使國死,為國死

ヘツポツ斎

使國死,為國死

 だから言ったのだ、あの昏き瞳が社稷を益することなぞありえぬ、と。

 燕国にもたらされた南夷、晋軍侵攻の報せは、本来彼我を隔てるはずの山よりも手前の地よりのものであった。火急を叫ぶ韓范に対し、王、慕容超は曰う。我が鉄騎の武は平野にこそ活きるものであり、山間の狭き道では南夷に翻弄されるがままとなろう。ありえぬことである。鉄騎の激しきを疑う意味はない。なれど軍は鉄騎のみにて編まれるものでもない。峠さえ守っておれば、防ぎ切ることこそ望めぬにせよ、労少なくして敵を疲弊させ、その軍資を削りうる手立てが取れたのではなかったか。敢えて敵に利を与えたようなものではないか。

 韓范は報せを引きちぎりたくなる衝動を抑え込み、傍らの盆に除け、尚書省に回すよう命じた。刻みつけられた眉間の谷を指で解きほぐそうと試みるが、時を追うごとに深さはいや増すばかり。どこかで脳天が割れたとしても不思議ではない。その前に取りうる手立てを探らねばならぬ。王の手前、夷の軍とこそ呼ぶが、迫りくる晋の軍容は、その備え、その練り、いずれを取っても国軍とは比較にならぬ。よしんば鉄騎がその先鋒を破砕しえたとて、同じように第二波、第三波を退けるは叶うまい。況してや敵手の総大将として名が挙がる、劉裕の意気を挫くことなぞどれほど期待できようか。手勢の武威を誇るは結構。ただし、まこと武威のみにて天下を呑み尽くしえるならば。

 武具を扱うに不心得なわけではないが、算盤と書面とを突き合わせる手立てこそがより国運を左右することも知っている。王の見立ては、あまりにも楽観に過ぎる。国軍のみで、どうして晋軍を退けられようか。もはや外国よりの助勢を得るよりほかない。

 王のもとに参じ、額づき、西国の秦へ赴く必要がある、と論じる。我が鉄騎を信じられぬのか、と問われれば、信じられませぬ、と返したくもなったのだが、あくまで糊塗をする。万が一、億が一に備えるのが王の戦にございます。近習らの無遠慮な、嘲弄をも帯びた眼差しにも気付かずにおれぬ。嘆じそうになる。あの玉座は天をも伺う気宇の持ち主にのみ許されるのではなかったのか。側に立つを許されるは王の龍飛を扶く能う忠心と貞心の持ち主のはずではなかったか。

 王の、蛇が如き声が降りかかる。

 秦は幼きわし、のみならず、我が母を、我が妻を散々に虐げてきた。あるのは恨みばかりである。貴様はそんな国の王に尻尾を振れと言う。そうまでして我が矜持を捻じ曲げたいのか、あるいは嬲ろうてか。お国のためとかこつけ、なるほど、先王の歩んだ道を尊ばぬわしを当てこすりたいのだな。ご立派、まことご立派よ。王の体面なぞ国運の前では吹けば飛ぶ砂埃に過ぎぬらしい。

 諧謔じみた口ぶりであったが、笑うものはおらぬ。どころか、先程までこちらに向けられていた軽侮の気配すら消えている。

 恐ろしい、と思う。この王は、それでも王のなんたるかを知らぬわけでもないのだ。何をすれば、何を言えば、臣下を動かすことができるのか。わかっている。わかって、い過ぎる。使う気がないのだ。それを、国のために。

 凍てつく戲言を放たれこそしたものの、秦へ救援を求めるべきことは認められた。ただし、韓范自らが赴くべきである、とされた。国主たる姚興との旧交があったため、との名目であった。言葉の裏に含むものも気付かぬわけではないが、敢えて穿つまでもない。ただ拝手する。

都である広固を出れば、城壁に区切られぬ、無窮の空を久々に目の当たりとする。国運を左右する旅路である以上、気を緩めることは許されぬ。なれど息を吸えば、得も言えぬ薫風が鼻朶を充たす。この身にへばりついた、かの宮中の吹きよどみ、腐り果てた臭気が洗い流されるかのようである。

 涼風を身に受ければ、否応なしに先王健やかなりしころのことを思い返してしまう。この斉の地へは、故地たる燕土にて北賊、拓跋氏よりの攻勢に圧されたため、止むを得ず逃れ落ちた。にもかかわらず、先王の度量はたちまちに斉地の人心を得たどころか、才あるものがこぞって先王に仕えるべく名乗りを上げた。徳が才を呼び、示された政が民を豊かとする。宮中では活発な討議がなされ、対手の意に染まぬ言葉を投げたとて、それが国益に資するならば渋面こそ示されつつも受け入れられたものである。こうした論戦を何よりも先王が好んだため、幾度となく先王を怒らせながらも、後日には信じられぬほどの恩賞を下されたこともあった。

 先王の男児がひとりでもおられたなら、あるいは。

 なかった、わけではない。あるいは夭折し、あるいは異国にあって乱の芽として殺された。玉座に就けば幾人もの后を抱えるものだが、長らく戦乱の世を駆け抜け、ようやっと新天地に腰を落ち着けること叶った先王には、もはや新たな種を蒔く余力がなかった。二、三の娘をもうけたところで大病を得てしまう。もはや自らの種で後継者をもうけること叶わぬ、ともなれば、少しでも近き血よりの子を招きたくなるのであろう。秦にて虜囚にも等しき扱いを受けていた王を探し出し、後継として据えた。

 王は、先王よりすれば同腹の兄の子に当たる。その血統の尊さは、燕国内にいる宗族の誰もが及ばぬ。確かなことである。だが、いくら尊き血とは言え、国を知らぬ。創業の苦しみを知らぬ。先王の築いた人垣を積み上げ、束ねた思いの、何もかもを。なれど王は、それを先王の前では、おくびにとて出さなかった。尊き叔父上のお志を受け継ぐに、この不肖の身にて足らずば命をも捧げましょう。さりとて、なおも足りぬはもとより瞭然。お国に集う賢臣勇将のお歴々より力添えを賜り、薄氷を履むが如く、深き淵の側に立つが如く進まんと努めまする。空々しく古典も交えての誓いの言葉が、危篤の床に陥った先王にとり、どのように響いたのか。もはやそれを確かめるすべもないのだが。

 黄河を溯り、切り立つ山々の間を抜ける。秦の都、長安は山々に囲まれた盆地の中にあり、守り堅くも、穀物を蓄えるに足る広さをも兼ねる。古来天下を統べた国々が相次いで都を構えたのもうなずける地勢である。燕とて正面には黄河が広々と横たわり、後背には天下に妙名をはせる霊峰、泰山がそびえる。決して守りが弱いわけではない。しかし、この天険の地に比べてしまえば、心許ないと思えてならぬ。

 長安都城には夕刻を回っての到着であったため、姚興への謁見は翌朝となった。近習らは寸陰も惜しいと語るが、黙殺する。燕と秦は利害こそ同じくすれ、天下を同じくしているわけではない。迂闊に弱みを垂れ流せば、晋軍撃退のあとの経営に昏い影を落とす。色艶やかな食膳に舌鼓を打ち、妓女らの芸に殊のほか歓喜の手拍子を打つも、褥の歓待については謹んで退ける。翌朝に待ち受ける問答に備えねばならぬ。姚興と韓范がともにあったころ、経典の字句について、天下の政道について、果てには西方よりもたらされた釈家の法や森羅万象に至るまでを論じあった。時を隔て、片や人主となり、片や異国の人臣として勤め。時と立場とが、振るわれる言葉を様々に形作る。あらゆる問いに応じられるよう研ぎ澄まさねばならぬ。

 翌朝、鶏の声も聞こえぬうちから床を出、朝靄けぶる中、あてがわれた井戸より水を汲み上げ、身を清める。朝の膳は抜く。表の靄は良い。心中の靄は払わねばならぬ。居室に戻り、余人を退け、静かに呼び出しを待つ。

 遣いがあらわれ、謁見の間へと導かれる。形式的な身なり検めを受け、左右に秦臣百官の居並ぶ中に通される。その最奥、六十四段の階段の上に姚興が座す。韓范は両手を握って眼前に上げ、腰を曲げ、早足にて階段の下にまで進むと、膝をつき拝礼をする。口上を述べようとすれば、前置きは良い、との言葉が下る。 

 朕と卿とは億万の言葉を戦わせた間柄であり、また此度は両国にとり火急存亡の秋である。むしろ卿が長安に辿り着いてすぐに朕がもとに訪わなんだを咎めたくすら思っていた。なれど、いまは卿が拝礼を以て不問と致そう。論ずべきは、南夷の増上慢をいかに咎むや、である。唇亡びて歯寒し、は故事のつぶさに語るところ。貴国を守るは、我が国を守るに等しい。

 その甘やかな言葉を受け、しかし腹の底が凍てつく心地となる。およそ国主の言葉たるや、国に蜜吸わせるべく呈ぜられるが常である。ならば、このあとに待ち受けるは。

 南夷は退かせてみせよう、なれどこれは、貴国が我が国の下につく、と見なして良いのであろうな。貴国にはこの長安より持ち出された伝国の祭具がある。これら祭具は、あるべきところに戻さねばなるまい。王たるもの、天下の寧撫はすべからく神霊に告げるべきところ。祭具に依らずとも伝えるべきは伝えうるが、その言葉は祖霊ともまた寄り添わねばならぬ。そも、我が庇の下に飛び込んだ窮鳥に代わり、天を奉るが道理であろう。

 いちど、韓范は拱手する。

 祭具の扱いについては、広固より赴くに当たり、王とも討議を重ねた点であった。祭具は秦、のみならず、いにしえの魏、漢はおろか、かの始皇帝にまでその由来を遡る。天下の主とともにあった霊宝とも呼ぶべきものであり、斉の民が燕人たる先王をもろ手を挙げ受け入れた理由のひとつでもある。代々、斉はその儀礼の格調における自負を懐く土地柄である。長らく続いた争乱の末、斉の民はこう考えるようになっていた。人主が華人でも胡人でも構わぬ、政をなすものに対し、我らが礼を授ければ良いのだ、と。そうした斉人の声に、先王はよく応えた。しかるに王が韓范に示したは、ただひとつ。高く売れ、である。

 その言葉に何らかの思いを交えてみても仕方がない。王に仕えるものとして、王の言葉を叶えるべく動かねばならぬ。ならば、いま求められる値とは、速さと兵力とにほかならぬ。

 凶猛にして天意をも弁えぬ南夷に、しかし武運拙くも追い込まれたるはまこと我が国の不足ゆえ。にもかかわらずご助勢を肯んじ下さりました秦王の宏量、燕伯に代わり、深く御礼申し上げます。我が国を虞とせず、王に虢の辱めをもたらさぬためにも、この身を呈し、晋賊の撃滅をお約束申し上げる次第にございます。なればこそ逸早く伯がもとに報せを飛ばし、陛下よりのご助力をお伝えせねばなりませぬ。

 姚興が手をかざし、韓范の言葉を止める。何事か、と訝るに、後背、側面より、兵らが歩み寄った。覚えず身を竦ませる韓范に、姚興が示すは思いもかけぬ慈しみ、いや、憂いの刻まれた笑みであった。

 らくしないな、焦りが見えるぞ。とはいえその気持ち、わからぬでもない。南夷の将、劉裕めについては朕も日々その詳細を探り続けておるところ。あれは能わねば動かず、能わば動く。埒外のもの、と言うよりほかない。あれを向こうに回さねばならぬ重みは、恐らく朕のほうが知っておろう。なにせ朕のもとには、裕めに追われ落ちのびたものが多くおる。その口々より聞くは、およそひとならぬ武である。笑って捨てるには、かのものらの顔に浮かぶ怯えが、あまりにも深い。ならばこそ朕は燕を確かに我が手足とせねばならず、そのためにも卿には伝えおかねばならぬことがある。悪いようにはせぬ、朕とともに参られよ。

 姚興が玉座より立てば、近侍らが手早く身支度を整え、玉座の傍らに置かれた輿のもとへと促した。韓范も兵らにより、同じ輿に載せられる。広さは三丈四方、載るは姚興と韓范のみである。片田舎より天下の枢要に赴いた官人を遇するには、あまりにも重い。その戸惑いが顔に出たか、姚興の対面に着座するなり、即座に切り出される。   

 漢文は賈誼の精進を疑ったものだが、敢えて朕が倣うこともなかろう。朕は卿を知り、卿は朕を知る。ならばひと目まみえれば、それで良い。長安を動けぬ朕に代わり、卿には燕の兵略を確かに掌中として頂きたいのだ。

 謁見の間にては気付けぬことではあったが、指呼の先に見えれば、わかる。わからざるをえぬ。姚興は過日の韓范の知る姚興ではなかった。その精気は抜け落ち、双眸の深みこそ増せど、光は衰え、もはや深みでは覆い隠せぬありさまとなっている。関中の制覇間際に身罷った父王の跡を承け、その悲願を見事成し遂げた姚興は、なるほど、英主と呼ぶべきなのであろう。なれど覇業と治国とに求められる王の才は、真逆と言って良い。姚興は覇業を完遂すべく父より求められ、それを叶えた。では、いかほどその才が治国に向いていたのであろうか。あるいはその手に筆を、その手に書を取り、ただ、言葉とともにのみおりたかったのではなかろうか。

 我が身は燕伯が狗なれば、狗なりに骨を持ち帰り、讃えらるのみが望みにございます。此度の遊行、いかなる気まぐれにございましょうか。

 姚興は応えず、代わりに一件のあばら家を顎にて指す。あばら家の前に輿が止まれば、道端に降ろされる。どことなくくすみがかって見えるのは、いまにも降り出しかねぬ曇天の下にいるためか。そこかしこに穴が開き、いかにも住まうものが滅んで久しいのが伺える。にもかかわらず、周囲の雑草は丹念に刈り取られている。

 姚興が手を上げれば、兵のひとりが頭を垂れたのち、あばら家の戸を開けた。ひとの暮らしの残り香も、ない。明かりを持った先導に従い、靴を脱ぐこともなく座敷に上がる。そこかしこの床板が腐って抜け落ちるも、その上には別に板が渡されている。

 卿は燕伯より讃えられねばならぬ、と申されたな。だが、言い切ろう。それでは駄目なのだ。朕にしてみれば、卿に斉土を守ってもらわねばならぬ。

 渡された板は、土間の傍らの小部屋に向かう。先導が奥座敷の部屋の戸を開ければ、枯れ果てた寝藁の上に、一枚の古地図があった。ただの古地図ではない。この長安と、慕容のふるさとたる昌黎、もとの燕の都たる鄴にもいくつもの刺し傷があった。ただしその刺し傷は、あとひとところが、もっとも甚だしい。

 広固。

 燕伯の生い立ちは、卿もよく知るところであろう。時が時であれば慕容諸王のひとりとして数多の兵を率いるはずであったに、早きに父に先立たれ、頼るべき叔父、後の燕伯は早々に長安より離れた。その身には、朕の耳に届くよりも遥かに凄惨なる仕打ちがもたらされたのであろう。曲がりなりにも隣国の貴種である以上、朕としても救いの手は差し伸べたく思った。だが、彼のものは曖昧な笑みのみを浮かべ、さながら我が言葉すら解さぬふうですらあった。その裏で、斯様に憎しみをつのらせておきながら、な。のちに燕の先伯が病を得、密かに伯の脱秦が果たされた。我が恵みをかえりみぬとは、とはじめ伯に怒りを抱いたものだが、いざ怒りが萎めば、代わりを埋めるのは恐れ、であった。ここで卿に問おう、燕伯の政、卿には如何様に見える?

 韓范はややあっての逡巡の後、答える。

 龍は深くに潜り、鳳凰はその姿をくらませるもの。老子もまた光はその輝きを和らげ、塵の中に沈むのが良い、と申しております。もし燕伯が真に日月より目を逸らすがごときお方であったならば、先伯も天下を預けようとは思われなかったでしょう。

 姚興は力なく笑う。

 卿の忠貞ならばそのように答えるしかあるまいな。許されよ、愚問であった。ならばここからは対手なきままにまろび出る、朕の戯言である。妄聴くだされば良い。このあばら家を取り壊さず保ち置いたは、朕の心に刺さった楔をあたら取り除かぬためである。我が耳に届く燕の政は、控えめに言っても愚挙である。ならば燕伯は愚であろうか? 否。その憤怒を胸中に収め、余人より隠し通すだけの心胆持てるものが、どうして愚人であろうか。ならば亡国の計は、むしろ伯の望むところなのではなかろうか。斉土に南賊をおびき寄せんがための手立てを取り、更には助勢が間に合わぬようにすら図り、彼の地を血河に沈めん、と考えたのではあるまいか。

 韓范の胸中にて、高鐘が鳴る。どうにも止めようがない。姚興の言葉が臆断であってほしい、などとは、あまりにも無意味な願いである。震える手先が、姚興に拝手を許さぬ。結局食い止めること叶わぬまま、両手をかざし、頭を垂れた。

 下官の恐惶を慮りくださっての無稽、まこと感謝に堪えませぬ。陛下のお心を胸にし、火急の場に馳せ参じる所存にございます。

 姚興よりは、長き嘆息ののち、また生きて見えたく思う、とのみ声がかかった。

 暇を告げるなり、韓范はすぐさま出立の手立てを整える。途中姚興よりは虎符と璽書がもたらされた。璽書には洛陽十万騎の兵権を韓范に委ね、その証として洛陽の城主に預けてている虎符の片割れを与える、と記されていた。客分にありながら洛陽兵の統率を許される、異例の措置であった。いちど長安の未央宮に向け拝礼をなし、馬に乗る。いちいち車に揺られる時すら惜しい。各関所にも姚興の手が回っており、韓范が虎符を示すだけで、ほぼ取り調べもなく関を通過することが許された。

 なれど、洛陽に至る最大の関、函谷関にて、突如として行く先を妨げられる。

 此度はいかなる狼藉か、その御心をお聞かせ願おうか。

 寸刻をも争う折の足止めである。韓范の顔や言葉には否応なしに苛立ちがにじみ出る。その気色に衛兵らはひるんだが、奥手より将があらわれ、韓范に拱手を呈ずる。

 使者殿の苦衷、我がことのようにお察し申す。ならばこそ直裁にお伝え致そう。洛陽十万騎は此度、長安に送還される運びと相成り申した。北虜よりの強襲に守軍が壊滅、斉土に回すだけの余力を失ったがためにござる。

 将は言葉を切ると、傍らに置かれたふたつの書のうち、ひとつをとり、韓范に呈じた。略式の蠟による封印は、確かに姚興よりのものである。封を割り、書を開く。並べられた言葉は、受け入れることが到底叶わず、叶わぬからこそ、手ひどく韓范の心胆を、焼く。

 朕は卿との約定を裏切ることとなった。北虜、赫連勃勃。突如牙を剥いた奴めの凶猛は朕の読みを遥かに上回り、唇滅ぶ前に喉笛を食いちぎられかねぬ仕儀となった。卿に預けた虎符を速やかに取り返し、関中の守りに充てねばならぬほどに。許せ、と願い出るつもりはない。いま約しうるは、泉下にて卿よりの責めをいつ果てることなく甘んじることのみである。ここに一通、晋賊に宛て、斉土侵掠の挙を咎める書をしたためた。この書がいくばくなりとも卿の故地を守るものとなることを望む。

 胸の奥よりせり上がるものがあった。朝に摂った粥がみな書に吐き散らかされた。膝からも力が抜け、石畳が間近に迫る。胸が、臓腑が引き絞られるかのようである。肺腑よりも気という気がこぼれ落つ。

 いかほどの間悶えたかは曖昧であった。近習らに助け起こされ、函谷関内にある寝所に連れ入れられたのはなんとか思い出すことも叶う。口許より水のひと差し、ふた差しを流し込まれ、ようやく韓范のうちにて荒れ狂う炎が鎮まったのを感ぜられる。そして見いだされるは、荒漠。

 韓范の顔を、近習らが恐る恐る覗き込んできた。無理にでも笑みを形作り、手間を取らせたと声をかける。近習らは涙すら浮かべ、勿体なきことにございます、と拝手した。身体を起こそうとしたが、そこまでの余力は未だ戻っていなかった。横たわったままで書を受け取ってあとの話を聞く。うずくまった韓范に対し守兵や守将が口々に呼びかけたのだが、韓范がなんら応じなかったため、やむをえず璽書及び虎符を探り出して回収、そのまま函谷関の向こうに控えていた十万の騎兵が長安に向け進発した、と言う。韓范が正気を取り戻すまでにかかった時が、一両日。貴重な時を更に失ったと見るべきか、はたまた。とはいえ、燕がただひとつの頼みとした綱が途切れ、もはや急ぐも急がぬもない。

 天は斯くも、燕を滅ぼそうてか。

 覚えず漏れた言葉が、韓范の心を満たしゆく。天意とは、斯くなる形を示すのか。にもかかわらず、ただのひとが身をも弁えず、いたずらに抗ったのか。乾いた笑いが口をつく。訝る近習らには申し訳なき限りであるが、止まらぬのであれば仕方がない。

 あれほど動かなかった体に、力が戻る。近習らを驚かせぬよう、ゆっくりと上体を起こし、見回す。韓范の身に起こった異事に応じたためであろう、誰も彼もが憔悴していた。

 我が不徳がため、諸卿を大いに煩わせてしまったこと、まこと申し訳なく思う。秦王の窮状にうろたえてこそしまったが、我らは国運そのものを担うわけではない。ならば、主上にもたらされた凶状をあたら我がことがごとく受け入れるべきでもあるまい。おのおのがた、いまは休まれよ。我らはこの先、天運衰亡の行きつく先を目の当たりとせねばならぬ。ならばいまは休み、故地へと戻るだけの精気を養われるが良い。

 この言葉にて、近習らの不安を払拭しきれるはずがない。しかしこの先故地に戻れば王よりの責めを免れきれるはずもなく、あるいはすでに灰燼と帰した広固を目の当たりとすることもありうる。いずれにせよここでいたずらに憔悴すれば、このあとに待ち受ける、あらゆる事態に対応できまい。無理に食を勧め、無理に床を勧める。

 翌朝に函谷関を発し、洛陽については通過する。珍しき快晴でこそあったが、後背よりはどす黒い雲が追いすがる。洛陽より広固までの道のりはおよそ七日ほど。ややもすれば重くなりかねぬ足取りをなんとか支え、黄河に沿い、進む。やがて平原の向こうより泰山があらわれる。泰山近くの宿場にて話を聞けば、広固は未だ陥ちてはいないと言う。とは言え晋軍に囲まれ、城内を窺い知ることは叶わぬ、とも。動揺する近習らを、韓范がなだめて回る。姚王よりの手紙が、我らのもとにはあるではないか。

 と、韓范の視界の隅で、ひとりの男が立つ。慇懃な笑みを浮かべ音もなく近寄れば、聞きとがめてしまった無礼をお許しくださいませ、と拱手した。広固にて韓范様の名声はあらゆるところより聞こえ、その誰もが人臣の頂である、と讃えておられました。その韓范様が秦に援軍を乞いに出ておられると聞きつけ、我らが主、劉太尉より命を賜り、お待ちしておりました次第にございます。

 劉太尉、すなわち、劉裕。

 場が俄にざわめく。近習のうち剣を佩くものは室内であるのにも構わず鞘走り、男に突きつけもする。恐ろしきみなさまだ、男は怖気づく様子もなく、もろ手を上げた。

 剣を下げよ、韓范が進み出る。

 使者殿は寸鉄も帯びてはおられぬ。名乗れば囲まれることとて、もとより踏まえておられよう。王城の斯くも窮する中、その外苑の、たかだかひと柱をいまさら打ち崩したとて、なんら晋に利するところもあるまい。ならば我らを迎え入れんとするなりの信義は、晋人とて弁えよう。杞憂である、おのおのがた。剣を収められよ。

 守らんとした韓范よりこれを言われれば、近習とて従わぬわけにもゆかぬ。それでもなお男に疑いの目は向けながらも、剣を仕舞い、退く。韓范は一卓を整え、席に就くと、男を対面に促す。男は暫し呆気にとられたが、長生きの叶わぬご気性のようですな、と微笑むと、やはり席に就いた。韓范よりの盃を受け、拝し、ひと息のもとに乾す。男が返ぜば、韓范も、また。

 なんとも異なる心胆、場が場ならこの韓范、すぐにでも子を王に推挙したく望みは致しますが、はてさて、我が望み、叶うことは許されましょうや。

 この匹夫に過分なるお言葉、恐縮の至りにございます。なれど我が身、太尉が鸚鵡なればこそ、身命を省みぬのみにございます。

 薄ら寒さを覚えずにおれぬ。なるほど、あるいは眼前に見えるがひとかどの人物なのやも知れぬ。なれど、そうも都合良く自らの前に人物があらわれようか。晋には眼前のものと同格の、あるいはそれ以上のものが幾人と知れずいる、と想定せねばならぬのか。心中の動揺を強いて鋳潰し、ならば、と韓范は切り出す。子を通ずることにて、劉将軍に見えること、叶いましょうや。男は間髪入れずに頭を垂れ、叶います、と言い切った。

 広固までの旅程のために支度を整えようとすれば、男より制される。もはや韓范様は、太尉にとりもっとも遇すべき客人。これ以上の労を強いるわけには参りませぬ。すでに報せは飛ばしました、今宵はごゆるりとお休みになられよ。太尉もまた神気充足なさる韓范様と見えることをお望みにございます。その言葉を信じたというよりは、有無を言わせぬ圧に抗うのも益体無きことである、と判じたに過ぎぬ。男の言葉に応じ当地にて一晩の宿を借りれば、翌朝には宿の前に無数の車が並んだ。いかなる仕儀かを問わば、男は言ってのける。国賓を遇するに、過ぎた礼とは思われませぬ。その過剰なる慇懃さに胸中のざわつきが止まらず、覚えず韓范は懐中の璽書に手を当てる。この先に何が起こるとしても、泰然とせねばならぬ。わかってはおれど、どうにも貫ききれるかで心許ない。

 韓范の載る車は日暮れ過ぎころに晋軍本陣に至った。車内より陣中の動きを見れば、たちまち息を呑む。あらゆる動きに無駄がなく、誰ひとりの例外なく明日以降の備えのために動き回っている。その活気は臨時にできた市場であるかのごとくだが、飛び交う怒声はまさにいまこの場が戦場なのだと思い起こさせる。改めて、思わずにおれぬ。王は、なんという相手を向こうに回してしまったのか。

 車が止まり、男よりの呼び声を受ける。戸が開けば、本陣へと続く道に、松明と、儀仗兵らが並ぶ。歓待と呼ぶには、あまりにも仰々しき手配である。ならば、この先には劉裕との舌戦が待ち受けるのであろう。残せる限りの傷を残さねばならぬ。胸を張り、正面切って見据え、堂々と本陣に向かう。羊穆之が本陣前を守る兵に拱手をすれば、兵も拱手を返し、本陣の帷幕を開ける。本陣内でも人々は忙しなく動き回るが、見るともなしに韓范に意を注いでいることは伺える。その最奥に至れば、そこに座すは総大将と呼ぶにはやや質樸にも過ぎた甲冑に身をまとった、偉丈夫。

 この敵陣がただ中にてお示しとなる威儀たるや、お見事。晋国太尉たるこの劉裕、まずは韓青州と見えるが叶ったこと、喜ばしく思う。

 向ける刃を隠そうともせず、そのうえでなお歓待を語るのである。加えて、出し抜けにこちらを青州と呼ぶ。斉土を晋より見て呼ぶ名である。あらゆる折衝を飛ばし、降ずれば斉土の経営を一任する、と語るに等しい。端的にして、あまりにも甘やかであった。これが劉裕、わずかいち裨将より一昼夜にて国の中枢に上り詰めた男の人気か、と感じずにおれぬ。 

 南土のお方はおおらかな気風と伺っておりましたが、思いがけぬ性急なお言葉に驚きを禁じえませぬ。もとより燕室を奉じ、加えて秦主より密命を承りしこの身に、何故偽朝の官位が載せられましょう。劉将軍の武勲は誰の目に見ても赫赫たるところ。なれど此度のごとく天意を蔑ろとされ、天朝に刃向けるは自ら禍をお招きになる粗挙とは申せませぬでしょうか。

 述べるべくを述べたうえ、韓范は懐から姚興よりもたらされた封書を取り出す。傍らにあった劉裕配下の文官に渡す。手元には劉裕にもたらすべき書に記された内容、その写しがある。ここまでの旅程にて、幾度読み返したことか。もはやその内容は、わざわざ文面に当たるまでもない。ただの空言、決して劉裕に刺さりなぞせぬであろうことがありありと見えながら、なおもその言葉にすがらねばならぬ惨めさ、空虚さ、愚かしさをねじ伏せ、胸を張る。

 慕容との隣好を結ぶ我がもとに急ぎの窮告がもたらされたにより、いま、鉄騎十万を発し洛陽に屯ぜしものなり。晋軍もし退かざらば、便ち鉄騎、泰山に長駆せん。

 能う限りの強き筆にて、他の要件もなく、それのみが、大々的に記されていた。美しさよりも、荒さこそがその長からぬ書には込められていた。

 劉裕は論じ終えた韓范と、目前に示された書とを幾度か見交わし、ややあって呵々と笑う。まこと韓青州の忠貞たるや崇敬に値しよう、とは、声色に似つかわしからぬ発言である。

 秦虜はこの裕がことを、いっそ裕以上に知っておるようだな。ならば韓青州とて、裕が晋国にてどう呼ばれておるかも存じておられよう。大字公よ。細々しい文字をものするのを嫌がっておるうち、我が字は膨らみ、気付けばそう呼ばれておった。いまでは一枚の紙に数文字しか収まらぬほどよ。なるほど、この一字ごとの大きさの妙に揃わぬこと、裕が筆と並べ引き比べてみたくすらある。なんなら臨書し、送り返して差し上げたいほどである。とはいえ、これもわからぬでもない。死ぬな、この書をもたらした者は。仮に秦虜の目論見が、この裕に刺さったのであれば。韓青州とて、その心積もりを我がもとにご提示くださったのであろう。母国がため、客国の言葉にすら殉じようとなさる。その心意気、どうして裕が感じ入らずにおれようか。

 目眩がした。

 常ならば大いに緩急をつけ、聞き手の心を揺さぶるべき言葉であった、はずである。なれど劉裕は、それらを一息のもとに、一切の抑揚も帯びさせず、ただ、言い切った。全てが目前の化外のものの中にて、なんら矛盾なく収まっている、と見るべきである。

 韓范には、ここまでしか見極めきれぬ。では、これらが矛盾せぬ心胆とは、いかなるものなのか。

 ならば裕も、姚興に述べよう。斯く伝えさせよ。我、燕を定めし後、三年にて具足を整え、関洛を定めん。いま自ずと送らんとせなば、便速にて来たるべし、と。

 劉裕そばに侍る者がらの動きに無駄はない。過たず劉裕の言葉を文字にて拾い上げ、劉裕に示したのち、韓范にも呈ずる。なにひとつとして誤っておらぬ文字であった、劉裕が発した言葉として。そして、姚興の実情を見抜いた、このうえなく酷薄なる通告として。書面を検め、偽りなきものである、と認めた。韓范が気勢を張れるのは、ここまでであった。

 わかっていた。もとより姚興の言葉が、今更劉裕を留めきれるはずもない。なれど、もたらした言葉が、虻蜂のひと刺しにすら及ばなかったのである。

 これが、韓范の旅路の成果であった。

 膝をつく。

 去ましき日のごとく震える手が、覚えず我が目前にて、組まれる。

 我が申包胥の勲、いまここに、画然と断たれ申した。ならば、申し上げましょう。亡き祖より世々燕よりの寵を賜りしゆえ、秦庭にて血の涙を流してまいりましたが、西朝もまた禍難に遭い、ひとたびこそ発さんと揃えた鉄騎を、関中に戻さねばならぬほどの苦境に陥ってございます。それもこれも、天が燕朝を見放し、明公に賛ぜられたがゆえ、と愚考せずにおれませぬ。ならば、たとい国賊と謗られようと、燕斉の民を艱難より救いうる道があるならば、敢えて乗らぬわけにも参りますまい。

 言い切るうちに、手の震えは止まっていた。もはやこの身に亡国を嘆くは許されぬ。王を救うは叶うまい、なれど、属吏を、民庶を救うならば。民を大過なく晋に預け、更にのちに来るであろう世に託すまで、守り抜かねばならぬ。

 劉裕は韓范を見つめることしばし、やがて韓范を立ち上がらせたうえ、自身もまた立ち、拱手を示した。

 韓青州の晋入りが燕人にとっての瑞祥となれるよう、この劉裕、全力を尽くす所存である。

 簡素な歓待の席が設けられれば、劉裕は韓范に広固のこと、姚興のこと、などを畳み掛けるように問うてくる。もはやこの身が晋のものである以上、隠し立てはせずに語る。そう、何ひとつとして。燕祚への忠義も、現王への忸怩も、秦主への後ろ髪引かれる思い、何もかもを。そのひとつひとつを劉裕は受け止め、咀嚼し、飲み込む。あるいはただの軍略の糧、なのやもしれぬ。だが、それでも良かった。もはや韓范に許されるのは、この男に天運を委ねる、それのみなのである。

 言葉をかわす中、厳しい劉裕の面持ちが、ふと緩んだ。

 おれに、天意か。

 おや、と思いはしたが、追及は叶わなかった。劉裕が席を立ち、席の解散を述べる。韓范に向き直れば、そこには先程までの、どこまでも猛き人気をほとばしらせる驍将があった。

 そろそろ、夜も遅い。明日には裕とともに広固城の周りを巡っていただかねばならぬ。我がもとにどのようなお方が参ぜられたのかを、かの者らにも知ってもらわねばな。

 この夜にあてがわれたは、やはり国賓がための陣幕であった。調度の類いこそないものの、柔らかな寝床に油差しの夜灯、何かがあればすぐに寝床そばの机にて書き物もできるよう、紙と墨も用意がされていた。しばし韓范は横になってみたが、まるで寝付ける気もせぬ。諦めて起き上がり、机へと向かう。千々に乱れた心をかき集めるが如く、紙に筆を走らせる。先王より賜った恩寵の数々。現王と初めて見えた時の、言いようのしれぬ怖気。ひとたび代が替われば先王の築いたものは端より崩れ果て、遂には晋よりの蚕食を受けるに至った。秦に至れば見せつけられたは秦主の憔悴、王の闇。一縷の望みを求める旅は徒に劉裕の天命をまざまざと見せつけられるものとなり、なれどその劉裕もまた、天に何がしかを訴えたきふうでもあった。

ならば、天とは何なのか。何を求め、ひとを殺し、国を破るのか。

 筆を置き、天幕の外に出る。入り口脇を固める兵らが掲げていた槍の石突で地面を撃ち、だん、だんと両の足にて足踏みをした。夜が更けてなお陣中に多くの人士が行き交うも、兵らの出した音にて誰もが見るでもなく韓范に意を向けるのがわかる。監視、とは違う。あくまで周囲の者者にて人士を守らん、とせんがための。

 恐るべき統率にございますな。韓范はつい嘆じ、傍らの兵に述べた。兵は控えめに、我ら、太尉の淵躍を支う身にございますれば、とのみ語る。それは兵のみでもあるまい。韓范の目の当たりにする、全てのものの想いなのであろう。いちど劉裕の詰める天幕を見た。煌々とした灯りのもと、おそらくはまだ眠ってもおるまい。あの下では、いまなおもっていかなる数の国略が飛び交うのか。

 散歩でも、と思いましたが、貴君らを煩わせるわけにも参りませぬな。賓客は賓客らしく、大人しくもてなされることと致しましょう。

 韓范は両傍の兵ら、また辺りの者がらに向けては三面、拱手を示し、天幕内へと戻った。布団に潜り込めば、思う。ああ、彼らのごとく、ただ丹誠のみを示し、仕えることができたならば。詮無き望みである。いまは眠れぬなりに横となり、翌朝、堂々たる国賊として燕人の前に姿を現さねばならぬ。

 なにがしかを考えたか、考えきれなかったか。鶏の声とともに身を起こし、用意された水桶にて身を清める。髭を調え、襟元を正す。迎えに現れるは昨日の、泰山の麓にて現れた男である。拱手を交わせば、喜べば良いのやら、傷めば良いのやらで、身の千切れる思いにございます、が第一声であった。

韓范は笑む。先人も申してございます、昨に賊徒たれど、朝に国士たらば、国士を是れ卿せんか、と。ならば同じ天子を仰ぐ身たることにのみ基づいてくだされば良いのです。悔やむべきは、我が窮状が故に、卿のお名前を伺えておれなんだこと。どうぞ、今更何を、とお笑いくださりませ。

 韓范様ほどのお方より誰何を頂けること、恐縮でこそあれ、笑うなどとは、とても叶いませぬ。下官は姓を羊、名を穆之と申します。太尉の軍府の末席を温めるが関の山ながら、韓范様にお目通り叶ったが故、こうして分にも過ぎた栄誉を賜り、戸惑ってばかりにございます。

 韜晦の影こそ交えぬでもないにせよ、さりとて全くの謀り、と言い切れるほどでもない。いまはこの才人の慎ましやかさを好ましく思うのみで良い。導かれ、ささやかな対話の応酬を楽しみ、劉裕の待つ車に赴く。促しに応じ、劉裕の隣に掛ければ、羊穆之はすささと車より退く。

 青州はまた、いたく羊参軍を気にかけておられるようだが。

 かの出来物に、太尉がさして意を掛けられておらぬのであれば、それこそ臣は天朝の材物尽きせぬに恐懼留めきれませぬ。

 ふむ、と劉裕は顎髭をしゃくり、しばしの黙考ののち、なにごとかを近習に伝えた。近習が拱手の後駆け去ったのを見送ると、改めて韓范に向く。

 ともに城を巡るに当たり、叶うならば青州より城内の者らに禍福の行く末をお告げいただきたいものだが、ご尽力は賜われようかな。やや冗談めかした口調である。そこまでは期待しておらぬ、ということなのだろう。言外の配慮に感謝しつつ、拝手する。殊寵を賜りし身なれば、燕を謀るは忍びなきことにございます。

 貞かな、韓子。劉裕はそれのみを告げ、車を発させた。車が走るのは城壁より十丈余り離れた先である。まともな投石は届かず、弓や弩にて狙われたところで側に盾兵さえ控えさせておれば、ほぼ対応も叶う。広固城の四囲を進めば,各所より罵倒や慟哭が聞こえてくる。能う限り、韓范は一人一人の顔を見る。覚えねばならぬ。この先憎まれ、蔑まれながらも、導かねばならぬ者たちである。中には安堵を示すものもある。誰がそれを咎め切れようか。中華に類なき精兵に幾久しく囲まれ続け,耐え続けたのである。その日々がいかに過酷であったかなど考えるまでもない。とはいえそのうちの幾人かは斬らねばならぬのだろう。行き過ぎた不忠も、行き過ぎた忠も斬らねばならぬ。錐の鋭きをこそ抱えねばならぬが、晋と言う嚢を、あたら破るわけにもゆかぬのである。

 外周ののち、正門に戻る。馬面の上に、王があった。長らくの籠城にやせ衰えながらも、その眼差しの底昏さはまるで変わらぬ。しばし韓范を無表情のまま眺めたあと、くしゃり、といびつな笑みを浮かべ、城内へと退いた。

 王が退いてのち、城内より鬨の声が上がる。韓范の隣にて劉裕が裂帛の号令を上げれば、応じるように晋軍も動く。陣中に見た動き、そのものがまた攻めにも繋がっているのを見る。これを、この猛攻を王は退け続けたのか。俄には信じがたきことでは、あった。なれど韓范の隣、劉裕は大いなる愁息を漏らす。

 ここまでのようだな。出し尽くすものを出し尽くし、狙うは王の離脱、か。いや、良く戦ったと言うよりほかなかろうが。

 何を見て劉裕が悟るに至ったか、はわからぬ。わからぬが、やがて数刻もせぬうち、西門側にてひときわ大きな歓声が上がった。使者が王の捕縛を報せくる。内側より門という門が開け放たれ、幽鬼のごとき形相となり果てた燕人らが連れ出された。その中に韓范は兄弟らの姿を認めた。死なずにあったことを幸いと見なすべきなのだろうか。その余りにも真新しき傷口が誰によって付けられたのかを即便に悟れば、これもまた自身の招いたことなのだ、と察さずにおれぬのだが。

 縛められた王が劉裕のもとに連れ出される。他の者よりは血色が幾分まともとは言え、やはりそのその頬はこけている。すでにその眼差しにも力なく、ただ従容とこの先の定めを受け入れんとしている、かに見えた。

 いや。

 王、いえ、いまや慕容超殿とお呼びすべきか。もはや燕を見捨てた身なれば、その政をあれこれ語る資格なぞござりますまい。くだくだしきことは語りませぬ、ただひとつ、ただひとつを伺いたいのです。長安にて、御身の故宅を伺いました。彼の地にて目の当たりとした昌黎、中山、そして広固への憤激。あれらを、御身が燕に赴かんと期された理由、と見なして良いのでしょうか。

 慕容超は、笑う。韓范の問いには答えず、我が母、我が妻には関わりなきこと。よく養っていただきたい、とのみ告げ、晋都に送致される車に乗り込んだ。

 わかっては、いた。

 いたが、憤りが総身を巡ることは、どうにもとどめ難い。

 太尉、彼の者には厳正なるお裁きを。燕、いえ、この青州にもたらされるべき罰はそれのみで足りると愚考致します。当地に蔓延る宿痾が除かれ、目出度くも正朔の元に帰したとは言え、病に蝕まれたこの地を早急に建て直さねば、北賊、かの拓跋はその獰猛な牙をこの地にま突き立てんと目論みましょう。寸刻とて、已に去りし者になぞ割いてなぞおれませぬ。

 憤怒も真、復興への想いも真。ならばどちらを隠す必要もない。劉裕は韓范の振る舞いにしばしかけるべき言葉を見出しかねたようであったが、やがて言う。

 青州が言、尤もである。ならばまずは連れ出されたものがらより国才持てるものを推挙されよ。合わせてこの長らくの飢えより、かの者らを救わねばならぬ。炊き出し等も手配せねばなるまい。こちらは、せっかくの青州の見立てである。羊穆之に任せようと思うが、いかがか。

 思いもかけぬ言葉であった。

 韓范の見立てを重んじる。ここに劉裕の器を、どうして見ずにおれようか。或いは、慕容超の元にあり、呻吟の日々を送ったは、この真の主の元に仕えんがための――

 などといった、埒も無き予断すら。

 あるいは、天の憎むところであったのか。

 にわかに、陣中がざわめく。

 荒々しき蹄の音を立て、やって来た馬はすぐ側にて止まったかと思えば、明らかに馬もろともにくずおれた音が響く。息も絶え絶えな声で急報、急報と告げられ、両肩を兵に支えられた遣いが、乱れた着衣も、もとどりも構わず、劉裕の前に進み、ひざまずく。

 威武貫天なる劉太尉に申し上げます、広州に蟠踞せる五斗米道、にわかに立ち、嶺北諸郡を容易く抜き、北上との由。軍船は百を数え、衆は十万を超える恐れ。

 ここまでを告げ、遣いは倒れた。

 報せを受け、劉裕が取ったは遣いの慰撫、であった。別所に移し、馬とともに十分な水と食料とを供し、休ませた。

 遣いを遠ざけたのち、劉裕は胴回り数尺ほどもあろうかという切り株を陣中に運び込ませ、自身は鉄の長筒を握った。

 切り株を、打つ。

 声には出さぬ。ただ、切り株を打ち、打ち据える。またたく間に樹皮は剥がれ、幹もえぐれ、辺りには木の欠片が散る。長筒を握る手より血が飛び散るも、劉裕は止まらぬ。

 いかほどの時が経ったのか、あるいはさして経ちもしてはおらぬのか。すっかり怒髪し、袍を汗で濡らし、肩で息をする劉裕が、やがて動きを止め、やおら韓范を見る。青州の軍略を諮りたく思う、と言われれば、従わぬわけにもゆかぬ。広固城の一室に連れられ、人払いがなされた。四、五丈四方はあろうかという部屋である。部屋の中央に一対の胡脚が置かれていた。向き合い、座る。

 聞いての通りだ、韓范殿。三年が必要であった。燕斉の人を、晋人と成すのに。この裕が威を重石となし、韓范殿の政にて、時を掛け、やがて迫りくる北賊と互しうるだけの力を養うのに。なんとも甘き見立てであったわ。叛徒、五斗米道。彼の者らがやがて牙を剥くであろう、とは考えていた。ただし、その牙の鋭きを見誤った。

 真っ直ぐに、韓范を見る。既に先を見据える目である。ふ、と韓范は、自身の顔が緩むのを感じた。

 太尉と下官との参与にて、ようやく三年、でございましたか。それは途方も無き目算にございました。この期に及んで、下官に何が申せましょう。ただひとつ、太尉のもとでこの細腕を振るってみたかった、とは申し上げます。

 頭を垂れれば、床にぽた、ぽたりと染みができる。

 どこまで。

 どこまで奪われねばならぬのか。

 我が生、そのものが罰とでも言うのか。一縷の望みのために奔走し、知を尽くし、頭を垂れ、嘆いた、その全てが。

 韓范殿との約定を果たせずに終わること、謝りはせぬ。謝るわけにはゆかぬ。我が身もまた天朝に扼されたる贄に過ぎぬゆえ。ならばせめて、姚興のごとく、これを申し上げておこう。しばし、泉下にて待たれよ。必ずや韓范殿のもとに詣で、姚興が隣にてお叱りを賜ろうとも。いや、あるいはそこに慕容超もおろうかな。

 顔を上げた。初めて見る劉裕の顔である。にもかかわらず、どこぞで見たようにも思われた。姚興であった。別れ際の、あの力なく愁息を漏らした折の。

 ふ、と肩の力が抜けたのを感ずる。

 慕容超は要りませぬ、あの者の顔なぞ、二度と見たくはござらぬ。ならばいっそ先主、いえ、慕容徳殿をどうにかお捕まえくださりませ。確かに大恩こそ賜れど、いまともなれば、躊躇わずに申せます。かのお方こそが、燕を亡国へと導いたのだ、と。彼の地にては、お三方を揃え、滾滾と恨み言を進ぜましょう。

 これは困った、恐ろしきことこの上ない。だが、逃げるわけには参るまいな。しばしお待たせするかとは思うが、その刃、しかとお研ぎいただきたい。

 劉裕が拱手を向けたため、韓范も応じた。

 嘆ずる。

 この先、燕斉の民を分け、燕人を滅ぼし、斉人を恐れにて縛める、となりましょうか。ここであたらひとを殺せば、ともすれば太尉の関中軍略、河北軍略にも陰を落としましょうが、出血留まらぬ手足に焼きごてを当ててでも、胸中の患いを除くべく動かねば、その命とて危うい。況して病魔は、太尉のお考えを遥かに凌ぐ速さで蝕みつつあるのでしょう。太尉のお立場よりすれば、選びようのない手立て。ならば、ひとつ下官の願いをお聞き遂げ下さりませぬでしょうか。墓なぞといった大層なものはもとより望みませぬが、せめて我が抜け殻を泰山の北、広固を望める場に埋め、側に一本の木を植えて頂きたく思うのです。

 韓范の申し出を受け、劉裕はしばし考え込んだが、やがて力なく笑った。

 申包胥たらざれば、せめて伍子胥、か。確かに承った、間違いなく叶えるよう、厳に羊穆之に申し伝えよう。

 言うと、劉裕は立ち上がり、背を向けた。

 韓范殿。ともに語らって頂けたこと、感謝申し上げる。笑って下されば良い、所詮、裕めに動かせる天下なぞ、この程度のものよ。

 立ち去る劉裕に向け、韓范もまた胡脚より降り、長く、長く拝跪した。

 

 

  □

 

 

 劉裕が五斗米道迎撃のため南方に出立して間もなく、韓范は処刑された。罪状は謀反を企んだ、とのことであった。合わせて燕人のうち主だったものとその家族五千人余りが、あるいは斬り殺され、あるいは穴埋めとされた。燕の都城たる広固城は爾後の賊の根城とされかねぬ、とのことで解体され、更地に戻された。

 謀反の首魁に墓など設えられるはずもなかったが、遺骸は泰山北部、広固の跡地を広く眺めること叶う地に埋められ、傍らにはモモの苗が植えられた。

 韓范処刑ののち、劉裕は五斗米道を掃討し尽くした。更には晋国内の叛徒や政敵をことごとく征討、遂には姚興に向けた言葉通り、その矛先を関中にまで突きつけた。この時姚興は既に亡く、幼弱なる後継者が国を割っており、秦もまた、劉裕の前に滅び去った。

 しかし劉裕の武威が轟いたのも、そこまでであった。建康にて起こった政変に帰還を余儀なくされ、劉裕去りし後の関中は、あえなく赫連勃勃に奪われた。失意の劉裕は晋帝より簒奪、宋を建て、間もなくして死亡した。

 劉裕の死は宋の武威の沮喪を意味する。当時北土にて勢力を広げていた鮮卑拓跋氏の国、北魏は、その死を知ったそばより大規模な南侵を行った。最前線となった燕土は、まともな復興も進まぬ中、再度、火の海に没した。

 

 ――この頃、韓范の遺骸そばに植えられたモモの木はすでに樹齢十年を数え、逞しい幹をつけつつあった。

 出どころもあやふやな憶聞によれば、その幹の一部が削られ、以下の詩が刻まれていたという。

 

 使國死,為國死。

 蹤兮桀紂,慕兮子胥。

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使國死,為國死 ヘツポツ斎 @s8ooo

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