第19話 魔公爵の愛人

 私は昼食を食べに西棟にある厨房兼使用人の食堂に向かった。

 食堂には西棟に勤める使用人用の昼食が置かれている。


 西棟の厨房は烈牙様専用の厨房だ。

 烈牙様が口になさる食べ物は全てここで作られて毒見された後に烈牙様に出される。


 そして西棟で働く者は許可なく屋敷の外へ外出することを禁じられているとのこと。

 情報漏えいの可能性を考えての処置だ。


 魔公爵の烈牙様が機密情報を扱うような仕事をしていても不思議ではない。

 だから侍従も限られた人物しかいない。身分もしっかりとした家柄の者たちだ。


 私が侍女になってから侍従の方々にはいろいろ教わることが多いが侍従の方々は嫌な顔をせず親切に教えてくれるので私も安心した。


「真雪。今から食事ですか?」


 私に声をかけてきたのは侍従長の年配の男性で名前は結城ゆうきだ。

 結城は侯爵家の出身らしいが家を継ぐ者ではなかったので魔公爵家で働くことになったらしい。


 魔公爵邸で働くことは王宮で働くことと同じくらいに名誉なことになるので実家の侯爵家も結城が働くことを許してくれたそうだ。

 そう思うと男爵家の六女の私が烈牙様の侍女になったことは異例のことかもしれない。


「結城様。はい、これから食事です」


 私は自分の分として用意されたお盆を持って結城に答える。

 私が席に着くと結城も自分の分の食事を持って私の向かい側の席に座った。

 結城はニコニコと笑顔を浮かべている。


 何か私に用事かしら。

 笑顔でいるなら怒られることはないわよね。


 自分が侍女として働き始めたばかりなので侍女の仕事で失敗をしてないか少し不安もある。


「真雪。貴女は初日からきちんと仕事をしているようで良かったです。魔公爵様も今朝は気持ちよく起きれたと仰っていました」


「そうですか。それは光栄です」


 私は結城に頭を下げる。


 苦情じゃなくて良かったわ。


 烈牙様に愛されたいと願っている私でもその想いとは別に烈牙様の役に立てるのは嬉しい。

 なので烈牙様が気持ちよく起きれたと言ってくれたことに思わず顔がにやけそうになってしまう。


 いけないいけない。

 結城には私の烈牙様への気持ちは知られてはいけないものね。


 私は表情を引き締めて自分の昼食に手をつけた。


 結城は自分の昼食をあっという間にたいらげる。

 侍従長は基本的に烈牙様に付き添っていないとだから食事をゆっくりと取ることもないのだろう。


 そして再び結城は私の顔を見る。その視線は何かを探るような視線だ。


 なんだろう? やっぱり烈牙様から何か私に関して苦情を言われたのかしら。


 私は少し緊張した。

 もし侍女として至らない点があるなら指摘して欲しい。

 その方が私も以後気を付けることができる。


 すると結城が口を開く。


「真雪。私は貴女を疑っていました。竜葉様から優秀な人材で侍女として働くように魔公爵様が決められたという話は聞いていましたがその実態は魔公爵様の愛人の方だろうと」


 まあ、失礼ね。

 烈牙様は愛人なんてお持ちにならないわ。

 それに烈牙様なら性格的に愛人なら愛人と紹介する気がするし。


 身分的に烈牙様が愛人を持っても不思議ではないが前世で烈牙様から愛されていた私の感覚では烈牙様は愛人を持つ性格ではない気がする。


 もし愛人を持つなら魔公爵夫人になれないような身分の女性を愛した場合が考えられるけどそれもないわね。

 だって人間のアリシアを正式な魔公爵夫人にしたぐらいだもの。

 烈牙様が愛する相手の身分を気にするとは思えないわ。


「私は愛人などでは……」


「分かっています。魔公爵様の寝室に入りながら魔公爵様の寵愛を受けようとしなかったのは貴女が初めてです」


「は? それはどういうことですか?」


 結城は笑いながら説明してくれた。


 今まで烈牙様には侍女と呼ばれる人を付けようとしたことはあるらしい。

 それは女性に紅茶を淹れてもらった方が来客には印象が良いからという理由であること。


 まあ、その気持ちは分かるわね。

 紅茶を淹れる時に男性の侍従よりも女性の侍女が淹れた方が気分的にはいいでしょう。


 しかし優秀と評判の侍女を雇ってみたが皆烈牙様の寵愛をいただこうと自分から烈牙様のベッドに潜り込む輩ばかり。

 それで烈牙様が業を煮やして「侍女はいらない」と宣言されたのこと。


 それから侍女を置くことを諦めていたのにそこへ私が現れたということらしい。

 しかも烈牙様の推薦で。


 だから竜葉は私が烈牙様の寵愛目的で近付いた可能性を否定せず素知らぬ顔で私に起床係を命じ烈牙様の寝室に入る機会をわざと作ったとのこと。


 もし私にやましい気持ちがあるのなら烈牙様に手を出すと思ったらしい。

 結城たち侍従も私の行動を見ていたのだという。


 けれど私は言われたとおりの仕事をきちんとこなし烈牙様からもお褒めの言葉をもらったので結城は私が寵愛目的の女性ではないと思ったのだと私に話した。


 その言葉を結城から聞いて私の心は複雑だった。

 烈牙様に下心がまったくないかと言われたらそれは嘘になる。


 私は烈牙様を愛しているし烈牙様に愛されたいと思っているのだから。


 けれど私は心が通じ合ってから体の関係を結びたいと思っている。

 既成事実を作って奥方になろうなんて思っていない。


「まあ。貴女は魔公爵様のお気に入りですし将来的にはそういう関係もありかなとは思いますが今の段階では魔公爵様の侍女として合格です」


「……ありがとうございます」


 結城の言葉に何とも言えない気持ちになったがとりあえずお礼だけは伝える。


 それにしても今までの侍女たちが烈牙様に寵愛を迫ったというのは驚きだわ。

 でも烈牙様は魔公爵だものね。

 寵愛を得られたら生活の心配はないし魔界の中でも権力を振るえる立場になれるから狙うのは当たり前か。


 魔族は人間より性に対しての観念が緩い。

 私は今世ではまだ処女だが成人を待たずに処女を捨てる魔族の女性が多いのも事実だ。


 魔族の女性にとっては自分の体も財産と一緒でそれを使って魔界でのし上がることを非難する声は少ない。


 私は魔族として生まれても烈牙様以外の男性に興味はなかった。

 当然恋人などはおらず身体は清らかなままだ。


 そういえば魔王様はたくさんの愛人がいたはず。


 魔界でその魔王様に次ぐ二番目に地位の高い烈牙様に愛人の一人もいないことの方が魔界ではおかしいのだ。


 それだけ今もアリシアを愛しているのかしら。


 私は自分の前世に嫉妬する。


 いつか烈牙様を振り向かせてみせるわ。

 貴女には負けないわよ、アリシア。


 私が堅く心に決めると結城が席を立ちながら私に指示をした。


「それと3時のお茶の時間は雷禅様と火堂様が一緒にお茶をしますのでお二人の分もお茶を用意してください」


「分かりました」


 私が頷くと結城はさっさと自分の空になったお盆を片付けて食堂を出て行く。


 やっぱり侍従長は忙しいのね。

 お茶の時間は雷禅と火堂も一緒か。

 息子たちと会えるのは嬉しいけどあの子たちに口説かれるのは困りものよねえ。


 私は溜め息を吐くと自分の分の食事を終えて食堂を出た。


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