第三話 語りかける、寄り添う

「さて、まず今後について、生活の基本となる衣食住だが…」

 魔王は切り替えて提案を持ち出した。


「この客室をそのまま、お前の部屋にしようと思う」

「は?」

 思わず声が出る。今まで貧相な生活しかしてこなかったアナでは、この広さの部屋は、どうにも部屋とすら思えなかった。魔王は不思議そうにしていた。


「不服か?出来るだけ住み心地が良い部屋をあてがおうと思い、この部屋が最適だと考えたのだが…嫌であれば別を見繕おう」


「いや、そうじゃなくて…むしろ逆。アタシにはもったいなさすぎるよ。アタシは空き倉庫みたいな所でも大丈夫なんだけど…」

 そう言うと魔王が食い気味に応える。

「それはダメだ。拾った時点で、健康的な生活を送れるように手配する義務が私にはある。お前が今までの生活をなぞる必要はない。もちろん、そうしたいという固い意志があるのであれば、その限りではないが…」


 少し強い剣幕で圧倒された。しかし、アナも食い下がる。

「ギムギムって言うけどさ…落ち着けないかもしれない。こんな明るい部屋知らないし、慣れるまで時間がかかると思う」

 そう、急な変化に怯えているのだ。


「であれば、落ち着かなければ部屋を変えるというのはどうだ」

「それなら、まあ…というか手配してくれるだけで嬉しいよ」


「では、そうしよう。何かあればリセを呼べ」

 そう言って後ろに控えるリセを見る。

「よし、部屋は決まったな。食に関しては言うまでもないが、衣服は…そうだな、次の買い出しの際に給仕と共に見てきなさい。次の当番となっている部隊は…」

「ビスケット調理部隊からですね。明日なので少し早すぎるかと」

 リセが口を挟む。


「ああ、そうか。しかし、早めに手配しておくのが…まあ、考えておく」

「承知しました」

 流れるように話が進んでいく。アナには実感がなかったが、話し終えた魔王が急に声をかけたことで、自分の話だと再認識した。


「これで生活の基本は心配ないな。この後だが、軍の者たちが戻り次第、全体に向けてアナの紹介をする。遠征に出ている者も居るが、その者たちには手紙で報を入れておこう」


 理にかなっている。説明も無しに自分らの居城に人間が住むことになるんじゃたまったもんじゃないだろう。

 しかし、アナにはやはり怖かった。軍の者がアナを認めるとは思えなかった。


「それに向けてだが、少し我が軍について話しておこう。まずは、四天王についてなんだが…」

 そう続けようとした時に、バーン、と大きな音を立てて扉が開いた…と思うと、勢いのままに泣きじゃくりながら一人の給仕が入ってきた。


「魔王様~~~~~!!!」


 見た目の特徴はリセと似通っているが、彼女とは違い顔に幼さが残っている。それと少しエプロンの面積が広い。背丈は、アナと同じくらいだろうか。


「マカロン!!!面会予定も無しに押し掛けるのはやめなさい!!!」


 後を追ってきたのか、少し息のあがっている給仕がものすごい剣幕で先程の給仕に詰め寄ってきた。こちらもリセに似ているが、切れ長の釣り目が儚く光っている。マカロン、と呼ばれた給仕より全体的に大きかった。


「…っふん!!マド姉なんて知らない!!!あのね、主様!!!マド姉がね、マカロンにイジワルするの!!!」

「人聞きの悪い…あなたがまじめに業務に取り組まないからでしょう!?」

 かけている黒縁くろふちの眼鏡をくいっと上げ、怒鳴る。


「べー!!マカロン悪くないもん!!」

「あなたねぇ…!!」

 目の前で急に繰り広げられる口喧嘩に圧倒されていると、魔王の後ろに控えていたリセが口を挟んだ。


「…二人とも、静かになさい。主様は今、アナ様に説明をしている最中です」

 少し怒っているような雰囲気を感じさせ、当の二人も気圧されている。


「で、でもリセ大隊長、マド姉が…」

 言い訳を探すように辺りを見回すと、アナと目が合った。

「あ~!!!!あなたもしかして!!!」

 ものすごい勢いで駆け寄り、勢いのままに顔を近づける。


「やっぱり!!!あなたが主様の拾ってきた勇者ちゃんか~!!会いたかったよぉ~~~!!!!噂は聞いていたけど…実際見ると、やっぱりものすっごくかわいいんだなぁ~~~!!!」

 大きな声にくらりとするアナを、魔王が支える。

「マカロン!!主様の前では礼節を弁えなさいと何度も…」

 そう言って咎めようとする女性を、魔王がなだめる。


「マドレーヌ、そう怒らずとも良い。しかしマカロン、アナが驚いている。元気なのは良いことだが、少し自重を覚えなさい」

「うぅ…わかりましたぁ…」

 魔王に制され、叱られた犬のように縮こまる。そのまま、マドレーヌと呼ばれた女性に首根っこを掴まれ、部屋の外へと抜けていった。


「そ、それで、何の話だっけ」

 まだ少し動揺しつつも、話を軌道に戻す。


「ああ、四天王の話になるんだが…」

 少し言い淀む。

「どうしたんだ?」

「いや…マナリアもそうなのだがな。決して悪い者たちではないが…如何せん、変な奴等ではあると言うか…」

「はぁ…?」と、間の抜けた声が出た。


「確かに、マナリアは変だと思ったけど…みんなそんな感じなの?」

「まあ、そうだな。良い奴らではあるのだが…」

 と言ったところで、また言葉を遮る声があった。


「主様、お食事の準備が出来ました。お先に済ませてから説明されてもよろしいのではないでしょうか」

 声の主はリセだった。ここから動いていないリセがどのように食事の完成を知ったのかアナは疑問に思ったが口にはしなかった。

「そんな時間か、では食堂へ行こうか」

 そう言って魔王は席を立ち、アナもそれに続いた。


 昼食もかなり豪華だった。とくに、アナには今まで食べたことのない、こんがりと焼いた肉の料理が大層うまく感じられた。肉は腹を下すだけのものという考えを覆された。

 朝昼で食べた食材は、この城にある農場で採れたものだと言う。今年の冬はキャベが豊作だったそうで、市販のものよりもシャキシャキしていて、嚙んでるだけでアナは楽しくなった。


「食べ終わったら、先程紹介できなかった所をいくつか回ろうか。中庭での話も半ば聞いていなかっただろう?」


 痛いところを突かれる。そうして気づいたような顔をする。

「中庭って言うくらいだから外庭もあるの?」

「ん?ああ、外縁にも庭を作っている。農場もそちらに開いているぞ」

 そうなのか、と少し気になってみる。

「気になるか?」と魔王が問う。

「少し、見てみたいな」

「では食後に行くとしよう」





 鉄扉の反対方向、建物の二階をつなぐアーチ状の通路の下をくぐり、先へ進んでいくとまた大きな鉄扉があった。開くと空が見えた。ここは、山の上だった。

 麓の方には広い、樹海とも言えるような植物の群生地が広がっていた。ひらけた土地と小さな集落が点々としている。


「は!?こんなに広かったの!?」


 大きく吐いた声が空へと吸い込まれていく。ひたすらに緑が広がっている。城のある山の上部から川が流れ出し、そうして農場の方へと続いていた。


「一応、配下の集落も兼ねているからな。城下町も含めると、他の国家より二回りほどは広いものだと思うぞ」

 外庭へと降りていく階段を歩きながら話す。

「すごいんだね」

 純粋な誉め言葉が出る。実際、圧倒されている。


「この自然を保つことが出来るのも、ムルームの存在と外縁管理部隊の日々の頑張りがあってのものだがな」

 自慢げになっている。自身の庭の自慢というより、配下の働きが誇らしいものであるというのが、ひしひしと伝わってくる。アナの頭には一つのワードが残った。


「ムルームって?」

「ああ、四天王の一人だ。今は時期が時期でな、寒いうちは緊急時以外は休眠状態に入っている。寝ている間は、大人しいんだがな…」

 含みのある感じにこぼす。


「さっきのもそうだけど、やっぱり変な奴らばっかりなんじゃないの?」

 話の途中で割り込んできたマカロンを想起する。

「はは、確かにな。まあ…給仕部隊はムルームから派生した者たちだから、本質がどこか似てしまっているんだろうさ」

 そういうものなのか、と納得した。


 やがて、広い畑が見えてきた。

「さて、農場に着いたぞ」

「なんだか、にぎやかだね」

 そうだな、と辺りを見回す。

 そのうち、畑の方から「主様!」と大きな声を上げて、オーバーオールに身を包んだ一人の女性が駆け寄ってきた。何か作業をしていたのだろうか、褐色肌に滴る汗が光に照らされて、爽やかさを感じさせる。


「ご機嫌麗しゅうございます、主様。本日はどのような御用でしょうか」

 カーテシーをしようとするが、スカートを穿いていないことに気づき少し恥ずかしそうに取り繕う。長い緑色の髪に、麦藁帽が良く似合っていた。


「お前も息災で何よりだ、ハーヴェ。用というわけでも無いが、アナが農場の方に興味を惹かれたようでな、外庭の紹介も兼ねて降りてきたわけだ」


「なるほど、そういう事でしたか」

 そう言うなりアナへと向き直り微笑を向ける。

「初めまして、貴女がアナ様ですね。私はこの城の給仕部隊で、外縁管理部隊の部隊長を務めております、ハーヴェと申します。以後お見知りおきを」

「あ、うん、よろしく…」

 深々とお辞儀をする彼女につられ、お辞儀をする。


「アナ様のことはリセ姉を通じて聞いています。私たち給仕部隊は全力で貴女の生活をサポート致しますので、何なりとお申し付けください」


「い、いや、そんなに丁寧にしないで、いいから」

「そうですか?まあ、いつでも頼ってください」

 そう言って晴れやかに笑う。アナは礼儀正しい相手に慣れず、少しこそばゆくなって思わず魔王の後ろに身体を寄り添わせてしまった。


「リセを通じて、ってどういうこと?リセってもしかして何人もいるの?」

 アナの問いに少し可笑しくなったのか笑っている。

「いえ、リセ姉は一人ですよ。我々給仕部隊は思考を伝達できますので、貴女の側に控えているリセ姉から、諸々の事情は聞き及んでおりますよ」


「なるほどね…あ!だからリセは昼食が出来たのを知ってたのか」

 合点のいったアタシを見て微笑む。笑顔がとても柔らかい。

「そろそろ戻ろうか、ではハーヴェ、後ほど」

「はい、すべて選りすぐりのモノを運ばせております」


 何かあるのだろうか…と、気になったが、アナは手を振る彼女を背にして城の方へと戻っていく魔王の後を追った。





 部屋に戻ってからは、アナは所在なさげに過ごしていた。棚にある本を開いてみたりもしたが、何が書いてあるかは分からなかった。

 ふと魔王から渡された短剣を抜いてみる。装飾の少ないシンプルな造りの、軽く鋭い、良い剣だ。アナの手に馴染んでいた。

 太陽が低くなっていき、空が薄いピンク色に染まっていく頃、部屋の外が少しざわつき始めた。中庭の方から聞こえてくる。耳を傾けていると、扉をノックする音が聞こえてきた。


「アナ様、揃いましたので御準備をお願い致します」

 リセの声が聞こえる。

「わかった、着替えて行くよ」

 用意されていた服に着替える。スカートを穿くのが難しく、時間がかかってることに気づいたリセが、入ってきて手伝った。なんだかふわふわした雰囲気の服が、まったく似合わなく感じ自嘲する。

 身だしなみを整え扉を開けると、魔王が待っていた。


「待ってたんだ、ごめん」

「良いとも、では向かおうか」


 少し歩くと扉のような窓があった。開くと半円形のバルコニーがある。進んでみると中庭が一望できる。気づけば横にマナリアが立っていた。

 中庭はおそらく軍人と思われる者たちで埋まっていて、整然と並んでいるそれは壮観であった。

 魔王が前に進み顔を覗かせる。それに合わせて全員が片膝をつき頭を垂れる。


「皆疲れている中、良く集まってくれた。まずはそのことに対する礼を言おう」

 配下は静かに聞いている。


「今日集まってもらったのは、喧伝すべき事柄が生じたためである。すでに耳に入れている者もいると思うが…先日、街に出た際に人の子を拾った」

 少しざわつき始める。マナリアが手を挙げて静粛を促す。


「死にかけの童を見殺しにするほど、落ちぶれているつもりもない。急ぎ、連れ帰り救護部隊に治療をさせたが、治らない傷もあった…それは今後、段階的に治していくが、今回の問題はそこではない」

 一息入れて繋ぐ。

「治療段階でスターチスが左胸部、心臓の位置する部分に逆十字さかさじゅうじの聖痕を発見した。この聖痕は、勇者の証と同様の物である」


 大きなどよめきが上がる。魔王はそのまま続ける。

「皆も知っている通り、勇者は魔王に対して一人、神により選定される。現代における魔王は三人、勇者も三人、既にこの世界に存在している。つまり、アナは予期しない勇者であるという事だ」


 配下の一人が声をあげる。なぜ、直ぐに始末しなかったのですか。確かに、それが普通の反応だ。その発言を皮切りに、皆口々に疑問を投げかけ始める。危険ではないのか、どのような判断で始末しないとしたのか、そもそも人間を拾うことが間違いではないのか、どれももっともな意見だと思う。


 これが現実だ。アナにとって、予想通りの展開だった。通常、異分子中の異分子が認められるわけがない。


 途端、押しつぶされるほどの重圧が中庭全域に広がる。


「静まりなさい」


 床に押し付けられそうな重圧に耐えながら、声の方を見上げる。その声は、マナリアから発せられたものだった。魔法の一つだろうか、先程まで声をあげていた者たちも皆、重圧に耐えるのに必死である。


「マナリア」


 魔王が一言で制する。マナリアは不機嫌そうに重圧を解く。


「皆の疑問は当然のものである。無論、危険ではあるだろう…しかしな、私は一度拾った童を見捨てられるほど、冷酷にもなりきれん」

 それはエゴだ。そうだ、エゴである。

「それに、私の理想にも関係がある」

 軍の者は静かにして続きを待つ。


「勇者の選定は神の演算によって行われる。それはあまねすべてを視たうえで、世界の均衡を保つためのもの。なぜ新たな勇者が生まれたのか」


「ここから先は私の推察の域を出ないが…この世界に危機が起こりうるという事だと考えられる」

 また少しざわつくが、気にせずに続ける。


「世界の均衡を保つため、であれば勇者の選定が行われたのは、世界の均衡が崩れている、または崩れる予兆であると、見て取れるだろう。混乱を防ぐため、これ以上の推測は危険だが、詰まる所、私が皆に対して主張したいのは、アナがこの世界の鍵である、ということだ」


「アナが勇者に選ばれたことには意味がある、と同時に、私の前に現れたのも偶然ではなく必然であろう」


「私の理想…皆も知っての通り、人と魔族が平等に暮らす世界を創ることであるが、そのためにアナは架け橋となる。童一人と親交が結べぬのに、人すべてと結ぶことが出来るはずがない。私は彼女に友好を示し、その第一歩として、我が城に住まわすことを、ここに宣言する」


 力強い言葉。そこから一拍置き、歓声が上がる。


 人間と共に歩むことが、決して簡単なものではないということは、皆分かっているつもりだが、魔王の意志の前では、そのような不安は微塵も残らなかった。

 ただ主の心を尊重し、主と共に未来へと向かう覚悟を、すでに皆が決めていた。


「すごいね、あんた。こんなに慕われてんだ」

 元々、ダメだろうと思っていた反動で、何か罵倒の一つを言う気力さえも、アナは失ってしまった。この魔王には、これだけの者たちを動かす力があった。

 

「私が凄いのではない。私を慕ってくれ、お前という存在を認めてくれた…全ての配下たちが素晴らしいのだよ」

 得意げなのは少し鼻につくが、少女は免じてやることにした。


「では皆、急な召集で悪かったが、これにて私から述べることは終わりだ。当事者であるアナの言葉を以て、今日の締めとしよう」


 急に投げかけてきた。何もしなくていいって言ってただろ、と訴えんばかりの目で睨みつけるが、もう流れは出来てしまっている。


「さあ、アナ。皆待っている」

 嫌々ながらに前に進み、中庭を見下ろす。見ていた景色がより広くなった。歓声は止まない。

 あれが勇者か、まだ幼い子供じゃないか、想像してたより可愛い、など、いろんな声が聞こえてくる。可愛いは…照れるからやめてほしくなった。


「上手く喋れなくても文句言わないでね」

「言うわけがないだろう。自分の気持ちを吐き出せば良い」

 簡単に言ってくれるな、と思ったが腹を決める。もう一歩前へ。


「あ、どうも、アナって言います。これから、よろしくお願いします」


 アナの言葉に耳を傾けていた配下の者たちは、一瞬の静寂の後に先程より大きな歓声を上げてアナを祝福した。音圧にたじろぐ。


「そ、そこまで騒ぐこと!?」

「お前が、動かしたのだ」

 アナを片手で支え、魔王は言葉をつなぐ。


「これにて緊急集会を終了とする。今日の晩飯はアナの歓迎会も兼ねて、とても豪勢にしている。皆の者、飲んで食って騒げ!!!」

 魔王の言葉で、中庭は完全に宴会ムードになっていた。アナはその場を後にして、部屋に戻ることにした。

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