第4話 ふたりの距離2

「ハーちゃん!」

 クリエスが声を掛けた時、ハーシェルは軽く驚いたように振り返った。

 ゆっくりと、川辺の木々と水が豊かに絡む香りを楽しんでる彼女の後ろ姿を見てただけなら、きっと何も思わなかった。

 でも、彼女が明らかに道具鞄に心を浮き立たせて眺めた表情には、はっきりと心の奥がざわついた。

 クリエスは、このざわめきが何か、少しの間じっと考えてみたがモヤモヤするばかりで、答えは上手く出てきそうになかった。

 答えがすぐに出ないのなら、きっと後回しにしても平気だろうと、彼は軽い深呼吸のあとハーシェルへ「用意できたよ」と声を掛けた。

「そういえば、朝からシエルさんと作業してたよね。起きた時にはもう工房から音が聞こえてたけど」

 クリエスは、そう言葉にして気が付いた。

 義手の訓練を兼ねてクリエス自身も、彼女の姉シエルリーサの下で加工士として勉強をしている身だった。だから、彼にとってハーシェルは姉弟子にあたる。

 彼女自身の道具には師匠シエルリーサから譲られたものが幾つか入っているだけに、師匠から“自分専用に”と道具を譲り受けられたのなら、それはやはりいつだって嬉しいに決まってる。

 きっと今朝もそんなことがあったんだろう。

 なんだ、自分はそれを“手紙の受け取りが嬉しそうだ”と勘違いしてしまったのかと納得して、改めてハーシェルの方を見れば、彼女は軽くあっという形に口を開けていた。

「ごめんね、うるさかった?」

「それは全然。大丈夫だけど」

「けど?」

 ハーシェルがこちらを伺うように小首を捻って見上げて来る姿に、思わず気まずさを覚えて視線を逸らしてしまう。

「どんな作業教えて貰ってたのかなって。二人とも凄い集中してたから、声掛けれなかったけど」

 彼女はそんなクリエスの不貞腐れたような姿を見て、納得したように笑みを浮かべると、すくりと立ち上がった。

「ちょっとお姉ちゃんに、前に教えて貰った素材加工のやり方見て貰ってただけだよ」

「そうなの?」

「そうだよ。ただ休みでちょっと、集中しすぎちゃって、危うく家を出るのが遅くなりそうだったけど」

 ふふっと笑いながら、ハーシェルが良しと気合いを入れるように自身の長い栗色の髪を一つに纏め上げた。その瞬間、健康的なうなじが明るい太陽の下に晒され、眩しく見えた。

「ちょっとくらい遅くなっても、ボクは怒らないけど」

 クリエスは見てはいけない物を見たと言うように、ふいっとそっぽを向くと、ハーシェルから少し離れた位置で立ち止まった。

「あ、クウちょっと待って。先に義手の状態確認させて」

「なら外すした方が良いよね?」

「そのままで良いよ」

 クリエスは確認の指示通りに腕を外そうとしたが、彼女の方が傍に近付き、そっと義手を持ち上げてきた。生身の肘がハーシェルの細い手で掴まれ、じっと義手を見つめている。

「一回握って」

「うん……」

「ちょっと腕上げるね。そしたら開いて」

 クリエスは緊張した面持ちのまま、ゆっくりと親指から人差し指と折り曲げ軽く握り拳を作る。それを確かめたハーシェルは、そのまま彼の拳を明るい陽射しに向けた。

 その瞬間、クリエスの目の前で、真剣な彼女の琥珀色の瞳の色が綺麗な橙色に染まっていくのが見えた。

 やっぱり綺麗だな。

 そう思わず口走りそうになった彼は慌てて言葉を押し殺して、視線を自身の義手の指先に向けた。

 キシキシと小さな音を立て、ゆっくりと拳を開くとハーシェルはふむと頷き、義手を離すと傍らのメモを取り出して書き込んでいく。

「開くときに少し詰まる箇所あるね」

 ハーシェルがちょっと待っててと言うと、目詰まりを起していないかとさっと関節部分を綺麗に筆で汚れを払い落とす。

「ボクはそんなに気にはならないけど」

「お姉ちゃんのだと、もっと滑らかに動くってのは、クウも実際使ったから知ってるよね」

「そうだけど、ハーちゃんのこの義手も凄く使い易いよ」

「目標はお姉ちゃん越えしかないもの!」

 ふんすっと意気込むハーシェルの表情に、思わずクリエスもくすくすと笑ってしまった。

 確かにクリエスが生まれて初めて使った義手は、シエルリーサが訓練用にと作った汎用性の高い物で、訓練用の義手は五指一体型で“握ると開く”のみが出来る程度だが、少ない魔力で使えるうえに関節の音は殆どしていなかったと思う。

 ただその当時は、こんな風に腕を失く前と遜色のない生活が出来るとは、これっぽっちも考えていなかったし、義手を思う通りに動かせない事で癇癪を起してしまった事もあった。

 もしその瞬間に戻れるなら、全力で止めたいと思うけど……

「帰ったらもう一回お姉ちゃんに教えて貰おうっと。じゃあ、少し動かしてみて」

「分かった。危ないから少し離れるね」

 クリエスはそう言うと、義手がハーシェルに見えるように立ち小剣を抜き放ち、ふぅっと呼吸を整えると、ゆっくりとスヴェルムから教わった型をなぞっていく。

 肩や肘先だけで動かさないように、そして義手へ流す魔力を途切れさせないように。

 動きの訓練で大分、無意識でも義手の制御は出来るようになったが、稽古ではまだ義手の加減に意識が向いてしまう。

 だから余計に軽く吹き飛ばされたんだ。

 今日の稽古の反省を踏まえつつ、ゆっくりとした動きから少しずつ速度を上げて稽古相手の動きを思い出す。

 スヴェルムは自分相手では、基本に沿った動きを見せてくれるだけだ。

 けど、友人アドルならどうだったか。色んな意味で気兼ね無く自分を見てくれる相手だ。

 身長はアドルの方が高いが、振り下ろしの速度や威力は断然師匠スヴェルムの方が鋭く重たい。

 基本の素振りの動きから全身を使う動きへ、徐々に切り替えていく。

「あらまぁ。いい感じに没頭し始めちゃったかな」

 太陽から降り注ぐ陽射しが川の流れを煌めかせ、クリエスの小剣がその間を音を立てて切り裂いていく。

 道中で稽古模様を聞いていただけにハーシェルは、一心不乱に剣を振り翳す弟弟子の姿に自然と笑みを浮かべていた。

 青年と言うにはまだ、あどけなさが残る横顔を暫くの合間眺めつつ、ハーシェルもはたっと気付いたように、クリエスの義手の動きに目を凝らし直す。

 姉のように繊細な魔力操作による加工は、まだまだ足元にも及ばないが、そんな姉が自分を技師の一人として、頼りにしてくれることもある。

 全身の感覚を研ぎ澄ませ、じっと目を凝らしてクリエスを眺めていると、彼特有の鮮やかな緑色と薄っすらとした黄色の混じった魔力が、身体中に纏わり付いているのが分かる。

 生まれつきかどうかは分からないが、ハーシェルが気付いた時には、色んな人が様々な色を纏っていて、それが魔力の色だと知ったのは近くに住む医術士が驚きながらも教えてくれたからだ。

 だから幼い時、姉も同じように見えると信じていた。しかし、何を見た時かはもう忘れてしまったが、何でも出来る姉が拗ねたように「あたしは少ししか見えない」と答えた事だけはよく覚えていた。

「クウ、一回止まって!」

 ハーシェルは己の両手を叩いて注意を引くと、彼はキリが良いところで動きを止めて、大きく息を弾ませた。

 彼女が道具袋から工具をまとめたロールケースを持ってクリエスの方へと近付と、夢中になって動いていたのが良く分かるように、ほんの僅かに汗が流れ落ちたのが見えた。

 それに気付いてか彼は袖口でぐいっと額を拭い、安全のために小剣をしまおうとしたが、ハーシェルはそのままでと押し留めた。

「出来る事は一つずつ確かめてから。もう一回構えて」

 ハーシェルは自分の零した声にも気付いた様子もなく、そっとクリエスの義手に手を伸ばした。

「う、うん」

 軽く体を引いて戸惑いを見せるクリエスだったが、彼女の指示通りに剣を構えると、ハーシェルの目には魔力の流れが悪くなっている場所がはっきりと見えた。

「ちょっと後ろから外すよ」

「うん」

 そう言ったハーシェルはクリエスの側へ歩み寄り、彼が小剣をしっかりと握っているのを確かめ、義手へ手を伸ばすと捻る様に接続を外した。

「あ……気付かなかった」

 クリエスは弾む息のまま左手が引っ張られた感覚に気付き、外れた腕の先を驚くように見つめていた。

 生身の人体と義手を外せば当然魔力の供給も途切れるはずだが、クリエスの義手は小剣を離すことなくぎゅっと握りしめたままになっていた。

 ハーシェルが止めた理由はどうやら関節部分にあったらしい。

 クリエス自身も魔力感知は使えるが、他の動作と並行して行うのはまだ苦手だった。

 そして少し経つと義手に残っていた魔力が抜けたのだろう、突然小剣の重さに負けるようにぐにゃりと手首が折れ曲がり、指先が落ちるように開いた。

「わっ。結構重たいのね」

「……ハーちゃんっ。危ないから手、放して。大丈夫だから」

 クリエスは大事な小剣を地面の上に落とさないように、左手で柄を掴んでいたのだが、ぐらりと傾いた剣先にハーシェルも咄嗟に手を伸ばして支えていた。

「ごめんごめん。じゃあ手、放すからしっかり握っててね」

 ほとんど耳元で聞こえた彼女の言葉に頷き、クリエスはぎゅっと左手に力を入れて柄を握りしめると、熱くなっていたその手から、心地よい冷たさを持つ優しい手が離れて行った。

 ハーシェルは手早く義手の関節部分を外し、内側で外れ掛かっていた部品を締め直し、魔力伝達用の核に傷が無いかを確かめる。

 クリエスはスヴェルムに稽古をつけて貰う傍らで、町の外での素材採取も行っている。

 基本はスヴェルムと共に行ってくれているが、このところ一人で町の外へ出る事も増えてきている。

 少しでも、安心して安全に戻って来てほしいと願いを込めながら、確認を終えると良しと、クリエスに振り返った。

「じゃあ、次は魔法の方お願いね」

 義手に残る魔力が抜けきったのを確かめたハーシェルは、左手に剣を下げたままのクリエスに代わって義手を嵌め、元の場所へと戻っていった。

 クリエスはその遠ざかる背中を眺め、内心で心臓が早鐘を打つままの自分に気付いた。

 危なかった。

 うっかり気を抜いた持ち方をしていたら、義手から離れ落ちた小剣がハーシェルの足元を傷付けてしまったかも知れない。

 そう考えた瞬間、連鎖的に駆け抜けた記憶に震えが抑えられなかった。

「クウ。いつでも良いよ」

「う、うん。じゃあ……」

 クリエスの頭の中には一瞬、思い出したくも無い赤い光景が思い浮かび、何度か追い払うように頭を振るう。

「クウ? 大丈夫、疲れちゃった?」

「大丈夫! 向こうのおっきい石に向かってやるから」

 ハーシェルの声に心配をさせまいと無理やりその記憶を振り払い、クリエスは小剣を鞘へ納めて目印にする大石を指で示した。

 彼女が両手で大きく丸を作ったのを見て、意識を小川へと移し、冷静さを取り戻そうと深呼吸を繰り返した。

 クリエスは少し落ち着いてきた自分の鼓動に合わせ、魔力を練り上げる。

「アースウィップ!」

 右手の義手を地面へ付け、魔力を流し込み魔力を解放すると、腕を添えた地中から蛇が走るように、ぼこぼこしながら小石が跳ね上がり、目標にした大石を真下から突き上げた。

「ちょっと、クウくんやりすぎかなぁ」

 あらぁ……と零しながら、ハーシェルは石の手前で完結するかと思った魔法により、跳ね上げられた大石の行方を視線だけで追い掛けた。

 ほんの僅かに浮いた大石は地面に向かってズシッと重たい音を立て落ち、最後には下から向こう側を望める亀裂を刻んでいた。

「あっ……」

 呆然と立ち尽くすようなクリエスの表情に気付き、ハーシェルは力を込めていた眼差しをしばたかせた。

 空を見上げれば、陽はまだ十分に高いが、少しずつ暑さを和らげるように傾き始めている。

 ハーシェルはここに来るまでの道中、クリエスからの少し視線を感じていたが、もしかしたら体調が芳しくないのかも知れないと思った。

 定休日くらいしかこうして一緒に外に出ての調整をする機会がないだけに、我慢させてしまったのかもと考え、彼女はゆっくりと腰を上げた。

「今日はこのくらいにして帰ろっか」

「え、でも。まだ一回しかやってないけど」

 クリエスにとっては突然の言葉で、慌ててハーシェルへ待ったと顔を向けた。

 普段なら扱える二属性の魔法を色々と試すはずが、しかし、ハーシェルはくるりと背中を向けてしまい聞いてはくれなかった。

 その瞬間、クリエスの心の中で焦燥感が膨れ上がっていた。

「ボクなら大丈夫だからっ」

 クリエスは彼女の片付け始めた手を止めるように声を上げたが、ハーシェルはにこりと笑みを向け、それから欠伸を隠すような仕草で顔を背けた。

「やっぱり今朝、早起きしたから今頃になって眠くなってきたみたい」

 だから帰ろうと重ねられ、ハーシェルの肩には綺麗に蓋が閉められた道具鞄が下げられてしまった。

「義手の調整は家でお姉ちゃんとやるから」

 ハーシェルから諭されるように言われ、ほらと自分の鞄が差し出された。

 それがクリエスにとって、焦燥感が不安に移り変わるように心の奥に広がってしまった。

 まるでコップの中にインクを一滴垂らしてしまったような、薄靄の不安。それが分からないままに鞄を受け取ってしまえば、いけない気がした。

 しかし――

「それにシュガも言ってたじゃない。遅くなると危ないから早く帰って来いって」

 ハーシェルにとって何気ない一言のつもりだった。

 けれど鞄を受け取った瞬間のクリエスの表情は、明らかに翳っていたのが見えてしまった。

 無言のまま、大股に歩き始めて行く彼を慌てて追いかける形になったハーシェルも、その悄然とした後ろ姿に声を掛けて良いのか迷ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月4日 10:00

タイム・クロスオーバー 天貴 新斗 @Tenki358

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ