第18話 名前の呼び方

 私はお風呂場に行ってお湯を溜めた。

 お湯が溜まる間に私は寝室のベッドを整える。


 そしてリビングで待機していた。

 待機しながら烈牙様の部屋を見渡す。

 家具類は私の知らない物が使われているようだ。


 そりゃそうよね。

 アリシアが生きていた時代からだいぶ時が経っているから家具類も古くなって新しくしたのね。


 それをちょっと寂しく思う気持ちがあるがこれは致し方ないこと。

 もう一度お風呂場に行きお湯が溜まったのを確認する。


 これでバッチリね。


 私は烈牙様のお傍にいる以上烈牙様が快適に毎日を送れるように尽力するつもりだ。

 そしていつの日か真雪として烈牙様に愛されたい。だけど焦るつもりはない。


 魔族に生まれ変わったことで私は前世の人間であった時より寿命が長いはずだ。

 烈牙様には時間をかけて真雪という自分を知ってもらいたい。


 リビングに戻るとちょうど烈牙様が部屋に帰って来た。


「真雪。風呂に入る」


「はい。準備できております」


 私が返事をすると烈牙様はお風呂場に入って行った。

 貴人は自分の体を使用人に洗わせるのが普通だが烈牙様は昔から一人で湯浴みをされる。


 アリシアだった頃は烈牙様と一緒にお風呂に入ったことがあったけどあれは恥ずかしかったわ。


 昔のことを思い出し私は顔を赤くしてしまう。


 だからそういうことを思い出しちゃダメよ、真雪!


 私は自分を叱責した。


「どうかしたか? 真雪。顔が赤いようだが」


「……っ!?」


 不意に声をかけられて私は飛び上がるぐらい驚く。

 気が付いたら烈牙様が目の前に立っていた。


 黒い髪は濡れていて汗を流した後の体にゆったりとした黒い衣服を着ている。

 烈牙様は基本的に黒い衣服を好まれていて屋敷内で過ごす時はいつも黒い衣服だ。


 それに魔界では黒が高貴な色とされているので魔公爵の烈牙様が好まれるのも理解できる。

 存在自体が高貴な御方だもの。


「い、いえ。何でもありません。失礼しました」


 私は頭を下げた。

 昔の烈牙様と一緒にお風呂に入ったことを思い出していたなど口が裂けても言う訳にはいかない。


「まあいい。真雪に話しておきたいことがあったのだ」


 そう言って烈牙様はソファに座る。

 そして自分の向かい側の席を指差して私に命じる。


「座れ」


 本当は使用人が主人の前で座ることはないのだが自分の主人である烈牙様の命令を聞かないわけにはいかない。


「失礼いたします」


 私は指示されたとおりの場所へ座った。


「まず誤解されては困るから最初に話しておくがお前を侍女にしたのはお前を寵愛するためではない」


 烈牙様は話し出した。

 その表情からは感情は読み取れない。


「お前は美人だし仕事もできるようだ。私の息子たちがお前にちょっかいを出す気持ちも分かるが息子たちがお前を巡って争いになっては困るのだ」


「はい」


「だから息子たちからお前を取り上げた。私のモノと言えば息子たちは手出ししないからな」


 なるほど。それで私を自分の侍女にしたのね。

 確かに放っておいたらあの子たちは私の取り合いをしていたかもしれないわね。

 私が自分たちの母親なんて知らないのだから仕方ないけれど。


「なるほど。そうでございましたか」


「昨日火堂が言っていたような感情を私はお前に持っていない。だから勘違いしないでほしい」


「分かっております。魔公爵様ともあろう御方が私のような者に好意を持つなどあり得ないことだと理解しております」


 私は言葉とは裏腹な想いを抱いた。


 烈牙様、私を、真雪を愛して。


 だがその想いは口に出してはいけない。少なくとも今は。


「真雪。お前が聡明な娘で助かる。仕事もできるしお前が嫌でなければこれからも私の侍女として働いてほしい」


「もったいない御言葉ありがとうございます。誠心誠意魔公爵様にお仕えさせていただきます」


「烈牙だ」


「はい?」


「これからは魔公爵ではなく私の名前を呼べ」


「とんでもございません。そんな恐れ多いこと。竜葉様に怒られてしまいます」


 私が慌てて言うと烈牙様は少し考える。


「そうだな。竜葉は口うるさいからな。では二人きりの時は名前を呼んでくれ。魔公爵と呼ばれると仕事をしているようでくつろげない」


 そういうものだろうか。


 私は疑問に思いながらも返事をする。


「分かりました。そういうことならば二人きりの場合はお名前で呼ばせていただきます」


「では呼んでみてくれ」


 え? 今、名前を呼ぶの?

 確かに今は二人きりだけど。


 烈牙様の赤い瞳が「早く呼べ」と催促しているように見える。

 少し顔を赤くしながら私は烈牙様の名前を呼んだ。


「烈牙様」


「もう一度」


「烈牙様」


 烈牙様は自分の手で自分の口元を隠しながら呟く。


「やはりお前は似ているな……」


 その声は小さくて私には聞き取れなかった。 


「はい? 何でしょうか?」


「いや、何でもない。朝食に行く。その後は執務室で仕事だから真雪は休んでいるといい」


「承知しました。ありがとうございます」


 食堂に向かう烈牙様を見送った後に私は自分の自室に戻る。


 私の心は浮足立っていた。

 烈牙様の名前を呼べるなんて昔に戻ったようでとても嬉しい。


 でも烈牙様は私に勘違いするなとも言った。

 烈牙様は「真雪」のことをどう思っているのだろう。

 ただの侍女に自分の名前を呼ばせることをするだろうか。


 だけど烈牙様は私にハッキリと好意を持ってる訳ではないと断言した。

 好意はないと言いながら自分のことを名前で呼べという烈牙様の真意が私には分からず悩んでしまう。

 しかし悩んでも答えはでない。


 まあ、いいわ。

 今は烈牙様のお傍にいられるだけで幸せだもの。



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