第40話 紅葉の恋
その日は烈牙様は竜葉とお出かけになられた。
烈牙様が外出中は特段私の仕事はない。
時間が空いた私は紅葉のところに遊びに行く。
もし紅葉が忙しいようなら帰ろうとしたのだが紅葉もちょうど休憩時間だったので二人でお茶を飲むことにした。
「ところで真雪。咲夜祭の男性とはあの後どうなったのよ?」
やはりと言うべきか紅葉は咲夜祭のことを私に訊いてきた。
「あの方は何でもないわ。一夜限りのパートナーよ」
私は冷静を心がけて話す。
私といた男性が烈牙様と気づかれてはいけない。
「ふ~ん、それにしては親密そうだったけど」
「そうかしら」
烈牙様に踊りに誘われて嬉しくて夢中になってしまったから周囲からどう見られていたのかまで気が回らなかった。
それに仮面をつけていたから自分の珍しい白銀の髪のことを忘れてしまっていたのは私の落ち度だ。
魔界でも珍しい白銀の髪を見て紅葉に私だと正体がバレてしまったのだから。
これからはもっと気をつけないといけないわね。
烈牙様に迷惑をかけることになったら大変だもの。
烈牙様に愛されたいと願っているがそれ以上に烈牙様の足を引っ張るようなことになる方が嫌だ。
目立つ行動はなるべく避けなければ。
「分かった! あの人が真雪の想い人なのね!」
紅葉が突然大きな声を出す。
私は驚いて思わずギョッとした目で紅葉を見てしまった。
「ちょ、ちょっと、紅葉。声を抑えて!」
周囲を見ると休憩室にいた他の使用人が私たちの方を見ていた。
「ごめん、ごめん」
慌てて紅葉は小さな声で私に謝ってくる。
他の使用人たちが私たちから視線を外したのを確認してから私も小声で紅葉の問いに答えた。
「別に想い人じゃないわ。たまたま声をかけられただけで……」
なんとか私は誤魔化そうとした。
もし「想い人」だって認めてしまったら「どこの誰?」って訊かれるに決まっているもの。
「嘘よ。真雪は身持ちが堅い女性だもの。一晩だけ身体を重ねるなんてしないでしょ? 一夜限りのパートナーって言ったらそう意味だもん」
紅葉の赤裸々な言葉に私は顔が赤くなる。
確かに紅葉の言う通り私は一度出会っただけの男性とそんな関係になる気はない。
そもそも烈牙様以外に興味を持てない私が他の男性となんて天地がひっくり返ってもありえない話だ。
「確かにそれはそうだけど……」
「誰にも言わないからさ。その人真雪の想い人なんでしょう?」
「本当に誰にも言わない?」
「女の約束よ。言わないわ」
紅葉は真剣な目をして私を見つめる。
私は溜息をついた。
仕方ないわね。でも紅葉は親友だからきっと約束を守ってくれるはず。
それでも想い人が烈牙様だと言うことだけは認める訳にはいかないけど。
「そうよ。私の想い人よ。ただ私の一方的な片想いだけどね」
「やっぱりそうなんだ。でも咲夜祭に一緒に行くなんて意外と脈ありかもよ」
「いいえ。私のことは妻にしないってハッキリ言われたわ」
「まあ、そうなのね。う~ん、真雪は性格的に愛人って立場は嫌うだろうし。前途多難ね」
紅葉の言う通り前途多難だ。
「それより紅葉はいい人が見つかったの?」
今度は私が紅葉に質問すると紅葉は瞳を輝かせる。
「その質問待ってたわ! 実はね、どこのどなたかは知らないけど私に声をかけてくれて一緒に踊った人がいるのよ!」
「へえ、素敵じゃない。どんな感じの人なの?」
「雰囲気的に高位貴族じゃないかなって思うんだけど。でもそうしたら両想いだったしても将来的には望みは薄いわね」
紅葉は残念そうに溜息をつく。
人間界も魔界も身分差の恋に悩む者は多い。
人間だったアリシアを正妻に迎えた烈牙様が特別だったのだ。
魔王様に「アリシアを正妻にできないなら魔王軍の元帥を辞める」と言って魔王様を脅した事件はかなり有名な話だ。
結局魔王様はアリシアを正妻にすることをお許しになったのだが魔王様が許さなかったらどうなっていたことやら。
烈牙様はそれだけアリシアを愛していたということだ。
私は心にチクりと棘が刺さったような気がした。
烈牙様が愛したアリシアは自分であって自分ではない。
「でも何か約束をしたの?」
私は気持ちを切り替えて紅葉に訊く。
「約束はしてないけど指輪を貰ったわ。露店で買ってくれたの」
紅葉はそう言って自分の左手の中指にしている指輪を見せてくれた。
小さな赤い宝石がついた可愛い指輪だ。
「この宝石は本物なの?」
「まさか。露店で買った物だもの。玩具に決まってるわ。でも私嬉しくてつけているのよ」
紅葉の顔は恋をする乙女の顔だった。
素直に自分の恋を表現できる紅葉のことが少し羨ましい。
侍女として烈牙様のお傍に居られるけど私の想いを烈牙様に伝えるにはまだ躊躇いがある。
それは烈牙様の言葉の端々にまだアリシアへの想いがあることを感じるからだ。
アリシア。貴女はいつになったら烈牙様の心から消えてくれるの。
貴女は私であって私ではない。早くどこかに消えて欲しいわ。
でも今は紅葉の恋を応援したいわね。
「そう。また会えるといいわね。私も応援するわ」
「ありがとう。真雪。真雪の恋も実るといいわね」
「そうね」
紅葉の休憩時間が終わり私は西棟に帰ろうとした途中で吹雪と響に会う。
「あ、真雪。ちょうどいいところに。明日、響の演奏会に行くから準備しておいてね」
「明日でございますか?」
「うん。場所はルーヴァス侯爵家のお屋敷の小ホールだよ。お客は貴族だけど真雪は俺のパートナーとして連れて行くから堂々としていていいよ」
吹雪のパートナーね。
それにしても明日なんて急だわ。烈牙様に外出の許可をいただかないと。
「魔公爵様に許可を取らないといけませんが」
「大丈夫。後で父上には言っておくからさ」
吹雪から話してくれるなら烈牙様も私が本当に響の演奏会に行くために外出する証拠になるだろう。
別に私がイチイチ外出理由を烈牙様に言う義務はないのだが烈牙様に誤解されたり嘘は吐きたくない。
「そうですか。分かりました。明日の昼間ですか?」
「うん。朝食終わったら馬車で行くから正面玄関で待ってて。着ていくドレスはこないだの青いドレスでいいよ」
「承知いたしました」
私は吹雪に頭を下げる。
響の演奏をまた聴けるなんて嬉しいわ。
私は明日を楽しみにすることにした。
でも貴族ばかりの集まりに私が出席しても大丈夫かしら。
私も男爵令嬢だがそれは名ばかりの身分だ。
侯爵家で開かれるとなれば招待客は高位貴族だろう。
私は一抹の不安を覚えた。
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