第十三話 美味しい料理を食べるため

 拝啓、天国の父さん母さん

 アタシは今、化け物に追いかけまわされています


 ギュギュア!と聞くに堪えない咆哮を上げて、体躯たいくを震わしながら襲ってくる巨大な魔獣から、アナは只管に逃げていた。

 もうかなりの時間、森の中で飛び回っている。森が雄大すぎるが故に、開けた土地まで出るのにもかなりの時間がかかるのを、アナは実感する。


 そもそも、どうしてこうなったのか……





 ――数時間前、書斎にて


「入りなさい」

 仕事を手伝うようになってもう三日目になる。数回のノックに返ってくる声もだいぶ耳に馴染んでいた。


「おはよう、アル。ビスケットも久しぶり」

「ああ、おはようさん、アナ」

「おはよう、二人とも座りなさい」

 魔王がソファに促す。


「自分は結構です。話を進めましょう」

 ビスケットはそのまま立って話し始めた。

「本日の体験は調理部隊の業務ですが、実のところ……アナに与える作業があまり残っていないんですよね」

 彼女の言葉に耳を向ける。

「朝の仕込みは前日の夜に済ませているし、昼の仕込みは朝の調理と並行して行っていますから、買い出し……は此間、一緒に行ったから省くとして、あとは夜用の食料調達とその仕込みくらいなんですよ」


「それもそうだな。しかし、それならその二つの業務で良いのではないか?」

 手渡された報告書に目を通しながら魔王が促す。


「それが……仕込みは教えながらすればいいんですけど、調達が。野菜の方は、昨日のアナの頑張りもあって既に済んでいるんですが、肉の方がですね……」

 ビスケットの言葉に魔王も少し難しい顔をする。

「……そうか。確かに、まだ難しいか」


「何が難しいの?」

 アナの問いにビスケットは少し言い淀むが、すぐ口にする。

「えっとなぁ……肉の調達は家畜を狩るんだが、危なっかしい奴も多いんだよ。それに、アナにとっちゃあ、不慣れな土地ってのもあるしな」

 少し、息を呑む。

「アナの実力なら大丈夫とは思うんだけどな。一応、アゼットの野郎と結構戦り合えてたって聞いてるけど」

 その言葉には思わず苦笑いが出た。


「手は抜かれてたけどね。たぶん武技込みならギリギリ、一発良いの入れられるんじゃないかなってくらいだよ」

「それでも十分だろ」

「それは、ありがとうって言っておくね」


(それにしても、狩猟か。実践的な動きは此処に来てほとんど出来ていないから、少し興味があるなあ……)

 一つ思案し、もう一度発言する。


「アタシ、やってみたいかも」

 ビスケットは面食らった顔の後に続ける。

「そりゃ、やってみたいんならするのが良いとは思うけどよ……」

 と言って、魔王の方を見る。


「どうされますか、主。私はどっちでも構いませんが」

 魔王も少し考えたのち、口を開く。

「アナがそうしたいと思えたなら、それが第一だ。ただし、危険だと思えば直ぐに止めるように。ビスケット、お前の判断に任せる」


「かしこまりました。だってよ、アナ」

 アナの方に目くばせをする。

「ありがとね、二人とも」

 そうして、書斎を後にした。





 さて、家畜の居る牧場へとやってきた。農場の隣と言っても、かなり広すぎる土地というのもあって、芋を掘った場所とは離れたところにあった。

「農場もだけど、なんか、全部が大きいよね…」

「そうかあ?普通じゃねえか?」

 普通ではないだろ、と心の中で発する。


「それで、何を獲るの?」

 ビスケットがアナにニヤリと笑いかける。

「何でも、だな。牛、豚、鶏から、兎、蛇、カエル……自分の力で獲れるモンをがむしゃらに獲ってもらう。泣き言は聞かねえぞ?」


「うん、了解。たくさん獲ってくるよ」

 分かりやすくて助かる、と言わんばかりに頷く。ビスケットはアナへと微笑んだ後、気がついたような顔をする。


「どしたの?」

「いや、大丈夫だとは思うんだけどよ……さっき言った通り危険な奴も居るからよ、そういう奴には出来るだけ近づかないようにしとけ」

「ふーん……」

 徐に嬉しそうな顔を見せると、ビスケットは呆れた声を出した。


「おい、分かってんのかぁ?ったく、無茶だけはするなよ」

「分かってるって、ありがとう」





 牧場の入口付近には、小さめの魔獣を放牧している区画があった。区画整理の柵……というより低めの壁が見えてきて、入口に一人の給仕が立っていた。


「アナ様、よくぞお越しくださいました。この牧場の管理を任せられております、シフォンと申します。以後お見知りおきを」


 深くお辞儀をする給仕。背格好はアナと同じくらいで、手足は細身、給仕服を着ていても、スタイルが良いのが伺える。


「よろしく、シフォン。此処の管理者ってことは……調理部隊なの?」

「ええ、副部隊長も兼ねさせてもらっております。と言っても、副部隊長としての仕事はあまりすることがなくて……正直な話、暇なんですよね」

 少し寂し気な感じで喋った後、伏し目を上げて切り替える。


「本日の体験については以前より隊長から伺っております。そうですね……まずは小動物の捕獲から慣れていきましょう」

「うん、よろしく」

 小動物だけかと思っていたが、想定よりも大きな魔獣もかなり居た。アナは少し呆気にとられたが気合を入れ直して、魔獣へと向かう。


「さて、やりますか」

 息を巻いたは良いものの、アナは兎一匹に翻弄された。必死に駆けてやっと一匹捕まえた時には、シフォンは既に大漁だった。

「……ハァ、ハァ……す、すごいね……」

 肩で息をしながら喋る。

「フフ、アナ様も慣れたら直ぐですよ」

「……がんばるかぁ」


 そうして、かなり長い間小動物を追っかけ回していた。ガルフも参加していたのだが、気づいた頃にはアナよりも大漁で、思わずアナは驚いてしまった。





「っふぁ~!!つかれた~」

 広い野原に身体を投げる。風がそよそよと吹いて心地良さを感じる。

「大分、動きが良くなってきましたね。その調子ですよ」

 水を渡しながら微笑むシフォン。息一つ切らしていないその姿に、アナは少しだけ恐怖を覚えた。


「規定の量を捕獲できましたので、そろそろ森の方に向かいますか」

「森?牧場に森があるの?」


「ええ、此処よりも大きめの魔獣が生息しているので少し危険ですが、まあ…隊長も先行して狩猟をしていますので大丈夫でしょう」

「……うん、じゃ、行こっか!」

 飛び起きて駆けていく。シフォンも笑って付いてきた。


 森の方に行くとビスケットが居た。

「おう、アナ。なんだ、随分疲れてるじゃねえか」

「いやあ、なかなか捕まんなくてさ」

 テヘヘ、と笑う。

「ところで、ビスケットは何してるの?森、入らないの?」


「ん?いや、さっき出てきたとこだ。粗方獲ったしな」

「ええ!?獲っちゃったの?」

 残念そうな声を上げる。

「まあ、粗方な。夜飯用の分くらいはってことだ。まだ全然いるぞ」

「じゃあ、獲っていいの?」

「あんまり獲りすぎてもアレなんだが……まあ、数匹くらいは良いだろ」


「んじゃ、さっそく」

「あ、おい、アナ!」

 ビスケットの呼び止めも気にせずに森に入っていく。


「ったく……シフォン、集計と報告書任せるわ。私は一応アナを追う」

「分かりました」

「助かる」

 そう告げるとビスケットも森に入っていった。


「結構、気が大きいんだなあ。辺りがちょっと暗いや。気をつけなきゃ」

 駆けながら辺りを見回す。確かに大きめな魔獣の痕跡がたくさんある。高めの位置にある枝が折れていたり、大きい足跡が残っていたりと、そのサイズ感がありありと感じられる。


「此間登った山とは、少し違った感じだ……」

 ふと、不穏な空気が漂い、そうして重たい音が響く。

「……っと、危ない」

 足を止め、近くの木の根元に息を潜める。ズシン、ズシンと響くような音が森に広がる。近くを何かが、通っている。


「何、あれ……?」


 それは巨大な、鶏のような見た目をしていた。体を覆っている羽毛を震わせながら、細く長い脚でその巨躯を揺らしている。

 鳥類……いや、違う。鳥ではない。明確に違うのは、あの長い尾だ。尻から延びる其れは、確かに蛇の姿をしていた。

 一つ、大きな咆哮。ギュギュア、と森に響き渡り、空気が凄まじい勢いで振動していく。身体が震える。本能がアナへ危険を告げている。


「なんだか……やばそうだなぁ……」

 見つからないように動かず、気配を消す。少し、足が動いた。


 瞬間、パキリ、と足元の枝が鳴った。


 その音に反応してこちらへと首をギュルリと曲げる。その飛び出るかと思えるほどに開いた両の眼を向け、ゆっくり歩み寄ってくる。

 胸の中で案じる。見つかると食われる。息を殺して、決して身体を動かさずに。


 木の幹の端からくちばしがちらりと覗いたのが、目の端に入った……所で、こちらまで覗き込むことなく首を引き返した様子だった。

 危なかった……そう思ってその場をソロリと離れようと振り返る。すると、アナの目線の先には、蛇があった。

 巨大な蛇、アナはそれを見たことがあった。それは、あの鶏の尻尾だった。


「キシャーッ!!」


 蛇が咆哮をあげる。驚いて仰け反った拍子に尻を打つ。

「やばい……!」

 蛇が噛みついてきた。間一髪で避けたその牙が幹に当たる。木が、溶けていく。

「うへぇ~……毒かぁ~……」

 直ぐに体勢を立て直したのも束の間、先程引き返した鶏の側がその巨体をアナへと向け突っ込んでくる。


「っく……!!」

 無理やり身体を跳ね上げ少し上昇する。避けることは出来たものの、体当たりによって起きた突風が身体を吹き飛ばしてきた。

「うあっ!!」

 転がる、転がる。大きな根にぶつかり止まった。起き上がると、蛇も鶏もこちらをじっと見ていた。


「…え~っと、結構やばそうだね」


 瞬間、二つの首が大きな轟音を上げる。ギュギュア、キシャーッと互いに耳に響く音が鼓膜へと押し寄せてくる。

「いった…!」

 思わず耳を塞ぎ、片目を伏せてしまう。相手は、構わず突っ込んできた。ズドーン、と木の幹にぶつかり、揺れが森中に伝播していた。

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