第二話 提案、そして宴会

「さて、まず今後について、生活の基本となる衣食住だが…」

 魔王は切り替えて提案を持ち出した。

「この客室をそのまま、お前の部屋にしようと思う」

「は?」

 思わず声が出た。そこまで驚くことかと言われたらそうでもないのかもしれないが、アタシにとっては十分に驚くことだ。今まで貧相な生活しかしてこなかったアタシでは、この広さの部屋など持て余してしまう。驚く声に対して魔王が不思議そうに言う。

「不服か?出来るだけ住みよい部屋をあてがおうと思い、この部屋が最適だと考えたのだが…嫌であれば別を見繕うが」

「いや、嫌ってわけじゃなくって…むしろ逆。アタシにはもったいなさすぎる。こんな豪華な部屋じゃなくてもアタシは空き倉庫みたいな所でも大丈夫」

 そう言うと魔王が食い気味に応える。

「それはダメだ。拾った時点で、健康的な生活を送れるように手配する義務が私にはある。お前が今までの生活をなぞる必要はない。もちろん、そうしたいという固い意志があるのであれば、その限りではないが」

 少し強い剣幕で圧倒された。絶対にそれが良いというわけではないし、良い生活を手配してくれるのは嬉しい、嬉しいが…

「落ち着けないかもしれない。慣れるまで時間がかかると思う」

 そう、少し変化に怯えている。

「であれば、お試しという事でこの部屋で暮らしてみて、一週間ほどでも落ち着かなければ部屋を変える、というのはどうだ」

「それなら、まあ…というか手配してくれるだけで嬉しいよ」

「では、その方向で。何かあればリセを呼べ」

 そう言って後ろに控えるリセを見る。無言で少しお辞儀をしてまたすぐ元に戻る。

「よし、部屋は決まったな。食に関しては言うまでもなく、衣服は…そうだな、次の買い出しの際に給仕と共に見てきなさい。次の当番となっている部隊は…」

「ビスケット調理部隊からですね。明日なので少し早すぎるかと」

 リセが口を挟む。

「ああ、そうか。しかし、早めに手配しておくのが…まあ、考えておく」

「承知しました」

 流れるように事が進む。アタシのことを話しているんだが、実感はない。望むものもないからいいのだが。そう考えていると話し終えた魔王がこちらに声をかける。

「これで生活の基本は心配ないな。この後だが、本日の出動部隊が戻り次第、全体に向けてお前の紹介をする。喋ってもらうというわけではなく、私の傍らに居ればよいから、畏まることもないだろう」

 なるほど確かに、自分たちの場所に人間、それも仮にも勇者が住むのだから、何の説明も無しにとはいかないだろう。しかし、やはり少しだけ怖い。魔王は部下たちにも理解してもらえると言ったが、信じきれない。この軍がどれほどの大きさかも分からないが、全員がアタシを良く思うなんて無理な話だって分かってるから。

「それに向けてだが、少し我が軍について話しておこうと思う。大まかにでも理解しておいた方が、これから動きやすいだろうからな」

「それは助かる。規模がどれくらいか、どんな奴らがあんたを慕ってるのか、知っておいて損はないと思うから」

 それもそうだ、と言わんとする顔で続ける。

「魔王である私、その下に四人、幹部的な立ち位置で私が選抜した者を置いている。これを四天王と呼ぶ。先程マナリアと会っただろう。あれも一応四天王だ。まあ、自身の役割を軽く考えているところもあるが…ああ見えて結構頼りになる奴だからな、またいつでも顔を出してやってくれ」

 そうだったのか。強そうだとは感じていたが、それほどとは。

「その下に実働部隊として六つの部隊がある。各々に役割を分けており、戦闘、防衛、特殊、製作、救護、給仕となっている。また、それぞれの部隊に大隊を置き、その下にいくつかの中隊、小隊を組むという軍体制を取っている」

 相槌を打ちながら耳を傾けている。よく分からないけど、体制だけでもかなりの人数がいることは感じられる。

「そして、実働部隊をまとめる統括部隊を置いている。各部隊における大隊長、副大隊長の計十二名で構成されていて、軍全体の指揮などはここに一任している」

「よく分かんないけど、結構大きいんだね」

 アタシの言葉に少し得意げな表情を見せる。

「まあな。その認識で大体合っているとも。これから細かい事は理解していけばいいさ」

 優しく微笑んで頭を撫でる。少しくすぐったい。

「部隊の説明はこれくらいでいいか。四天王についてなんだが…」

 そう続けようとした時に、バーン、と大きな音を立てて扉が開いたと思うと、勢いのままに泣きじゃくりながら一人の給仕が入ってきた。

「魔王様~~~~~!!!」

 見た目の特徴はリセと似通っているが、彼女とは違い顔に幼さが残っている。それと少しエプロンの面積が広い。背丈は、アタシと同じくらいだろうか。

「マカロン!!!面会予定も無しに押し掛けるのはやめなさい!!!」

 後を追ってきたのだろうか、少し息のあがっている給仕がものすごい剣幕で先程の給仕に詰め寄ってきた。こちらもリセに似ているが、切れ長の釣り目が儚く光っている。

「…っふん!!マド姉なんて知らない!!!あのね、主様!!!マド姉がね、マカロンにイジワルするの!!!」

「人聞きの悪い…あなたがまじめに業務に取り組まないからでしょう!?」

 かけている黒縁の眼鏡をくいっと上げ、怒鳴る。

「べー!!マカロン悪くないもん!!」

「あなたねぇ…!!」

 目の前で急に繰り広げられる口喧嘩に圧倒されていると、魔王の後ろに控えていたリセが口を挟んだ。

「二人とも、静かになさい。主様は今、アナ様に説明している最中です」

 少し怒っているような雰囲気を感じさせ、当の二人も気圧されている。

「で、でもリセ大隊長、マド姉が…」

 そう言って辺りを見回しながら言い訳を探している様子の彼女と、目が合った。

「あ~!!!!あなたもしかして!!!」

 ものすごい勢いでこちらに駆け寄って、勢いのままにアタシに顔を近づける。

「やっぱり!!!あなたが主様の拾ってきた勇者ちゃんか~!!会いたかったよぉ~~~!!!!聞いてはいたけど、実際見るとやっぱりものすっごくかわいいんだなぁ~~~!!!」

 顔の近くで大きな声を立て続けに投げられ、圧倒される。耳が少しキーンとなり、頭もくらくらしてきた。

「マカロン!!主様の前では礼節を弁えなさいと何度も…」

 そう言って咎めようとする女性を、魔王がなだめる。

「マドレーヌ、そう怒らずとも良い。しかしマカロン、アナが驚いている。元気なのは良いことだが、少し自重を覚えなさい」

「うぅ…わかりましたぁ…」

 魔王に制され、叱られた犬のように縮こまる。そのままマドレーヌに首根っこを掴まれ部屋の外へと抜けていった。


「そ、それで、何の話だっけ」

 まだ少し動揺しつつも、話を軌道に戻す。

「ああ、部隊の説明が終わったところだったな。四天王の話になるんだが、少しばかりおかしな奴らでな…最初は困惑させると思うが、悪い奴らではないからどうか大目に見てやってほしい」

 魔王の次の地位にある奴らがそんな感じで大丈夫なのか、と疑問に思いつつも、あの図書館にいた魔女種のことを思い出す。

「マナリアみたいな、変なのばっかりってことか」

「まあ、そうだな。それぞれ違った様子でおかしいのだが、そう思ってもらって構わん。一応紹介しておこうか…」

 と言ったところで、言葉が遮ってきた。

「主様、お食事の準備が出来ました。お先に済ませてから説明されてもよろしいのではないでしょうか」

 声の主はリセだった。ん?リセはここから動いていないはずだが、どうやって食事ができたのを知ったんだろうか。

「そんな時間か、では食堂へ行こうか」

 そう言って魔王は席を立った。


 昼食もかなり美味かった。とくに、今まで生きてきて食べたことのない、こんがりと焼いた肉の料理が美味かった。なんて言ってたかな、ポルカ牛だっけか。肉なんて腹を下すものだと思ってたけど、優しい味がした。朝昼で食べた野菜はこの城にある菜園で採れたものらしい。今年の冬はキャベ?という野菜が豊作だったそうで、シャキシャキしていて、嚙んでるだけで楽しい味だ。

「食べ終わったら、先程紹介できなかった所をいくつか回ろうか。中庭での話も半ば聞いていなかっただろう?」

 痛いところを突かれる。ばつの悪そうな顔をしてみた。

「中庭って言うくらいだから外庭もあるの?」

「ん?ああ、外縁にも庭を作っている。菜園もそちらに開いているぞ」

 そうなのか、と少し気になってみる。

「少し、見てみたいな」

「なら、食後に行くとしよう」


 さっき見た大きな鉄扉の反対方向、建物の二階をつなぐアーチ状の通路の下をくぐり、先へ進んでいくとまた大きな鉄扉があった。開くと空が見えた。ここは、山の上だったのか。麓の方には中庭とは比にならないほど広い、樹海とも言えるような植物の群生地が広がっていた。

「は!?こんなに広かったの!?」

 口をついた大きな声が空へと吸い込まれていく。ただひたすらに緑、緑、一面の緑だ。いや、良く見たら川もある。城の位置する山の上流から引いているみたいだ。その近くに農場。そうか、あれが菜園か。たしかに、軍の規模からして食糧の事を考えるとこれほど広い菜園は重要であるだろうと思えるほどに広い。

「一応、配下の集落も兼ねているからな」

 外庭へと降りていく階段を歩きながら話す。

「生活する場所なんだ、すごいね」

 純粋に誉め言葉が出た。実際、これは一つの都市と言っても過言じゃないほどに発展していると感じたから、この言葉は嘘じゃない。

「この自然を保つことが出来るのも、ムルームの存在と外縁管理部隊の日々の頑張りがあってのものだがな」

 自慢げになっている。自身の庭の自慢というより、配下の働きが誇らしいものであるというのが、ひしひしと伝わってくる。ところで…

「ムルームって?」

「ああ、四天王の一人だ。普段は地下に居るんだが、暇になったら遊びに上がってくるような気まぐれな子でな。寝ている間は、大人しいんだがな…」

 含みのある感じだが、やはりさっき言ってたような変人なんだな。

「面白そうな奴なんだね。さっきの騒がしい給仕もそうだけど、四天王だけじゃなくて、やっぱ変な奴らばっかりなんじゃないか?」

「はは、確かにな。まあ給仕部隊はムルームから派生した者たちだから、本質がどこか似てしまっているんだろうさ」

 そういうもんなのか。そういうもんなんだろうな。

 そんなことを考えていると、広い畑が見えてきた。

「さて、菜園に着いたぞ。ここでは主に野菜を栽培しつつ、他の植物の栽培、また品種改良も行われている。食べたいものがあるなら、前日までに言っておけば翌日の食卓に並ぶから、気軽に給仕へ申しなさい」

「食べたいって思えるほど種類を知らないけど」

「そこは今後知っていけばいいさ」

 少し笑っている。まあいいか。などと考えた時に、

「主様!」と大きな声を上げて、オーバーオールに身を包んだ、一人の女性が駆け寄ってきた。何か作業をしていたのだろうか、褐色肌に滴る汗が光に照らされて、爽やかさを感じさせる。

「ご機嫌麗しゅうございます、主様。本日はどのような御用でしょうか」

 片膝をつき頭を垂れる。長い金髪に麦藁帽が良く似合っている。

「ハーヴェか、お前も元気そうで何よりだ。用というわけでも無いのだがな、アナに我が城を紹介して回っているところだ。菜園の方に興味を惹かれたようでな、外庭の紹介も兼ねて降りてきたわけだ」

「なるほど、そういう事でしたか」

 そう言うなり立ち上がり、アタシへと向き直った。

「初めまして、貴女がアナ様ですね。私はこの城の給仕部隊で、外縁管理部隊の隊長を務めております、ハーヴェと申します。以後お見知りおきを」

「あ、うん、よろしく…」

 深々とお辞儀をする彼女につられ、お辞儀をする。

「貴女のことはリセを通じて聞いていますわ。私たち給仕部隊は全力で貴女の生活をサポート致しますので、御用がありましたら何なりとお申し付けください」

「い、いや、そんなに畏まらないで、いいから」

「そうですか?まあ、いつでも頼ってくださいませ」

 そう言って晴れやかに笑う。礼儀正しく対応されるのは慣れていないから少しこそばゆくなる。思わず魔王に少し近づいてしまう…と、少し気になる点があった。

「リセを通じて、ってどういうこと?リセってもしかして何人もいるの?」

 アタシの問いに少し可笑しくなったのか笑っている。

「いえ、リセは一人ですよ。我々給仕部隊は何と言いますか、思考を伝達することが出来るのです。普段は隊長同士でのみ伝達しておりますが、緊急時にはリセや私などを仲介にして全体に指示を伝える事もできます。ですから、貴女の側に控えているリセから、諸々の事情は聞き及んでおりますよ」

「なるほどね…あ!だからリセは昼食が出来たのを知ってたのか」

 合点のいったアタシを見て微笑む。笑顔がとても柔らかい。

「そろそろ戻ろうか、ではハーヴェ、後ほど」

「はい、すべて選りすぐりのモノを運ばせております。お楽しみにお待ちください」

 何かあるのだろうか、アタシには関係ないか。そう考えて、手を振る彼女を背にし、城の方へと戻っていく魔王の後を追った。


 部屋に戻ってから少し時間が経った。特にすることもないから部屋の中をうろうろしたり、ベッドに転がってみたり、棚の本を開いてみたりした。難しい本はもっと文字が読めるようになってからの方が良いか。そういえば魔王から渡されたんだった、と腰に装備した短剣を抜いてみる。装飾の少ないシンプルな造り、軽く、鋭い、良い剣だ。思えば、剣を触るのもいつぶりだろうか、今のアタシには必要ないのかもしれないが。

 太陽が低くなっていき、空が薄いピンク色に染まっていく頃、外がざわつき始めた。中庭の方から聞こえてくる。耳を傾けていると、扉をノックする音が聞こえてきた。

「アナ様、全軍揃いましたので紹介の準備を」

 リセの声だ、夜頃と言っていたが意外と早くに集まったみたいだ。

「わかった、着替えて行くよ」

 用意されていた服に着替える。スカートと言うらしいこのひらひらした服は、どう履けばいいのか分からず、少してこずったが、リセが手伝ってくれた。なんだかふわふわした雰囲気の服が似合わない自分に少し笑えてくる。身だしなみを整えて扉を開けると、すでに魔王が待っていた。

「準備が済んだか、では向かおう」

 少し歩くと扉のような窓があった。開くと半円形のバルコニーがある。進んでみると中庭が一望できる。気づけば横に、マナリアが立っていた。

 中庭はおそらく軍の者と思われる者で埋まっていて、整然と並んでいる状況に思わず圧倒される。魔王がさらに前に進み顔を覗かせる。それに合わせて全員が片膝をついて頭を垂れる。

「皆忙しい中、良く集まってくれた。まずはそのことに対する礼を言おう」

 配下は静かに聞いている。

「今日集まってもらったのは、何より優先すべき事柄が生じたからである。すでに耳に入れている者もいると思うが、先日、街に出た際に人の子を拾った」

 少しざわつき始める。マナリアが手を挙げて制止する。

「死にかけの童を見殺しにするほど落ちぶれているつもりもない。連れ帰り救護部隊に治療をさせたが治らない傷もあった。それは今後段階的に治していくが、今回の問題はそこではない」

 一息入れて繋ぐ。

「治療段階でスターチス大隊長が左胸部、心臓の位置する部分に逆十字の聖痕を発見した。この聖痕は勇者の証として刻まれるものと同様の物である」

 大きなどよめきが上がる。魔王はそのまま続ける。

「皆も知っている通り、勇者は魔王に対して一人、神により選定される。現代における魔王は三人、勇者も三人、既にこの世界に存在している。故に新しい勇者が現れたことは、世界の異常を意味している、と私は考えた」

 配下の一人が声をあげる。ではなぜ、直ぐに始末しなかったのですか。それが普通の反応だろう、アタシでもそうする。

 そいつの発言を皮切りに、口々に疑問を投げかけ始める。危険ではないのか、どのような判断で始末しないとしたのか、そもそも人間を拾うことが間違いではないのか、どれももっともな意見だと思う。

 ほら、これが現実だ。アタシがどれだけあんたを信じようとも、配下はアタシを認めない。これからなんて無いんだよ。

 途端、押しつぶされるほどの重圧が空間全体に広がる。

「静まりなさい」

 倒れそうな身体を必死に堪えながら、声の方を見る。マナリアから発せられたものだった。魔法の一つだろうか、声をあげていた者たちも皆、重圧に耐えるのに必死だ。

「マナリア」

 魔王が一言で制する。マナリアは不機嫌そうに重圧を解く。

「皆の疑問は当然のものである。私の考えを一言でまとめるならば、我らの未来のためというものだ。この考えを理解してもらわなければ、我らの国、ひいては世界が滅んでしまう危険性を無視してしまうことになる」

 何を言っているんだ、未来?アタシを拾ったことが、魔族たちの未来に関わることになるわけがないだろう。ひどいこじつけだ。

「勇者の選定は神の演算によって行われる。それは過去、現在、未来に起こる事象すべてを見た上で最善となるように決めている。それではなぜ、魔王が三人であるのに新たな勇者が生まれたのか。ここから先は私の推察の域を出ないが…

 勇者が生まれるという事は、魔王が生まれる、またはそれと同格の存在がこの世界に現れることを意味している、と私は考えた。また、この存在がかなり怪しいとも私は考えている。先代から継承し国を三分した他の魔王とは、血縁と協定により不可侵を得ているが、これから生まれてくる其れは確実に血縁ではなく、また、この存在が協定を結ぶかどうかは不明瞭である。故に、敵対する可能性も未知数、我ら魔族だけで対処できるかも測りかねる状態だ。

 そして其れは、人間界にも危険を及ぼす可能性がある。魔王ないし同格存在は本来、世界にとっての危険因子ではあるからな。であれば、人間と手を取り対処する必要がある。

 私が人間と友好関係を築き、今後の世界に秩序をもたらしたいという想いを持っていることは、皆理解してくれていると思うが、ここに居るアナはそのきっかけとなる架け橋であると思っている。その同格存在に対応する彼女こそ、この世界に平穏をもたらす、尊い存在になるであろうと私は信じている。

 逆を言えば、ここでアナを迫害してしまえば今後一切、魔族と人間の間では手を取り合うことはないと考えている。一人の少女を信じることすらできない者が、他の人間を信じられるわけがなかろう。であれば、私の理想もそこまでだ。

 そして、そうなってしまえば、新たな同格存在にも滅ぼされるしか道はない、私たちの世界はそこで終わりを迎える」

 配下は皆、静かに聞いている。魔王を見定めているのだろうか。

「これが、我らの未来のため、という言葉の真意である。アナと共に生き、アナと手を取ることで、これから先の未来を、明るいものにしていく。彼女を信じることから、始めていこうと考えたということだ。私の意見にすぐに賛同しろとは言わない、個々の考えがあるのも当然の事である。しかし、アナが世界にとっても、我ら魔族にとっても、大切な存在であるという事は、理解してほしい」

 一拍置き、歓声が上がる。魔王が、我らの主が、これほどまでに世界を見据えていたのかと、我々のことを案じていてくれたのかと、ただひたすらに歓声が上がる。

 人間と共に歩むことが、決して簡単なものではないということは、皆分かっているつもりであるが、魔王の意志の前では、そのような不安は微塵も残らなかった。ただ主の心を尊重し、主と共に未来へと向かう覚悟を、すでに皆が決めていた。

「すごいね、あんた。こんなに慕われてんだ」

 元々、ダメだろうと思っていた反動で、何か罵倒の一つでも言う気力さえも無くなってしまった。この魔族には、これだけの者たちを動かす力があった。

「私が凄いのではない。私を慕ってくれ、お前という存在を認めてくれた、全ての配下たちが素晴らしいのだよ」

 得意げなのは少し鼻につくが、免じてやることにした。

「では皆、急な召集で悪かったが、これにて私から述べることは終わりだ。当事者であるアナの言葉を以て、今日の締めとしよう」

 急に投げかけてきた。何もしなくていいって言ってただろ、と訴えんばかりの目で睨みつけるが、もう流れは出来てしまった。

「さあ、アナ。皆待っている」

 さあ、じゃないが…ここで駄々をこねても仕方がない。前に進み、中庭を見下ろす。さっきから見ていた景色がより広くなった。歓声は止んでいない。あれが勇者か、まだ幼い子供じゃないか、想像してたより可愛い、など、いろんな声が聞こえてくる。可愛いは、照れるからやめてほしい。

「上手く喋れなくても文句言うなよ」

「言うわけがないだろう。自分の気持ちを吐き出せば良い」

 簡単に言ってくれるな、まあ…やるしかない。もう一歩前へ。

「あー、聞こえてる?アタシがアナ。まあ、素性とかはさっき言ってたようなモンで合ってる。成り行きでここに住むことになったけど、正直な話まだ完全に魔族を信用してるわけじゃない。

 だけど、アタシを信じてくれるこの魔王を信じてみようと思ったんだ。だから、あんたたちもアタシを信じなくてもいい。これからお互いに知って、そこから始めていこう」

 アナの言葉に耳を傾けていた配下の者たちは、一瞬の静寂の後に先程より大きな歓声を上げてアナを祝福した。音圧にたじろぐ。

「そ、そこまで騒ぐことか!?」

 アナを片手で支え、魔王は言葉をつなぐ。

「これにて緊急集会を終了とする。今日の晩飯はアナの歓迎会も兼ねてとても豪勢にしているから、皆の者、飲んで食って騒げ!!!」

 魔王の言葉で、中庭は完全に宴ムードになっていた。アタシはその場を後にして、部屋に戻ることにした。


 部屋に入るとベッドに転がる。今になって緊張が来たのか、手が少し震えている。他人に見られているという事が、これほど強張るものだったのかと驚いている。

 それにしても、あの演説で言っていたことは、結局何なんだろう。アタシが勇者として生まれたから、新しい魔王か同じくらいヤバイやつが出てくるかもしれない…?そこも考えに入れてアタシをここに住まわせるくらいなら、そいつが現れる前にアタシを消せばいいのでは?いや、そうしないことは、もうわかっているのだけど。考えていたらノックがした。返事を返すと扉が開き、魔王が入ってきた。

「おお、部屋に戻っていたのか。すでに宴の準備は出来ている。主役のお前が来なければ始まらんからな、すぐに向かうとしよう」

 主役と言われても、こちらは別にそのつもりがあるわけじゃない。実際、あの魔王の演説で魔王軍の大半はアタシに対して好く接してくれるだろう。それは嬉しい。でも、中心には居たくない。アタシはあくまで人間で、魔王軍の奴らとは根底で違っている。だから、アタシが中心で注目を集めるのは、どちらにとっても良いとは言えない。だけど…

「そう思案するな。お前はまだ若い。ただ己が心に正直に生きていればそれで良いのだ。宴も出たくないのであれば、無理にとは言わない」

 魔王もまた心配している。これはアタシの問題。だったら自分から踏み出すしかない。

「いや、大丈夫。出るよ。信じてくれるんならアタシからも歩み寄らなきゃ」

 その言葉に嬉しそうな顔をする。単純な男だ。


「陛下!!もう皆集まってますよ!!」

 案内されたのは言葉で表すのが難しいほど広い空間。案内してくれた給仕は大広間と言っていた。すでにオーケストラの音が聞こえてくる。中央では音楽に合わせてダンスが繰り広げられている。

 先程はあまり見る余裕がなかったから気がつかなかったが、この組織にはかなり多くの種族が存在している。そういえば外庭を回った時にも、非軍人でいくつも集落が形成され、生活していると言っていたな。耳長種エルフ牙豚種オーク狼頭種ウルフマン鳥人種ハーピーといった亜人種族だけでなく、スケルトンやゾンビなどの不死種族がひしめき合っている。

「さっきも思ったけどさ、すごい人数だよね」

 率直な感想を投げる。

「そうだな、もとより私の代だけではないからな。先代が統一し、我に賛同した種族らが、この魔王軍という組織だ。この集積を私は誇らしく思っている」

 先代から、か。たしかにこいつ一代でこれだけの種を束ねられるとしたら、それは統制の天才と言えるほどに凄まじい、そっちの方が合点はいく、などと勝手に納得していたら遠くから呼ぶ声がした。

「おーーーい!!!アナちゃーーーん!!!」

 この声の大きさは、やっぱりあいつか。マカロンとかいう給仕だ。飛び込んでくる、勢いのままにアタシに抱きつく。大きい胸が頭にぶつかり、首が取れるかと思った。

「っわぷ…!!」

 思わず声を漏らしたが、当の本人は気にも留めず騒いでいる。

「アナちゃん、さっきの演説かっこよかった~!!ここに居るって決めてくれてありがとね!!これからいっぱい遊びたいな~~~!!!」

「っぷは…お前は、ホント騒がしいな。でも、ありがとう」

 ようやく息をつき言葉を発する。

「あっちにね!!バジリスクの丸焼きがあったんだ~~!!!しかも成体のだからかなり大きかったよ、食べに行こうよ~~~」

 そうやって腕をひっきりなしに引っ張る。

「わかったから、引っ張るなー!」

 そんなやりとりをしていると、軍服を着た男がこちらに歩いてきた。

「何やってんだアホ助」

「げっ、アゼ兄…」

 男を見るなり、マカロンは動きを止めて嫌そうな顔をした。

「あんまり新入りに面倒掛けんなよ。すまねえな、えっと…アナだったか」

 白髪褐色はくはつかっしょくの好青年、体格は細身だが無駄な肉が無く引き締まった筋肉質で、背丈はマカロンより頭一つほど大きい。耳が少し長いから長命種だろうか。

「うん、あんたは?」

 アタシの問いに対して一つ咳払いをして応える。

「ああ、名乗るのが遅れた。俺はアゼット、戦闘部隊副大隊長、兼、第一部隊長を務めている。力仕事なら気兼ねなく言ってくれ。菓子ひとつで手を打つぜ」

 菓子ひとつとは、結構安上がりなんだな、と思った。

「アゼ兄はね、普段は周辺警備を任されてるからおやつのお菓子を食べ損ねることが多いんだ~、だから見返りに菓子をもらってるの。こう見えてけっこう力自慢だからいっぱい頼ってね」

「なんでお前が言うんだよ」と、苦笑して突っ込んでいる。

「必要になったら頼むかも、そん時はよろしく」

 社交辞令を飛ばして微笑む。

「ところで、勇者なんだってな。強いのか?」

 急に踏み込んできた。マカロンほどはいかないが、この男もかなり距離感がはかれない奴らしい。

「手合わせしたいんだが、いいか。嫌なら構わないが」

「もう、アゼ兄。アナちゃん困らせないでよ」

 お前の時ほど困ってないが。

「お前よりは困らせてないけどな」とアゼットが言う。

 なぬっ、と声をあげて項垂れる。困らせてる自覚がなかったのか?

「まあ、ちょっとくらいなら。でもアタシそんなに強くないよ」

「いいんだ、職業病みたいなもんでさ。仲間の力量を知っておいた方が何かと便利ではあるんだよ。とりあえず中庭に出るか」

 流されるまま外に出た。アゼットは少し離れると向き直って声を投げる。

「武器はどうする?俺ぁ素手でも構わねえが」

「出来ればあった方が良いかな。素手だとアタシの勝ち目ゼロだし」

 そうか、と言うなり此方に向けて手をかざす。手の先から光が長く広がっていき、一本の槍が現れた。男は構える。

「死ぬ気で打ち込んできな」

 魔王ほどではないが、かなりのオーラを纏っている。力量がひしひしと感じられる。これほどの圧を感じさせる存在が部隊長だとは信じがたい。そう感じながら、魔王から渡されていた短剣を握る。足に力を籠める。

「いくぞ」

 踏み込み、飛び出す。短剣を振りぬき首を狙う。反応が早く、はじかれる。勢いのまま体をひねり、次の剣撃を打ち込む。柄で受ける。そのまま受け流されて、転がる。勢いを殺し顔をあげると、穂先があった。

「詰み、だな」

「まだだね」

 一瞬の隙を突き、穂先を短剣ではじく。すぐさま前に踏み込み心臓めがけて剣先を突き立てる。獲った。と感じた刹那、柄を回して短剣にぶつけられた。

「っぐ…!!」

 狙いの外れた剣先は相手の脇を抜けていく。流れた身体を蹴り飛ばされ、地面で跳ねた勢いを使い、宙で返らせ体勢を直す。一瞬の判断が重要になる逼迫ひっぱくした戦闘。これまで経験したものが微温湯ぬるまゆだったと感じさせる。


 何度打ち込んだろうか。施設に居た頃よりも動いている気がする。肩で息をつくが、決して相手から視線を外すことはしない。

「さすがに勇者、なかなかに良い動きだ」

 よく言う、まだ本気じゃないくせに。

「あんたの強さは分かった。アタシの現状はあんたに勝てないってことも。だから…」

 一つ、深く息をつく。

「こっからは殺す気で行く」

 鼓動が早くなる、全身に力が入る。全霊で命を感じている。

「ああ…だったら俺も、本気で相手をするよ」

 態勢を整える。構えが変わった。

 互いに踏み込む。剣先と穂先が、交わった。


「そこまで」

 そう思った途端、声と手を叩く音がして、互いの位置が入れ替わっていた。

「へーかぁ、そりゃねえよ~。せっかく盛り上がってきたのに」

 何が起こったのか分からなかったが、アゼットが声の主に文句を言ったことで察しがついた。魔王が何かしたのだろう。疲れが一気に来てペタリと座り込む。

「戯れも熱が入れば死合になる。武技を使えば尚更だ。緊迫した戦闘が楽しいのは私にも分かるが、節度は守らなければな」

「ちぇっ…分かりましたよ」

 不満を隠さずに不貞腐れている。まあ、アタシも邪魔が入ったなとは思った。

「やっぱ実戦に慣れてる奴は強いんだね」

 アタシの言葉に少し面食らった様子を見せたが、直ぐに笑った。

「まあな、毎日鍛えてっから」手を差し出す。

 アタシも、少しは鍛えてるんだけど。そう思いながら握手をした。その後は少しだけ話をしただろうか、マカロンも交えて三人で、他愛もない時間を過ごしていた。


「おっ、メインディッシュが来たみたいだな。そろそろ戻ろうぜ」

 そう言って広間の方へと歩いていく。見れば魔王の横でハーヴェがこちらに向かって手を振っていた。

「アナ様、アゼットも。その辺りでほどほどにしてディナーを楽しみましょう。私も威信をかけて食材を獲ってまいりましたから」

「へぇ、ハーヴェが獲ったのか。久方ぶりで腕は鈍ってなかったか?」

 おう、煽る煽る。気の置けない間柄なのだろうか。

「ええ、先程の貴方のヌルい動きよりは」

 こっちも結構言うな。


 広間に戻ると、中央に巨大な皿。両端に魚の頭と尾びれがデカデカと置かれていて、本来身体がある部分には様々な魚料理と思われるものが盛り付けられている。

 皿の前でマドレーヌやマカロンと同じ格好をした給仕が何人か、皿の上を説明している。

「皆様、本日のメインデッシュ、巨大回遊魚を一尾丸々使った、海鮮盛り合わせがご用意できました。焼き物、煮物、揚げ物から生まで、お好きなものをお取りください」

「焼き物は小麦粉をまぶして表面に焼き色を付けた腹の部位を中心に出しております。煮物は季節の野菜と共にほろほろになるまで煮込んでおりますので、身の崩れにはご注意ください。揚げ物は素揚げ、胡麻油、花油の三種からお選びいただけます」

 なんだか一斉に説明されてあまり頭に入ってこないけど、とりあえず美味そうなものだというのは分かった。魚は食べたことないし、どんな味がするんだろう。

「どれが欲しい、取ってやろう」

 ずいっ、と隣に魔王が来た。どれも美味そうなんだが…

「じゃあ、あの焼いてるやつ。キャベの上に乗ってる」

「ああ、これだな。柔らかいが少し骨がある。取っておこうか」

 いや、いいよ。と制止する。そこまでしてもらわなくても良い。

「昼に肉を食べることが出来ていたからな、消化器官の修復も済んでいるとは思うが、よく噛んで飲み込むようにな」

「わかった、ありがとう」

 皿を受け取りフォークを刺す。少しの弾力があるが、スッと入っていく。一口、含む。素朴な味わいだが、繊細な香りが口に広がる。舌触りが良く、溶けてなくなるような感覚。これが、魚の味…

「美味い、な。肉とも野菜とも違ってる。独特な感じだ」

「ハハッ、美味いなら良かった。給仕も冥利に尽きるだろうさ」

 笑っている。でも、給仕には感謝しなくちゃな…今日だけで食べたことない美味いものを幾つも食べさせてもらってる。

「アナ様が気にすることはないですよ」

 いつの間にか隣にリセが立っていた。急な言葉にびっくりした…というか、今普通に考えてることを読んできた?

「そう驚かずとも大丈夫です。癖で見ているみたいなものですので」

 続けるな、続けるな。まだ頭で分かってないんだよ。

「なんで考えてることがわかるんだ?」

「読心術を心得ていますので。推測の域を出ないものなので、完璧にとは言いませんが」

 読心術と言っても、そこまで読めるものなのか。

「リセって出来ない事あるのか?」

「出来ない事の方が多いですよ。給仕として出来る事をこなしているだけです」

 そう言って優しい微笑みを浮かべている。同じ給仕でもマカロンとは違って、控えめな奴なんだな、と思った。


 食事も終わり、魔王軍の奴らと少し話したりもしながら宴の時間を過ごしていた。楽しさによる高揚感、熱をもって身体を満たしていくそれを冷ますために、人気ひとけのないバルコニーで風を仰いでいると、後ろから声がした。

「楽しめているか、騒がしいのが苦手だったら難しいかもしれないが」

「楽しいよ、こんなに騒がしいのは初めてだったけど」

「そうか」

 そう言うとアタシの横に腰を下ろして続けた。

「今日は特別騒がしいからな、これで大丈夫なら今後も上手くやっていけるだろうさ。それと、全員に話しかける必要はないからな。自分のペースで歩み寄ってくれれば、皆それに応えてくれる。少しずつで良いのだ」

「分かってるよ」

 グラスに一口、言葉を紡ぐ。

「実はな、配下にお前のことを調べさせている」

 は?

「お前をこれから養っていく以上、それを知る義務があると考えた。何より、お前をあそこまで追い込んでいたモノを知っておくべきと感じたからだ」

「信じるって言ったよな」

「無論、信じているとも。お前を信じた上で、最小限でも知っておかなければならないことを調べている。まあ、大方予想通りだったが」

「じゃあ、もう知ってるのか」

「ああ」

「そう」


 一時の沈黙を切り、アタシから声を発す。

「たぶんあんたくらいの情報網だと精度も高いだろうから、全部本当だと思うよ」

「そうか、では」

「まずは村を滅ぼそうか」

 何て言った?村を…?

「滅ぼす…?」

「ああ、もちろん。お前はすでに私の仲間、家族のようなものだ。であれば、家族を傷つけた者たちは消すのが私の道理である。少なくとも私はそう考えている。故にまず、原因となった村の者たちを滅ぼす」

 言っていることは耳に入るが、頭で理解するのが難しい。たしかにアタシはこいつの下で生きてみることにしたし、信じてみようとも思っている。それは家族と呼べるのかもしれない。だけどアタシの過去は、ただの過去だ。そこまでしてもらわなくても、アタシは別に良かった。と言うよりも、あんな奴らに、時間を割かせたくなかった。

「別にいいよ。あんたらが手を出さなくても」

「世にはケジメと言うものがある。あの村の者たちがどれほどの事をアナにしたのかは、まだ私は知らないが、少なくとも傷つけたことは分かっているのだ。それ相応の報いを受けてもらわねば、何より私の腹が収まらん」

 ナンギな性格だな。でも、そこまで思ってくれるのは、悪い気はしなかった。

「アタシはいつか復讐するつもりだった。今もそれは変わらない、と思う。でもあいつらを消すためにあんたらの手を汚したくないって言うのも、アタシの気持ち。だから、アタシの過去を綺麗にしようとしなくていいから。信じさせてくれるんだろ」

 しばらくの間、難しい顔をして考えこんでいたが、意を決したように声を出した。

「お前がそう言うのなら、私も呑まねばなるまい。だが、これからは過去ではない。お前は私の仲間だ。そのお前に今後も害をなすような者が出てくれば、容赦はしないとも。そこだけは、納得しておいてくれ」

「分かった、ありがとう」

 アタシの返事に安心したのか、少し顔を綻ばせる。

「というか、調べたってことはあいつらの事も、もう知ってるってこと?」

「ああ、それに関してはお前を拾う以前より知っている。と言うよりも、お前の方が知らないだろう。ほとんど監禁に近い状態だったのだから」

 それを言われると耳が痛い。たしかに詳しくは知らないけど。

「良い機会だ。ここで説明しておこうか」

「あんまり難しくしないでなら」

「善処する」

 そう言うと魔王は話し始めた。

「まず、現在の世界の構造についてだが…ここは大丈夫か。魔族と人間が対立していて、世界の半分を三人の魔王が分割統治している。魔王に対して一人ずつ勇者が神より拝命を受けている。魔王側はそれぞれが国を持っているため、三つの国家が形成されているが、人間側はそれよりも多く国家がある。大丈夫か?」

「うん、大丈夫」

「では、次だ。人間側に関するものだが、先程述べた多くの国家は、大きく分けて二つの勢力があり、これは人間が信仰する二つの宗教が中心となっている。一方は、白き幻鯨げんげいを崇拝し、その永久なる美を追い求める白鯨はくげい教、もう一つは勇壮なる黒兎に魅入られ、力こそ信なるモノとする黒兎こくと教だ。これら二つの宗教は白鯨と黒兎を神格化し、またもう一方の宗教を異端として対立している。

 しかし彼らにとって最も忌むべき者として位置づけられているのは、我ら魔族である。我ら魔族にとって白鯨や黒兎といった幻獣種は、珍しい生物ではあるものの、特段崇めるようなものでもないからな。その考え方が気に食わんらしい。故に彼らは魔族を敵対視する。これが長きにわたって魔族と人間が和解できない理由の一つである」

 なんだか難しいものがいっぱい出てきたけど、要するに人間と考え方が違うから対立しているってことで良いみたいだ。と、考えていたところで疑問が浮かぶ。

「勇者ってどっちの宗教に居るんだ?どっちにも?」

 問いに対して、首を横に振り応える。

「実はだな、これがまたややこしいのだが…三人の勇者は皆それぞれ、どちらの宗派にも属していないのだ」

「え?どういうこと?」

 一つ咳払いをして続ける。

「勇者にとって信仰すべきはただ一柱の神のみ。白鯨や黒兎などは、信仰の対象にはならない。また、彼らは人間を守ろうとも思っていない。拝命した役割をただこなす為に、自身の矜持を掲げている。無論、二つの宗教はこれを良く思っていない」

「でも勇者は…まさか」

 何かに気づいたように魔王を見る。気づきたくなかったのかもしれないことに、自分で気づいてしまった。

「ああ、そこでお前の居た施設が出てくる。あれは勇者を無理やり生み出すための養成施設だ。素質を持ったモノを強制的に連れてきて育成する。人体実験も厭わない。勇者と魔族に対抗するための人間兵器を造り出すためのものだ」

 やっぱり…ということは、アタシは…

「アタシは本当の勇者じゃないってこと…?」

「いや、それは違う」

「は?どういうこと?」

「お前には聖痕がある」

「それが、どうしたの」

 一口酒を煽ってまた喋り出す。

「集会の際にも言ったが、勇者の選定は神の演算によって行われる。その結果、神からの寵愛の印として身体の何処かに聖痕と呼ばれる逆十字が刻印される。

 これは理外により起こる事象であり、人間の手によって造られる勇者にはこれがない。故にお前は真なる勇者なのだ。分かるか?」

「…そっか」

「…気を悪くしたなら謝ろう」

 俯きがちに首を横に振る。少し残念に思ったのは言わなかった。

「じゃあ、なんでアタシはあそこに居たんだ?」

「それなんだがな…お前が勇者であるという事を聞きつけたその施設の者たちが連れ去ったものと考えられる。おそらく聖痕があることを村の人間が知り、お前の親に手をかけると同時に、施設の方にも露呈していたのだろう」

 自分でも驚いたが、怒りが込み上げてこない。ただ、父さんと母さんが殺されたことを思い出して、また悲しくなるだけだった。

「勇者を自覚したばかりで困惑しているお前を、精神操作して自分たちの良いように育成すれば、勇者はおろか、魔王にも対処することが出来ると考えたんだろうな。どちらの宗教かは知らんが、手段を択ばず他者犠牲を行う点が頭にくる」

 少し怖い顔になってる。目をそらす。

「どちらか分かり次第、潰しても構わんが…それはお前が嫌うのだろう」

「うん、怒ってくれるのは嬉しいけど、その手はクズを払うのには使わないで」

「ああ…ではこちらからは不干渉でいく。それでいいか」

「もちろん、アタシは此処での平穏が脅かされなければ、とりあえずはそれで良い」

 魔王は少し笑う。そして続ける。

「さて、そうなると何がしたいか、だな。今後の目標でもいいだろう。やってみたいことはあるか?今までできなかったこと、本当はしたかったこと、何でも言ってくれ。私の届く範囲なら全て応えて見せよう」

 そう聞かれて考える。やってみたいことなんて、考えたことが無かった。それでも、出来るだけ、少しでも、小さなことでも、考えてみる。そうして答える。

「だったらまずは…」

「また図書館に行ってみたいな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る