第6話 言えないひとこと2

 クリエスはツインウェア義装具店の裏手にある小さな離れを借りている。

 店の中も、ましてや姉妹の自宅を通ることもなく部屋に戻れるのが今の彼には有難かった。

 心配させた相手に酷いことをしてしまった。

 そう過った瞬間、叩き払ってしまった細い腕の感触と、傷付いた表情を浮かべたハーシェルの悲しそうな瞳を思い出し胸の奥が詰まった。

 薄々と分かっていたが、子供扱いされる自分に苛立ち、助けられるしかなかった事に無力感が広がる。

 出来る事が増えて少しは強くなれたと思った矢先にこれだ……

 重たく鬱々とした溜息を吐き出し、頭の片隅ではとにかくハーシェルに謝らないと、と考えながら義手を外した。

「あっ……これも、謝らないとだ」

 外した瞬間、いつもと違うざらりとした腕の感触に気付いた。目を凝らせば小さいがくっきりとした擦過傷が出来てしまっていた。

 綺麗にしておかないと、彼女が気にしてしまうかもしれない。

 そう思えば自然と修繕に思考が移ったが、ふっと過ぎった彼女の眼差しにどう言って謝るかと、元の思考位置に戻ってしまった。

 ハーシェルに対しての想いと自分自身に対しての思いがぐるぐると回り、クリエスはもう一度溜息を吐き出す。

 堂々巡りをするばかりの気分を入れ替える様に、窓を開けようと近付いたとき、薄暗くなってきた路地を歩く背の高い影姿に気付いた。

 ハーシェルが戻って来たと思い、とにかく謝らないとの一心でクリエスは部屋を出た。

 店の玄関脇は植樹で壁になっているが、一人分の細い幅を残して裏庭に通じる小道がある。クリエスはその道を通り、帰ってきたハーシェルを迎えようと思った。

「ありがとう……シュガ」

「別に」

 けれど、植樹越しに聞こえたハーシェルの傍に、今一番会いたくない男の姿があった。

 クリエスは動くに動けなくなり、そっと植樹の影に身を寄せた。

「今回の件はオレたちのほうで片付け置く。だから、ハーシェルは……」

 そこでふとシュガが言葉を切った。足元に見えた夕日が作る植樹の長い影の一つだけが、不自然な形になっていたのに気が付いたからだ。

 素直に姿を見せればいいのにと思う反面、繊細な年頃相手に深く反応を求めるのも野暮かと思い直した。

「朝の封筒、無くしてないよな」

「……それはもちろんだけど」

 シュガが突然話題を変えて確認すれば、ハーシェルは不思議そうに小首を捻りつつも道具鞄の蓋を開け、下にシワの寄ってしまった封筒をほら、と見せるようにしてくれた。

「オレの気持ちも一緒に入れてあるから、ちゃんと読めよ」

「分かった。明日朝早いのに、今日は迷惑掛けちゃったわね」

「別に。それに明日は朝は早いが日帰り任務だ。気にしなくて良い」

 どうやらクリエスの存在に気が付いていないらしいハーシェルの言葉に、シュガは問題ないと首を振ると、早く部屋に戻れと促した。

「ありがとうシュガ」

「じゃあゆっくり休めよ」

 申し訳なさそうにいうハーシェルの姿が、扉の裏側に消えたのを見届け、シュガは視線を再び植樹の影へと落とした。

 そこにはもう、等間隔に並ぶ影だけが伸びているだけだった。


 石畳に残る小石が踏まれる音が遠ざかっていく。

 その音が完全に消えるよりも前に、クリエスは部屋の中に戻ると飛び込むようにベッドの中へと潜り込んだ。

 ハーシェルへ酷いことをしてしまったと言う後悔と、自分のちっぽけな見栄で彼女を危険に晒してしまった嫌悪。

 それにどうして、彼女がシュガから渡された封筒と言葉を受け入れたのか知りたいと思った自分自身に戸惑いもあった。

 布団を頭まですっぽりと被り、ぎゅっと目を閉じても一度絡み合ってしまった思考は簡単に解けそうにはなかった。

 幾度も彼女の顔が浮かび、最後に傷つけてしまった悲しそうな表情だけがくっきりと残っている。

 このまま顔を合わせてしまったところで、再び彼女を傷つける言葉しか出てこないかも知れない。

 これ以上迷惑を掛けられない。

「明日。うん、改めて明日謝ろう……」

 このぐるぐると回り続ける思考もきっと、その時にはもう少し落ち着いて、ちゃんと話が出来るかも知れない。

 そう自分に言い聞かせていくうちに、いつしか本当に深い眠りについていた。

 次にクリエスが目を覚ました時は、まだ宵明けの前らしく分厚い夜の雲間に東の空だけがほんのりと明るさを見せ始めていた。

 クリエスは思った以上に深く寝てしまったのだと気付き、ベッドからもそもそと抜け出すと部屋の中に残る重たい空気を振り払うように、窓を大きく開けた。

 夜明け前特有の空気が部屋の中へ入って来るが、凛っとしたその冷たさに小さく身震いをして肩を竦めた。

 すると、寝落ちする直前まで回り続けていたはずの思考が、風の冷たさで気が引き締められたのか、少し頭の中もすっきりとしていた。

 大丈夫。ボクがちゃんと謝ればいいだけの話しだ。

 そう考えながらまだ色濃く縫い合わされた傷跡を残す右腕に触れ、断端袋ソケットカバーを気合いを入れるようにしっかりと着付けた。

 鏡を見ながら接続用の補助具ハーネスを付け、断端袋のれを直しながら改めて自分の身体を眺めてみる。

 二年経った今、この町に来たばかりの頃とは違いちゃんと筋肉も付いてきた。義手の存在と体躯が戻ってきたことはクリエスにとって自信を取り戻すきっかけにもなっていた。

 だから、変に思い詰めて心配する必要はないと思いつつも、面と向かってしっかりと言うには気恥ずかしさも残っていた。

 まずは行動で示してから、きちんと謝ろう。

「あれ……?」

 そこまで考えてクリエスが義手を付けようと思ったとき、机の上に置いたはずなのに見当たらない。

 あまりにぐちゃぐちゃな感情のままで外したから、別の場所に置いたか落としてしまったのかと一瞬の不安が過ぎり探そうとしたとき、そっと扉が開かれた。

「あ、起きてたんだ。早いね」

 寝ているだろうと思って静かに入って来たハーシェルは、少しだけ驚いた顔を見せた。

 そして彼女の手にはクリエスの義手があった。

「ちょっとだけ、お姉ちゃんと触らせてもらったから」

「それは大丈夫……」

 謝るのなら今だと思いつつも、実際ハーシェルの顔を見た瞬間、気まずさが勝ったように身体も動かせず、口篭もってしまった。

 そんな自分の気持ちを察したのか彼女は視線を逸らすように机に移し、その上に優しく義手を置いた。

「ねえクウ。起きたついでに、スヴェルムたちの見送りに行かない?」

 クリエスは机の上を介して渡された義手を取り付ける合間に、ハーシェルがゆっくりと提案してくれた。

 ああ、また気を遣わせてしまったと思うのと同時に、綺麗に補修されたなめらかな義手の手触りに気付き、心の奥がチクリと傷んだ。

「それで、見送り終わったら買い物付き合ってよ」

 そのいつもと変わらない口調に、クリエスは少しだけ居心地の悪さを覚えてしまった。

 まるで「昨日のことは気にしていない。大丈夫だ」と言われた様で、少し突き放されたように感じてしまった。

 それでも、クリエスは傍に居れば自然と謝る機会が来るかもしれないと、小さく「うん」と頷いた。

「じゃあ少し急いで行こう」

 そう言ってハーシェルに手招きをされて、二人は無言のまま憲兵隊舎を目指した。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 中央の噴水広場の周囲では徐々に市場の準備が整えられている最中だった。

 その合間を通り抜けて行けば、顔見知りたちがクリエスとハーシェルにいつもの挨拶を掛けてくれる。

 そして、憲兵隊舎の門前では他の憲兵より頭一つ分飛び出しているスヴェルムが二十数人の仲間と共に荷物を確認している姿が見えた。

 今回は護衛任務らしく、大型の幌馬車二台と小さな幌馬車が一台が門前に泊められ、それぞれ隊員の確認を受けていた、

 その全ての確認が終わったところか集まっていた男たちが解散すると、スヴェルムがこちらに気付いたらしく「よう」と軽く片手を上げた。

 その様子に他の隊員たちも気が付くと、顔馴染みたちは思い思いの挨拶を返してくる。

「ハーシェルが見送りに来るなんて、今日の天気大丈夫かよ」

 わざとらしく空を見て言うスヴェルムに、クリエスも緊張していた顔を自然と空へと向けた。

 ほんの少し前まで、宵明け前の分厚い灰色の雲が空を覆っていたが、今ではすっかりと朝日を受けて青い空が広がっている。

「ちょっとスヴェルム、せっかく昨日のお礼を言いに来た相手にそういう事言うわけ」

「礼も何もこっちは仕事だしな。二人とも無事だったからそれで良しってところだ」

 スヴェルムは駆けつけたときの様子を覚えている上で、本当に気にするなといつもの調子で言うものだから、ハーシェルもふっと肩の力を抜いた。

「それでもありがとう。あと、ちょっとだけシュガと話ししても良い?」

「手短にな」

 ハーシェルの問い合わせに、後ろに立っていたクリエスはどきりと心臓を跳ねさせた。

 彼女は振り返る事なく、同僚たちと話をするシュガのほうへ小走りに向かってしまう。

 その後ろ姿にクリエスは「待って」とも言うわけにはいかず、付いていくかを迷ってしまった。

 昨日、シュガからハーシェルに渡された封筒の中身が、依頼書ではなかったと知ってしまっただけに、再び急くようにざわめいた心に、クリエスは視線を地面に落としてしまう。

「昨日の件、まだ気になるか」

 傍らに立っていたスヴェルムの気遣う深みのある声が降ってきて、クリエスは少し考えてから一度だけ頷いた。

「お前さんの良いところは、そう言う素直さだよ」

 くっくと笑うスヴェルムに対して、誤魔化さずに反応を返せた事で微かに心が軽くなる。

 彼女に対しても、こんな風に素直に返せたなら悩まずに済むのにと思いつつも、こびり付く不安を胸の奥に抱えたまま困ったように眺めるしか出来なかった。

「何を大事にしたいか。そこを間違えなけりゃ、そんな焦らなくても良いと俺は思うけどな」

 スヴェルムの大きな掌が二度、クリエスの背中で慰めるように跳ねた。

「スヴェンッ、そろそろ行くぞ!」

 ハーシェルが男たちの輪の中から抜け出し、シュガに呼ばれたスヴェルムが、彼女と入れ替わりにその輪の中に入って行く。そうして馬車の周囲へ任務に当たる憲兵隊の面子が配置につくと、そのまま馬車が動き出した。

「みんな気を付けてね」

 目の前を通り過ぎる面々にハーシェルが上機嫌に手を振っていく。

「あ、言い忘れてた。戻ったら店に立ち寄るからな」

 殿しんがりを務めるスヴェルムが、隊列の最後なのを良い事に、するりと列を抜けて二人に向かい告げると、再び何事もなかった様に列へと戻っていった。

 その大きな姿が市場を行き交う人波に紛れて見えなくなった頃、ハーシェルが上機嫌な笑みを浮かべて振り返った。

 けれど、クリエスからじっと向けられていた黒い瞳が逸れるまでの一瞬、あまりにも真剣な視線が向けられていた事に気付いた。

「クウ?」

 呼び掛けた瞬間、クリエスは「なんでもない」と言うが視線が気まずそうに彷徨い、道の少し先にある野菜を並べている店で止められた。

 やはり昨日の一件を引き摺っているのだろう。

 ハーシェル自身も何処かで、クリエスに謝るべきだと思っていたが、流石にこんな外では言うのも憚られてしまった。

「買い物だよね、今日は何買うの?」

「あ……ほら、スヴェルムが帰ったら寄るって言ってたし、お姉ちゃんも立て込んで疲れてるだろうし」

 そこまで言うとハーシェルはうーんと唸りながら、ちらりと視線を下ろす。

 初めて会ったときは、まだ自分の肩口くらいだったはずの身長が、いつの間にか視線の高さに迫ってきている。

 子供扱いしてやるな――

 そう言って嗜めたシュガの言葉がふと蘇った。

 打ち解けるまでは確かに、お互いの不安からすれ違いも多かったけど、今ではすっかりハーシェルもクリエスを弟のように思っていた。

 ああ。これがシュガの言う子供扱いなのかと、そんな風に思えても、やはりどうしても拭えない想いが彼女の中にもあった。

「じゃあ野菜とか、先に買う?」

 少しぎこちなく問い掛けるクリエスが右手で野菜を並べている店先を示され、彼女もにこりと笑みを浮かべて前を歩く。

 何気ない彼の自然な仕草を見て、ハーシェルは知らぬうちに乾いていた自身の唇を舐めていた。

 ハーシェルは自分の拙い技術のせいで、少し癖が残ってしまった義手を難なく使いこなすクリエスが羨ましいと感じていた。

 ずっと後から加工士として姉に師事し始めたはずの彼は、覚える為か気が付けばいつも自分の傍らに居て、基本をどんどんと覚えていく。

 義手を使ってクリエスの出来る事が増えていくのは素直に嬉しい。でも、追いつかれそうだという焦燥感は、誰にも気付かれたくなかった。

 だから彼女はクリエスの前を歩いて、じっと視線を幾つかの店先を見比べるように動かした。

 その店先に並べられている駕籠の中身が芋だと分かると、思考を切り替えるように隠れて吐息を零すと唇を持ち上げた。

「そうだ! ホッシュレプスのシチューにでもしようか?」

 笑顔を作り問いかけて見れば、彼とぱちりと視線が合った。

 シチューはクリエスの数ある好物のうちの一つだ。

 ずっと沈んでいたままの眼差しに年相応の光がぱっと宿ったのを見つけ、思わず自然と頬が緩んだ。

 本当の弟と言うわけではないが、それでも大切な家族だ。少しでも笑顔でいてくれる日が続けばいい。

 ハーシェルは肩の力を抜くと、そのまま噴水広場の傍にある野菜を扱う店に足を向けながら、他の具は何が良いかと店先を眺めていく。

「ハーちゃん……あのさ」

 どの野菜が美味しそうか真剣に選ぶハーシェルの背中に向かい、クリエスは自分の中にある不安を握り潰すように拳を固め、声を掛けようとした。

「クウは料理が出来るしなぁ。もう少し義手の調整が出来たら、うちを旅立つ日も近いのかしら」

 しかし、クリエスの掠れた声に、ハーシェルは気付かないまま、なんの気も無く言葉を落としてしまった。

 広場に溢れる喧騒も全てが遠のくように、こちらを振り向く事も無いハーシェルの背中に、彼は石を飲み込んだように言葉を詰まらせたまま視線を自分の足先に落とすしか出来なかった。

「ねえクウ。サラダとデザートどっちつけるのが良いかな?」

 明るい声音が掛けられるのと共に視界の端で栗色の長い髪がふわりと揺れ、しゃがみ込んでいたハーシェルが振り返ったのだと気付いた。

 咄嗟に口を開こうと思っても動かず、クリエスは堅く握りしめていた拳を抱えるように、言いたかったはずの言葉すら飲み込んだ。

 その瞬間、定刻を迎えた広場の噴水が大きな水音を立てて溢れ出す。

 太陽の日差しを受けた虹色の水飛沫が広場一帯を煌めかせ、クリエスとハーシェルの二人は思わずその明るさの方へと振り返っていた。

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