……というのが十真の談である。


 皿に盛り付けたおつまみをリビング部分にあるローテーブルに並べた。続けてソファに腰を下す。ソファは男二人で座っても充分に余裕がありそうなものであり、二人で座っても余裕があるようにと考えて選んでくれていたのだろうかと一瞬考える。もしそうだとするならばなんだか嬉しい。

 続けて十真はヴェルナーの隣に腰を下ろし、折角だからとヴェルナーのワイングラスに赤ワインを注ぐ。トクトクと注がれるワインは葡萄の色合いが鮮やかで実に芳醇ないい香りがした。

 別にわざわざお酌をしてもらう必要はないが、たまにはいいだろう。ありがたく注いで貰って、今度は逆にヴェルナーが十真のグラスにワインを注ぐことにした。一瞬驚いた十真だったが、折角だしとお酌を受け入ることにしたようだ。ヴェルナーは十真のグラスにワインを静かに注いでからボトルをテーブルに置き、手にグラスを携える。お互いにワイングラスを手に持ったのを確認してから、穏やかな表情で十真が口を開いた。


「さて、改めて長旅お疲れ様ヴェルナー。暫く日本でゆっくりしてってね」

「うん、ありがとう。数日間楽しもうね」

「はーい乾杯!」

「かんぱーい」


 チィン、とグラスが軽く重なり合う音を響かせて、二人が静かにワインを呷ると、上品な味わいが口いっぱいに広がる。ヴェルナー好みの味で一気に飲み干してしまいたくなったがそれでは勿体ない。一口二口飲んでグラスから口を離した。


「……これ、美味しいね。俺結構好きかも」

「そう? よかった! 今までのヴェルナーの傾向から考えたけど、口に合うか分からなくて不安だったんだよな。よかったよかった。あ、つまみも、口に合うと嬉しいんだけど」

「そうだよね、じゃあこっちもいただきます」


 ヴェルナーの反応に安堵したのだろう、目を細めた十真はその後テーブルに置かれた品々を指さした。ヴェルナーはもちろんそれらもありがたくいただくつもりであるため、ひとまずトマトやバジルが載ったブルスケッタを手に取ってかぶりつく。トマトや調味料のさっぱりとした味わいにニンニクの風味が非常に良く、いくらでも食べられそうな気さえした。はっきりいって、とっても美味しい。


「おいしい! 美味しいよ、これ!」

「ほんと!? よかった……!」

「うん、すごく美味しい! なんかいくらでも食べられそう」

「そう思ってもらえると嬉しいなあ。やっぱり他人に食べてもらう時って大丈夫かなあって不安になるからさ。ヴェルナーに出すものだから気を遣ってはいるんだけどね」

「トーマが作るご飯って、なんでも全部美味しいから大丈夫だけどねえ。というかこの香りって何だっけ? 日本の調味料とはなんか違うような……」

「え? あぁ、バルサミコ酢かな。少しだけ入れたから」

「へぇ……俺使ったことないや。トーマはすごいねえ。色々使ってて。あ、こっちのチーズのももらっていい?」

「別にそんなことは……あ、いいよ、どんどん食べて」


 実をいうと、ヴェルナーは、正直料理に対するこだわりは特にない。美味しいものを食べたいという気持ちがないわけではないが、凝ったものを作る気はあまりないし、ほぼ毎日同じものを食べていても平気だ。好きな食べ物も嫌いな食べ物もあるが、食べられるものなら何でもいい、総合的に見て食事のバランスがとれていればそれでいいといった感じである。それでも、ヴェルナーは、十真が作ってくれる料理だけは特別に好きであった。それは単純に料理が美味しいことだけでなく、やはり愛する人が丹精込めて作ってくれたものだからという特別感もあるのだろう。それに加えて、キッチンで楽しそうに料理をしている様などを見るとなんとも暖かい気持ちになるのだ。

――あぁいう時のトーマって、結構可愛いんだよなあ。

 恋人視点でそんなことを思いながら、チーズやハムが載ったブルスケッタに、肉とチーズのオーブン焼きも白菜とツナのサラダもどんどん口へ運んでいく。そうして、気がつけばつまみの量は残り僅かになっていた。


「おつまみも美味しいし、ワインも美味しいし、最高だねえ」

「そりゃ良かった」

「気づいたら俺かなりの量食べてるけどよかった?」

「大丈夫! 自分の分は確保して食べてるし、ヴェルナーがたくさん食べてくれるの見てるの楽しいから!」

「そっか、まぁ、それならいいか」

「何だったら他のおつまみも作ってくるけど」

「え、いや、それは……うーん、とりあえずいいかな! お腹いっぱいになってきたし」

「そっか。じゃあ、また食べたくなったら言って。僕、ヴェルナーのためならなーんでもご飯作っちゃうから」

「ありがとう。じゃあ、その時はその時でリクエストするね」


 上機嫌で微笑み体を寄せる十真に、一瞬ドキリと胸が高鳴った。酒のせいもあるのか、彼は随分と陽気で、甘えるように接触しヴェルナーの膝の上に置かれた手に触れる。このくらいの接触で激しく高揚するような時期はとうに過ぎたが、やはり密に触れ合えると嬉しいものである。

 十真の言葉に耳を傾けつつぼんやり胸に温かいものを感じる。途中で、そういえば、十真はヴェルナーが食事を堪能している様を見るのが好きだったはずだと思い出した。ヴェルナーがそういうことを感じた経験は少ないが、言いたいことはわかるし彼に楽しんでもらえているならいい。ヴェルナーだって、大切な人に喜んでもらえることは喜ばしいことなのだから。

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