第22話 真雪の気配

 次の日の朝。

 私は昨日と同じく5時前に朝の紅茶を持って烈牙様の部屋を訪れる。


 兵士に挨拶をして室内に入り5時ピッタリに烈牙様の寝室に入った。

 しかし昨日同様烈牙様が起きた様子はない。

 烈牙様は大きなベッドで就寝中だ。


 私は窓のカーテンを開けて烈牙様のベッドに近付いた。

 そして少し大きめな声で烈牙様に声をかける。


「烈牙様。おはようございます。起床のお時間です」


「う~ん」


 烈牙様の体が寝返りを打った。

 だがまだ目覚めない。


 烈牙様はこんなに朝が弱かったかしら。


 昔の記憶では二人で寝ていて私が目覚めると烈牙様もすぐに目覚めていた気がする。

 そして私に目覚めの口づけを必ずしてくれた。


 『おはよう、アリシア』と言って。


 だから! そんなこと思い出しちゃダメよ、真雪!


「烈牙様。起きてください。お時間です」


 私は自分の妄想を振り払い再度烈牙様に声をかけた。

 するとようやく烈牙様が赤い瞳を開く。


「真雪か……」


「はい。真雪です」


 烈牙様はまだボーっとして眠そうな顔をしている。

 そのあまりに無防備な姿に私は一つの疑問が浮かんだ。


 烈牙様は魔王軍の元帥なんて仕事をしているので戦場に行くこともある。

 それでなくとも魔王の同母弟という身分から暗殺者に狙われることもしばしばあるらしい。


 だがそんな立場でありながら私が部屋に入って来ても起きることはなく私が声をかけてようやく起きるというのは無防備過ぎないだろうか。

 もし私が暗殺者なら大変なことになるのでは。


 せっかく起きたのにまだ眠るつもりなのか再びシーツを被って寝ようとする烈牙様に私は尋ねてみた。


「烈牙様。そんなに寝起きが悪かったら私が暗殺者なら殺されてますよ」


 つい物騒な言い方になってしまったが烈牙様の身を案じてのことだ。

 暗殺者に狙われて烈牙様が命を落とすなど考えたくもない。


 烈牙様は私の言葉を聞き再び赤い瞳を開いた。


「問題ない。暗殺者が来たら体が勝手に起きる」


「はい?」


 ようやくベッドから上半身を起こした烈牙様は気怠そうに私を見る。

 そして欠伸をひとつしてから説明してくださった。


「私は私に危害を加える者ややましい心を持ってる者が近付くとすぐに気配で分かる。だが逆に私に無害な者には反応しない」


 それじゃあ、私は烈牙様にとって無害な者だというの?

 一応、烈牙様に愛されたいという下心は持っているのに。


 侍従長の結城が言っていたように烈牙様のベッドに潜り込んで襲おうなんて思ってはいないが烈牙様に下心を持っている私は無害な者なのだろうか。


「私がお部屋に入っても分からないのですか?」


「ああ。なぜかは分からんが。侍従が私を起こしに来ていた時は気配を感じて侍従が部屋に入る前に目覚めたんだが真雪の気配は読めない。だから起こされるまで寝ている」


 烈牙様も不思議に思っているような様子だ。


 私の気配が読めないって言われても私は自分の気配を消すなんて器用なことできないわよ。


「私は自分の気配なんて消せませんよ。そんな訓練も受けていませんし」


「それは真雪を見ていれば分かる。真雪は訓練された者の動きはしないし気配もあるにはあるんだが……昨日も真雪の気配に気付かなかった」


 それは由々しきことではないだろうか。

 もし私が烈牙様を傷つけるつもりなら傷つけられてしまう。


 いや私が烈牙様を傷つけるなど天地がひっくり返ってもありえないことだが。

 それとも私が剣でも持っていれば烈牙様は私の気配に気づくのだろうか。


「私が剣を持って起こしに来れば烈牙様は起きますか?」


 私は深く考えずに自分の疑問を口に出してしまった。


「真雪は私に剣を向けるのか?」


 烈牙様は赤い瞳を細め面白そうに私に質問してくる。


 そこで私はハッと我に返った。

 使用人の分際で主人に「剣を向けます」なんて言っていい言葉ではない。


 やだ、私ったらなんて無礼な言葉を言ってしまったのかしら。


「も、申し訳ありません。私が烈牙様に剣を向けるなどありえません」


「そうか。たまにはそんな刺激的な起こし方をしてくれてもかまわないぞ」


「と、とんでもありません!」


 私は頭を下げて詫びる。


 烈牙様はクスクスと笑っていた。その笑顔に私の胸は鼓動が早まる。


 烈牙様の笑顔は素敵だわ。

 昔と変わらない。


 しかし次の烈牙様の一言で私は身体が固まった。


「冗談だ。でも真雪の気配を感じないのは本当だ。まるでアリシアのようだ」


「……烈牙様の奥方様ですか?」


 私は硬い声で烈牙様に尋ねる。


「ああ。アリシアは私の間合いに私に気付かれることなく入れた者でな。もし私を殺せる者がいたとすればそれはアリシアだけだっただろうな」


「……奥方様は特別だったんですね」


「そうだな。私は兄上と戦っても勝てる自信はあるがアリシアには勝つことはできなかっただろうな」


 烈牙様は昔のことを思い出しているのかその赤い瞳はどこか遠くを見ている。

 きっとアリシアとの日々を思い出しているのだ。

 私は自分の前世でありながらいまだに烈牙様の心を独占するアリシアに嫉妬する。


 アリシア、貴女はいつまで烈牙様の心を独占するの?


「だがアリシアは死んだ」


 だが次の瞬間放たれた烈牙様の冷たい声に私は息を呑む。

 そして烈牙様の顔を見るととても寂しげだった。そんな表情を見て私の心も揺れ動く。


 私がアリシアの生まれ変わりだと話せば烈牙様はこんな寂しげな顔をしないで済むのかしら。


「もし今の世界で私を殺せる者がいたとしたらそれは真雪かもしれないな」


 烈牙様の赤い瞳は冗談を言っている目ではなかった。

 気配を読まれることなく烈牙様に近付けるというならその通りだ。


「恐れ多いことです。私が烈牙様を傷つけるなど天地がひっくり返ってもありえません」


「そうだな。だからこそ真雪はアリシアに似ているのだろう」


「私のような者が奥方様に似ているなどありえません」


 私は唇を噛みしめる。


「ああ。悪かったな。人と比べられては真雪も気分が悪いよな。すまなかった」


 烈牙様は私とアリシアを比べたことを謝った。


 いいえ、烈牙様は何も悪くはない。

 私がアリシアの生まれ変わりと説明すればいいだけのこと。

 生まれ変わりだから私とアリシアは似ているのだと。


 でも烈牙様の想いを聞いてアリシアの生まれ変わりとして愛されることを真雪の心が強く拒絶する。


 たとえアリシアの生まれ変わりでも私はアリシアではない。

 私は真雪なのだ。

 そのことは私が一番よく知っている。


「真雪。私はお前が私に献身的に仕えてくれることに感謝している。これからも私の傍にいてほしい」


「はい。もったいない御言葉ありがとうございます。これからも私は烈牙様のお世話をさせていただきます」


 私と烈牙様の視線が絡み合う。

 フッと烈牙様は口元に笑みを浮かべる。


「では私は着替えて来る」


 そう言うと烈牙様はベッドから出て衣裳部屋へと行った。

 私は自分の仕事をするべくリビングに戻る。


 烈牙様に愛されたいと願っても私は真雪。アリシアとは違う。


 アリシアという存在と真雪という存在は決して相容れないモノだということを実感する。


 烈牙様! アリシアではなく真雪を愛して!


 私の心がそう叫んだ。

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