第十二話 その心にこもる温度

 どんちゃん騒ぎから一夜明け、重たい目をこすりながら体を起こす。ベッドから抜けるとカーテンを開けて部屋に光を舞い込ませる。洗面所に行き顔を洗い、歯を磨いたら部屋へと戻る。ガルフも目が覚めたみたいだ。


「おはよう、ガルフ。今日も頑張ろうね」

 キュー、と鳴いて返事をする。着替えた後に朝ご飯を済ませると、いつもの通り書斎へと向かうことにした。


「おはよう~」

 まだ少しふわふわとした頭のまま戸をノックして入ると、魔王とリセの他にもう一人の給仕。いつものように、もうすでに集まっている様子だった。なんだか、リセがいつもより苛立っているように感じる。


「おはよう、アナ。昨晩は遅くまで起きていたようだが、よく眠れたか?」

「うん、しっかり。元気いっぱいだよ」

 それはよかった、と返す。


「ところで、そっちの給仕が今日の部隊長?」

 アタシの問いに給仕が答える。

「いえ、私は部隊長ではございません。申し遅れました…給仕部隊の技術研究部隊で副部隊長を任されております、マルシェラと申します。今後とも、よろしくお願いしますね、アナ様」

 微笑をこちらに向ける。眼鏡が良く似合う優しそうな女性だ。


「よろしくね、マルシェラ…って、今日は副部隊長が担当なんだ」

「ああ…それがですね…」

 何かを言うか迷った様子でもごもごしている。それを怪訝そうに見ていると、怒っている様子のリセが口を開いた。

「アナ様、申し訳ありません…本日の担当である部隊長のシャンメリーの方がですね、来ていない…というより、来ないのです」

「え?」

「申し訳ありません…昨日の昼頃から研究を始めてしまいまして、私も、なるべくそうならないように注意を払っていたのですが…不徳の致すところです…」

 しょんもりした様子でマルシェラが言う。


「研究って…そんなに集中してるんだ」

「あの子は、そういった気質がありまして…普段から引きこもっている分には仕事をこなしているのであれば、問題は無いのですが、このように呼んでも来ないことがありますから、困ったものです…」

 リセは苛立ちを隠さない。

「ムルームのダメなところを色濃く受け継いでしまってるからな…仕方がないと言えば、仕方がないだろう」

「それでも、やはり一度強く言うべきです。通信も切っていますし、少しは自分の立ち場というものを理解させる必要があると思いますので」


「まあ、そんなに怒んなくても…ほら、マルシェラは来てくれたんだし」

「そうだな。とりあえず、マルシェラが居てくれるだけでも良し。今日の業務について話を進めるとしようか」

 魔王が宥める。リセは気持ちを落ち着けて控えた。


「本日は業務を行うにあたって、説明をしたあとにどの業務を行いたいか選んでいただこうと考えております。魔法などに興味があれば、楽しめるかもですね。そちらに隊長もいらっしゃるので、都合が良いかと」

 マルシェラが説明を始める。

「魔法の研究なんてしてるんだ。楽しみだな」

「ええ、詳しいことは着いてから説明しますが、魔法以外にも研究をしているんですよ。アナ様は武技を使われるそうですので、そちらのデータを取らせて頂けるのであれば、アナ様の戦闘もより効率的になると思います」


「そうなんだ。ちょっと気になるな」

「ほかに何か分からない点がなければ、直ぐに向かいますが」

 と、アタシに促す。アタシは大丈夫、と返事をしてリセの方をちらと見る。


「そうですね。シャンメリーには後でキツくお灸を据えておきますが、今はもう良いでしょう…マルシェラ、本日はあなたに一任します」

 了解しました、と返事をする。そうして書斎を後にした。


「さて、此処が研究施設になります。アナ様は…訪れるのは初めてでしたね」

 一階まで降りて連れられたのは食堂と対称の位置にある大部屋。こちらの廊下自体あまり来ることは無かったけれど、やっぱり構造は同じみたいだ。

「あれ、扉が無いけど」

「ありますよ」

 いや、無いだろ。完全に中が良く見える風通しのいい入口だよ。


「実はですね…」

 と、思わせぶりに入口へと片腕を伸ばす。すると、それまで見えていなかった薄い膜のようなものを腕が通り過ぎて中に入った。

「なんだこれ!?」

「これが我々の研究室における入口なのです。入る資格を持たない者はこの電磁膜を通過しようとすると、消し炭になります」

「危険すぎない!?」

 驚くアタシに微笑む。


「大丈夫ですよ。隊長が入室を認可した者、また魔王様から許可を得た者は通ることが出来ますから」

「我々は入室証が必要になりますが、アナ様は既に主様より刻印を施されているため、そのままの状態で入ることが出来ますよ」


 この刻印、こんなところでも使えるんだ…と感心に浸る。

「っと、じゃあ入ろ。シャンメリーだっけ、待ってるかもしれないし」

「そうですね、きっとお待ちですよ」


 恐る恐る膜を通る。図書館に入る時とは違って、少しピリピリとした感覚が体の表面を撫でるように伝わっているのが感じられた。少しくすぐったい。アタシと良く一緒に出歩くからと、ガルフにも刻印してもらっていたのは良かったと思う。留守番は少し可哀そうだから。


「さて、と…」

 入るなりマルシェラが室内を見渡す。マルシェラと同じように、白衣を纏った者たちがなんだか難しそうな機械に向き合ったり、大量の本を積み上げて怖い顔をしながら読み込んでいたりする。その中の、ずっと奥の方に居た一人の給仕に、マルシェラが声を飛ばした。


「隊長!!アナ様が来られましたよ!!!」


 呼ばれた女はピタと作業を止め、こちらへと向き直るように椅子を回転させると、にへらと笑った。


「おお~、君がアナちゃんね。ハイハイ、よく来たよく来た~」

 痩せぎすの、とても気怠けだるそうな女が声をかけてくる。体つきはかなり細身、食事摂っているのか不安になるほどだが、外見において…顔のパーツなどはやはりリセたちと似た感じがある。

 髪の色は黒みがかった青で、白い肌がとても綺麗に思えた。少しぶかっとした白衣の袖を振り、隈が目立つ顔でおどけて笑う。近づいて返事をする。


「あんたが、シャンメリー?」

「そうそう、僕はシャンメリーだよ~。よく知ってくれてるね~」

 頭がふわふわしているのだろうか、それとも元からこの喋り方なのだろうか、掴めないような態度で応えている。隣に居たマルシェラが口を挟む。


「隊長…またすっぽかしましたね!?」

「あ~、何の話かな~」

 とぼけた顔で頭を振っている。

「あなたが来なかったら私がどやされるんですよ!もう…怒った大隊長、本当に怖いんですから…隊長も良く知ってるでしょう!?」

「そうだねぇ~、リセ姉はこわいね~」

 シャンメリーの返答に呆れた顔をするマルシェラ。


「…後で大隊長に来てもらいましょう。隊長にも会いたがっていましたし」

 その言葉に凄い動揺を見せる。

「え、え!?だめだよ!!わ、わかったから、次からちゃんとするから~!!」

 随分とさっきまでの余裕がなくなっているのが、可笑しく感じて、笑ってしまった。それを見てマルシェラがこちらに声をかけてきた。


「アナ様、ご容赦を…このような方ですので、身勝手に動くことがとても多く…どうか許してあげてほしいのです」

「い、いや別にいいよ。アタシ気にしてないし」

 マルシェラは安堵を示す。

「それよりさ、ここがどういった場所なのか説明が欲しいな~って」

「そ、それもそうですね。失礼しました…」

 一息ついて説明を始める。

「まずは、この部屋の説明からですかね…ここはメインラボになります。研究員一人一人にデスクが与えられ、自身の研究に関する資料をまとめたり、意見の交換を行うなど、主に研究の基盤を整える場として活用します」


「ケンキュウのキバン」


「少し、難しいですか?要するに、何を作るか、何を改良するか決める場所です」

「なるほどね」

「そして、あちらにある三つの先程通ったような扉。それぞれが、魔法、武技、武装の研究に使用するラボになります」

 指示した先に入口が三つ。それぞれ中が見えにくいように設計されている。


「魔法はそうだと思ってたけど、武技とか武装の研究もしてるんだ」

「ええ。新しく開発したり、既存のモノを改良したり…それぞれの得意分野で日々研究に研究を重ねて、より軍に貢献できるよう、皆勤めています」

 と、言ったところでシャンメリーの方を見る。

「中には得意分野といった枠組みすらない者もいますが…」

 ニャフフ~、と笑っている。マルシェラは説明を続けた。


「それで、アナ様はどの分野に興味がありますか?今日一日の体験という事ですので得意分野より、興味の方を優先したいと思っておりますので、よろしければ教えていただけないでしょうか」

 促されて考える。魔法は見たことはあるけれど、あんなに難しそうなものはアタシには扱えないだろうし、武装の研究も手先の器用さが重要そうだ…となると、武技になるんだけど、アタシも自分の武技の事よく分かってないしな…

 と考え、一つひらめく。


「そうだ、アタシの武技について、どういったのか分かったりする?」

「アナ様の、武技ですか?」

「そう、実はね…自分の武技のこと、アタシよく分かってないんだ」

「だから、武技の研究を手伝えば、分かるかもなって」

 少し驚いた様子を見せたが、直ぐに取り繕った。


「なるほど…では、アナ様の武技を分析する所からですね…」

「ハイハイハ~イ、それ僕がやりた~い」

 急に口を挟むシャンメリー。マルシェラが怪訝そうな顔をする。


「あなたに任せるのは少し怖いのですが…」

「心外だなぁ~、僕以外に適任は居ないと思うけど~?」

 その返しに少し思考を巡らせる様子を見せ、口を開く。

「…確かに、それもそうですね。しかし、何かありましたら容赦なく報告はさせていただきますので、ちゃんと、真面目に、取り組んでくださいね」

 これでもかと言うぐらいに釘をさす。

「わ、わかってるよぉ~…良いだろ~?僕だって今日を楽しみにしていたんだ。せっかくフェイ以外の勇者を視れるんだし、少しくらい…」

 ズズッとマルシェラがシャンメリーに顔を近づける。

「…わかったよぉ」

 渋々、と言わんばかりの顔で承諾する。マルシェラも納得した。

「では、お任せしますね。私は今日の諸報告をまとめつつ、全体の巡回をしてきますので。それと、アナ様…こちらお渡ししておきましょう」

 おもむろにボタンの付いた小さなリモコンのようなものを渡してきた。

「これ何?」

「隊長が何か不審な事をしたら押してください。隊長に電流が流れる仕様になっておりますので」

 笑顔でとても怖いことを言う。シャンメリーも戦慄している。


「それで、アタシは何すればいいの?」

「まずは、上を脱ごうかぁ~」

 リモコンを見せる。

「違う、違うよ~!武技ってのは身体に少なからず影響を及ぼすんだ。だから、痕跡を辿るためにまず身体を触って調べることから始めなきゃいけないんだよぅ~…」

「なら良いんだけどさ」

 診療で慣れたと思ってたけど、服を人前で脱ぐのはまだ恥ずかしいな。


「うん、うん…う~ん?ああ…なるほど、ふんふん…」

 ぶつぶつと何か口に出しながら触診している。くすぐったいな、と思っていたらバッと顔を上げてきた。


「うん!大体データは取れたねぇ~。ちょっと待っててね」

 そう言うと機械の方に向き合ってしまった。凄い速度で何か打ち込んでいる。魔水晶から映し出されている映像が切り替わっては戻ったりしている。何をしているのかてんで分からなかったが、此間のバジリスクとの戦闘が映し出された時は思わず驚きを口にしてしまった。


「え!なんで、その時の」

「ん~?ああ、これね。普段からデータ集めのために映像蟲えいぞうむしを至る所に飛ばしてるんだよぉ~。ちょうどいい映像があったから、さっき取ったデータと照らし合わせて、どんなもんか分析してるってとこだねぇ~」

 虫、かあ。あの時視線を感じることは無かったから、そんなのが居るってことも気づかなかった。凄い技術、いや、生物だ。


 しばらくしてシャンメリーが動きを止めた。

「うん、できた。アナちゃんの武技に関して少しだけだけど、分かったよぉ~」

「ほんとに!?」

「うん~。これはねぇ、今まで見たことが無いものだねぇ~」

「見たことが無いもの…?」

 疑問を口に出す。


「そうだねぇ、どう説明しようか。本来、武技っていうのは武装に作用する技、相手に作用する技、そして肉体に作用する戦闘方法があるんだけど、アナちゃんのは少し違っているんだぁ~」

「違っているっていうのは…」

「この場合、肉体に作用する戦闘方法に近しいんだけど、アナちゃんの武技は外部ではなくて自身の内部に作用している。脳の活性化、血液循環の急進、五感の鋭敏化…まあ、つまるところドーピングみたいなもんだね」

「そんなに仰々しいものなの!?」

 想像はしていたが、少し驚いた。


「まあねぇ~、随分と無茶しているみたいだし。実際、武技発動後には身体…主に内臓や骨へのダメージがデカすぎる。ビスキーも気づいてたみたいだねぇ~」

「…そうだね、忠告はされた。でも…」

「これしか戦い方を知らない、だろぉ~?」

 見透かされる。言わんとしたことを当てられた。


「…うん、そう。だから危ないとかじゃないんだ」

「だったら、別の戦闘方法を知れば良いだけだねぇ~」

「あるの!?アタシにも使えるのが」

 目を見開いてじっと見つめる。

「あはは~、そんなに熱く見つめないでよぉ~。僕だって照れちゃう」

 咳払いをして続ける。


「そうだね。色々と方法自体はあるとも。アナちゃんは、その武技をどこで身に付けたのか知らないけれど、普通武技っていうのは受け継いでいくものなんだぁ~。それは家系であったり、師事する者であったり、封印されし文献なんかもあるねぇ~」

「そうなんだ…アタシは、どれも違う」

「と言うと~?」

 一瞬、言い淀んだが続けた。

「アタシは、誰からも教わっていない。戦わなきゃ死ぬって状況で、敵だけの事を考えてたら、いつの間にかこの武技が発動してた。一点に集中すると発動するみたいだから、それ以来『集中』ってアタシは呼んでる」

「…なるほど、集中かぁ~。それにしても、継承じゃないなんてなかなか珍しい、僕はまだ会ったことがないねぇ~」

 その言葉に少し俯く。


「と、まあ。武技の話はここまでにして。アナちゃんの新しい戦い方に関して提案しようと思うんだぁ~」

「提案?」

 そう、と肯く。

「アナちゃんはなんと~、精霊術の適性がありま~す」

 精霊、術…耳にしたことが無い。

「聞いたことが無いって顔だねぇ~。確かにポピュラーな戦闘方法ではないから、それも無理ないんだけどね~」

「どういうものなの?」

 アタシの問いにフフンと鼻を鳴らす。


「その名の通り、精霊を使役する術だよぉ~。契約をした精霊の力を借りて、武器に魔素を纏わせたり、一緒に戦ったりするんだよぉ~」

「魔素っていうのは?」

「魔素は魔素だねぇ~。自然が含む魔力の元となる元素のことだよ。精霊は魔力ではなくて、この魔素で生きているから、戦いにも魔素を使うんだぁ~」

 少しムズカシイ。頭がこんがらがってきた。

「…ちょっと、難しかったねぇ~。とりあえず、自然の力を使うのが精霊って覚えておくと大丈夫だよ」

 肯きで返す。


「それで、その精霊術の適性がアタシにもあるって?」

「うん、アナちゃんの身体を調べてから分かったんだけどねぇ~。適性がある者自体けっこう珍しいから、少し分析に手間取っちゃったね」

「珍しいものなの?」

 うん、と返事。

「精霊がそもそも、そんなに姿を見せる方ではないからね。人間界じゃあ、絶滅種に分類されているくらい。まあ、人間が邪悪だから姿を見せないだけかもね」

 ガハハ、と笑った後に申し訳なさそうにする。

「ごめんね…アナちゃんを悪く言うつもりはなかったんだぁ~」

「いや、大丈夫だよ。アタシも、人間の悪性は知ってるつもりだから」

 安堵の色が出る。顔に出やすい方なのかもしれない。


「話を戻すけどねぇ~、アナちゃんの適正としては、風の精霊が合っているみたいなんだぁ~。だから、これ!」

 おもむろに指を鳴らすと、鳴らした手元に緑色の光が現れた。

「なんだ、それ!?」

「これが精霊。僕は職業柄、色んな精霊を研究していてねぇ~。この子は風の精霊だよ。等級は低い方だけどねぇ~」

 光がアタシの方に飛んでくる。身体の周りを見るかのように飛び回って、アタシの肩の上辺りで止まった。


「うん、やっぱり思った通り。その子、アナちゃんのことが気に入ったみたいだねぇ~。いつもよりウキウキしているよ」

 点滅する。なんだか嬉しそうだ。

「うん、連れてってあげてよ。ここでずっと過ごしているよりも、その子にとっても良いことだろうからねぇ~」

 まだよく分かっていないけれど、悪い気はしないから承諾した。


「じゃあ、契約成立だねぇ~。楔を決めないと」

「楔?」

「そう、互いに何を出すのか。契約だからね、差し出すものは必要。精霊からは普段の生活のために魔素を得る機会を求めるようにしてるから、後はアナちゃんが何を欲しがるか、ってことだねぇ~」

 欲しいもの…精霊に対して、何を望むか…考えて、口に出す。


「うーん、そうだな…じゃあ、アタシの友達としていてほしい、かな」

 照れくさくて少し伏し目がちになる。シャンメリーは笑っている。

「アナちゃんは健気だねぇ~、君もそれでいいかい?」

 精霊の方に促す。点滅で返事をする。

「うん、じゃあこれでおしまいだ。これから、アナちゃんとその子はどちらかが死ぬまで契約が続くよぉ~。その子も、きっと君の力になってくれるから、いっぱい頼ってあげてねぇ~」

 わかった、と返事をする。ちょうど、マルシェラがやってきた。


「隊長、アナ様、武技の分析の方は順調ですか…って、なんですその精霊!?」

 来るなり精霊に対して驚きの声を上げる。

「ん~、アナちゃんの精霊だよぉ~。適性があったからね、僕のところにいた子を付かせることにしたんだ」

「あなたはまた、勝手に…!!」

「そ、そんなに怒らないでよぉ~…別に了承の上でだし、悪いことをしているわけじゃないだろぉ~?」

 はぁ…とため息を一つ。

「報告することがまた一つ増えました。諸々は隊長がまとめてください、あと二時間ほどで諸報告に向かいますから、早めに、お願いしますね」

 笑顔で詰め寄る。シャンメリーは肯くしかないようだ。


 泣きながら報告書をまとめているシャンメリーを遠目に、少しの時間休憩をとることになった。マルシェラがコーヒーを用意してくれた。

「どうぞ、アナ様」

「ありがとね」

 一口含む。ミルクと砂糖をいっぱいにしてくれたが、それでもまだ少し苦かった。

「どうか、悪く思わないであげてくださいね。隊長も、良かれと思ってしたことだとは思うので…」

「何か悪いことされたっけ?」

 心当たりが全くない。

「説明がなかったかもしれないですが、精霊との契約は本来危険を伴うものです。それこそ、悪魔との契約ほどではないですが、対価を求められるという事は、不履行になった場合、その分、返ってくるという事ですから…」

「うーん、あんまりよく分かんないけどさ。アタシは新しい友達もできて、戦いを手伝ってくれて、あの武技を使わなくてもいいかも、なんて考えたら、この契約はけっこう嬉しいものだったりするんだ…だから、そんなに気負わないでよ」

 すみません…と述べる。

「何か身に危険がありましたら、ちゃんと私でも主様でも、大隊長でもいいので報告してくださいね。その時は対処しますので…」

「うん、でも大丈夫だと思うよ。この子、良い子みたいだし」

 指に留めて微笑む。マルシェラも心労は減ったようだ。

「…ありがとうございます」


「終わった~!!」

 少ししてシャンメリーが大きな声を出した。

「まとめ終わったようですね…では、主様の元へ向かいましょうか」

「行ってらっしゃ~い」

 マルシェラがじろりと隊長を見る。

「あなたも来るんですよ?」

「少しは休ませてよぉ~」

 泣きながら首根っこを掴まれて、研究室を後にした。


「…以上が、本日の諸報告になります。それと、隊長の方から急ぎ報告しておくことがありますので、ここから先は隊長に代わります」

 しぶしぶ前に出るシャンメリー。そして声を発する。


「うーん、何から言おうかなぁ~」

「まずは今朝の謝罪でしょう」

 リセが口を挟む。

「うう、わかってるよぉ…主ぃ、朝すっぽかしてごめんなさい」

「ああ、次からは気をつけるようにな」

 甘い、と言わんばかりにリセが目を伏せる。


「それで、何か報告があるそうだが」

「あ~、えっとねぇ。アナちゃんに精霊を契約させたんだぁ~」

「あなた、また勝手に…」

 リセはあきれた様子を見せる。魔王は変わらない。

「そうだろうな。微量だが魔素の気配を感じる。大方、アナに精霊術の適性があったからだろうな。お前が普段育てている低級精霊だろう?」

「はい~、アナちゃんの武技は結構危険だなぁとは思ったので、勝手ながらさせていただきました~。たぶん、主もビスキーから聞いてるんでしょぉ~?」

 そうだな、と返事。


「無論、精霊との契約はどれほど低級であろうとも危険を伴うものだ…だが、アナが望んだことであれば、それもまた一つの選択。アナの成長の一歩となったのであれば、責めることもないだろう」

「やったぁ~、じゃあこれで解決ってことでぇ~」

「それはそれとして、リセの心労もあったからな。マルシェラに十分叱られただろうが、本人からの言葉をもらった方が今後につながるだろう」

 リセがシャンメリーを手招きする。外に出るようだ。

「…は~い」

 本当に嫌そうながら、リセと共に部屋から出ていった。リセは、怒ったらけっこう怖そうだなあ…


「して、マルシェラ。お前から見てアナはどう映った?」

 急な問いに驚く。マルシェラも面食らっている」

「どう、とは…アナ様はとても良い方に思えましたが」

「いや、何。給仕部隊の仕事も、外交部隊以外はすべて経験させたが、副部隊長の目から見て、人間であるアナはどのように感じたか、知っておこうと思ってな」

 なぜだろう、あまり気にならない。

「そう言う事でしたら…」と取り直す。


「アナ様は、正直に申し上げますと、人間とは思えないです」

「え!?」

 思わず声を上げてしまった。

「ああ、申し訳ありません。そう感じさせない、と言う意味です。気を悪くしてしまったのであれば申し訳ありません。ですが…やはり、アナ様は他の人間のような傲慢さも不遜さも、なにより強欲さもないものですから…私から見ると、どうしても人間には思えないのです」

 その言い分を聞いて、確かに、その点で行くと自分は人間らしくないのかもしれない、などと思う。人間らしくありたいとは微塵も思わないけれど、らしくないと言われると複雑ではある。


「我々は、ムルーム様から派生した者でございますので、人間の性質も、他の種の者よりは理解しているつもりです。彼らは、救えない者たち…関わること自体が間違いであると、知っていますから…」


「ですが、アナ様を見て、皆がそうではないと気づかされました…時代が変わり人も変わったのかもしれない、と。ですが、それも間違い。現に、アナ様はひどい仕打ちを受けたうえで今ここに居住している」


「であれば、アナ様だけが特別である、と。そう私は感じております。アナ様のそのような心根は、とても素晴らしいものだと、私は思います」


 重々しい空気の中、魔王が口を開く。

「…やはり、皆そう感じるみたいだな」

 含みのある言い方をする。

「皆って、もしかして」

「ああ、他の副部隊長にも同様の質問をした。それぞれ、自身の感性から客観的意見を述べていたが、最終的には同じ点に着地したのだ」

 皆、ってことは…


「ディミも…?」

「そうだな。あやつも、今ではお前の心根を称賛している。あんなことがあったというのも、お前を見極めたかったのかもしれんな…」

 そうか、ディミも…


「おそらく、全員が根底でつながっているからでしょうね。ムルーム様がそも、お優しいというのもありますが、アナ様の心根に寄り添えるのは、そういった点が起因しているのでしょう」


「というか、そんな風に思ってくれてたんなら、言ってくれてもいいのに」

 照れ隠しで口をつく。

「そんなに簡単に伝えては、言葉に重みがありませんもの」

 コロコロと笑う。かわいい。


「確認できて良かった。すまないマルシェラ、時間を取らせたな」

「いえ、何なりと。それでは失礼いたします」

 そう言って扉の方に進むが、ふとアタシに向き直る。


「アナ様、先ほども言いましたが、私はあなたの心根を素晴らしいと思っております。それは何人なんぴとにも侵されてはいけない純粋なもの…その心根を生涯大切にしていく、その補助を私も、していきたいと感じております」

「うん、ありがとう、マルシェラ。それだけじゃなくて、今日のことも。シャンメリーに怒ったのも、多分アタシを思っての事なんでしょ。そうやって怒ってくれる人、此処に来るまでいなかったから、嬉しかった」

 マルシェラの目頭が熱くなる。


「これから、よろしくね」

「ええ…ええ…!もちろんでございます」

 ただ笑顔を見せて部屋を後にしていった。こんなに心が暖かくなったのはいつ以来か分からない。ただその温度を、これからも大切にしようと思った。

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