第九話 畑仕事の充足感
ミレットと共に、魔王に諸報告を済ませたのでアタシの今日の仕事はこれで終わりのようだ。ミレットは夜も少しだけ業務が残っているみたいで、夜ご飯はリセと食べることにした。昔と比べて良い物を食べているからか、最近は食欲が毎日ちゃんと湧くようになっていて、その日のご飯を楽しみにしている自分がいる。
「あ~、うまかった~」
最後にスープをグイっと飲み干して大きく息を吐く。アタシの飲みっぷりを見て、可笑しくなったのかリセが笑っていた。
「なんだよ~」
「いえ、アナ様が随分美味しそうに食べるもので。私も満足しているのですよ」
「馬鹿にしてる~?」
「そんな、滅相もない」
互いに笑う。皿を片付けて部屋に帰ることにした。
「ただいま~、ガルフ。元気だった?」
部屋で待っていた魔リスに声をかける。頬いっぱいに胡桃を蓄えた顔でこちらを見るとキュー、と鳴いた。頬の胡桃が少し跳ぶ。
「アハハ、汚いなあ」
申し訳なさそうに、しょんもりしている。
「今日は久々にいっぱい動いたから疲れちゃったよ、ガルフ」
ソファに座ると背もたれに身体を預ける。沈み込んで包まれた。
「身体が疲れるって、久しぶりだったな」
なんだか不思議な感覚だ。疲れというものは、此処に来るまでもずっと感じていたというのに。たぶん、精神の方がもっと疲れてたんだろうな。それが今、身体の方が感じられるという事は…アタシは暇になったんだな、と再認識した。
「存外、悪いもんじゃないね。心地良いくらいだ」
これはおそらく、楽しかったからだろう。ガルフはキュー、と鳴く。
「夜ご飯も食べたし、そろそろ寝ようかな」
大きく伸びをすると、思わず
「は~、眠たい…これも、久しぶりだなあ」
そう呟きながらも、既に半分寝ていたんだろうと思う。意識が朦朧として、ベッドに倒れ込んだ。ボフッと音がしたのは覚えている。
そこからは記憶はない。おそらく寝ていたんだろうな。窓からの日差しを受けて目を覚ましたら、ガルフがチロチロと頬を舐めていた。くすぐったくて笑いが込み上げる。寝ている間にリセがアタシの状態を整えてくれたらしく、ちゃんと布団を被っていた。
「さて、今日も働くかな」
着替えを済ませて魔王の元へと向かう。今日は外縁管理部隊の仕事らしく、外で作業するからか、軽装をリセが揃えてくれた。ものすごく動きやすい。
書斎に着くと、ハーヴェが居た。どうやらアタシを待っていたようだ。
「あら、アナ様。おはようございます」
「おはよう、ハーヴェ。ごめん、待たせた?」
「いえ、私も今し方参上した次第でございます」
何か今のカップルみたいだな。いや、カップルは敬語じゃないか。
「アルも、おはよう」
「ああ、おはようアナ。今日は事前に言っていた通り、ハーヴェの元で外縁管理部隊の仕事を経験してもらう」
肯きで返す。
「後ほど、詳しいことはハーヴェから説明があると思うが…今の時点で聞いておきたいことはないか?」
少し考える。そういえば…
「今日ってリセはいないの?」
ハーヴェが応える。
「リセ姉は自分の管轄がありますから。ミレットちゃんの時は、まあ…会ってもらったので分かるかもしれませんが、あの性格ですので」
そうか、本来はそうだよな。
「そっか、ごめん。変な事聞いた」
「いえいえ、ご質問ありがとうございます」
にこやかにしている。笑顔が似合うなあ、などと思う。
「それと、外庭って結構広いけど…もしかして全部、管理してるの?」
「ええ、もちろん。各所に人員を配置して管理しておりますよ。本日ではほとんど体験できませんけれど…そちらは、よろしかったですか?」
「ああ、そこは大丈夫。わざわざ準備してもらってるんだし」
笑って返したら、ハーヴェも安堵の表情をした。
「では、任せたぞ。ハーヴェ」
「承知しました、主様。では…アナ様、そろそろ向かいましょうか」
扉の方へと向かったハーヴェの後を付いていった。
門を抜けて外庭に出る。何回か訪れてはいるが、やはりその広さには毎度圧倒される。この高所から見渡しても、壁がようやく薄っすら見えるくらいに広い。雄大な自然といくつかの集落。自然を感じられてとても心地が良い。
「アナ様、こちらですよ」
気がついたらハーヴェがもう先に行って、近くの階段から声をかけてきた。階段から下山していく。進んでいくと農場がある。前に来たから覚えていた。
「今日は、農業を手伝っていただきます」
「農業かぁ…何すればいいの?」
「簡単な事です。収穫と、次に摂りたい野菜の種を植えるだけですよ」
「結構単純な作業なんだ」
一つ咳払いをして説明を始めた。
「実はですね…我らが城の農業は普通の農業と比べると、違っている点がいくつかあるのですよ。重要な点は二つ。まず一つは、収穫時期がとても早いという点。もう一つは、植える品種があまり土壌に左右されないという点です」
首をかしげる。
「分かりづらいですよね。収穫時期が早いというのはすなわち、収穫頻度が高いという事です。大体五日経てば収穫することが出来ます」
「そんなに早く!?大丈夫なの?」
あまりに早い頻度で驚きを隠せない。
「ええ。実際にアナ様にも毎日食べていただいているように、品質の方は私が保証いたします」
微笑んだ後、気を取り直して続ける。
「これは、植える品種が左右されないという点にもつながってくるのですが…アナ様も既に聞き及んでいるかもしれませんが、外庭はムルーム様の影響を強く反映した区画となっております」
「そういえば、何かアルの奴も言ってた。この自然はムルームと外縁管理部隊が頑張っているからだ~とか」
そんな、もったいないお言葉…と照れている。
「こ、コホン。聞き及んでいるのであれば話は早いですね。そのムルーム様の影響と言うのは、自然に対する影響を指しています。ムルーム様は
難しい言葉がいっぱい出てきた。
「よく分かんないけど、すごい奴なんだね」
「もちろんです。どちらの点においても、ムルーム様の御力による影響がとても大きく…あの方が居なければ、この農業は…いえ、この外庭は成り立っておりません」
それほどまでに凄いんだな。やっぱり四天王なだけある。というか、マナリアより全然凄い奴なんじゃないか?
「それで、今日は何を収穫するの?」
気を取り直したようにハーヴェが答える。
「はい、今日はイモをひたすら掘ってもらいます」
「イモを?」
「イモを」
「ひたすら?」
「ひたすらです」
あれからどれだけの時が経っただろう。ひたすら、ただひたすらにイモを掘っては籠に入れ、掘っては籠に入れの繰り返し。魔王軍の食糧消費を考えると、おそらくまだまだ足りないんだろうと考えながらも、途方もない作業を続けた。
「そろそろ休憩にしましょうか、アナ様」
ハーヴェがお茶を持って声をかけてきた。潤いを欲していた身体が、スーッと引き寄せられていく。一口含むとオアシスだった。
「あ~、生き返る~!」
どこかのおっさんみたいな声が出た。気持ちが良い。肉体労働とは、とても爽やかになるもんだな。そりゃあ…ハーヴェくらい快活じゃないとやってけない。
「美味しそうに飲みますね」
ハーヴェは笑っている。少し恥ずかしい。
「毎日こんなに大変なの?ハーヴェってすごいんだね」
その言葉に目を丸くするハーヴェ。
「ん?どしたの」
「いえ…今までは、あまりそういった言葉を頂いたことが無いもので…少し驚いてしまいました」
「そうなんだ」
「はい、この城では与えられた業務をすることは普通の事で…私にとってのそれは、この業務ですから。普通の事を褒める者もいないでしょう」
まあ、そういう考えなら確かに。
「ミレットの集中力が凄かったのも、そういう考えがあるからなのかな」
「ミレットちゃんの場合は、少し違いますね。あの子は生まれ持った性質上、突出した精神力を有しておりますから。ですが確かに、そういった考え方もできますね」
突出した精神力、かあ。と考えながら引っかかる。
「生まれ持った性質って?」
少し考えている。のち、口を開く。
「我々給仕部隊は、ムルーム様から派生した
「まあ、派生とは聞いてる」
「でしたら、話が早く進められます。給仕部隊はムルーム様の派生…ですが、私たち部隊長はその中でも少し違った存在なのです」
気になったが黙って聞く。
「竜人種は成体の竜種が単為発生で生み出すもの…その中で、竜種が成体に成る際に、分体として単為生殖で産み落とされる存在が居るのです」
「その分体は、元となる竜種の性質の一端を引き継いでいます。端的に言ってしまえばその分体が私たち、給仕部隊の各部隊長なのですよ」
少し驚いた。確かに、マカロンやマドレーヌと比べても、少し違っている点が多かった気もする。ミレットの体格も、それなら頷ける。
「ってことは、ムルームが母親ってこと?」
「そうとも言えますね」
笑顔で言う。まぶしい。
「私たち部隊長は、他の給仕部隊の子たちよりも先に生まれてきました…リセ姉を含め六人は、同時に生まれたものの姉妹として生きることとし、生まれた順番を決定することにしたのです。ちなみに私は四女ですよ」
「ハーヴェで四女!?しっかりしてそうなのに…」
その言葉にまた笑う。
「フフ、上三人の方がしっかり者ですよ。まあ、一人しっかりと言えるか分かりませんが…私はまだまだ至らぬ点が多いですし、何より姉も妹もいるというのは、何とも言い難い幸せがあります」
そうなんだ、と感受する。
「順番はどんな感じなの?」
「上から、リセ姉、グレース姉、ビスキー姉さん、私、シャンメリー、ミレットちゃんの順番ですね。アナ様は…グレース姉とシャンメリーにはまだお会いなさってないと存じ上げております」
確かに聞いたことない名前だが…
「ビスキーは?」
「ああ、ビスケット調理部隊長ですよ。たしか…以前買い出しで一緒になったと聞いておりますが」
「ビスケットのことか!ビスキーって呼んでるんだね」
「はい、なんだか気恥ずかしいですね」
照れた様子で頬を掻く。かわいい。
「私にとって、ムルーム様含め六人とも…いえ、給仕部隊の皆はとても大切な家族です。軍の皆様も大切ですが…この繋がりはトクベツです。姉妹の絆を、死ぬまで大切に、手放すことなく生きていきたいと、そう思っています」
「ハーヴェにそんだけ愛されるのも、羨ましいもんだね」
首をかしげる。
「私に愛されるのは、羨ましいですか?」
「うん。ハーヴェに限った話じゃないんだけどさ、アタシは誰かに愛されたのなんて…ああ、一人だけ居たけど、それ以外じゃ朧げな記憶でしかないから。そういうの、羨ましいと思うんだ」
途端、ハーヴェが手を取る。
「これからは、私も、主様も、そして魔王軍の皆様も居ます。これからは、忘れることを忘れるほどに、多くの愛が貴女を包みますから、御覚悟、お願いしますね」
いたずらな顔を見せる。少し、ドキリとした。
「アタシは、こんなに恵まれてていいのかなあ」
「良いのですよ。アナ様は、頑張り屋さんですから」
そっか、と呟く。一つ大きく伸び。ハーヴェが立ち上がる。
「さて、そろそろ午後の業務に取り掛かっていきますよ~!」
「ハハ、お手柔らかにね」
笑って差し伸べる手を掴んでアタシも立ち上がる。一つ風が抜けた。
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