第一話 拾われて城

 目を覚ますと知らない天井。寒くない、温かい。まるで雲の上にでもいるかのような柔らかな感触が、身体全体を包んでいた。今まで味わったことのない多幸感に困惑する。窓から射し込んでいる陽の光に目が眩む。


 上半身を起き上がらせて、周辺を見回す。身体にズキンと鈍く痛みが響いた。痛みを抑えつつ、まだ状況が全く分かっていないなりに、少しでも情報を拾っておくように周りを見渡した。


 まず部屋の内観、全ての家財が高級そうな雰囲気を漂わせていて、全く正反対の生活しか知らないアタシでも、高価だろうということは何となく感じ取れるほどだった。家具たちの模様はごちゃごちゃしているが、金持ちはそういったものを好むんだろうな。間取りはかなり広く、この部屋だけで家と言われても納得する…いや、これはもう家なのではないか…それどころではないか。


 灯りは、部屋の中心に、大きなジャラジャラとした鉱石のようなものに蠟燭ろうそくが多く付けられたものが、天井に吊り下がっていた。あの量の蝋燭だけでどれくらいの間、灯りのある生活ができるのか、考えただけで頭がくらくらする。

 しっかりとした格子状の造りの窓から見える外の世界は澄んだ冬の空色で、この部屋が高所にあるということが感じられる。


 窓に映った自分を見てふと気づいたが、着替えさせられている。見た目はシンプルだけど、生地も家財と同じで高級なのだろう…以前まで着ていた、服とも呼べないボロ布とは比べ物にならないほどに着心地が良い。動きやすさも段違いだ。身体の汚れも落ちている。傷は、さすがに治りきっていないが、誰かが治療してくれたのだろうか、いくらか痛みは引いているし小さな傷は減っている。

 ボロボロに傷んだ髪も指が通るほどになっている。これほど綺麗になるものなのかと触ってみてふわりとした感触に驚く。


「目が覚めたみたいだな」

 突如として耳に入った声に反射的にベッドから飛び出て身構える。声の方を見やると、自身の体格の三倍はあるだろう巨大な魔族が扉の側に立っていた。


 身体に対して顔は小さい方だが、ヤギと似た大きな一対の角が生えており、荘厳な黒のローブに身を包んでいるためか、重苦しい雰囲気を感じられる。顔立ちの良し悪しはアタシには分からないけど、パーツも整っているし世で言うイケメンの部類なんじゃないかと思う。


「それほど動けるようになったのは、良いことだな」

 そう言いながら柔らかそうな長椅子に腰を下ろす。

「アンタ、誰?ここはどこなの」

 当然の疑問で投げかけた言葉に、半ば面倒そうな顔を浮かべる。


「一度答えたのだが、覚えていないか。まあ良い。私は魔王、アルデバラン・ヴァーミリオンである。ここは私の居城。お前の居た街からは、北東に数百kmほど先に位置している。怪我がひどかったのでな、勝手ながら運ばせてもらった」

 名を聞いて思い出した。路地で会った魔王だ。

「魔王…アンタが…!!」

 そう言って飛び掛かろうとするが、身体が動かない。


「暴れられても困るからな。意識に応じて身体を拘束する魔法をかけさせてもらっている。悪く思わないでくれ」

 緩やかな声で続ける。

「聞きたいことがあれば答える。疑問は互いに解消しておかねば、今後を円滑に進める上で障害になりかねないからな」


 聞きたいことなど山ほどある。だが、まずは…

「なぜ助けたんだ。放っておけばあのまま…」

 口にしてふと声をつぐむ。そうだ。放っておいてくれれば、アタシはあのまま、あの路地で死ぬことができていたというのに。


「ただの気まぐれだ。目の前で死なれても寝覚めが悪い」

 それだけ?それだけで私を、私の願いを…と、言葉を飲み込む。苛立ちを押し殺しながら問う。

「…ここまで回復させるなんて、あんた凄いんだな」

「いや、傷を治したのは私ではない。回復の魔法は使えるが、せいぜい応急処置レベルだからな。すべて救護部隊に任せた」

 淡々と言葉を並べる。なるほど、ここの救護部隊は相当優秀らしい。


「そういえば、わらべ。お前は勇者なのだな」

 唐突に投げられた言葉に身体が凍るように感じた。鼓動が早くなっている。肩で息をするほどに動揺が表れる。

「な、何を」

「救護部隊が治療の際に聖痕せいこんを見つけた」

 閉口する。何も声を上げない。


「…聖痕の持ち主は神から選ばれた勇者のみであり、それは各々の魔王に対して一人選出される。魔王は三人、故に現存する勇者も三人だ。

 しかしだな…お前はその三人の中に入っていない。私は、現代の勇者の素性は全て把握しているが、三人の中にお前は居ない。であれば、お前は本当に勇者なのか、はたまた別の存在なのか、そこに疑問が…」


「うるさいッ!!!」


 言葉を遮って叫んだ音が部屋を駆け回る。荒くなった息がさらに勢いを増し、少し過呼吸気味になっている。今にも心臓が飛び出しそうなくらい跳ねていることが、うるさいほどに感じられた。


「…知らない。アタシは、勇者なんかじゃない…!勝手に、勇者だとか言って、勝手に使命を背負わせて…アタシからは奪う事しかしないくせに…!」


 怒りをぶつける。そうして、気持ちを落ち着けるために大きく息をつき、ゆっくりと言葉を貼り付けるように吐いた。

「…アンタにも話したくない事だってあるだろ…軽率に踏み込めると思うな」


 その言葉を聞いて魔王は少し伏し目がちになる。

「すまなかった、礼節を欠いていた」


 少し、驚いた。そうやってすぐに詫びて頭を下げる姿は、アタシが想像していたような魔王の其れとはかけ離れていたから。

 すべての罪過ざいかを鍋で煮詰めて喰らった化け物の、はらの中ででぐつぐつと育てられ、そうしてその胎をさばいて生まれたような存在が、魔王であると思っていた。

 自尊心が高く誰にもへりくだることがない、自身が世界の中心であるとのたまうような存在だと考えていた。だが、この態度もアタシを油断させるための罠かもしれない。今にでも気を緩めれば、首が落ちるかもしれない。


「そんな、簡単に…頭下げていいのか」

「対等であるべきと判断したからな。目線を合わせて話すのならば、そこには権威も何もないだろう」

 全くの疑問もなく言ったその態度にまた苛立つ。


「ところで…詫びになるか分からないが、これから食事をしようと思っている。すでに準備は済んでいるのだが、どうだろうか」

 申し訳なさそうに提案してきた。これも罠で、食事を通して気の緩んだところに付け込もうとする悪人である可能性の方が高い。だからこれも断るべきだ。


「いらない、お腹なんて空いてな…」

 そう言ったところで、ぐぅぅぅぅ~…と腹の虫が鳴いた。

「な、こ、これは違っ…」

 時すでに遅く、魔王は笑っている。

「頭は空いていないと言っても、当の腹の方は正直なようだな」

 隠すことなく笑う。清々しいまである。


「違うって言ってるだろ!!」

「そう恥ずかしがらずとも良い。すでに準備は済ませているからな。食べてもらえないのであれば、給仕たちが悲しむ。ほら、食堂へと向かおう」

「うぐ…」

 そう言って手を差し伸べる。その手を取ることはしないが、促されるままに今までいた部屋を後にした。


 食堂に着いたのだろうか。もしこれが食堂なら、それは嘘だろう。

 このだだっ広い空間にいくつもの長椅子とテーブルが並べられているが、食事をする場なのだろうか。食事とは地べたに座り食べるのが普通ではなかったのか。まあこれは冗談だけど。それでもアタシにとって食事は、誰かと共にするものでもなければ小綺麗な部屋でするものでもなかったから。目の前に広がる空間は食事の場だとは思えなかった。


「さ、席に着きたまえ」

 そう言って部屋中央の奥側に位置する暖炉近くを指さす。他のテーブルとは異なった、丸いテーブルに椅子が六脚、等間隔で並べられている。椅子の近くには、給仕と思われる褐色肌の女性が立っていた。


「好きな席について構わんが、まだ冷えるから暖炉の近くが良いだろう。リセ」

「承知しました。勇者様、こちらへ」


 名指しされた給仕に促されるまま、席に着く。入口から少し離れた席なため、始めは気づかなかったが、褐色肌に良くえる綺麗な顔立ちをしている。人間とほぼ変わらない見た目をしているが、耳が長く少し垂れているのが、金髪と並んで絵になった。


 魔王はアタシの対面に座る。給仕は裏にはけたと思うと、すぐに大量の料理を運んできた。いくつもの皿が素早くテーブルに並べられていく。洗練された無駄のない動きに少し見惚みとれてしまった。


「よし、揃ったな」

 並べ終えた料理を確認して魔王が言う。

「普段は、食堂が兵たちで埋まるほど賑やかなのだが、朝も遅い時間だからな…今日は皆、外へ出払っておる。夜には帰ってくるだろうが。出来ることなら、この場で四天王たちにも紹介しておきたかったが…まあ、良い」

 少し寂し気にしているが、直ぐに顔をあげ手を合わせる。


「今日の朝食は二人だけだ。では、いただきます」

 魔王を真似て手を合わせてみる。この行為に意味はあるのだろうか。そういえば、窓越しに見えたレストランの客たちも、手を合わせていた。

「…いただきます」


 魔王はまず椀に注がれた液体を口にした。顔に少し綻びが生まれる。その顔を見て、恐る恐る飲んでみる。急な熱に口が少し驚くのを感じた。

「うっっっま…!!」

 思わず声が漏れてしまった。なんだこれ、今まで食べたどんなものよりも美味い。飲んだ先から温かさがスッと体に沁み込んでいく。芯まで澄み渡って腹も心も満たされていく感覚、満足というものを実感する。


 テーブルの上には他にも料理が並んでいるが、もしかしてこれ全部がこのレベルの美味さなのか?まさか…と思った時にはすでに料理へ手を伸ばしていた。野菜が盛りつけられている皿に、フォークを伸ばして口に運ぶ。シャキリと音を立てて口の中で弾けたと思ったら、玉のような柔らかい水が広がった。甘い、とても甘い。やさしい甘さだ。


 隣にあるパンにかぶりつく。きめの細かいクズがこぼれる。カビの生えていないパン自体、いつぶりだか分からないが…それを考えなくても、これはとびきり美味いものであると頭で理解する。

 ふと、頬に伝う熱に気づいた。夢中で気づかなかったが、目尻から雫が零れている。魔王の方を見ると、ぎょっとしている様子で、少し可笑しくなった。


「だ、大丈夫か。まだどこか痛むのだろうか」

 心配そうにこちらを見ながら声をかけてくる。

「…ん、大丈夫。びっくりしただけ」

「びっくり、か。何か驚くものがあったか」

「こんなに美味い食事、久しぶりで…」

 その言葉に魔王は少し顔を曇らせるが、態度は崩さない。

「…そうか」

 それは安堵から来るものか、はたまた別の感情かは、わからないけど、魔王はそう言って笑顔をアタシに向けた。


 さて、食事が終わるとまた魔王に連れられる。

「城内を見て周ろう。いずれ必要なことだしな」

 何が必要なのかはよく分からないが、知っておいて損はないだろうと思い、後に続いて食堂を出る。入口に先程の給仕がいたから軽く会釈をした。


 出てすぐ左には調理室があった。なるほど、温かい料理をすぐに出すためか。その隣には給仕控室が一つ。食堂だけでもこれだけ広いから、給仕もたくさんいるんだろうな、などと考えていた。


 そのまま廊下を進むと突き当りに階段があった。廊下の窓から外を見て分かったが、食堂はどうやらこの建物の一階に位置している。平行線で見てもその広さが分かる中庭に面した、幾つもの窓には、たまに小鳥が止まっていて、向かい側に同じ造りの窓が並んでいるのが見える。中庭の奥に大きな鉄扉てっぴがあった。もしやあれが、外に出る通路だろうか。


 階段を上り、二階へと進む。段数はかなり多かった。病み上がりなのもあって昇りきるまでに息切れしたら、魔王がまた心配してきた。手を差し伸べようとするが、アタシは知らんぷりをした。

 階段を昇った先には大きめの扉があった。一階ではこの位置には突き当りの壁があったが、この先に何かあるのだろうか。


「ここは、何なんだ」

「入れば分かる」

 扉を開けると目の前に壮観な景色が広がった。とても広い部屋、食堂の倍はあるんじゃないか。それに天井がとても高い。上を見上げると首が疲れそうだ。

 円形に広がった部屋にはステンドグラスの天窓から光が差し、明るく染まっていた。壁には本棚がある。と言うよりも壁が本棚になっている。その本棚いっぱいに様々な種類の本が敷き詰められ、冊数を数えるだけでも何日かかるか、考えただけで頭が痛い。


「ここが図書館だ。私の城の中で最も広い部屋で、かなりの蔵書を収めている」

 説明を受けてもあまりピンとこないが、目に見えるものがすべてだ。よく見ると一階にも広がっている。

「一階には入口がなかったけど」

「ああ、実はあるんだがな。人間がそこから入ると罠が作動するようになっているから、今回はこちらから入った。次から入れるようにはしておく」

 次があるかは知らないが、と心の中で小さく反論したが、まあ意味もない。壁に沿った通路から階段を通って下へ降りる。中央に受付のようなものがあった。


「あら~、アル!!!珍しいわね~、貴方から来てくれるなんて!!!」


 突然の第三者の声に身体が跳ねる。気づけば女性が魔王の顔に近づき、笑顔を振りまいていた。とても妖艶ようえんな見た目をしている…推測するに年の頃は三十前後だろうか。声を出すまでは、そこにいることを感じ取れなかったほど、気配を消すのが上手い。

 服装は全体的に黒く、帽子がとても大きい。長く腰まで伸びた銀髪は、前髪ですら顔半分を隠しているものの、隠されていない翡翠色ひすいいろの左眼には、何か心が引き込まれるような感じがした。背丈は普通の人間と同じくらいだが…浮いている。うん、浮いているな。


「すまない、マナリア。一応連絡はしたんだが、間が悪かったみたいでな。急な訪問になってしまった」

 少し申し訳なさそうにしている魔王。


「いやね、貴方ならいつでも歓迎だと言ってるのに。あの子も今は繁忙期だし…貴方に会うにはいつも完璧でいたいけれど、贅沢は言えないわ」

 顔に両手を添え少し頬を赤らめている。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。


「ところで、その子はもしかして…」

 と、急にアタシへと顔を落とした。

「ああ、先日の子だ。名は…そう言えば聞いていなかったな」

「もうっ、貴方そういうところよ」

 たしなめられている。魔王の威厳もあったものじゃないな。


「それであなた、名前は?」

 向き直り、改めて聞いてくる。

「…アナ」

「え、それだけ?」

「特に言うこともないから」

 そう、と言って残念そうな顔をする。これくらい距離を取っておかねばいつ踏み込まれるか分かったもんじゃない。

「アナ、か。良い名だな」

 魔王が言葉を挟んでくる。

「名前なんて飾りだよ」

 伏し目がちに零す。実際、飾りでしかないから。

「そんなことはない、とは軽々しく言えないか」

 こちらも残念そうな顔をした。マナリア、と呼ばれた女性はすでに切り替えている。さっぱりとしている性格のようだ。


「私はマナリア、マナリア・スカーレッド。魔女種でアルの幼馴染、兼、正妻よ。四天王の一人として、この大図書館の守護と管理を担当しているわ」


「妻ではないが、頼りになる奴だ。同じ女同士、私より話が合うんじゃないか」

 間髪入れずに否定を入れる魔王に、魔女は少し不服そうだ。


「…まあ、別にいいわ。いつも言ってるけど、最後に折れてくれればそれで充分。ところでアナ、少し二人で話があるのだけれど」

 突然だな、まあいいけど。魔王は少し怪訝けげんそうにしているが、魔王軍の者に話は聞いておきたいと思った。

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