二人の旅路・前夜

不知火白夜

第1話 再会

 秋に珍しく長期休暇が取得できる――大学の准教授たるヴェルナー・クラインがそれを知ったのは春先のことだった。

 思えば、ヴェルナーの周囲でその時期に纏まった休みを取得する人はやや少ない。国や地域によっては10月や11月に『秋休み』を取得する人もいるが、ヴェルナーがその手の休みを取得したことは稀だった。本来長期休みはバカンスに最適な夏や、クリスマスシーズンの年末が多い。しかし、細かい事情は置いておいて、纏まった休みが取得できると言うことは非常にありがたいことでもあった。

 その理由は、単純に休養に充てられるということもあるが、それだけではない。長く交際する外国人の恋人との逢瀬のための貴重な期間になりうるからだ。

 そうと決まれば行動は早い。ヴェルナーは休憩時間にすぐさま日本人の恋人市河いちかわ十真とうまにメッセージを送った。


『やあトーマ。突然だけど、秋に纏まった休みが取れそうなんだ。だから、その時期に会うことってできないかな? 場所はリヒテンシュタインでも日本でもいいんだけど』


 突然の申し出であり、しかもこれまでの逢瀬と異なる時期だ。断られることも想定していたが、十真からの返事は思ったよりも早く、かつ、ヴェルナーにとっては嬉しいものだった。


『連絡ありがとう。すごく嬉しいよ! こっちも合わせて休み取るから大丈夫! 二人で旅行でもしよう』


 恋人からの明るく前向きな返事を目にしたヴェルナーは、大学の敷地の片隅で小さくガッツポーズをした。




 連絡をしてから数日後の休日の昼間。旅行の計画を立てるため、ノートパソコン上にダウンロードしたオンラインメッセージアプリにて十真とやりとりを行った時のこと。ヴェルナーは、今回の旅行の希望として真っ先に『日本の京都に行ってみたい』という提案をした。

 その言葉に、モニターに写る十真は驚いた様子で目を丸くし、少し間を置いてからぎこちなくドイツ語で言葉を返した。


『えっ、ヴェルナー……京都来るの? なんか……珍しいな』


 ヴェルナーは、一人暮らしをする自宅のリビングにて、パソコンやスケジュール手帳、日本の名所を検索したページを開きつつ『そうかもね』と短く返した。

 それに呼応するように十真が言葉を続ける。


『だって、その……ヴェルナーはあんまり日本に行きたいって感じじゃないだろ。だから意外で……』

「……うーん、まあ、そう言われるとそうだね。……でも、別に興味がないとか行きたくないとかじゃないんだよ。ただ、何というか、ちょっと思ったことがありまして……」

『……思ったこと?』


 実はこれまでヴェルナーが日本に行った回数はかなり少ない。学会が日本で開催される際に訪れた経験が数回あるのと、およそ5年前に一度日本を訪れ、十真と共に東京を観光したことがあるだけだ。

 今までのケースでは夏や冬に十真にヨーロッパに足を運んでもらい、リヒテンシュタインやスイス、もしくは近隣国で観光しのんびり過ごすことが非常に多かった。何故なら十真自身が旅行好きであり、ヨーロッパの様々な国を観光することを非常に楽しんでいたからだ。

 だがそれを理由に十真に多くの負担を強いるのも不公平であるし――十真は気にしていないと言うが――それに、公平さを除外しても、15年も交際しているのに恋人の家に訪れたことがないというのはどう考えても奇妙だろう。

 そう、ヴェルナーはこれまで愛する人が生まれ育った『長野県』のことも、現在住居を置いている『京都府』についても何も知らない。これは妙で、かつ勿体ないことなのではないかと思った訳である。

 だから、今回の休暇にて彼の住む街やその近くを自分自身で見て回りたくなったのだ。


「――とまあ、そういうわけで、今回は日本に行ってみたいなあという感じでして……。それで、できたら、今トーマがいる『キョート』の方に行ってみたいなって。だめかな?」


 ヴェルナーが眉を下げつつ発したその言葉に、十真は大きく息を吸って感嘆の反応を示した後『ほんとに!?』と力強く反応を見せた。その後、何やら日本語で一言二言呟いた後、高揚感溢れる声を響かせる。


『えっ、ほんとに!? い、いや、嬉しい、嬉しいよ……! そっか、京都、来てくれるんだ……』

「うん、遅すぎて……今更すぎて、申し訳ないけどね。それに、案内をお願いすることになるかも知れないけど、大丈夫かな?」

『もちろん! 京都なら僕も案内できるところあるし大丈夫だよ。ただ、人気スポットが多いからどこ案内するか迷うけどね」

「よかった。あ、場所は有名どころだけでとってもありがたいからね」

「それでも多いんだよな、京都は」

「そ、そっか……。……あ、あと、トーマの家にお邪魔することになるかもしれないけど、それもよかったかな」


 かすかに不安げな声色で発された言葉に、十真は嬉しそうに力強く言葉を返す。


『もちろん! ずっといてもいいし、一日だけで他は旅館やホテルに泊まるってのもありだよ。というか、やっと家にヴェルナーを招待できるってのは嬉しいよ! ただ、一人暮らし向けのアパートだから……そんなに広くないしベッドも狭いかもしれないけどね』

「そんなの気にしないよ。じゃあ、ちょっとお邪魔するね」

『うん! ……でも、その、スイスの空港から東京の空港に行くとなると……僕の家は結構遠いけど大丈夫?』

「大丈夫だよ。トーマだって大変な思いしていつも来てくれてるんだから」

『そっか……じゃあ、その、掃除して、あと酒も準備しとくからな!』

「ありがと。でも、そんな無理しなくていいからね?」


 あれやこれやと心配する十真だったが、ヴェルナーの返答に少し安心したのか、溌剌とした笑みを浮かべて話す彼に微笑みながら返した。

 そうしてヴェルナーが京都へ向かうという方針で確定し、二人は旅行の計画を進めたのだ。


 それから出発予定の日まで、ヴェルナーは非常に気持ちが浮き立っていた。

 教員としての仕事や研究に集中できているときはまだいいが、休憩時間や一人の時にはふと旅行の約束を思い出し口元が綻ぶ。それを他人に見られ指摘なんてされた際は少々恥ずかしい気持ちを抱いた。他にも、十真との関係を知る友人には『若者みたいだな』と笑われたが、若者だろうが中高年だろうが楽しみに待っているものがあれば、笑みも零れるし気持ちも若返るというものだろう。

 その証拠の一つとして、いつものように髪を切りに行くだけでなく、白髪交じりの銀髪を、普段と少し異なる色で染めた。服もあれやこれやと悩み、ファッション誌を読んだり友人に聞いたりしながら新しいものをいくつか新調し、更に忙しい合間を縫って運動量も少々増やし、減量も試みた。折角恋人に会うのだから、少しでもいいふうに見られたいという気持ちは、例えふくよかな50代の中年男性でも同じだ。

 超遠距離恋愛というのも、改めてヴェルナーの気持ちを燃え上がらせたのだろう。まるで恋する少年少女のような気持ちを抱えつつ、指折り数えて恋人と会える日を待ち続けた。



 約束の日からおよそ半年が経過したある秋の日。出発当日の昼頃のこと。ヴェルナーは荷物の確認をした後、まだ時間に余裕があることを確かめてから、自身の身なりを整える時間を設けた。

 洗面台の前で顔を洗って髭を剃って、髪や眉も少々整える。少し前に染めた髪色も上手く馴染んでいるし、この日のために買った服も悪くはない。恋人の十真はかなり身なりやファッションにこだわりがある人だ。そのため、隣に立つヴェルナーも彼にふさわしい姿でいたいと思った。


「……よし、変じゃないね。行こう」


 鏡で己の姿を確認し小さく頷く。キャリ-ケースの荷物やショルダーバッグに入れた貴重品、そして十真への大切なプレゼントを確認し、それらを手に外に出た。

 秋も深まってきた時期故に外は肌寒く空も薄暗い様相を呈していたが、それに反してヴェルナーの気持ちは非常に温かく晴れやかだった。


 リヒテンシュタインの自宅からおよそ一時間半程自家用車を走らせチューリヒの空港に行き、そこから搭乗手続きをし飛行機に乗る。ビジネスクラス故に席自体は広々としておりリラックスもできる。機内で豪華な食事を堪能し、一度ヨーロッパ内のとある国にて乗り継ぎ、そこから改めて日本の東京へと飛行機は飛び立った。

 最初に飛行機に乗った翌日の夕方、合計約15時間半のフライトを経た飛行機は、予定通りに東京に着いた。乗客は順に飛行機から降り、入国審査を受け荷物を受け取り空港に降り立つとそれぞれ到着ロビーへ向かっていく。ヴェルナーも荷物を受け取ったあとは、高揚感を抱きながら、人々の合間を縫って到着ロビーへと足を向けた。

 多くの人が行き交い、また出迎えに訪れる到着ロビー。辿り着いたその先に、多くの利用客に紛れながらもヴェルナーの最愛の恋人が着物を身に纏ってにこやかに微笑んでいた。

 190㎝はある背丈にがっしりとした体つき。濃紺の着物に濃い灰色の羽織。栗色のくせのある短い髪に眼鏡。彼こそ、ヴェルナーが長年交際を続ける恋人、市河十真その人である。年齢は40歳でヴェルナーより11歳年下だ。彼を目にした瞬間、ヴェルナーの顔が晴れやかになる。


「トーマ! 久しぶり! 会いたかった~!」

「久しぶり! 僕も会いたかったよ。長旅お疲れ様! ……あれ、ヴェルナー髪染めた? 色が違う? それになんか服の雰囲気も違う気がすし……あとちょっと痩せた?」

「あ、うん。ちょっと普段と違う色で染めてみたんだよね。あと服も新しいのにして体重も少し落としたんだよね……気づいてくれて嬉しいよ、ありがとう」

「そりゃ気づくよ! へぇ~……凄く似合ってるよ。かっこいい」

「ほんと? よかった。トーマもその着物似合ってるよ」

「そう? ありがとな」


 約一年ぶりに出会えた恋人に抱きつきたくなる衝動をぐっと押さえて、ヴェルナーは小さく手を掲げハイタッチのポーズを取る。すると十真も笑みを浮かべて片手を上げてハイタッチをする。両者の手が強く触れ合ってパチンと弾けたような音がした。続けて、彼がヴェルナーの髪色や衣服に言及するものだから、嬉しくなってつい破顔する。自分なりに頭を捻った見目を褒められてほっと安堵した。もちろん十真も相変わらずかっこいいものだから、思ったことをそのまま口にすると、彼も嬉しそうに微笑んだ。それだけで胸の内がほわっと温かくなる。

 そうして一頻り再会を喜び合った後は、周囲の人たちの邪魔にならぬよう気を配りつつ人の少ない場所に移動する。ここからの予定は、特急列車で移動し途中で新幹線に乗り換えて京都駅に向かい、そこから乗り換えて十真の家の最寄り駅まで移動して、十真の車で家へとお邪魔させてもらう予定だ。日本に来たから終わりではない。ここからまだ時間がかかり大変なのだ。

 ヴェルナーは今後の予定を思い返しながら、十真に続いて歩いていく。


「いやぁ、流石に15~16時間のフライトは疲れるね。ビジネスクラスで比較的くつろげるとはいえしんどいよ」

「そうだよなあ。ずっと座りっぱなしだしな」

「うんうん。それに、若い頃はもうちょっと平気だったのに、俺もおじさんになったんだなあって」

「あー、まあ、とはいえ若者でも16時間のフライトはきついと思うけどね」


 自虐と共に苦い笑みを浮かべると、十真も眉を下げてそう返した。その後、十真は『そういえば……』と短く声を上げた。少し歩みを遅くして、ヴェルナーをちらりと見やる。


「ヴェルナー、何か食べたいものある?」

「え? 俺はトーマが作るご飯なら何でも好きだからなんでもいいけど……何で?」


 突然の質問に首をかしげつつそう返すと、一瞬嬉しそうな反応を見せた十真が慌てて取り繕う。


「そう思ってくれるのは嬉しいけど……そうじゃなくて……。えっと、ここから僕の家までまた3時間以上かかるんだよね。だから、何か食べるか買うかした方がいい気がするなって思ってさ。だから、なにか食べたいものあるかな~って思って。特急の時間もまだ余裕あるし」

「え、あ、そういうこと? ……うーん、そうだなあ……」


 自分の勘違いに少し恥ずかしくなったが、それは脇に置いておくとして……3時間以上という具体的な数字にヴェルナーは頭を悩ませる。東京から京都までの距離と所要時間に着いては、計画を立てている際に十真から聞いた。これが結構遠く、今いる空港から十真の居住地の最寄り駅までは、経路にもよるが実に600キロメートルほどある。そう思うと何も腹に入れず食べ物も持たず移動するのもいかがなものか。機内食も食べたが、いくらか時間が経過しているためある程度腹も減っている。そう考えて特急までの時間で軽食を取ることにした。とはいえ、ヴェルナーはこれといって食べたいものも思いつかないため、店のチョイスは十真に任せることになり……結果、適当な喫茶店で20~30分ほど食事休憩をしたのだった。

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