言えないひとこと

第3話 ふたりの距離1

 抜けるような青空の下、憲兵隊の訓練所の一角で、木剣を打ち合う甲高い音が響き渡っている。

「ハアッ――!」

 鋭い気合いの声を上げながらクリエスは身を屈め、長身の男の振り下ろされる剣先を潜り抜けると、相手の脇下を狙って振り上げた。

「おっ、良い感じだな」

 稽古相手を務めるスヴェルムは楽しそうにしながら、ひょいと手首を返すと木剣の腹で振り上げられたクリエスの一撃を受け止めた。

「でも、まだ踏み込み足りてねえな」

 まだまだ甘いとそう言いながら、スヴェルムは己の長い一歩で小柄なクリエスの懐まで一気に距離を詰め、肩で押し飛ばした。

 その瞬間、クリエスは足元が地面から離れ「わっ」と驚いた声と共に、派手に吹き飛び尻もちをついた。

 両手を地面についてしまい、右手に思わず視線を向けた刹那に、ぴたりと木剣の先が付きつけられた。

「ほい。一本だな」

 にかりと笑うスヴェルムに、クリエスは深い溜息と共に「参りました」と降参の声を上げた。

「クウ、立てるか?」

「大丈夫です」

 気遣う言葉と共に差し出された手に、また負けたという悔しさがじわりと心の奥に広がる。

 魔法なら少しは自信があったのに……と、思いながらクリエスは自然と右手首へと触れていた。

「んー? 手首に傷でも入っちまったか?」

「マジか。一応加減したつもりなんだけどな」

 スヴェルムの部下でありクリエスの稽古仲間でもあるアドルからの言葉に、師匠がしまったと声を上げる。

 その声に慌てて、彼の手を借りて立ち上がると砂の付いた尻を両手で払った。

「大丈夫です。手袋グローブで保護してるし」

 心配そうに言われてしまい、クリエスは胸の奥から顔を出そうとした棘を息を吐くのと一緒に押し隠し、右腕を肘先まで覆っている手袋を外した。

 クリエスの肘より先は魔力で動かせる義手になっている。その手を二人に向かい、可動範囲は問題ないと言うように関節部分を丁寧に動かし始める。

 一瞬、ちゃんと動くよねと不安が過ぎったが、の笑みがぱっと浮かび上がり、大丈夫とすぐに思い直した。

 多少関節の軋む音が耳に届いた。それでも、何度も手を握ったり開いたりして、クリエスは内心で問題なく動いたことにほっとしていた。

「スヴェルムさんに勝つには魔法使うしかないよなって、ちょっとそう思っただけです」

「なら良かった」

 その動きを見たアドルがほっとした表情を浮かべると、クリエスの手を覗き込んで改めて凄いなと感嘆の息を零してきた。

 手袋に付いた砂も左手で払い落としながら、顔が近いと追い払う。

「魔装義肢具って基本特注だよな?」

「うん」

「こんだけ見た目に違和感ないのって高級品なんだよなぁ」

 店の展示品でも見たのか、友人の声に「感心するのはそこか」と言いたくなったが、クリエスはふぅっと溜息を吐くだけにした。

「それでも、こうやって出来る事増えたし、ボクにとっては大事な相棒だよ」

「でも、まだ借金返し切ってないと」

「まあね。でも、借金があるから大切にしてる、って言われてるみたいのは流石に嫌なんだけど」

 クリエスは手袋をはめ直しながら、アドルを睨みつけて言うと素直に「悪い」と返って来た。

 義手をつけ始めた当初は、誰も彼もが“可哀そうで奇異なもの”を見る目を向けていたと思っていた。

 しかし、スヴェルムに誘われ、この広い憲兵隊の訓練場で稽古をつけて貰うようになってからは、アドルのように特段気にしない人が大勢いると分かり、かなり気が楽になったのも確かだ。

「それともアドル。店に誰か紹介したい人でもいるの?」

「んや。この前オヤジの店手伝いで実家に帰ったときさ、古馴染みの客が、“ツインウェア製品が一番良い”って自慢しに来たんだよ」

「ほんとに? シエルさんたちに伝えておこうっと」

 怒ってはいないと言うように話題を適当に振ってみたら、友人からの思わぬ言葉に浮かんだ笑みが抑えられなかった。

「お前らお喋りも良いけどよ、そろそろ時間だぞ」

 スヴェルムから隊舎に掛けられている大時計を示され、二人はあっと小さく上げた。

「本当だっ」

 憲兵隊の一員であるアドルは訓練時間が終わり、次の交代へ向かわなくてはならず、稽古をつけて貰っているだけのクリエスには、この後を約束した大事な人がいた。

「なんだ、デートか?」

「違うって! 義手の調整しに行くんだって」

 慌てたクリエスはアドルのからかう言葉にふいっとそっぽを向くと、視線の先に約束を交わした相手の姿を壁の向こう側に見つけた。

 どうやら迎えに来てくれたらしく、彼女もこちらを見つけると手を振ってくれた。

 それに、応じて「じゃあ、行ってきます!」とクリエスは急いで片づけを済ませ、用意しておいた荷物をかっさらうように抱え込む。

 ぱたぱたと足取り軽く去っていく小柄な背中に、アドルは声が聞こえない距離になったのを確かめて、にやにやとした表情を隠さないままスヴェルムを見上げた。

「お前もそう笑えねえ日が来るぞ」

 くっくと笑うスヴェルムに、アドルはぱっと表情を改め、「これが相手の居る大人の余裕か」としみじみと眺めていた。



 クリエスが隊舎の門の傍まで近づいた時、迎えに来てくれた彼女――ハーシェルの視線はこちらにはなく、道の先へと向けられていた。

「シュガ!」

 そして彼女はそのまま道先に居た相手を呼び止めるように手を振り、走って行ってしまった。

 シュガと呼ばれた男も、師匠と同じ憲兵隊員の一人だ。スヴェルム、アドルと共に班を組んでいるとは知ってるが、クリエスの中では年上の相手で、少し気後れしてしまう相手だった。

 自然と歩みを緩め、門まであと少しというところで、丁度ハーシェルがシュガへ何かを渡した瞬間が見えた。

「これはシュガにしか頼めないやつなの、お願いっ」

「分かってる。ちゃんと楽しみにしてろ」

 そんな二人の声が風に乗って聞こえ、一瞬ばかりシュガと視線が合った気がした。

「代わりにこれ、失くすなよ」

 そう言って差し出された淡いクリーム色の封筒を見たハーシェルの表情がぱっと明るくなり、彼女はその封筒を受け取ると、嬉しそうな表情を隠さないまま、大切そうに道具鞄にしまう姿を見せた。

「ハーシェル、お待たせっ」

 咄嗟に……そう、咄嗟に大きな声が出てしまったんだ。別に、その封筒の中身が気になったわけじゃない。

 そう内心で言い分けが浮かんだクリエスは、少しばかり目を丸くしていたハーシェルたちに視線を刹那彷徨わせたが、気付かない振りをして二人の合間で足を止めた。

「クウってば、そんなに大きな声じゃなくても気付いてるって」

 ハーシェルの朗らかな笑みにクリエスは視線を逸らしたが、どうにも極まりが悪くなったようで顔が熱くなっていた。

 その様子を見たハーシェルは声を出さずに可愛いなと微笑み、変わりにクリエスの準備がしっかりと整っているのを確かめると「じゃあ行こうか」と促した。

「なんだクリエスと約束してたのか?」

「そう。これから森にね」

「なら気をつけろよ。二人なら大丈夫と思うが、最近、作物荒らしに来る奴らがいるからな」

 シュガの注意の言葉に、いつもの様に微笑んでいた彼女の表情がさっと陰った。

「ホントに?」

「それなら大丈夫です。ハーシェル、早めに行って帰ってくれば良いんだし」

 小柄なクリエスから僅かな合間きりっと見上げられ、そして問題はないよと言うように傍らのハーシェルを見上げてきっぱりと告げた。

 その姿を見て、シュガは少し考えたあと静かに頷いた。

「クリエスの言う通りだな。早めに帰って来い」

「うん、色々ありがとうね。それとシュガの方も忘れないでね」

「分かってる。二人とも気をつけてな」

「じゃあまたね」

 ぱっと振られた綺麗な指先を見送ったシュガは、まるで勇み足のように路地を進んで行く小柄な背中に、思わず肩を竦めていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 ザリオート町の外には広い畑が広がっている。根菜や葉物の野菜畑が町を囲む様に広がり、一面に濃い緑の葉を伸ばしていた。

 その畑の合間に風が吹くたびに、さやさやと耳心地の良い葉音を立てていく。

 ハーシェルにとって数時間ぶりの外だ。今朝は早くから姉のであり師匠のシエルリーサに頼んで、クリエスの義手の調整のために工房に籠っていただけに、青い香りの漂う空気を思い切り吸い込むと、足取りが軽くなるようだった。

 心地よい音を奏でる畑の畦道を抜け、そのまま街道から森へと入っていく。目的地を目指しながら彼女はクリエスに今日の稽古はどうだったかと訊ねた。

「順調だよ。指先も大分、思うように動かせる」

「じゃあ目的地についたら、たっぷりと見せてもらいましょうか」

「うん。任せて」

 茶目っ気を含めて声を掛けたハーシェルだったが、しかし返事をした彼の意識は違うところにある様だった。

 なんだかんだと言ってクリエスの片腕は義手だ。もしかしたら思うような稽古の結果を得られなかったのかも知れない、ちらりと彼を見た。

 すると一瞬、考え込むような黒い眼差しがこちらに向けられたが、さっと逸らされた。

 ハーシェルは「今鞄を見てたのかな?」と逸らされた彼の視線にはて、と首を捻るしかなかった。

「大口の依頼書……かな?」

「ん? 依頼書がどうかしたの?」

 真剣に難しい表情をしていると思っていたが、思わぬ単語がクリエスの口から飛び出してきて、ハーシェルはますます疑問が浮かび、声を出していたつもりの無いクリエスは慌てて何でもないと手と首を振っていた。

「ほら、ハーちゃんもシエルさんも、いつも忙しいから。ボクもなにか、手伝えるなら手伝いたいなって思って」

 咄嗟に口をついて出た言葉だろうが、その慌てたクリエスの瞳と口調に嘘はなく本心だと告げていて、ハーシェルは少しだけ吐息を漏らした。

 片腕を失う事故に遭った筈なのに、挫けずに義手の訓練をこなしたばかりでなく、率先して家の事も手伝ってくれる。

 もし、逆の立場だったなら自分はどうだっただろうか……と、そんなことを考えたとき、クリエスのように現状に向き合うのは難しいかもとハーシェルは思ってしまう。

 だからこそ、気兼ねなく過ごして欲しいのだが、そんないじらしい事を告げるクリエスにハーシェルはほのぼのとした笑みを向ける。

「そんなこと、クウが気にする事ないわよ。それに掃除してくれるだけでこっちは感謝してるんだから」

「それでもだよ。沢山お世話になってるんだしさ」

 ハーシェルが大丈夫だと告げても、少しむきになった彼の返事が戻って来る。

「そう? なら、今日帰ったら美味しいお茶でも淹れて貰おうかなぁ」

「それだけ?」

 他にはもっとないのかと不満を滲ませたクリエスに、やはり微笑ましくなる。

「クウくんが淹れてくれるお茶は美味しいからね」

 せっかくなのだから、もう少し何かを手伝いたいと思ってくれたのだろう。

 けれど、ハーシェルが先にお礼を提示したら、「分かった」という言葉とほんの僅かに不貞腐れたような視線が、自分の方から森の先へと移って行った。

 二人はまた暫く他愛ない話しをしながら歩みを進め、森の中にある小川まで来ると、ようやくその足を止めて荷物を下ろした。

 ハーシェルは景色を一度ぐるりと見まわし、深呼吸をすると少しの間ばかり仕事を忘れるように、縮こまっていた身体を大きく伸びをして、ほぐす。

 黙々と準備をするクリエスを見て、初めて会った時より少し背が伸びたかなと思った。

 成長期相手の義手だ。日常生活だけでなく、見た目も困らないようなものにしたい。

 そんな想いがあって、定休日の今日、彼女はいつもより早起きをし、起きて来たばかりの師匠である姉シエルリーサに頼み込んで工房に籠った。

 魔力の強い魔獣素材を人が扱いやすい様にする為には素材に残る魔力を調整する必要がある。

 しかし、修行中のハーシェルでは、師匠の許可か付添指導がなければ行えなかった。

 ハーシェルの想いは、姉も同じように考えていてくれたらしく、あれこれと意見を重ねるうち、つい夢中になって作業に没頭してしまった。

 その結果、危うくクリエスとの約束の時間に遅れそうとなってしまったが、無事に間に合ったので良しとしよう。

 それに、っと言うようにハーシェルの視線が鞄に移る。

 シュガに依頼していた姉の結婚式の招待状の返事が返ってきたのだ。帰ったら封を開けるのが楽しみだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る