第三話 外出、そして遭遇

 翌朝、窓辺で鳴く小鳥の声で目が覚めた。こんなに穏やかな朝は初めてだと噛みしめている。体を起こすと、少し寒さを感じた。冬の朝は冷えるからと、寝る前にリセが用意してくれていた、モコモコした長い布を肩から羽織る。

 扉を開けて廊下に出る。昨夜の宴がまるで嘘のように城の中が静まり返っている。

「おはようございます、アナ様」

 ふと声がしたと思うと、目の前にリセが現れた。

「うわっ、びっくりした」

「驚かせてしまったのなら申し訳ありません。しかし、声をかけるべきと判断しました」

「なんで?」

 単純な疑問が浮かんだ。そのまま声に出た。

「こんな早朝に起きられて寒い中どこへ行かれるのか、というのと、出歩かれるのであれば靴を履いた方がよろしいかということを伝える為です」

 靴、靴?ああ、そういえば扉付近にあった。あれはアタシのだったのか。などと考えていると、少しジトっとした目になって言葉を並べだした。

「良いですかアナ様。靴を履かなければ足を痛めてしまいます。怪我の具合も、スターチスの処置があったとはいえ、スリッパよりも靴の方が防護性があるため、治りは早いのです」

「あ、あ~…でも、裸足の方が慣れてるし…」

 言い訳を並べるが意味はない。

「慣れの問題ではなく、これからはもっとご自身を大事にしてほしいという事です。主様だけでなく、配下である我々も貴女と共に歩むと決めたのですから。同胞には身体を大切にしてほしいものです」

 少し意外だった。喋り方が淡々としていることからも、ただ仕事をこなしているだけだと思ってた。

「そういうもんなの?」

「そういうものです」

 感情的な面を見せてくれたのは初めてだったから、なんだかこそばゆい。

「それで、どこに行かれるのですか?朝食にはまだ早いですが…」

「ああ、えっと…ちょっと外の空気を吸おうと思ってさ。此処、山の上だからか結構空気が澄んでいるみたいで」

 その言葉に少し考えこんだ後、声を発した。

「…でしたら、少し散歩をしましょうか」


 一度部屋に戻り、リセに靴を履かせてもらうと、部屋を出て右に曲がった。外の空気を吸うのに、下に降りなくていいのか、少し疑問だったが、それも直ぐに無くなった。

「ではこの先です」

 抜けた先には大きな窓ガラス。扉と言って差し支えないほど大きいそれを、リセはおもむろに開けると、先に出るよう促してきた。

「わっ、すっごいな!!」

 思わず大きな声が出た。そこには、広々とした空が広がっていた。雲が身体と少し被りそうで、とても幻想的な雰囲気を味わえる。端から下を覗くと、中庭があった。

「ここは屋上でございます。開放的な空間を作るために主様が作らせました」

 なるほど確かに、ひらけていて、外の空気がとてもおいしい。

「ここ、連れてきて良かったの?」

 そう問うとリセは微笑む。

「アナ様が行きたい場所には連れていくよう言われていますので。何より、私の知る中で外の空気を吸うに最もふさわしい場所でしたから」

「それは、ありがとう。たしかに靴は必要だったね」

 踏ん張れなかったら直ぐに落ちるだろうなあ、なんて考えながら下を見る。中庭の方に軍の者たちが出始めていた。アタシは今日、どうしようか。

 図書館に行きたいとは言ったが、マナリアに挨拶した方が良いのだろうか、それともまたするのは向こうも面倒だろうか、本を読むにしても何を読めばいいのか、とか色々考えてしまっている。

「まだ陽が出て間もないですから、そろそろ戻りましょうか」

 少し経って、リセが中に入るのを促す。それに賛同して部屋の方へと戻った。


 部屋に戻ると扉の前に魔王が立っていた。待っていたのだろうか。

「ああ、戻ったか。起き抜けに出歩けるほど回復しているのなら良かった。して、どこへ行っていたのだろうか」

「リセに案内してもらって、屋上を見てきた」

「そうか、あそこは良い場所だろう」

「うん、此処で一番いい場所かもね」

 冗談と他愛もない会話を続けながら、共に食堂へと向かうことにした。先刻までの静まり返った城内がまるで嘘かのように、食堂に近づくにつれて声が増えてきた。入口の方に着くと、昨日の食堂とはうってかわって、人がたくさんいた。

「今日は朝でも結構いるんだな」

「早朝だからな。今から済ませて出る者が大半だ」

 そう言いながら昨日と同じ席につく。近くをアゼットとその部下たちが通った。

「お、アナ。おはよう!」

「ああ、アゼット。おはよう」

 アタシに挨拶するなり魔王にも挨拶をする。もう出ていくみたいだ。丁寧な感じで喋ることもできるんだな、と感じたが、口にはしなかった。

 食事が来た。今日は昨日と違うスープだ。手を合わせる。

「今日は図書館に行きたいんだったな」

「うん、あの時はあまり見れなかったから」

 スープを一匙、口に運ぶ。

「だったらマナリアにも言っておかないとな。あやつ、アナは次いつ来るかずっとソワソワしているみたいでな。報せは入れておかなければ」

「え、なんで」

「どうやらおまえの事を気に入ったみたいだ。昨日の集会がきっかけなんじゃないか」

 そんなに気に入るようなことあったかな。と考えるが、分からない。

「まあ気に入ってくれてるなら嬉しいから良いか。何かおすすめの本がないか聞いてみるのもありかな。難しいのは分かんないけど」

「良いではないか、暇を持て余しているだろうし」

 食事を済ませて席を立つ。ちょうど給仕部隊も朝の仕事を終えたらしく、入口から元気に入ってきたマカロンがこっちに手を振っていた。それを見て思い出したかのように魔王が口を開く。

「おお、そうだ。少し考えたんだがな…やはり今日はビスケット部隊に付いて行って、衣類や必要なものを買い揃えて来るといい。ビスケットには話をつけているから、十時に中庭で落ち合いなさい」

 急だな、いや、前に話してたか。まあ図書館に居座り続けることもないだろうし、十時ならちょうどいいか。

「あの時は何日か後にするって言ってたけど…まあいいや。ビスケット、ってのは会ったことないか」

「直ぐにわかると思うぞ。部隊には会ったことのある者も所属していることだしな」

 少し笑いながら言う魔王に、なにか嫌な予感がした。


 食堂を出て少し歩く。二階に上がると思ったけど、そのまま一階から入るみたいだ。

「昨晩、刻印を渡しておいたから、これで我が城の中は自由に行き来できる。図書館の罠もすり抜けることが可能だ」

 ああ、そういえば寝る前に手の甲に何かしてたな。眠気が強くて何やってんのか、あまり分かってなかったけど。

「ここ以外にも結構罠を張ってるとこあるの?」

「まあな、城まで攻めてくる者などほとんどいないが。念には念を入れておくのが、何事においても重要だろう」

 それはそうだが、ほとんどって。攻めてくる奴は居るんだな。

「さ、マナリアが待っている。早く入ろう」

「うん」

 壁を抜ける。扉をくぐるのとは違って、スッと入り込んでいく。液体のようなモノが体を覆っていくが、何かに当たっている感触はない。数歩、前に進むと図書館に出た。

「あら、いらっしゃい。待ってたわ~」

 大きく一つ伸びをして、浮遊した状態で近づいてくる魔女。

「図書館を気に入ってくれたみたいで嬉しいわ」

「おはよ、マナリア。気に入ったってのもあるけど、顔を出しておいた方が良いかなって思ってさ。此処で暮らすことにしたから」

 律儀ねえ、と笑う。自分でもそう思う。

「そう畏まらなくてもいいのだが…」

「アナがそうしたいってことでしょ、全く貴方って人は…」

 少しの痴話喧嘩を見せられる。

「読みたい本があったらいつでも言ってちょうだいね。大体暇してるから」

「うん、頼りにするよ」


 本棚に近づく。この辺は前来た時に魔王が読んでた本の辺りだな。色んなタイトルの本がずらりと並んでいる。一つ取ってぱらりとめくる。文字の読み書きは施設で無理やり覚えさせられたから読むことは出来るけど、内容はてんで理解できない。もう少し簡単なのを探してみるか。

「其処らの棚はアルの趣味で置いてるのばかりだから、少し難しすぎると思うわよ~。二階のちょうど真上部分辺りは、読みやすいかもしれないわね」

 カウンターの方から声を飛ばしてきた。ありがとう、と返して階段を上がる。魔王は、昨日と同じ席で本を読んでいる。

「ちょうど真上部分…この辺か」

 さっきのモノより少し薄めの本がぎっしり並べられている。めくってみるとどうやら童話寄りの物語らしい。確かにこれなら読めそうだ。何冊か面白そうなものを取ってカウンターに向かう。

「あら、読んでいかないの?」

 少し残念そうに貸出処理をする魔女。

「うん、今日はこの後、出なくちゃいけなくなって。服を見繕ってもらうらしいんだ」

「…私も行こうかしら」

「あんたはここが持ち場なんだろ」

 少し笑って続ける。

「ビスケット調理部隊ってのに付いてくんだけど、どんな奴らなの?」

 問うと難しそうな顔をした。

「おい、なんだよその顔。変な奴なのか」

「え~っとね…良い子たちではあるんだけど…給仕部隊は変な子が多いから…」

「上手くやってけるかな」

「どうかしら…ビスケットは部隊の中では常識人だし、貴女もリセたちと上手くやれているから大丈夫だとは思うけど…『全にして個』が彼女たちの性質なのと、それを加味しなくても温和な方だから」

 温和な方、かぁ。と少し不安がる。マナリアが近寄り頭を撫でる。

「大丈夫よ。アルを信じるって決めたんでしょ?だったらドンと胸を張って前を向いてればいいのよ。そうすればきっと大丈夫」

 照れながらも礼を言う。そうして借りた本を抱えて部屋へと戻った。


「さて、そろそろ中庭に行こうかな」

 借りた内の短編集をキリの良いところで切り上げて着替えを済ませる。今回は手伝ってもらわずに全部着替えられた。

 靴の歩きやすさを改めて実感しながら中庭に出ると、給仕の服を少し動きやすく改変したような格好の者が、二十人ほど隊列を組んで並んでいた。先頭、アタシが来た方へ背を向けているモフモフしたピンクの長髪をなびかせる女性が立っていた。背丈はアタシより小さめ、腕などから、体のラインがとても細く、スラリとしているのが分かる。近づくとこちらに気づいたようで振り向いた。

「おう、アンタがアナだな。魔王様から聞いてるぜ。私はビスケット、此処の調理部隊の部隊長を務めている。以後よろしく頼む」

 思っていたよりちゃんとしていて少し驚いた。変な子だとは全く思わないが。などと呆けていたら、不思議そうに聞いてきた。

「…おーい、大丈夫か?ぼーっとしてるけど」

「ああ、ごめん。よろしくね。聞いてたイメージと少し違ったからびっくりしちゃった。変な奴が多いって聞いてたから」

「変な奴ぅ?ああ、まあ多いとは思うが…」

 多いのかよ。

「でもみんないい奴だから仲良くしてやってくれ」

 さっぱりとした顔で笑う。ハーヴェやマカロンの時にも思ったが、見ていて気持ちの良い笑顔をするものだな。と考えていたら…

「アナちゃ~~~~~ん!!!!!」

 この声。まさかとは思っていたけれど、まさかなあ。

「…わぷっ!?!?」

 こいつはいちいち抱き着かなきゃ挨拶できないのか。

「マカロン、アナが苦しんでんだろ。離しな」

「あ!ごめん、アナちゃん!!」

 ビスケットの言葉に落ち着く。いや落ち着いてるとも言えないが。

「…っ、大丈夫。まさかお前も居るとは」

 嫌な予感が当たってしまった。まあこれならまだマシか。

「だってマカロンも調理部隊だもん!!こう見えても!!!」

「調理に集中出来なそう、邪魔とかしてそう」

「出来るもん!!!」

「でけぇ胸は、邪魔になってるかもな」

 笑いながら横からビスケットが口を挟む。

「何おう!!」

 ムキになって顔が膨れていく。そのまま浮いていきそうだ。

「もう少し落ち着きなさいと言っているでしょう、マカロン。何にでも全力なのは貴女の良いところだけれど、他者に迷惑をかけるのはダメです」

 そう言いながらマカロンの後ろの方から進み出た給仕が一人。この人は前に見たことがある。確か…

「アナ様、昨日ぶりでございます。私、マドレーヌと申します。初めてお見掛けした際に挨拶が出来ず申し訳ありません。これからよろしくお願いしますね」

 ああ、そうだ、マドレーヌ。あの時マカロンを叱りながら入ってきてた。

「大丈夫、よろしくねマドレーヌ」

「ありがとうございます」

 横でまだ膨れてる。子供らしいと言えばらしいけれど。

「二人は会ったことあるんだな。じゃあ今日は、アナには二人についててもらおう」

「承知しました」

「は~~い!!!」

 そう言って部隊全体に出発号令を出す。皆各々の役割を確認して歩き出した。


 外庭を抜けて南に進むと大きな門があった。城の門よりもいくらか大きい。上の方は少し霞んで見えるほどにそびえ立っている。

「わ、大きいな」

「外に繋がる門だからね。外敵の侵入を阻む第一関門としても機能してるんだよ」

「これを越えて入ってくる奴、いるの?」

「たまーにね。めんどくさい奴」

 本当に面倒臭そうな顔のマカロンに思わず吹き出す。

「あんまはしゃいでっと、こっから先で逸れるかもしれねえぞ~。特にアナ、離れないようにちゃんとついてきなよ」

 ビスケットが声をかける。

「分かってる、気をつけるよ」

「ならいいさ」

 門を抜けて広い平野を進んでいく。道は整備されていて所々に建造物もあるが、辺りはとてもひらけている。今日は最も近い街に出るらしい。街には、良い思い出はないけれど、魔族の街は違うかもしれない。そう不安になりながらも後をついていく。

 平野には魔物がたくさんいた。施設で戦わされていた魔物とはまた違っている。猪だったり鹿だったり、鳥だったりもいた。どれも凶暴そうだったけど、調理部隊の奴らに怯えていたみたいで、大人しくしていた。

「大体どれくらいで着くの?」

「そんなにかかんねえよ、十五分くらい?」

「そうなのか、意外と近いんだね」

「まあ、城下町だしね」

 その言葉に少し引っかかる。城下町、城下町?

「城下町って、城のすぐ近くにあるモンじゃないの?」

 あー、と少し説明に詰まる様子で続ける。

「ウチはちょっと違うんだよな。城の領地が広すぎるせいで、壁の外縁付近を囲んでる街は軒並み城下町ってことで扱ってんだよ」

 そうなのか、と飲み込む。

「東西南北それぞれ、計四か所に街が展開されててな、今日行くのは南の街、トルッカだ。ウチの領地内でも物流がかなり盛んでな、買い出しはこの街で済ませることが多い」

「四つも城下町があるのか?」

「まあ明確な境界はあまりないけどな。それぞれ得意なことが違うだけだ。っと、そうこう言ってるうちに見えてきたぜ」

 指を伸ばす先に先程よりは低めの壁が立っているのが見えた。

「さっさと済ませちまおう。良い服見つかると良いな」


 門を通過すると賑やかな声が聞こえてきた。魔王軍ほどではないが、かなり多くの人々でごった返している。これは確かにはぐれるかもな。

「…予想はしてたけど、やっぱり多いね」

「まあ城下町だしな~、特に昼前で用がある奴らばっか、ひしめいてやがるし」

 なるほど、時間的な問題もあるのか。

「おっし、お前ら。事前に分けていた通りに調達を済ませろ。二時間後にまたこの門の前に集合だ。では、解散!」

 ビスケットが号令をかけると部隊の者たちは各々の担当を済ませに散開した。

「じゃ、行こっか!」

「ええ、アナ様、服屋に向かいましょう」

 マドレーヌとマカロンに促されるまま後をついていった。


「わぁ~~~!!!今作も可愛い~~~!!!」

 店に入るなりマカロンがいっそう騒がしくなる。棚を飛び回りながら色んな服に目を輝かせて奥へと進んでいった。マドレーヌは気にせず言葉を並べる。

「アナ様、どれか気になるモノ、欲しいモノはございますか?出来るだけアナ様の趣味嗜好を今後のために知っておきたいと考えておりますので、何なりと仰ってください」

「そうは言われてもなぁ…服なんてあんまり分かんないし、ずっと同じのしか着てなかったから…そうだ、適当に見繕ってよ」

 途端、マドレーヌの目の色が変わった。ズイッと顔を寄せて手を掴むと、

「良いんですか!?」

 と大きな声をあげる。勢いに押されながら「うん」と返事をする。

「ありがとうございます!どんな風にコーディネートしましょう!!ポップな感じが体型的にも合うけれど、大人寄りの雰囲気にしても良いですし、パンツスタイルでクールに決めるのも…ああ!いっそのことゴージャスにまとめようかしら!!決めきれませんわ~!!ひとまずまとめて持ってきます!!!」

 そう告げると部屋を飛び回り始めた。籠に次々と服を重ねていっている。ああ言った手前、その勢いを止めるのも忍びない、いや、止めても止まりそうにない。

「あーあ、マド姉のスイッチ入れちゃったね」

 いつの間にか戻ってきていたマカロンが声を発す。

「マド姉は服が大好きだからさ~、自分でもよくコーディネートしてるんだけど、それよりも他の人のを見繕いたいみたいで。

 給仕部隊はみんな普段からほとんどメイド服だから、見繕う相手が中々いないんだよね。だから、アナちゃんを是非コーデしたいと思ってたみたいで、今日の買い出しにアナちゃんを是非連れていきたいって進言したのもマド姉。さっきので完全に入っちゃった」

「そうなのか…まあ決めてもらえるなら有難いし、いいでしょ」

 それに対してチッチッチッと指を振る。

「甘いなあ…二時間で終わるか分かんないよ?」

「時間も守れなくなるほどか!?」

 ニシシと笑顔でごまかしている。そうなのか…

「アナ様!!大方選び終わりましたので、試着室へ向かいましょう!!」

 しばらくして屈託のない笑顔のマドレーヌがいくつもの籠を担いで促してきた。

「あ、ああ…」

 あまりの多さに圧倒され、少し間の抜けた返事が出る。これ全部着るのか、と先を想像してもう気が疲れてしまっているのを感じた。


「…あ~~、疲れた」

 マドレーヌの持ってきた服を一通り着終わって一息つく。隣で何か食べながらマカロンが笑っているのが横目にも分かる。

「お疲れ様~、結構あったねえ」

「他人事みたいに…他人事だろうけどさ」

「にゃはは、でもまあ、二時間掛かんなかっただけマシだよ」

 時計を指さす。確かに、まだ時間にはなっていない。試着室に併設されている椅子に腰掛ける。申し訳なさそうにマドレーヌが覗く。

「私ったら熱が入りすぎてしまって…無理をさせてしまいました…」

「いや、大丈夫だよ。頼んだのはアタシだし」

「申し訳ありません…」

 シュンとした顔をしたが、直ぐ切り替えて話し出す。

「ところで、アナ様の好みに合ったものはございましたか?私はこちらなんか、とてもお似合いだったと思いますが」

 そう言って見せてきたのはリボンとフリルで豪勢に飾られたピンクメインのフリフリした、いかにも少女らしいワンピースだった。

「それはちょっと…ほら、動きやすさも大切だし。アタシはズボンの方が良いというか、スカートはまだ履き慣れてないし」

「そうですか…でしたらこちらのハーフパンツですかね。そうなるとブラウスに合わせて、靴はこのデザインの方が…」

 何やら考え込んでしまった。でも確かにハーフパンツは着てみた感じは、とても動きやすかったしそれがベストだろうなと思った。

「ではこの組み合わせでどうでしょう!!」

 先程のハーフパンツに白のブラウス、サスペンダーも付いていてかなりボーイッシュ寄りのものになっている。緑のキャスケットも良いアクセントだ、と感じた。

「うん、いい感じ。それにする」

 似たようなものをいくつか選んで会計に進む。マドレーヌの、まるで子供のように嬉しそうな姿に、少し可笑しくなってしまった。実に一時間半のファッションショーだった。


 会計を済ませると外に出る。まだ集合には時間がある、とマカロンが小腹を満たすために何か食べることを提案した。お前はさっきも食べてただろ。

「それで、何を食べるの?」

「もちろん、クレープでしょ!」

 そんな定番みたいに言われても。

「マカロン、帰ったらお昼があるんですからね。あまり食べすぎてはいけませんよ」

「分かってるって~。ただ食べたいだけじゃないしね」

 そう言ってこちらを見る。

「なんだ?」

「アナちゃんに、色々楽しいこと知ってほしくてさ!!」

 眩しく笑う。陽の光でさらに眩しい。

「なんだそれ」

 照れ隠しで少し突っぱねてしまう。マカロンは、またニシシと笑っている。


 昼飯をクレープで済ませる奴はそう居ないと言わんばかりに、ほとんど並ばずに買うことができた。集合場所近くにあったベンチに座って食べることにした。

 よくわかんないからマカロンに注文は任せたが、これでもかと敷き詰められたフルーツの、隙間をさらに埋めるように生クリームが詰められていて、見ているだけでお腹がいっぱいになりそうだ。マカロンは躊躇ためらいもなくかぶりついている。マドレーヌは…おい、なんだそれ。めちゃくちゃシンプルな盛り付けじゃないか。

「マドレーヌ、それ。アタシのと全然違うけど」

「ええ、私はあまり胃が大きくありませんので、少量のモノを選びました」

 にこやかに話す。

「アタシ、マドレーヌに任せりゃよかったかも」

 言いつつも口に運び噛みつく。爽やかな甘さが口いっぱいに広がる。フルーツの甘みと生クリームの柔らかな味がこれ以上なくかみ合っていて、一口で幸せになれるものだ。ただやっぱりこの量はきつい。マカロンに任せるか。

「どう?アナちゃん。おいしい?」

 キラキラした笑顔で感想を聞いてくる。気圧されてたじろぐ。

「あ、ああ。美味いよ。ただちょっと多いかな…」

「じゃ、食べれるだけでもいいよ?残りはマカロンが貰うから!」

 こいつ、これを見越していたな…と思いながらマドレーヌの方を横目に見ると、呆れた顔をしていた。


 クレープを食べ終えた後、食休みとしてそのままベンチで少し話をしていた。クレープの生クリームがまだ口に甘さを残しているとか考えていると、目の前を一人、フードを深く被った者が通った。と思うと、こちらを見て止まった。

「お前が勇者かい?」

「え?」

 一瞬、自分に言っているのか分からなかったが、そんなことは関係がなかった。次の瞬間には目の前に拳が見えていた。

 殴られた、と思ったが、寸でのところでマカロンたちがいなしてくれた。

「ちょっとぉ~、挨拶にしては荒いんじゃない?」

「品性は大切ですよ。この子みたいになりますから」

「そうそう…ってマド姉!!」

 普段の調子を崩さずとも警戒態勢を取っている。目の前にいる者が強敵であるというのがそれだけでも感じ取れる。

「なんだ、マカロンとマドレーヌじゃないか」

 相手が口を開いた。まるで二人を知っている口ぶりだ。そうしてフードを脱ぎ、不敵に笑うと、二人はその顔を見て少し驚いた様子を見せた。

「フェイ!?なんでトルッカに…」

「今は人間界に居ると聞き及んでいたのですが…」

 その言葉を聞いてまた笑う。

「ちょっとね、気になることを聞いたんで、確かめに来たってだけさね」

 アタシの顔を見る。女は一息置いて続ける。

「ヴァーミリオンの奴が人間の子供を拾ったんだって?」

 その言葉を聞き二人はアタシを背に庇う。

「そう警戒するな、争う気はないさね」

 両手を挙げて肩をすくめる様子に、二人も少し警戒を解く。

「気まぐれな貴女ですから、少しは警戒します。まあ警戒したところで、私たち二人では遊びの相手にもならないでしょうけど」

「そうかい。まあ今日は様子見だけだし、もし連れてくんだとしても、それなら服屋の時点で既にやってるさね」

 挙げた手をひらつかせる。飄々とした態度が余計に強者の感じを漂わせる。

「あ、あのさ。さっきから話してるけど、こいつ誰なんだ?見た感じ人間だけど」

 アタシの問いに二人が答える前に、女が口を開いた。

「ワシか?ワシはフェイ。今日はしがない旅人の気分さね。お前んとこの魔王には昔、少し世話になってね、まあ…腐れ縁みたいなもんだ。昔は殺してやりたいほど憎かったもんだがねえ、今じゃそんな気も起きないさね。

 って、そんな事はどうでもいいんだよ。それより、アナって言うんだってね。ヴァーミリオンの奴、こんな可愛い子を拾ってくるなんざ…誘拐と思われても仕方ないさね」

 湧いて出た一言にぎょっとする。

「誘拐?」

「そう、情報屋からそう聞いてるさね。それにしても…」

 二人の間を抜けて近づき顔を寄せる。じっくりと眺めてくる。

「よう見ても可愛いねえ、愛らしい小動物みたいだ」

「なっ!!」

 マドレーヌが咄嗟に女の身体をはじき、マカロンがアタシの身体を抱えてすぐさま距離を取らせる。

「少し会わない間に行儀が悪くなったんじゃないか、マドレーヌ」

 残念そうな声で口にする。

「私は貴女を完全に信用しているわけではありませんから」

「争う気はないって言ってるじゃないか」

 穏やかながらに緊迫した状況。マカロンも少し強張っている。いつもと違って口もあまり開いていない。

「なんで警戒するんだ、魔王とは知り合いなんだろ?争う気もないって言ってるし、そこまで邪険にしなくても…」

「な~、そうだよねえ。アナは話が分かる子だねえ」

 マドレーヌがフェイという女性を睨みつける。

「貴女は黙っていてください」

 そうしてアタシに声を飛ばす。

「アナ様、警戒する理由は十分にあるのです。主様こそ親しくしておりますが、彼女は現代における三勇者の一人、たとえ主様の意向で不可侵としていても、いつ裏切ってくるか分からない。故に、常に警戒をしておくべき対象なのです」

 一瞬、理解できなかった。目の前にいる女が勇者?こいつが?

「こいつが、勇者…?」

「ええ、ですので警戒をするのは当然のことなのです」

 それを聞いてまた残念そうにしている。

「ワシはヴァーミリオンの配下の者たちとも仲良くしたいんだけどねえ、給仕の子らはムルームの者だから、どうにも警戒されてしまう。竜種とは因縁深いが、こんなところにまで出なくてもいいってのに」

「ムルーム様は心の優しい方ですので、そのような態度を改めれば良いんじゃないんですか?まあ、貴女がそれを出来るかは置いておいて」

 マドレーヌの言葉に眉を動かす。

「言うようになったねえ、クソガキ」

 と、言いつつも、ため息を一つ。

「だが、まあ警戒されてるくらいが丁度いい。丁度、気も変わったことだ。アナ、お前の技量を測らせてもらうよ、さて…」

 その言葉を皮切りにすごい勢いで距離を縮める。マドレーヌの反応が遅れ、あっという間に鼻先まで詰められた。

「…っ、アナ様!!」

「イレギュラーがどれほどか…見極めようかね!」

 マカロンが反射的に前に出て一撃を受け止める。しかし、勢いのままに押し切られ身体が吹っ飛んでいく。

「ッあ…!」

「マカロン!!」

 マカロンの方に一瞬気を取られる。間合いはもうほとんどゼロに近いものだ。

「よそ見は厳禁だねえ」

 拳が飛んでくる。少し、短剣を抜くのを躊躇う。途端に振り払われて身体のバランスが崩れる。やられる、と咄嗟に目を閉じてしまった。

 目を開くと眼前に手があった。はじき出された指が額に当たる。

「あがっ!!」

 勢いに乗って身体が飛んでく。地面に投げ出される。間髪入れずに距離を詰めてきた。

「くそっ…」

 無理やり身体を跳ね上げ、回転して蹴りを入れる。いいのが入ったと思ったが威力を殺された。足を掴まれ投げ飛ばされる。

「…うっ」

「思ってたより、弱いねえ。ホントに聖痕があるのかい」

 そう言いながら歩いて距離を詰める。痛みで起き上がるのがやっとだ。

「もう一発、耐えれるかね」

 二撃目を構える。必死で動くが、遅すぎる。避けられない、と思った瞬間、間に人影が割り込んで、勇者の手をはじく。

「…っチィ」

 勇者が数歩、後ろに飛び距離を取る。

「お前も随分、挨拶が下手になったねえ。ビスケット」

「あんたには劣るさ」

 ピンクの髪を靡かせてアタシを背にする。

「こいつぁ、主の贔屓モンだ。あんたとヤッて大きな怪我をされても困る。今日は一応、護衛も兼ねての外出だからなあ」

「そうかい、そうかい。一対三、それも部隊長がいるんじゃあ少しばかり分が悪いねえ」

「よく言う。余裕だろうに」

 その返しに肩をすくめている。

「まあ、或る程度測れたからいいさね。老いぼれは帰るさ」

 ビスケットとの会話を切ってこちらを見る。


「帰る前に一つ…アナ。お前、どうして生きているんだい」

 身体が固まる。言葉がザクリと刺さった感覚がした。

「どうしてって…生きてちゃダメなのか」

「そう言ってんじゃあないよ。お前、自分が何のために生きているのか、まったく分かっていないだろう。動きで大体読めるさね」

 それは、どういう…

「素性は大体知ってる。勇者の受ける境遇もワシには分かる。いつの時代も変わらないもんだね。人間はそういう生き物だから仕方がない。勇者に選ばれただけで迫害を受け、ほとんど強制的に成長することを強いられた。

 それを受けてなお、ヴァーミリオンに拾われて生きることを決意したお前は、強いと言えるさね。だけどね、お前はまだ自分がなぜ生きるのか、生きたいと思うのかを、まったく分かっていない」

 頭で理解できない。でも心は反応している。勇者の言っていることは、的を得ている。確かに私には生きる理由が分からない。

「そのまま生きてもいいさね。それも一つの生き様さ。だけどね、『勇者』ってのはそう単純じゃあない。信念無き生には必ず苦境が訪れる。

 自分を持たぬ弱き者には超えられないほどのものがね。弱いままでいいならそれでいいが、勇者の路はそれを是としない。弱き者は生き抜くことは出来ない。それに…」

「やめろ!!」

 呼吸が荒くなる。肩で息をする。苛立ちが隠せない。

「アタシの境遇が理解できるんなら、踏み込まれたくないのも分かるだろ!」

「…そうさね。ワシも似たようなもんだからねえ。だけど自分でも、もう分かっているんだろう。弱いままではいられないという事は」

 沈黙する。応えたくない。

「答えを今出せってんじゃあないさ。今後必ずお前の壁になる問題を、今提示しただけの事。それを考えるも考えないもお前の勝手さね」

 心臓の音がやけに大きい。自分の周りの音がだんだんと小さくなっていく。

「肉体的にヤれねえからって、精神的にいたぶるのはいただけねえなあ。あんただって腐っても勇者なんだろうが」

 ビスケットが口を挟む。勇者が応える。

「お前より部外者じゃないからねえ。まあでも、今日の所はこれくらいにしておいたほうがよさそうかね。答えは次、会った時にでも聞くさね」

 向き直り、またこちらに声をかけてくる。

「種は蒔いた、水をやるのは本人次第さ。ヴァーミリオンの奴にもよろしく言っておいておくれよ。また茶でも飲みに行くさね」

 そう言って背を向け街の方へと消えていった。その後を追うことはしなかった。



 それからは、あまり記憶にない。と言うのも、アタシはその場で過呼吸を起こして倒れ込んだらしい。念のために編成されていた救護部隊員の処置もあって、大事なく帰ってくることが出来たようだが、高熱を出し寝込んだそうだ。

 目を覚ましたのは二日後の夕方だった。付きっきりで看病してくれていたリセから聞いた話だと、ずっと高熱でうなされていたみたいだ。

 魔王や調理部隊の奴らは頻繁に様子を見に来ていたらしい。仕事も手に付かない様子で、ついにはリセが『目を覚ましましたら連絡いたしますので、面会はそれまでお控えください』って張り紙をドア外に付けたとか。その様子を聞いた時は少し可笑しくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る