第四話 飲めや騒げや

 部屋に入るとベッドに転がる。今になって緊張が来たのか、手が少し震えている。他人に見られているという事が、これほど強張るものだったのかと驚いている。


 それにしても、あの演説で言っていたことは、結局何なんだろう。アタシが勇者として生まれたから、新しい魔王か同じくらいヤバイやつが出てくるかもしれない…?そこも考えに入れてアタシをここに住まわせるくらいなら、そいつが現れる前にアタシを消せばいいのでは?いや、そうしないことは、もうわかっているのだけど。


 考えていたらノックがした。返事を返すと扉が開き、魔王が入ってきた。

「おお、部屋に戻っていたのか。すでに宴の準備は出来ている。主役のお前が来なければ始まらんからな、すぐに向かうとしよう」


 主役と言われても、こちらは別にそのつもりがあるわけじゃない。実際、あの魔王の演説で魔王軍の大半はアタシに対して好く接してくれるだろう。それは、純粋に嬉しい。でも、中心には居たくない。

 アタシはあくまで人間で、魔王軍の奴らとは根底で違っている。だから、アタシが中心で注目を集めるのは、どちらにとっても良いとは言えない。だけど…


「そう思案するな。お前はまだ若い。ただ己が心に正直に生きていればそれで良いのだ。宴も出たくないのであれば、無理にとは言わない」


 魔王もまた心配している。だけどこれは、アタシの問題…だったら自分から踏み出すしかない。


「いや、大丈夫。出るよ。信じてくれるんならアタシからも歩み寄らなきゃ」

 その言葉に嬉しそうな顔をする。単純な男だ。


「陛下!!もう皆集まってますよ!!」


 案内されたのは言葉で表すのが難しいほど広い空間。案内してくれた給仕は、大広間おおひろまと言っていた。すでにオーケストラの音が聞こえてくる。中央では音楽に合わせてダンスが繰り広げられている。


 さっきは、あまり見る余裕がなかったから気がつかなかったけど、この組織にはかなり多くの種族が存在している。そういえば外庭を回った時にも、非軍人でいくつも集落が形成され、生活していると言っていたな。耳長種エルフ牙豚種オーク狼頭種ウルフマン鳥人種ハーピーといった亜人種族だけでなく、スケルトンやゾンビなどの不死種族アンデッドがひしめき合っている。


「さっきも思ったけどさ、すごい人数だよね」

 率直な感想を投げる。


「そうだな、もとより私の代だけではないからな。先代が統一し、我に賛同した種族らが、私の国を形成している。この集積を、私は誇らしく思っている」


 先代から、か。たしかにこいつ一代でこれだけの種を束ねられるとしたら、それは統制の天才と言えるほどに凄まじい…そっちの方が合点はいく、などと勝手に納得していたら遠くから呼ぶ声がした。


「おーーーい!!!アナちゃーーーん!!!」

 この声の大きさは、やっぱりあいつか。マカロンとかいう給仕だ。飛び込んでくる、勢いのままにアタシに抱きつく。スライムみたいな大きい胸が頭にぶつかり、首が取れるかと思った。


「っわぷ…!!」

 思わず声を漏らしたが、当の本人は気にも留めず騒いでいる。

「アナちゃん、さっきの演説かっこよかった~!!ここに居るって決めてくれてありがとね!!これからいっぱい遊びたいな~~~!!!」


「ぷはっ…お前は、ホント騒がしいな…でも、ありがとう」

 ようやく息をつき言葉を発する。


「あっちにね!!ポルカ牛の丸焼きがあったんだ~~!!!しかも成体のだったから、かなり大きかったよ!!食べに行こうよ~~~」


 そうやって腕をひっきりなしに引っ張る。

「わかったから、引っ張るなー!」

 といった和やかなやりとりをしていると、軍服を着た男がこちらに歩いてきた。


「何やってんだアホ助」

「げっ、アゼ兄…」


 男を見るなり、マカロンは動きを止めて嫌そうな顔をした。

「あんまり新入りに面倒掛けんなよ。すまねえな、こいつはアホだからよ。あんまり悪く思わないでやってくれ。えっと…アナだったか」


 白髪褐色はくはつかっしょくの好青年、体格は細身だが無駄な肉が無く引き締まった筋肉質で、背丈はマカロンより頭一つほど大きい。耳が少し長いところから、長命種だと思う。


「うん、あんたは?」

 アタシの問いに対して一つ咳払いをして応える。


「ああ、名乗るのが遅れたな。俺はアゼット。戦闘部隊副大隊長、兼、第一部隊長を務めている。力仕事なら気兼ねなく言ってくれ。菓子ひとつで手を打つぜ」


 菓子ひとつとは、結構安上がりなんだな、と思った。

「アゼ兄はね~…普段は周辺警備を任されてるから、おやつのお菓子を食べ損ねることが多いんだ~!だから見返りに菓子をもらってるの。こう見えてけっこう力自慢だから、いっぱい頼ってね」


「なんでお前が言うんだよ」と、苦笑して突っ込んでいる。


「必要になったら頼むかも、そん時はよろしく」

 社交辞令を飛ばして微笑む。


「…ところで、勇者なんだってな。強いのか?」

 おお、急に踏み込んできた。マカロンほどはいかないが、この男もかなり距離感がはかれない奴らしい。


「手合わせしたいんだが、いいか?嫌なら構わないんだが」

「もう、アゼ兄。アナちゃん困らせないでよ」

 お前の時ほど困ってないが。

「お前よりは困らせてないけどな」とアゼットが言う。

 なぬっ、と声をあげて項垂れる。困らせてる自覚がなかったのか?


「まあ、ちょっとくらいなら。でもアタシ、そんなに強くないよ」

「いいんだ、職業病みたいなもんでさ。仲間の力量を知っておいた方が何かと便利ではあるんだよ。とりあえず中庭に出るか」


 流されるまま外に出た。アゼットは少し離れると向き直って声を投げる。

「武器はどうする?俺ぁ素手でも構わねえが」

「出来ればあった方が良いかな。素手だとアタシの勝ち目ゼロだし」

 そうか、と言うなり此方に向けて手をかざす。手の先から光が長く広がっていき、一本の槍が現れた。男は構える。

「死ぬ気で打ち込んできな」


 魔王ほどではないが、かなりのオーラを纏っている。力量がひしひしと感じられる。これほどの圧を感じさせる存在が、一つの部隊長だとは信じがたい。そう感じながら、魔王から渡されていた短剣を握る。足に力を籠める。


「いくぞ」


 踏み込み、飛び出す。短剣を振りぬき首を狙う。反応が早く、はじかれる。勢いのまま体をひねり、次の剣撃を打ち込む。柄で受ける。そのまま受け流されて、転がる。勢いを殺し顔をあげると、穂先があった。


「詰み、だな」

「まだだね」


 一瞬の隙を突き、穂先を短剣ではじく。すぐさま前に踏み込み心臓めがけて剣先を突き立てる。獲った。と感じた刹那、柄を回して短剣にぶつけられた。

「っぐ…!!」

 狙いの外れた剣先は相手の脇を抜けていく。流れた身体を蹴り飛ばされ、地面で跳ねた勢いを使い、宙で返らせ体勢を直す。

 一瞬の判断が重要になるような、逼迫ひっぱくした戦闘。これまで経験したものが微温湯ぬるまゆだったと感じさせる。


 何度打ち込んだろうか。施設に居た頃よりも、動いている気がする。肩で息をつくが、決して相手から視線を外すことはしない。


「さすがに勇者、なかなかに良い動きだ」

 よく言う、まだ本気じゃないくせに。

「ハァ…ハァ…あんたの強さは、分かった…アタシの現状はあんたに勝てないってことも。だから…」


 一つ、深く息をつく。

「こっからは殺す気で行く」


 鼓動が早くなる、全身に力が入る。全霊で命を感じている。

「ああ…だったら俺も、本気で相手をするよ」

 態勢を整える。構えが変わった。

 互いに踏み込む。剣先と穂先が、交わった。


「そこまで」


 そう思った途端、声と手を叩く音がして、互いの位置が入れ替わっていた。


「へーかぁ、そりゃねえっすよ~…せっかく盛り上がってきたのに」


 何が起こったのか分からなかったが、アゼットが声の主に文句を言ったことで察しがついた。魔王が何かしたのだろう。疲れが一気に来てペタリと座り込む。


たわむれも熱が入れば死合しあいになる。武技を使えば尚更だ。緊迫した戦闘が楽しいのは…私にも分かるが、節度は守らなければな」

「ちぇっ…分かりましたよ」

 不満を隠さずに不貞腐れている。まあ、アタシも邪魔が入ったなとは思った。


「やっぱ実戦に慣れてる奴は強いんだね」

 アタシの言葉に少し面食らった様子を見せたが、直ぐに笑った。

「まあな、毎日鍛えてっから」手を差し出す。

 アタシも、少しは鍛えてるんだけど。そう思いながら握手をした。その後は少しだけ話をしただろうか、マカロンも交えて三人で、他愛もない時間を過ごしていた。


「おっ、メインディッシュが来たみたいだな。そろそろ戻ろうぜ」

 そう言って大広間の方へと歩いていく。見れば魔王の横でハーヴェがこちらに向かって手を振っていた。


「アナ様、アゼットも。その辺りでほどほどにしてディナーを楽しみましょう。私も威信をかけて食材を獲ってまいりましたから」


「へぇ、ハーヴェが獲ったのか。久方ぶりで腕は鈍ってなかったか?」

 おう、煽る煽る。気の置けない間柄なのだろうか。


「ええ、先程の貴方のヌルい動きよりは」

 こっちも結構言うな。


 大広間に戻ると、中央に巨大な皿があった。両端に魚の頭と尾びれがデカデカと置かれていて、本来身体がある部分には様々な魚料理と思われるものが盛り付けられている。皿の前でマドレーヌやマカロンと同じ格好をした給仕が何人か、皿の上を説明しているのが見えた。


「皆様、本日のメインデッシュ、巨大回遊魚を一尾丸々使った、海鮮盛り合わせがご用意できました~。焼き物、煮物、揚げ物から生まで、お好きなものをお取りください」


「焼き物は小麦粉をまぶして、表面に焼き色を付けた腹の部位を中心に出しております。煮物は季節の野菜と共にほろほろになるまで煮込んでおりますので、身の崩れにはご注意ください。揚げ物は素揚げ、胡麻油、花油の三種からお選びいただけますので、お好きなものをお取りください」


 なんだか一斉に説明されてあまり頭に入ってこないけど、とりあえず美味しそうなものだというのは分かった。魚は食べたことないし、どんな味がするんだろう。


「どれが欲しい、取ってやろう」

 ずいっ、と隣に魔王が来た。どれも美味そうなんだが…


「じゃあ、あの焼いてるやつ。キャベの上に乗ってる」

「ああ、これだな。柔らかいが少し骨がある。取っておこうか」

 いや、いいよ。と制止する。そこまでしてもらわなくても良い。


「昼に肉を食べることが出来ていたからな…消化器官の修復も済んでいるとは思うが、よく噛んで飲み込むようにな」

「わかった、ありがとう」


 皿を受け取りフォークを刺す。少しの弾力があるが、スッと入っていく。一口、含む。素朴な味わいだが、繊細な香りが口に広がる。舌触りが良く、溶けてなくなるような感覚。これが、魚の味…


「美味い、な。肉とも野菜とも違ってる。独特な感じだ」

「ハハッ、口に合ったのであれば良かった。給仕も冥利に尽きるだろうさ」

 笑っている。でも、給仕には感謝しなくちゃな…今日だけで食べたことない美味いものを幾つも食べさせてもらってる。


「アナ様が気にすることはないですよ」

 いつの間にか隣にリセが立っていた。急な言葉にびっくりした…というか、今普通に考えてることを読んできた?

「そう驚かずとも大丈夫です。癖で見ているみたいなものですので」

 続けるな、続けるな。まだ頭で分かってないんだよ。


「なんで考えてることがわかるんだ?」

「読心術を心得ていますので。未だに推測の域を出ないもので完璧に、とは言えませんが…」

 読心術と言っても、そこまで読めるものなのか。

「リセって出来ない事あるのか?」

「出来ない事の方が多いですよ。給仕として出来る事をこなしているだけです」

 そう言って優しい微笑みを浮かべている。同じ給仕でもマカロンとは違って、控えめな奴なんだな、と思った。


 食事も終わり、魔王軍の奴らと少し話したりもしながら宴の時間を過ごしていた。楽しさによる高揚感、熱をもって身体を満たしていくそれを冷ますために、人気ひとけのないバルコニーで風を仰いでいると、後ろから声がした。


「楽しめているか、騒がしいのが苦手だったら難しいかもしれないが」

「楽しいよ、こんなに騒がしいのは初めてだったけど」

「そうか」

 そう言うとアタシの横に腰を下ろして続けた。


「今日は特別騒がしいからな、これで大丈夫なら今後も上手くやっていけるだろうさ。それと、全員に話しかける必要はないからな。自分のペースで歩み寄ってくれれば、皆それに応えてくれる…少しずつで良いのだ」

「分かってるよ」


 グラスに一口、言葉を紡ぐ。

「実はな、配下にお前のことを調べさせている」


 は?


「お前をこれから養っていく以上、それを知る義務があると考えた。何より…お前をあそこまで追い込んでいたモノを知っておくべきと感じたからだ」

「信じるって言ったよな」

「無論、信じているとも。お前を信じた上で、最小限でも知っておかなければならないことを調べている。まあ、大方予想通りだったが」

「じゃあ、もう知ってるのか」


「ああ」

「そう」


 一時の沈黙を切り、アタシから声を発す。

「たぶんあんたくらいの情報網だと精度も高いだろうから、全部本当だと思うよ」


「そうか、では」

「まずは村を滅ぼそうか」

 何て言った?村を…?

「滅ぼす…?」


「ああ、もちろん。お前はすでに私の仲間、家族のようなものだ。であれば、家族を傷つけた者たちは消すのが私の道理である。少なくとも私はそう考えている。故にまず、原因となった村の者たちを滅ぼす」


 言っていることは耳に入るが、頭で理解するのが難しい。たしかにアタシはこいつの下で生きてみることにしたし、信じてみようとも思っている。それは家族と呼べるのかもしれない。

 だけど…アタシの過去は、ただの過去だ。そこまでしてもらわなくても、アタシは別に良かった。と言うよりも、あんな奴らに、時間を割かせたくなかった。


「別にいいよ。あんたらが手を出さなくても」

「世にはケジメと言うものがある。あの村の者たちがどれほどの事をアナにしたのかは、まだ私は知らないが、少なくとも傷つけたことは分かっているのだ。それ相応の報いを受けてもらわねば、何より私の腹が収まらん」

 ナンギな性格だな。でも、そこまで思ってくれるのは、悪い気はしなかった。


「アタシはいつか復讐するつもりだった。今もそれは変わらない、と思う…それでも、あいつらを消すためにあんたらの手を汚したくないって言うのも…アタシの気持ち。だからさ、アタシの過去を綺麗にしようとしなくていいから。これからが汚れなければ、それでいい…信じさせてくれるんだろ」


 しばらくの間、難しい顔をして考えこんでいたが、意を決したように声を出した。


「お前がそう言うのなら、私も呑まねばなるまい。だが、これからは過去ではない。お前は私の仲間だ。そのお前に今後も害をなすような者が出てくれば、容赦はしないとも。そこだけは、納得しておいてくれ」


「分かった、ありがとう」

 アタシの返事に安心したのか、少し顔を綻ばせる。


「というか、調べたってことはあいつらの事も、もう知ってるってこと?」

「ああ、それに関してはお前を拾う以前より知っている。と言うよりも、お前の方が知らないだろう。ほとんど監禁に近い状態だったのだから」

 それを言われると耳が痛い。たしかに、詳しくは知らないけど。


「良い機会だ。ここで説明しておこうか」

「あんまり難しくしないでなら」

「善処する」

 そう言うと魔王は話し始めた。


「まず、現在の世界の構造についてだが…ここは大丈夫か。魔族と人間が対立していて、世界の半分を三人の魔王が分割統治している。魔王に対して一人ずつ勇者が神より拝命を受けている。魔王側はそれぞれが国を持っているため、三つの国家が形成されているが、人間側はそれよりも多く国家がある…大丈夫か?」


「うん、大丈夫」


「では、次だ。人間側に関するものだが…先程述べた多くの国家は、大きく分けて二つの勢力があり、これは人間が信仰する二つの宗教が中心となっている。一方は、白き幻鯨げんげいを崇拝し、その永久なる美を追い求める白鯨はくげい教、もう一つは勇壮なる黒き戦兎せんとに魅入られ、力こそ信なるモノとする黒兎こくと教だ。これら二つの宗教は白鯨と黒兎を神格化し、またもう一方の宗教を異端として対立している。

 しかし彼らにとって最も忌むべき者として位置づけられているのは…我ら魔族である。我ら魔族にとって白鯨や黒兎といった幻獣種ファンタシアは、珍しい生物ではあるものの、特段崇めるようなものでもないからな。その考え方が気に食わんらしい。故に彼らは魔族を敵対視する。これが長きにわたって魔族と人間が和解できない理由の、一つである」


 なんだか難しいものがいっぱい出てきたけど、要するに人間と考え方が違うから対立しているってことで良いみたいだ。と、考えていたところで疑問が浮かぶ。


「勇者ってどっちの宗教に居るんだ?どっちにも?」

 問いに対して、首を横に振り応える。


「実はだな、これがまたややこしいのだが…三人の勇者は皆それぞれ、どちらの宗派にも属していないのだ」

「え?どういうこと?」

 一つ咳払いをして続ける。


「勇者にとって信仰すべきはただ一柱の神のみ。白鯨や黒兎などは、信仰の対象にはならない。また、彼らは人間を守ろうとも思っていない。拝命した役割をただこなす為に、自身の矜持を掲げている。無論、二つの宗教はこれを良く思っていない」

「でも勇者は…もしかして…」

 何かに気づいたように魔王を見る。気づきたくなかったことに、自分から気づくことになってしまった。


「ああ、そこでお前の居た施設が出てくる。あれは勇者を無理やり生み出すための養成施設だ。素質を持ったモノを強制的に連れてきて育成する。人体実験も厭わない。勇者と魔族に対抗するための人間兵器を造り出すためのものだ」


 やっぱり…ということは、アタシは…

「アタシは本当の勇者じゃないってこと…?」

「いや、それは違う」

「は?どういうこと?」

「お前には聖痕がある」

「それが、どうしたの」


 一口酒を煽ってまた喋り出す。


「演説の際にも言ったが、勇者の選定は神の演算によって行われる。その結果、神からの寵愛の印として身体の何処かに聖痕と呼ばれる逆十字さかさじゅうじが刻印される。

 これは理外により起こる事象であり、人間の手によって造られる勇者にはこれがない。故にお前は真なる勇者なのだ…分かるか?」

 あまりちゃんとは分からない。だけど、この胸の印が勇者であるという印である事はわかった。


「…そっか」

「…気を悪くしたなら謝ろう」

 俯きがちに首を横に振る。少し残念に思ったのは、言わなかった。


「じゃあ、なんでアタシはあそこに居たんだ?」


「それなんだがな…お前が勇者であるという事を聞きつけたその施設の者たちが連れ去ったものと考えられる。おそらく聖痕があることを村の人間が知り、お前の親に手をかけると同時に、施設の方にも露呈していたのだろう」


 自分でも驚いたが、怒りが込み上げてこない。ただ、父さんと母さんが殺されたことを思い出して、また悲しくなるだけだった。

「勇者を自覚したばかりで困惑しているお前を、精神操作して自分たちの良いように育成すれば、勇者はおろか、魔王にも対処することが出来ると考えたんだろうな…どちらの宗教かは知らんが、手段を択ばず他者犠牲を行う点が頭にくる」

 少し怖い顔になってる。目をそらす。


「どちらか分かり次第、潰しても構わんが…それはお前が嫌うのだろう」

「うん、怒ってくれるのは嬉しいけど、その手はクズを払うのには使わないで」


「ああ…ではこちらからは不干渉でいく。それでいいか」

「もちろん…アタシは此処での平穏が脅かされなければ、とりあえずはそれで良い」


 魔王は少し笑う。そして続ける。


「さて、そうなると何がしたいか、だな。今後の目標でもいいだろう。やってみたいことはあるか?今までできなかったこと、本当はしたかったこと、何でも言ってくれ。私の届く範囲なら全て応えて見せよう」


 そう聞かれて考える。やってみたいことなんて、考えたことが無かった…それでも、出来るだけ、少しでも、小さなことでも、考えてみる。そうして答える。


「だったらまずは…」


「また図書館に行ってみたいな」

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