第17話 角砂糖の数
次の朝。私は早起きして身なりを整える。
用意されたドレスを着て鏡の中の自分の姿におかしなところがないか最終確認をする。
ドレスはサイズが微調整できるタイプのものなので問題なく着れる。
これでいいわね。
自分の部屋を出て時計を確認し、まずは西棟内にある厨房へ朝の紅茶を取りに行く。
厨房では既に烈牙様に出す紅茶のセットがワゴンに準備されていた。
最後に熱いお湯をポットに入れて準備は完了。
私はワゴンを押して烈牙様の私室の前にやって来た。
時計を見ると朝の5時まであと5分だ。
私室の前には警備の兵士がいる。
私は兵士に挨拶をして用件を話す。
「魔公爵様の朝の紅茶をお持ちしました」
「ご苦労様です」
兵士は扉を開けてくれた。
私はワゴンを押して中に入る。
最初の部屋は大きなリビングになっているのでそこにワゴンを置く。
時計をもう一度確認して5時ピッタリになったのを確認してから隣りの烈牙様の寝室をノックするが返事はない。
ノックぐらいじゃ起きないくらいに熟睡してるのかしら。
毎日の仕事で疲れているのならそのまま寝かせてあげたい。
しかしそれでは私が侍女として役立たずと思われてしまう。
ここは心を鬼にして烈牙様を起こすのよ、真雪。
烈牙様だって朝寝坊したら一日の予定が狂ってしまうのだから。
「失礼いたします」
私は声をかけながら部屋に入るが部屋の中は薄暗く烈牙様が起きた気配はしない。
私にとっては懐かしい二人の寝室。
部屋の中央に大人が三人寝ても余るようなベッドがあり烈牙様はそこで寝ている。
規則正しい寝息が聞こえるのでまだお休み中だ。
どうやって起こそうかしら。
そうだ! カーテンを開いて太陽の光で明るくなれば目覚めるかも。
寝室の窓に近付きカーテンを思いきり勢いよく開ける。
カーテンを開くと朝の太陽の光が窓から射し込み部屋は明るくなった。
烈牙様のベッドの方を確認するがそれでも烈牙様が起きる気配はない。
お仕事でお疲れなのかしら。
やはり疲れているならゆっくり休んで欲しいけれど5時に起こしてくれと言われているのでもたもたしている場合ではない。
私はベッドに近寄り烈牙様に声をかける。
「おはようございます。魔公爵様。朝でございます」
私の大きな声に烈牙様は僅かに身体を動かした。
「起きてください。魔公爵様」
私はもう一度声をかける。
本当は体を揺さぶって起こしたかったが使用人が主人の体に許可なく触れることはできない。
アリシアの時には一緒に眠っていて朝が来る度に烈牙様に抱き締められていたことを思い出す。
夫婦になって久しく経っても烈牙様のたくましい腕に包まれると恥ずかしさに襲われて慣れることはなかった。
ダメよ! 真雪。余計なことを考えちゃ!
私は自分の頭を軽く振って頭の中に浮かんだかつての想い出を振り払う。
「う~ん…」
烈牙様はようやくその赤い瞳を開く。
「真雪か……」
「はい。朝の紅茶をお持ちしました」
烈牙様はゆっくりとした動作でベッドの上で上半身を起こした。
ガウンが乱れて烈牙様のたくましい上半身が露わになっている。
鍛え上げられた筋肉はまるで戦神の化身のように美しい。
ああ、烈牙様はどこもかしこも美しいわ。
あの頃と全然変わっていないみたい。
たくましく美しい烈牙様の半裸姿に目のやりどころに困ってしまう。
魔族も年老いてはいくのだが烈牙様の美貌もたくましい身体も昔と比べて衰えている様子は皆無だ。
まだ完全に目覚めていない愁いを帯びた顔の烈牙様からは男性の色気がムンムンと漂ってくる。
こんな姿を見たら烈牙様に心を奪われない女性はいないだろう。
私は胸がドキドキして再びアリシアの時の記憶を思い出す。
アリシアだった頃、あのたくましい体に抱かれて毎夜烈牙様は私に愛の言葉を囁いた。
『愛してる。アリシア』
今、思い出しても心が震えるぐらい嬉しい言葉だがそれはアリシアに向けられた言葉。
真雪ではない。
私はアリシアじゃなくて真雪よ。
それを忘れないようにしなくては。
そう思っても私は自分の前世のアリシアに嫉妬する。
死んでもなお烈牙様の心を独占する自分の前世に。
私は自分自身に落ち着かせるように小さく深呼吸をした。
「そうか。今朝から真雪が起床係か」
「はい。よろしくお願いします。お着替えをなさいますか?」
「いや。着替えは自分でできる」
そう言うと烈牙様はベッドから離れて衣裳部屋に向かう。
そういえば烈牙様は昔から着替えなどは自分でやっていたわね。
着替えの手伝いが必要ないなら紅茶の準備をしないと。
私はリビングに戻り紅茶を淹れてテーブルに置いた。
すると簡単な服装に着替えた烈牙様がリビングに入って来てソファに座る。
私の淹れた紅茶を飲み烈牙様は動きを止めて私の顔を見た。
赤い瞳が鋭くなる。
なにかしら?
私の淹れた紅茶はまずかったとか?
烈牙様の強い視線を受けて私は緊張した。
「砂糖の数を私はお前に教えたか?」
私はハッとして自分の心臓がドクドクと脈打つのが分かった。
しまった! やってしまった!
烈牙様は男性だが甘い物が好きで紅茶に入れる角砂糖は三つと決まっていた。
ついうっかり昔のクセで烈牙様に砂糖の数を尋ねないまま角砂糖を三つ入れて紅茶を出してしまったのだ。
普通の感覚では角砂糖を三つも入れるのは入れ過ぎだろう。
ここはなんとか誤魔化さないといけない。
「あの、昨日も遅くまでお仕事をされていたようなのでお体が甘い物を欲しがっているかと思いまして砂糖を三つも入れてしまいました。甘過ぎたでしょうか?」
私は必死に思いついた言い訳を口にする。
烈牙様の表情は変わらない。
うまく誤魔化せたかしら。
不安に思う私の前で烈牙様はもう一口紅茶を飲んだ。
「いや。私は甘党なのだ。これからも砂糖は三つでいい」
烈牙様は私の言葉に疑問を抱かなかったようだ。
なんとか誤魔化せた私はホッとする。
これからはもっと気をつけないと。
私は真雪。アリシアじゃないのよ!
「これから剣の稽古をしてくる。二時間後に戻る」
「はい。いってらっしゃいませ」
紅茶を飲み終わり烈牙様は自分の剣を持って部屋を出て行った。
私は大急ぎで紅茶を片付けるとお風呂の準備をする。
烈牙様は稽古の後にお風呂に入ると竜葉は言っていたものね。
烈牙様の部屋に付いているお風呂は浴槽も大きくお湯を溜めるのも時間を確認しながら溜めなければならない。
早く溜めすぎるとお湯は冷めてしまうし遅すぎると浴槽にお湯が溜まる前に烈牙様が帰ってきてしまう。
私は昨日の時点で侍従にお湯を溜めるのにかかる時間を聞いていた。
時計を見ながら烈牙様の帰ってくる時間を逆算する。
まだお湯を溜めるには早いわね。
そう思った私は寝室を整えようともう一度寝室に入って窓に近付いた。
するとガキーンという剣がぶつかる音が聞こえてくる。
そういえばこの寝室からは中庭が見えたはず。
烈牙様は中庭で剣の稽古をしているはずだからお姿が見えるかも。
私はさらに窓に近付いて中庭を見下ろした。
そこには烈牙様の姿がある。
どうやら雷禅を相手に剣の稽古をしているようだ。
キン、キン
剣戟の音がこの寝室まで響いてくる。
二人は真剣で斬り合っているらしい。
烈牙様も雷禅も一歩も引かず激しく剣がぶつかり合う。
私は二人がケガをしないか心配になった。
烈牙様の剣の腕前は魔界一と言われているが万が一という可能性もある。
だがそれと同時にその舞を舞っているかのような流れるような烈牙様の剣捌きに魅了されていく自分を感じた。
剣を手にした烈牙様はまるで戦神がこの地に舞い降りたようなお姿だ。
なんてかっこいいのかしら。
烈牙様のことを元から愛している私でさえ惚れ直すような美しい動きに私の眼は釘付けになる。
やがて雷禅の剣が烈牙様によって弾かれた。
雷禅の剣は空中で回転して地面に突き刺さる。
烈牙様の勝ちだ。
すると烈牙様はチラリと私の方を見た。
私は慌てて窓から離れる。
盗み見ていたことバレたかしら。
私は心臓がドキドキした。
後で咎められるかもしれないと不安になった時にお風呂のことを思い出す。
そうだ。お湯を溜めないと。
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