第二話 一つの決意

 所在なさげに少し離れた席で書物を読む魔王をよそに、魔女は話し始めた。

「あなたの事はすでに聞き及んでいるわ。聖痕を持つ四人目の勇者…あの人がどうしてあなたを連れ帰ってきたのかは私の知る所ではないし、彼のすることを諫めもしない。それでも、一つ聞いておきたいことがあって…」


 少し言い淀んだ後に続ける。

「どうしてあなたは促されるままに、この城を見て周ろうとしているのかしら」

「別に、特別変ってわけでもないだろ。ここはあいつの居城、反抗しても今出られるとは思えない。だったら出来るだけ促されるのが最良だろうってこと」


 アタシの言葉を聞き少し考えこむと、魔女は続ける。

「では、率直に。あなたがスパイである可能性は?理由も無く、促されることなんてないでしょう。特にあなた、魔族が嫌いでしょうし」

 身体がびくりとした。いや実際スパイではないけれど。やってることに関して言えば、スパイと言われても仕方がない。

「…違う。ただ、理由がないとも言えない」

「と、言うと?」


 魔女は次の言葉を待っている。一つ息をつく。

「言っておくと、少なくともアタシは人間が嫌い」

「ええ、それで」


「人間がアタシを嫌う理由の、魔王も嫌い。魔王を殺せば勇者の矜持きょうじを守っただとかで、人間がもてはやしてくるでしょ。そこで全員殺すんだ。アタシの全部奪った奴らが、安心しきったところでブチ落とす。これ以上ないほどの復讐でしょ。

 だから魔王を殺すことだけが私の目的、それしかない。ただ、勝算が低いってのも分かってるから、とりあえず促されて情報を集めてるってこと」


 打ち明けた独白、数分の沈黙、のちに魔女が切り出した。

「なんだ、そういう理由ね~。だったらいいわよ、別に見て周っても」

 どんな言葉が飛び出すのかと思ったら、拍子の抜けた声に少し体の力が抜ける。


「そういうって…あんたもしかして自分は危うくないと思ってる?アタシは魔王を殺す過程で軍の全てを潰すよ。もちろん、あんただって殺す」

「ええ、だからいいわよ。だってあなた、弱いもの」


「なっ…!?」

 思わず怒りを露わにする。魔女は続ける。

「ああ、もちろん能力的な問題ではないわ。ポテンシャルは素晴らしいと思うし、あと数十年すれば…アルとも良い勝負すると思う。でも私が言っているのはそうじゃない。分かるでしょ。

 真に弱いのは心。あなた、自分の心の弱さを棚置きしているでしょう。先程の目的とやらを聞いてそう感じたわ。自分がないもの。

 その心の弱さは、真に大切な場面で必ず出てくる。それこそ、貴女の目的が達成できるかどうかってほどに重要な場面でね」


 ずけずけと、入り込んでくる。痛いところを突かれたと感じたが、顔には出さないように努めた。

「お前に言われなくたって…」

「分かってるって?分かってないわよ。少なくとも自分の意思で今ここに居るなんて思ってる状態だったらね」


 どういう意味だ、という言葉は口から出ない。心当たりが無意識の中で小さく、引っかかってしまった。

「促されてるふりをしてるって言ってたけど、それ自体が心の弱さだもの。潜入してバレないようにすることだって出来る。流されることに身を投じるのは、ただ貴女が弱いから、それだけのこと。アルもそれには気づいてる」


 図星だと思った。正確にはよくわかっていなかったけれど、甘えだと言われて、それが弱さであることを突き付けられて。

「心を読んだ気になるな」

「別に、そういうつもりで言ったわけではないけれど。まぁ、そんなことは良いのよ。私が貴女に知っておいてほしいのは一つだけ」


 そうして咳払いを一つ。

「アルはね、大のお人好しなの。困っている奴が居たら適当に理由つけてなんでも拾い上げようとするほど、愚直なね。だから、自分の手の届く範囲である、あなたの心すらどうにかしたいと思っているのよ。

 私は彼のそんな所が好き…私も別に、あなたを完全に信用しているわけじゃないけど、彼が助けたいと思うなら、共に手を伸ばしていたい。彼がそうするならあなたを仲間として認めることだってできるわ。あなたにとって魔王を殺すことが全てであるように、私にとって彼が全てなのだから」


「だからなんだよ。アタシに手を取れって?」

「そうじゃない…ただ、あなたを見ている人は居る。私もその一人、彼もその一人と言うだけ。その事実だけでも知っておいてほしかったの。たったそれだけ」

 魔女は落ち着き払っている。憐憫れんびん博愛はくあいも、その他諸々の感情をも含んだ目で、アタシのことをじっと見ている。


「言いたいことはそれだけ?」

 魔女は一つ、首を縦に振る。

「…それだけなら、もう行く」

「ええ、また来てちょうだい」

 返事はしない。してしまえば、失ってしまう気がしてならなかった。


 入ってきた別の方角にある、一階の扉から図書館を後にする。魔王は少し眠たそうだ。待たせすぎてしまったか。近くに気配がする。ああ、給仕の者たちだった。

 それから中庭に出た。先程、窓から見えていた大きな鉄扉は出口ではなく中庭から城への入口だった。


 正直、ここから先はあまり覚えていない。庭の造形がシンメトリーだったとか、見たこともない植物が植えられていただとか、中庭担当の給仕の者にも会っただろうか、そんなことはあまり考えられなかった。さっきのマナリアとの会話が、ずっと頭に残っていた。


 見ている人はいる、か。居なかったからアタシは、あの路地裏に死地を見出していたのに。父が、母が、村の人々に殺されなかったら、アタシが勇者として生まれなかったら、誰かが私を見ていてくれただろうか、と何度も何度も考えていたのに。そうであればと願って、そうならなかったのに。


 魔王が、それも気まぐれで助けたような奴が、アタシを見ている?笑わせる、本当にウザったらしい。これも、弱さなのだろうか。分からない。分かりたくない。そうやって苛立ちが抑えきれなくなったアタシの顔を覗き込んで、魔王が言う。


「まだ調子が悪いのであれば部屋に戻ろうか。どうせ今日だけでは案内しきれないからな、無理をしても意味はない」


「大丈夫、次はどこ?」

 即答で返したが、かえって怪しまれた。少し不満げな顔で給仕を呼ぶ。

「部屋に戻るぞ。リセ」

 手を二回叩く。足音もなく食堂に居た給仕が出てくる。

「こやつを運べ」

「承知しました。アナ様、失礼致します」

 そう言うなりこっちに身体を向け、構えたと思うと…顔面目掛けて掌底しょうていを打つ。勢いのあまり、突風が吹いて、そのまま私に向かってきた。あまりにも早すぎた一瞬の出来事に、おそらく気を失った。


 次に目を開いたのは最初に起きた部屋の長椅子だった。魔王は座った状態の膝ほどの、背の低いテーブルを挟んで対面にあるもう一つの長椅子に座っていた。その背もたれの後ろには、リセと呼ばれた給仕が立っている。


「何がどうなったんだ、確かその女が、アタシを…」

 そう言って額を撫でるが、痕どころか痛みすらない。

「直前で止めるように指示した。リセの格闘術は我が軍でも随一のものだからな。拳圧で気絶させるくらい、朝飯前というものだ」

 部下の能力を鼻高々と説明している。後ろに控える当の本人は、スンッとした顔をしている…いや、耳が少し赤い。照れることもあるんだな。そうして一つ咳払いをすると声を発した。

「主様、恐縮ですが…そろそろ、本題に入った方がよろしいかと」


「ああ、そうだったな。して、アナよ。何をそう考えこんでいる。マナリアと二人で話して以降だが、顔に少しの焦燥が見える。話してはくれないか」

 先刻から学んだのか、少し物腰が柔らかになっている。それでも、話したくないものは話したくない。そういうものなんだ。


「これからこの城に住むのだから、先刻も言ったが今後を円滑にするために、不満は出来るだけ解消しておきたい。言ってみてくれ」


 …今、なんて言った?聞き返すことすら忘れる程、呆気に取られていた。此処に住む?誰が…アタシが?困惑して頭が回らない。やっと声を絞り出したが、

「な、なに言ってんだあんた…」としか出てこない。


「うん?何かおかしなことでも言っただろうか。すでに言っていたと思うが…」

「言ってねえよ!!いや、おかしなことは言ってるよ!なんか違和感があったんだ…まるで何回もここに来るみたいな話の進み方だったり、今後がどうとか言ったりさ!おかしいと思ったんだよ!」

 感情が爆発する。勢いで立ち上がってしまった。あまりに怒涛に喋ったからか、少し驚いた様子でこちらを見ている。驚きたいのはこっちだってんだよ。


「あんたも聞いてただろ。ずっとアタシらに付いてきてたからな」

 リセに促す。彼女は少し思案してのち、言葉を並べた。

「確かに主様は、はっきりと口にはされていませんね」

「な、なに!?」

 このバッサリ具合、意外と仲良くなれそうだ。

「ほらな、言われた時点でアタシだったらすでに拒否してる。してないってことはそういうことだ…アタシは此処に住むつもりはない。傷もお陰様で充分癒えたし、そろそろ帰らせてもらう。今まで世話になったな」


「帰るって、どこへだ。まさかまたあの街に戻るわけでもあるまい」

 図星を突かれ狼狽える。身体が少しよろめき、長椅子に再度腰を落とす。

「そ、それは…どこでもいいだろ。行き先を告げれば追ってくる可能性もあるしな」

 苦し紛れの言い訳が空を切る。

「あんな路地裏で死にかけていたような者に、行く当てがあるとも思えんが」

 キッと睨みつける。

「行く当てがなくとも生きていける。今までだって、そうしてきた」

 本当は違う。生きていくことなどできない。そのまま死地を探してまたフラフラするだけだ。アタシの命に意味はないも同然だ。


「であれば、ここに居ろ。お前は魔族にとって欠かせない存在だ。そうでなくても、どこぞの人間に自身が助けた身を傷つけられるのは見過ごせんからな。知らん土地で知らんように死ぬな」

「なんだよ、欠かせない存在って。アタシの命はアタシが決めるんだよ」

「それはそうだ。お前の命はお前のものだ。ただ、お前はこれから先の、魔族と人間の未来において、重要な存在になる。そこにお前の生きる意味があると、私は思う。故にそこへと導く義務が、拾った私にはあるのだ」


 言ってる意味が分からない。だったら…

「だったら、ここで今、死んでやるよ。意味なんて要らない。アタシの命にはこれから先にも意味なんてない。それでいいか」


「いつかは、此処で息を引き取ることにもなるかもしれない。だがそれも先を知ってからで良いと私は思う。命を無下に扱うのも気に食わん。お前の身に起こったことなど私には想像できるものではないが、簡単に命を捨てようとするのは許さん」


「分からないなら言うなよ…!!!お前が身勝手な行動で此処に連れてきて、アタシの命まで管理しようとするなよ!!!」

 荒い声が出た。ふっと魔王の方を見上げる。態度は変わらないものの、寂しげな表情をしているように感じた。息をつく。


「すまない、だが、私も折れるわけにはいかん。お前が何を思っているか、分からない身ながらも、お前が自壊に向かう様を黙って見ていることもできん。

 お前は弱い…おそらくそれはマナリアにも言われたのだろう。その弱さは、自身にしか乗り越えられない。だが、その弱さを支えていくことは私にもできる。我が軍の者たちに寄りかかってもらっても構わない。お前の生きていく拠り所として、此処を使ってくれ」


 なんだよ、それ…


 私は一人だったんだよ。生まれた時から、今の今までずっと。子供に聖痕があるだけで親を殺したくせに、アタシは勇者だからと、施設に入れた村の奴らは言うまでもなく、施設の奴らもアタシを助けるわけじゃなかった。ある時…必死に逃げて、逃げて、逃げて、街に着いて。誰でもいいから助けてくれと、泣きじゃくって叫びまくって、それでも誰も助けてくれなくて、ゴミを漁って、市場から盗んで、必死に生きることを追い求めていた。


 いつものように路地裏でじっとうずくまってたら、男たちが近づいてきて、助けてくれるって、これ以上ない喜びだった。だけどそれも嘘で、無理やり服を破かれて、その時初めて、異性を知った。怖かった、悔しかった。叫ぶこともできず、抵抗することもできない、ただ無力に痛めつけられる自分が、情けなかった。

 男たちが飽いた頃には、アタシの身体はボロボロだった。痛みすらもう感じない。寒さすら身体に響かない。ただ心臓の音が少しずつ小さくなっていくだけ。じゃあもう、このまま死ねばいいや。このまま死んだら父さんと母さんに会えるのだから。もう、頑張らなくていいのだから。


「そういうの、もう要らないんだよ!!どうせ誰も助けてくれない、利用するだけして捨てるだけなんだ!だから、あのまま死ねれば、どれだけ楽だったか…!!」


 死にたいと願い、人生を諦めた。あのまま死体に成って逝きたかった。でもそこに現れたのが、お前だった。死にたかったアタシの命を、勝手につないで、それも気まぐれで、今度は、居場所になりたい、だって。何の見返りも求めてないわけがない。そう思って、ふとマナリアの言葉を思い返す。


「…そうか、お前は本当にただ、手を伸ばしたいだけ…」


 目頭が熱くなる。感情があふれ出す。心臓が跳ねている。如何いかんともし難いような、自分でもよくわからないけれど、これは安堵なのだろうか。零れた涙が床に、ポタポタと落ちていく。目が霞んでそれすら、はっきり見えないが。


「…お前が、お前の仲間が、アタシを騙さない保証もないだろ」

 目をぬぐい、しゃがれた声で強がってみる。自分でも情けない虚勢。意味のないものだとわかってはいても、聞かなければならない。


「約束するとも、私の全てをかけて。私の配下の者たちにもそれをしっかりと理解してもらう。皆、私を信じてついてきてくれている。きっと分かってくれる。だが、全てを信じろとは言わない。ずけずけとお前の心に踏み込むこともしない。ただ一つ、お前にも家族のようになってほしいとは思う。我が軍の者たちを信じる私を、何よりお前を信じる私を、信じてほしい」


 ああ、分かりきっていた。こいつは、この魔王は、何の裏もなく、何の策謀もなく、ただ一個人として、私を助けたいと、手を伸ばしたいと考えている。これまでのことで分かりきっていた。認めたくなかっただけだ。認めてしまえば、自分を失ってしまいそうだった。でも、もういいか。どうせ一度捨てようとした命、愛してくれるのなら、今度こそ愛を得られるのなら、この魔王を信じてみようかな。


「…分かった、アタシの負け。その代わり、裏切ったらその時は、此処の奴らを全員殺すから、それだけは覚えておいて…」

 魔王は安堵と喜びの表情を浮かべる。

「無論だ、ゆめ忘れぬ。これから、よろしく頼む」


 礼を言うのは…いや、やめておこう。自分よりも安心しきった表情の魔王を見て少し可笑しくなる。不安がないわけじゃない。それどころか不安だらけだ。

 それでも、誰かを信じるというのは、存外悪いものでもない…今は、そう感じている。窓を開く。強く冷たい風が吹き込み、身体全体で冬を感じる。


「アタシは死なないよ。もう、命を諦めるのもやめる。あんたから拾った命、これから先は好きなように生きてみる。だから、見ててよ。ずっと」


 窓から振り返り、そう宣言する。ああ、笑顔とはこうも簡単に出るんだな。

 魔王は頷く。冬とは思えないほど暖かな日差しを浴びながら、新たな自分に少しくすぐったく思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る