第五話 買い出し

 翌朝、窓辺で鳴く小鳥の声で目が覚めた。こんなに穏やかな朝は初めてだと噛みしめている。体を起こすと、少し寒さを感じた。

 冬の朝は冷えるからと、寝る前にリセが用意してくれていた、モコモコした長い布を肩から羽織る。

 扉を開けて廊下に出る。昨夜の宴がまるで嘘のように城の中が静まり返っている。


「おはようございます、アナ様」

 ふと声がしたと思うと、目の前にリセが現れた。


「うわっ、びっくりした」

「驚かせてしまったのなら申し訳ありません。しかし、声をかけるべきだと判断しましたので」

「なんで?」

 単純な疑問が浮かんだ。そのまま声に出た。


「こんな早朝に起きられて寒い中どこへ行かれるのか、というのと、出歩かれるのであれば靴を履いた方がよろしいかということを伝えるためですよ」


 靴、靴?ああ、そういえば扉付近にあった。あれはアタシのだったのか。などと考えていると、少しジトっとした目になって言葉を並べだした。

「…良いですか、アナ様。靴を履かなければ足を痛めてしまいます。怪我の具合も…スターチスの処置があったとはいえ、傷にゴミでも入ったらいけませんから」


「あ、あ~…でも、裸足の方が慣れてるし…」

 言い訳を並べるが意味はない。

「慣れの問題ではないですよ。これからはもっと、ご自身を大事にしてほしいという事です。主様だけでなく、配下である我々も…貴女と共に歩むことを決めたのですから。同胞には、身体を大切にしてほしいものです」

 少し意外だった。いつも喋り方が淡々としているから、ただ仕事をこなすだけの奴だと思ってたから。


「そういうもんなの?」

「そういうものです」

 感情的な面を見せてくれたのは初めてだったから、なんだかこそばゆい。


「それで、どこに行かれるのですか?朝食にはまだ早いですが…」

「ああ、えっと…ちょっと外の空気を吸おうと思ってさ。この城、山の上にあるからか、結構空気が澄んでいるみたいで」

 その言葉に少し考えこんだ後、声を発した。

「…でしたら、少し散歩をしましょうか」


 一度部屋に戻り、リセに靴を履かせてもらうと、部屋を出て右に曲がった。外の空気を吸うのに下に降りなくていいのか、少し疑問だったが、それも直ぐに解決することになった。


「ではこの先です」

 抜けた先には大きな窓ガラス。扉と言って差し支えないほど大きいそれを、リセはおもむろに開けると、先に出るよう促してきた。


「わぁ…すっごいね…!」

 思わず大きな声が出た。そこには、広々とした空が広がっていた。流れてくる雲が身体と少し被って足元が朧げになる、雲を泳いでいるみたいで、とても幻想的な雰囲気を感じた。その端から下を覗くと、中庭があった。


「ここは屋上でございます。開放的な空間を作るために主様が作らせました」

 なるほど確かに、ひらけていて、外の空気がとてもおいしい。

「ここ、連れてきて良かったの?」

 そう問うとリセは微笑む。


「アナ様が行きたい場所には、連れていくよう言われていますので。何より…私の知る中で外の空気を吸うに、最も相応しい場所でしたから」


「それは、ありがとう。たしかに靴は必要だったね」

 踏ん張れなかったら直ぐに落ちるだろうなあ、なんて考えながら下を見る。中庭の方には、おそらくこれから仕事だろう、軍の者が出始めていた。アタシは今日、どうしようか。


 図書館に行きたいとは言ったけれど、マナリアに挨拶した方が良いのだろうか、それとも、またするのは向こうも面倒だろうか…本を読むにしても、何を読めばいいのか分からないな、とか色々考えてしまった。


「まだ陽が出て間もないですから、冷えますね…そろそろ戻りましょうか」

 少し経って、リセが中に入るのを促す。それに賛同して部屋の方へと戻った。


 部屋に戻ると扉の前に魔王が立っていた。待っていたのだろうか。

「ああ、戻ったか。起き抜けに出歩けるほど回復しているのなら良かった。して、どこへ行っていたのだろうか」

「リセに案内してもらって、屋上を見てきた」

「そうか、あそこは良い場所だろう」

「うん、此処で一番いい場所かもね」


 冗談と他愛もない会話を続けながら、共に食堂へと向かうことにした。先刻さっきまでの静まり返っていた城内がまるで嘘かのように、食堂に近づくにつれて声が増えてきた。

 入口から中を確認すると、昨日の食堂とはうってかわって、人が多くいた。


「今日は朝でも結構いるんだな」

「早朝だからな。今から済ませて出る者が大半だ」

 そう言いながら昨日と同じ席につく。近くをアゼットとその部下たちが通った。


「お、アナ。おはよう!」

「ああ、アゼット。おはよう」

 アタシに挨拶するなり魔王にも挨拶をする。もう出ていくみたいだ。丁寧な感じで喋ることもできるんだな、と感じたが、口にはしなかった。


 食事が来た。今日は昨日と違うスープだ。手を合わせる。


「今日は図書館に行きたいんだったな」

「うん、あの時はあまり見れなかったから」


 スープを一匙、口に運ぶ。


「マナリアにも告げておいた。あやつ…アナは次いつ来るかソワソワしていたからな。きっと今頃準備に追われておる」

「え、なんで」

「どうやらおまえの事を気に入ったみたいだ。昨日、何か話していたではないか。その時に思う所があったんだろう」


 そんなに気に入るようなことあったかな。と考えるが、分からない。

「まあ気に入ってくれてるなら嬉しいから良いか。何かおすすめの本がないか聞いてみるのもありかな。難しいのは分かんないけど」

「良いではないか。どうせ、暇を持て余しているだろう」


 食事を済ませて席を立つ。ちょうど給仕部隊も朝の仕事を終えたらしく、調理場から元気に出てきたマカロンが、こっちに手を振っていた。それを見て思い出したかのように魔王が口を開く。


「おお、そうだ。少し考えたんだがな…図書館に行った後は、ビスケット部隊の買い出しに付いていきなさい。ビスケットの方には十時に中庭で落ち合うよう言っているから、衣類や必要なものを買い揃えてくると良い。」

 急だな、いや、前に話してたか。まあ図書館に居座り続けることもないだろうし、十時ならちょうどいいか。

「あの時は、何日か後にするって言ってたけど…まあいいや。ビスケット、ってのは会ったことないか」

「特徴的な外見をしているから、直ぐにわかると思うぞ。それに…部隊には会ったことのある者も所属していることだしな」

 少し笑いながら言う魔王に、なにか嫌な予感がした。


 食堂を出て少し歩き、図書館がある壁に着いた。二階から入ると思ってたけど、今日はそのまま一階から入るみたいだ。


「一階から入れるの?」

「昨晩、刻印を渡しておいたから、これで我が城の中は自由に行き来できる。図書館の罠もすり抜けることが可能だ」


 ああ、そういえば寝る前に手の甲に何かしてたな。眠気が強くて何やってんのか、あまり分かってなかったけど。


「ここ以外にも結構罠を張ってるとこあるの?」

「まあな、城まで攻めてくる者などほとんどいないが。念には念を入れておくのが、何事においても重要だろう」

 それはそうだが、ほとんどって。攻めてくる奴は居るんだな。

「さ、マナリアが待っている。早く入ろう」

「うん」


 壁を抜ける。扉をくぐるのとは違って、スッと入り込んでいく。液体のようなモノが体を覆っていくが、何かに当たっている感触はない。身体をそれが覆ってから数歩、前に進むと図書館に出た。


「あら、いらっしゃい。待ってたわ~」

 大きく一つ伸びをして、浮遊した状態で近づいてくる魔女。


「図書館を気に入ってくれたみたいで嬉しいわ」

「おはよ、マナリア。気に入ったってのもあるけどね…やっぱりちゃんと顔を出しておいた方が良いかなって思って。此処で暮らすことにしたからには、ね」

 律儀ねえ、と笑う。自分でもそう思う。

「そう畏まらなくてもいいのだが…」と魔王が口を挟む。


「アナがそうしたいってことでしょ、全く貴方って人は…」

 水掛け論で少しの痴話喧嘩を見せられる。少しして、気づいたかのようにこちらに声を投げてきた。

「…オホン。ええと、読みたい本があったらいつでも言ってちょうだいね。私は大体暇してるから」

「うん、頼りにするよ」

 魔王と同じ言葉に少し笑って返事をした。


 本棚に近づく。この辺は前来た時に魔王が読んでた本の辺りだな。色んなタイトルの本がずらりと並んでいる。一つ取ってぱらりとめくる。文字の読み書きは施設で無理やり覚えさせられたから読むことは出来るけど、内容はてんで理解できない。もう少し簡単なのを探してみるか。


「其処ら一帯はアルの趣味で置いてるのばかりだから、アナには少し難しすぎると思うわよ~。二階のちょうど真上部分辺りは、読みやすいかもしれないわね」

 カウンターの方から声を飛ばしてきた。ありがとう、と返して階段を上がる。魔王は、昨日と同じ席で本を読んでいる。


「ちょうど真上部分…この辺か」

 さっきのモノより少し厚さが薄い本がぎっしり並べられている。めくってみるとどうやら童話寄りの物語らしい。

 触りだけ読んでみても、難しい言葉はあまりなかった。確かにこれなら読めそうだ。何冊か面白そうなタイトルを取ってカウンターに向かう。


「あら、読んでいかないの?」

 少し残念そうに貸出処理をする魔女。


「うん、読んでっても良いんだけどね。今日はこの後、出なくちゃいけなくなって。服を見繕ってもらうらしいんだ」

「あら、素敵ね」

 と言って少し考える。そして、続ける魔女。

「…私も行こうかしら」

「あんたはここが持ち場なんだろ」

 少し笑って返す。


「ビスケット調理部隊ってのに付いてくんだけど、どんな奴らなの?」

 そう問うと難しそうな顔をした。

「おい、なんだよその顔。変な奴なのか」

「え~っとね…良い子たちではあるんだけど…給仕部隊は変な子が多いから…」

 なんだ、変な子って。

「上手くやってけるかな」と不安がる。


「どうかしら…ビスケットだったら部隊の中では常識人だし、貴女もリセたちと上手くやれているから大丈夫だとは思うけど…『』が彼女たちの性質なのと、それを加味しなくても温和な方だから」


 温和な方、かぁ。と俯きがちになる。マナリアが近寄り頭を撫でる。

「大丈夫よ。アルを信じるって決めたんでしょ?だったらドンと胸を張って前を向いてればいいのよ。そうすればきっと大丈夫」

 照れながらも礼を言う。そうして借りた本を抱えて部屋へと戻った。


「さて、そろそろ中庭に行こうかな」

 借りた内の短編集をキリの良いところで切り上げて着替えを済ませる。今回は手伝ってもらわずに全部着替えられた。


 靴の歩きやすさを改めて実感しながら中庭に出ると、給仕の服を少し動きやすく改変したような格好の者が、二十人ほど隊列を組んで並んでいた。先頭、アタシが来た方へ背を向けているモフモフしたピンクの長髪をなびかせる女性が立っていた。背丈はアタシより小さめ、腕などから、体のラインがとても細く、スラリとしているのが分かる。近づくとこちらに気づいたようで振り向いた。


「おう、アンタがアナだな。魔王様から聞いてるぜ。私はビスケット、此処の調理部隊の部隊長を務めている。以後よろしく頼む」

 思っていたよりちゃんとしていて少し驚いた。変な子だとは全く思わないが。などと呆けていたら、不思議そうに聞いてきた。


「…おーい、大丈夫か?ぼーっとしてるけど」

「ああ、ごめん。よろしくね。聞いてたイメージと少し違ったからびっくりしちゃった。変な奴が多いって聞いてたから」

「変な奴ぅ?ああ、まあ多いとは思うが…」

 多いのかよ。


「でもみんないい奴だから仲良くしてやってくれ」

 さっぱりとした顔で笑う。ハーヴェやマカロンの時にも思ったが、見ていて気持ちの良い笑顔をするものだな。と考えていたら…

「アナちゃ~~~~~ん!!!!!」

 この声。まさかとは思っていたけれど、まさかなあ。


「…わぷっ!?!?」

 こいつはいちいち抱き着かなきゃ挨拶できないのか。

「マカロン、アナが苦しんでんだろ。離しな」

「あ!ごめん、アナちゃん!!」


 ビスケットの言葉に落ち着く。いや落ち着いてるとも言えないが。

「…っ、大丈夫。まさかお前も居るとは」

 嫌な予感が当たってしまった。まあこれならまだマシか。


「だってマカロンも調理部隊だもん!!こう見えても!!!」

「調理に集中出来なそう、邪魔とかしてそう」

「出来るもん!!!」

「でけぇ胸は、邪魔になってるかもな」

 笑いながら横からビスケットが口を挟む。

「何おう!!」

 ムキになって顔が膨れていく。そのまま浮いていきそうだ。


「もう少し落ち着きなさいと言っているでしょう、マカロン。何にも全力なのは貴女の良いところだけれど、他者に迷惑をかけるのはダメです」

 そう言いながらマカロンの後ろの方から進み出た給仕が一人。この人は前に見たことがある。確か…


「アナ様、昨日ぶりでございます。私、マドレーヌと申します。初めてお見掛けした際に挨拶が出来ず申し訳ありません。これからよろしくお願いしますね」

 ああ、そうだ、マドレーヌ。あの時マカロンを叱りながら入ってきてた。


「大丈夫、よろしくねマドレーヌ」

「ありがとうございます」

 横でまだ膨れてる。子供らしいと言えばらしいけれど。


「二人は会ったことあるんだったな…よし、じゃあ今日の買い出しは、アナには二人についててもらおう」

「承知しました」

「は~~い!!!」

 部隊全体に出発の号令を出す。皆各々の役割を確認して歩き出した。


 外庭を抜けて南に進むと大きな門があった。城の門よりもいくらか大きい。上の方は少し霞んで見えるほどに高くそびえ立っている。


「わ、大きいな」

「外に繋がる門だからね。外敵の侵入を阻む第一関門としても機能してるんだ~」

「これを越えて入ってくる奴、いるの?」

「たまーにね。めんどくさい奴」

 本当に面倒臭そうな顔のマカロンに思わず吹き出す。


「あんまはしゃいでっと、こっから先で逸れるかもしれねえぞ~。特にアナ、離れないようにちゃんとついてきな」

 ビスケットが声をかける。

「分かってる、気をつけるよ」

「ならいいさ」


 門を抜けて広い平野を進んでいく。道は整備されていて所々に建造物もあるが、辺りはとてもひらけている。今日は最も近い街に出るらしい。

 街には、正直なところ、良い思い出はないけれど、魔族の街は違うかもしれない。そう不安になりながらも後をついていく。


 平野には魔獣がたくさんいた。施設で戦わされていた魔獣とはまた違っている。猪だったり鹿だったり、鳥だったりもいた。どれも凶暴そうだったけど、調理部隊の奴らに怯えていたみたいで、大人しくしていた。


「大体どれくらいで着くの?」

「そんなにかかんねえよ、十五分くらいか?」

「そうなのか、意外と近いんだね」

「まあ、城下町だしな」

 その言葉に少し引っかかる。城下町、城下町…?


「城下町って、城のすぐ近くにあるモンじゃないの?」

 あー、と少し説明に詰まる様子で続ける。

「ウチはちょっと違うんだよな。城の領地が広すぎるせいで、壁の外縁付近を囲んでる街は軒並み城下町ってことで扱ってんだよ」

 そうなのか、と飲み込む。


「東西南北それぞれ、計四か所に街が展開されててな…今日行くのは南の街、トルッカだ。ウチの領地内でも物流がかなり盛んでな、買い出しはこの街で済ませることが多い」


「四つも城下町があるのか?」

「まあ明確な境界はあまりないけどな。それぞれ得意なことが違うだけだ。っと、そうこう言ってるうちに見えてきたぜ」

 指を伸ばす先に先程よりは低めの壁が立っているのが見えた。

「さっさと済ませちまおう。気に入った服、見つけてきな」


 門を通過すると賑やかな声が聞こえてきた。魔王軍ほどではないが、かなり多くの人々でごった返している。これは確かにはぐれるかもな。


「…予想はしてたけど、やっぱり多いね」

「まあ城下町だしなぁ、特に昼前で用がある奴らばっか、ひしめいてやがるし」

 なるほど、時間的な問題もあるのか。


「おっし、お前ら。事前に分けていた通りに調達を済ませろ。二時間後にまたこの門の前に集合だ。では、解散!」

 ビスケットが号令をかけると部隊の者たちは各々の担当を済ませに散開した。

「じゃ、行こっか!」

「ええ。アナ様、服屋に向かいましょう」

 マドレーヌとマカロンに促されるまま後をついていった。

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