第39話 夢の後の日常

 昨夜は夢のような出来事だったが私の日常がまた始まる。

 朝、烈牙様を起こしに行く。


「烈牙様。起きてください。朝です」


 烈牙様は目を覚まして私に向かって微笑んだ。

 時折、見せてくれる烈牙様の笑顔が私にとっては宝物。


「真雪。おはよう」


「おはようございます」


 烈牙様が起きて着替えをする。

 そしていつも通りに私は朝の紅茶を淹れた。


「昨夜は楽しかったか?」


「はい。とても楽しかったです。良い想い出になります」


 烈牙様と咲夜祭に行ったのはアリシアの時にもなかったこと。

 私は一つアリシアに勝った気分だった。


「今日は真雪は剣の稽古を休んでおけ。疲れているだろうからな」


「烈牙様はいつも通りに剣の稽古をするのですか?」


「ああ、私は問題ない。この程度の疲れで稽古を休んでいては戦場では戦えないからな」


 そうね。無敵と言われる魔王軍の元帥だものね。

 それに戦場では昼も夜もなく戦うこともあるらしいし。


 私とは体力が全然違う。

 それでも少しでも烈牙様と一緒にいたい私はつい自分の願いを口にしてしまう。


「では見学をしていてもいいですか?」


「ああ。それならかまわない」


 二人で中庭に行くと今日は雷禅と火堂と水魔がいた。


 水魔がいるなんて珍しいわね。


 水魔は宰相補佐なんて仕事をしているから王城に泊ることが多い。

 この屋敷で水魔の姿を見るのは稀なことだ。


 宰相補佐は立派な仕事だけど水魔も身体には気を付けてほしいわ。


 魔族と言っても私たちは不死ではないし病気やケガもする。

 前世での息子とはいえ私は自分の子供の健康を心配してしまう。


「真雪。おはよう」


 雷禅が挨拶をしてくれた。


「おはようございます。雷禅様」


「これはこれは雷禅兄さんに聞いていましたが侍女の真雪も稽古に参加するんですねえ」


 水魔は若干驚いたように私を見つめる。


 水魔の驚きは当然ね。ここでの私の立場は侍女。

 主人から剣の稽古を受ける侍女など私ぐらいなものだろう。


 でも私は今日は見学なのよ。


「はい。魔公爵様に剣を習う栄誉をいただきまして光栄に思っています。ただ今日は見学ですが」


「どこか体調が悪いのか?」


 雷禅が心配そうに私に尋ねてきた。

 その声は本当に私を心配してくれているのが分かる優しい声。


 相変わらず雷禅も優しい子だわ。

 外では鬼将軍なんて呼ばれているらしいけど根はとても優しいのよね。


「いえ。けしてそういうわけではないのですが少々寝不足でして」


「あ、分かった。真雪も咲夜祭に行ってたのか?」


 火堂の言葉に私は胸がドキッとした。


 もしかして烈牙様と咲夜祭に行ってたことがバレたのかしら。

 いえ、それならこんな質問ではなく火堂なら「父上と咲夜祭に行ってたからだろ」と言うはずだわ。


 私は自分を落ち着かせる為に一呼吸してから答える。


「はい。知り合いと出かけました」


 咲夜祭に行くことを禁止されているわけではないから大丈夫よね。


「お目当ての男性には逢えたかい?」


「いえ。月桜を観賞してきただけです」


「なんだ。それなら俺を誘ってくれれば良かったのに」


 火堂は残念そうな表情だ。

 やはり烈牙様と一緒に行ったことは知らないらしい。


 良かったわ。バレていなくて。


「火堂兄さんは真雪のことがお気に入りなのですね」


 水魔の言葉に火堂は頷く。


「当たり前じゃん。真雪ほどの美人は社交界でもそうはいないぜ」


「そうですね。それは私も同感です。魔王様の妃様たちに匹敵しますね」


 魔王様の後宮にいる女性たちは皆美しいとされている。

 魔王様は美人が大好きなのだ。


 褒めてくれるのは嬉しいけどさすがに魔王様のお妃様方に比べたら私など太刀打ちできるわけはない。

 それに火堂や水魔に「美人だ」と言われても私には意味がない。

 烈牙様にどう思われているかの方が私には大事なことだもの。


「くだらないこと言ってないで稽古を始めるぞ」


 烈牙様が剣を抜く。


「では最初は私が相手をいたします」


 水魔が自分の剣を抜いた。


 文官の水魔に剣が扱えるのかしら。


 私は疑問に思いながら二人の稽古を見学することにした。

 しかし私の予想を裏切り水魔の剣の腕前はすごかった。

 もちろん烈牙様には及ばないが躊躇いなく繰り出す剣先は確実に相手の急所を狙っている。


「水魔様は剣術もすごいのですね」


 私が思わず声に出すと雷禅が説明してくれる。


「水魔を始め公子たちは皆それなりに剣が使えるよ。幼い頃からみっちり父上に叩き込まれたからね」


 そうだったわ。昔から烈牙様は子供たちに剣を教えていたわ。


 自分の身ぐらい自分で守れるようになれというのが烈牙様の考えだった。

 己の力が全てを決めるこの魔界では公子であっても力なき者は生きていくのは難しい。


 最低限自分の身を守る術を教える烈牙様の行為は正しいものだ。

 水魔との稽古が終わると次は火堂と稽古をする。


「水魔様。お疲れ様でした。お水をどうぞ」


「ありがとう。真雪」


「いえ。素晴らしい剣術を拝見でき勉強になります」


「ハハ。父上には敵わないけどね。真雪は魔王城には来たことがあるの?」


「いえ、ありません」


 そう真雪としては魔王城には入ったことはない。


「そう。今度魔王様主催のパーティーが開かれたら真雪にも招待状送るよ」


「とんでもありません。着ていくドレスもありませんし私はただの侍女ですから」


「でも男爵令嬢なんだろ? 侍女じゃなくて男爵令嬢として出席すればいいよ。ドレスは吹雪に作ってもらえばいい」


「はあ……」


 私は水魔がなぜこんなに私をパーティーに参加させようとするのか分からなかったが言い争っても仕方ない。

 招待状が来ても仕事があると言って断ろう。

 私には烈牙様に仕えるという大義名分があるのだから。


「あ、そろそろ戻らないと。水魔様、雷禅様、失礼します」


「ああ。また明日ね」


 雷禅は笑みを浮かべて私を見送る。


 さてお風呂の準備をしなくちゃ。

 咲夜祭のような特別な日もいいけどいつも通りに烈牙様や子供たちと日常を過ごすのも幸せだわ。


 烈牙様との仲に進展がなくても今は烈牙様の傍で変わらぬ日常を過ごせるだけありがたいことだ。

 それでも私の心は叫ぶ。


 烈牙様、真雪を愛してくれませんかと。


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