第32話 咲夜祭へのお誘い
その夜。
烈牙様は夜遅くに帰宅した。
私は寝る前のお酒と料理長が作ったサンドイッチを用意して烈牙様の私室に向かう。
すると烈牙様の私室から第六公子の景虎が出て来た。
まだお仕事だったのかしら。
お酒をお持ちするのは早かったかも。
そんなことを考えていると景虎が私に気付く。
景虎の表情は無表情に近い。景虎のことをよく知らない人間が見たら怒っているようにも見えるかもしれない。
幼い頃から景虎は自分の感情を表に素直に出すような子供ではなかった。
そのことを知っているので私は無表情な景虎を見ても怯んだりはしない。
「お仕事お疲れ様です。景虎様。魔公爵様はまだお仕事中でしょうか?」
私が声をかけると景虎の瞳が僅かに揺れた。
「いや。もう今日の仕事は終わりだ。父上にお酒を運んでかまわない」
「はい。そう致します。ありがとうございます」
私は景虎に一礼して微笑む。
一瞬、景虎が驚いたように目を見開いた。
「……お前は」
「はい?」
「いや、何でもない」
そう言うと景虎はサッサと廊下を歩いて行ってしまう。
なんだったのかしら?
相変わらず不愛想な子ね。
もっと笑顔を見せれば周囲の人にも景虎の良さを分かってもらえるのに。
景虎の後ろ姿を見送った後、私は烈牙様の私室の扉をノックして入室の許可を取って中に入る。
烈牙様はソファに座って書類を見ていた。
仕事は終わりだって言ってたのにまだ書類を見てるじゃないの。
邪魔をしないようにしないと。
私が近付くと烈牙様は書類を片付けた。
「お仕事中ならお酒を置いて下がりますが」
「いや、最後の確認をしていただけだ。酒を用意してくれ」
烈牙様にそう言われたので私はお酒をグラスに入れてサンドイッチと一緒にテーブルに置いた。
「すまないな。こんな遅くまで働かせて。真雪も座れ」
「とんでもありません。烈牙様がお忙しい方であることは承知しています。失礼します」
私は烈牙様の前のソファに座った。
烈牙様はサンドイッチを手に取り一口食べると少し表情を変える。
その表情はどこか不満気だ。
「昨日と味が違うな」
「はい。今日は料理長に作っていただきました」
私は正直に答えた。
烈牙様の口に入る物は料理長が作るのが当たり前だ。
先日、私がサンドイッチを作ったのは料理長が特別に許可してくれただけのこと。
料理長は烈牙様の食事を作るのが仕事だから私がそう何度もその邪魔をするわけにはいかない。
心の中では私の手料理を烈牙様に食べていただきたいが。
烈牙様は食べかけのサンドイッチを皿に置いた。
「私の軽食は真雪が作れ。お前の料理の方がうまい」
「え? でも私は簡単なものしか作れませんよ」
自分の手料理を食べてもらいたい気持ちは大きいが料理の腕前に自信があるわけではない。
「かまわない。サンドイッチなら作れるんだろう?」
「はい。作れます」
「ではこれからはそうしろ」
「分かりました」
私が作るサンドイッチは料理長の作る物に比べたら具材も簡単な物だ。
料理長の作ったサンドイッチの方が私は美味しいと思うのだが烈牙様はそれ以上そのサンドイッチを口にしなかった。
仕方ないわ。これからは私が作りましょう。
一応、烈牙様の好みは知っているし。
それに私の手作りのサンドイッチが食べたいと言われれば私も嬉しい。
思わずにやけそうになる自分の表情を力を入れて取り繕う。
「昼間は何をしていた?」
「はい。メイド仲間の女性とおしゃべりしていました」
「ほう。どんな話をしていた?」
「咲夜祭の話とかです」
「咲夜祭? もうそんな時期か。真雪は行くのか?」
「いえ私は仕事がありますから」
当然のように私が答えると烈牙様はワインを飲みながら何かを考えている。
「もし私が咲夜祭に行くと言ったら真雪もついてくるか?」
「烈牙様が咲夜祭に!?」
私は驚いた。
確かに咲夜祭にはお忍びの貴族がやって来るが烈牙様が庶民に混ざるなど大丈夫なのだろうか。
いいえ、それ以上にこんな美貌の烈牙様が祭りに行ったら目立って仕方ないんじゃないかしら。
烈牙様はとても美しい男性だ。
それは烈牙様を愛する私のひいき目ではなく周囲の者は皆同じ意見。
咲夜祭は男女の出会いの場でもある。
他の女性が烈牙様に恋でもしたらと私は不安になった。
「烈牙様の正体がバレたら問題があるのではないですか?」
「仮面をつけるからバレることはない。それに咲夜祭に魔公爵の私が参加しているなんて誰も思わないだろう」
それはそうかもしれないけど。
私は烈牙様に恋する女性が増えるのが嫌なんです。
なにしろ私には自分の前世でもある最大の恋のライバルのアリシアがいる。
これ以上ライバルは増やしたくはないのが本音だ。
「私はお忍びで街に出ることも多い。土地勘はあるし問題ない」
「そうですか。お忍びで街へ出かけることがあるんですね」
「庶民の暮らしを見るのも仕事の内だ。だから真雪。咲夜祭に一緒に行こう」
恋のライバルは増やしたくはないが私が烈牙様と咲夜祭に同行できるなら話は別だ。
二人で咲夜祭に行けるなんてまるでデートみたい。
いや、烈牙様に私への想いが無くてもこれは私のことを知ってもらえるチャンスだわ。
真雪の魅力を知ってもらわなければ烈牙様が私を愛してくれることはないだろう。
このチャンスを活かさない手はない。
咲夜祭に参加して私のことをもっと知って欲しい。
烈牙様の身の安全を第一に考えればここは誘いを断るべきだろう。
しかし私は自分の心の欲求に勝てなかった。
「分かりました。烈牙様のお供をします」
「このことは公子にも話すなよ」
「承知しました」
私の心は浮き立つ。
せっかくのチャンスなのだから烈牙様に精一杯自分の良さを知ってもらわなければ。
「今日はもう遅い。下がっていいぞ。ああ、あと明日の朝は剣の稽古をするから運動しやすい服装で来いよ」
「分かりました。失礼いたします」
私が頭を下げて退室しようとすると烈牙様に声をかけられた。
「明日の朝も刺激的な起こし方をしてもかまわないからな。なんなら甘い起こし方でもいいぞ」
その言葉に顔を赤くした私は無言で退室する。
まったく人をからかうのがお好きね。
でも咲夜祭に誘われたのは嬉しいわ。
烈牙様とデートだと思って気合いを入れないと。
私は一人になると嬉しくて思わず顔がにやけてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。