啜り泣いている直枝

 啜り泣いている直枝の姿は、あまりにも痛々しいものだった。思わず、もらい泣きしそうになる。

 だが、いつまでも泣いている訳にはいかないのだ。僕は彼女に近づき、肩を軽く叩いた。


「気持ちはわかるけど、今は泣いてる場合じゃないよ。ここから、みんなで生きて帰るんだ。三人そろって、家に帰るんだよ」


 そう、まだ終わってはいない。闘いは続いている。それに、奴らの正体を突き止めなくてはならないのだ。


「うん……わかったよ。ごめんね」


 直枝は顔を上げた。その顔は、涙と汗とほこり、その他さまざまなものでグシャグシャになっている。彼女は、涙を拭い頷いた。

 その時、明が口を開く。


「ところで直枝、お前の下の名前は何だ?」


 横で聞いている僕は、唖然となっていた。こんな状況で、何を聞いているのだろうか?

 直枝も同じことを感じたらしい。困惑したような表情で答える。


「えっ……り、鈴だけど……」


「ああ、鈴だったな。ごめん、さっき聞いたのに忘れてたよ。俺たちくらいの年齢で、本当に仲の良くなった間柄だと、下の名前で呼びあったりするんだよな。前にライトノベルとかいう本で読んだから、それくらいは知ってるんだよ。だから、これからは鈴、明でいこうぜ」


 真顔で、そんなボケたようなセリフを言ってきたのだ。まるでコントのような発言である。僕は凍りついてしまった。この男は、何を言っているのだろうか。 

 彼女もまた、似たようなことを思ったらしい。死人のような顔つきが、見る見るうちに変わっていく。


「えっ、ちょっと待ってよ……ラノベ!? あんたラノベなんか読むの!?」


 直枝が……いや、鈴がこの状況に似合わない、すっとんきょうな声をあげる。直後、口を手で覆いながらクスクス笑い出した。

 それにつられて、僕も笑い出す。この恐ろしい明が、可愛らしい女の子のイラストが描かれた小説を真剣な顔で読み耽っている……そんな映像が、脳裏に浮かんだのだ。下手な芸人の漫才などより、よほど破壊力がある──


「な、なんだよ、そんなにおかしいのか? 日本に来た時、日本の高校生はこういうのが好きだからって叔母さんに勧められて読むようになったんだけどな。日本語の勉強にもなるし」


 照れたような表情を浮かべながら、明は述懐する。だが、どこか嬉しそうでもあった。

 僕も嬉しかった。そう言えば、こんな風に他の生徒と笑いあったことなどなかった気がする。もともと他人とのコミュニケーションを取るのが下手で、他人に対しどこか構えた部分があった。あるいはそれが、いじめの原因のひとつになっていたのかもしれないが。

 でも今は、構える必要などない。ここにいる二人は、僕の敵ではないのだ。明も鈴も、大切な味方であり友だちなのである。

 そう思いながら、鈴の顔を見た。彼女は今、本当に楽しそうに笑っているのだ。鈴の心からの笑顔を、初めて見たような気がする。

 いや、それを言うなら、明の笑顔を見るのも初めてだ。

 そう、明も笑っている。いかにも照れ臭そうに……先ほどまでの、怪物のごとき闘いぶりが嘘のようだ。

 そんな二人の笑顔を見ているうちに、僕の心は暖かいものに満たされていく。自分にとって、大切に思える人。そんな人たちの楽しそうな笑顔を見ると、自分も幸せな気分になれる。その事実を、僕は初めて知ったような気がする。

 そして思った。

 みんなで笑い合うのって、こんなにいいものだったのか──


「鈴、翔、今のうちにこいつを食べておくんだ」


 ひとしきり皆で笑いあった後、明がペットボトルの水と羊羮のような菓子を差し出してきた。あの男たちが持っていた物だろう。いつの間にか、男たちの死体から回収していたらしい。

 鈴はひったくるようにして受け取る。貪るように食べ、飲んだ。つられて、僕も食べ始めた。


「二人とも、食べながらでいいから聞いてくれ。俺たちは、奴らと決着をつけなきゃならない。このまま放っておいたら、奴らは俺たちをつけ狙うかもしれないんだ。奴らは、俺たち三人の名前を知ってる。石原高校の一年A組だってこともな──」


「ごめん、ちょっと聞きたいんだけど、あいつらは結局、何者だったの?」


 明の言葉の途中で、鈴が尋ねる。


「よくは分からないが、おそらく殺人マニアの集まりみたいだ」


「殺人マニア?」


「そうだ。さっきあちこち探っていたら、集会所みたいな所があった。そこに行って、窓から覗いてみたら……連中が集まって、会議してたんだ。今回の作品はどうとか、死体の保存が何とか、そんな話をしていたよ。そのうち五人は、今は死体になって転がっているけどな」


 そう言うと、明は外を指差す。そこには僕が殺して表に運んだ奴も含め、死体が五体転がっていた。

 さらに、ボクサーと力士の死体も転がっている。


「じゃあ、あとひとりいるんだね?」


 呟いた僕に、明はかぶりを振った。


「違う。その八人の中に、ボクサー崩れと力士はいなかったった。となると、残り三人は確実にいる。それに、他にも何処かに潜んでいる可能性もある。つまり、あと何人いるか、こっちは把握しきれてないんだ。また、調べてる余裕もない。長引けば、こっちが不利だ」


 そこで、明は言葉を止めた。一瞬の間の後、僕と鈴の顔を交互に見る。


「俺の考えはこうだ。これから、その集会所に行ってみる。そこで、何か手がかりになるものを探す。そこで、奴らの仲間にあったら、捕まえて情報を吐かせる。その後は安全そうな場所で待機して、明るくなったら下山だ。もちろん、ちゃんと掃除はしていくがな」


「もし他の奴らが残っていたら? どうするの?」


 僕が尋ねると、明は渋い表情になる。


「そいつはもう仕方ない。とにかく、まずはここを出よう。生き延びるのが先決だよ。これ以上、闘いが長引けば、いろいろと面倒なことになるしな。必要なら、あとで俺がケリをつける。そのために、まずはここから脱出だ。もし連中の仲間に遭ったら、ひとりは生かしておくよ。そして知っていることを吐かせる」


 冷静な明の言葉に、僕は頷いた。その時、食べ終わった鈴が口を開く。


「ねえ、他の二人はどうなったの? 佳代と優衣は無事なの?」


 その問いに、僕は何も言えずその場で固まってしまった。何と言えばいいだろうか。

 沈黙が、その場を支配する。重苦しい空気が、室内に漂っていた。しかし、明がその沈黙を破る。


「鈴、俺はつまらん嘘や誤魔化しいたくない。あの二人は──」


「死んだんだね」


 答える前に、鈴が真相を口にしていた。


「そうだ。二人とも死んでいたよ。間違いなく、奴らに殺されたんだ」


 冷静な口調で答える明。すると、鈴の目から涙がこぼれ落ちる。やっと元気になったはずなのに、唇を噛み締めて嗚咽をこらえ、肩を震わせていた。

 そばにいる僕には、何も言えなかった。ただただ、黙って見ていることしか出来なかったのだ。こんな時に、ありきたりのなぐさめの言葉くらいしか思い付かない。しかも、それを口にすることも出来なかった。

 ややあって、鈴は顔を上げた。


「ねえ、あたしも連れて行って」


 真っ赤に泣きはらした目でこちらを見つめ、震える声で言った。

 すると、明は黙ったまま鈴の顔を見つめる。そこには、無言のメッセージがあったはずだ。しかし、鈴は怯まなかった。なおも語り続ける。


「足手まといにはならないよ。奴らは、絶対に許せない。何のために、こんな事をしたの……みんな、なぜ死んだの……あたしひとりだけ、隠れてられないよ。お願いだから、連れていって」


 震える声で、鈴は訴えかける。決意を秘めた目で、明を見つめた。

 しばらく二人は見つめ合っていた。無言のやり取りが、そこにはあったのだろう。

 だが、最終的に引いたのは明だった。


「そうか、わかったよ。だがな、ひとつ覚えておけ。始まったら、後戻りは出来ないからな。向こうは、お前を殺す気で来るぞ」


「わかってる」




 僕たち三人は、周囲や足元に気を配りながら慎重に歩いて行った。

 当然、辺りは闇に覆われている。月明かりと、所々に設置されているライトの光だけが頼りだ。静かに廃村を歩いていく。

 改めて周りを見ると、本当に不気味な場所だった。暗い山奥に、廃屋が点々と建ち並んでいる。ホラー映画の舞台そのものだ。助かったのが僕ひとりだったなら、闘うのはもちろん逃げることも出来なかった。行動する気力すら失い、どこかの小屋の中で震えていたに違いない。

 もし明が居なかったら、僕と直枝もまた、あの死体置き場のような家で、上条たちと一緒に並べられていたのだ。


「見ろ。あれだ」


 前方を歩いていた明が立ち止まった。前方の建物を指差す。そこは遠くからでも、明かりがついているのがわかった。僕と鈴は、明の後から慎重に近づいて行く。

 その建物は、古い学校の教室のような造りだった。木造の引き戸が取り付けられており、木の椅子がいくつか、黒板と机、小型の石油ストーブ、電池式のランタンなどが置かれている。かつては、小学校だったのかもしれない。小さな村なら、子供も少ない。この程度の広さで充分だろう。あるいは、集会所だろうか。

 ただ、人が使用している形跡があちこちにある。もちろん、今は誰もいない。

 しかし僕たちには、そんなものを見ている余裕はなかった。その部屋の中央にある物から、目が離せなかったのだ。

 それは、本物の人体で造られた胸像だった。


「さっきは、こんな物はなかったぞ。奴らが運んで来たのか。鈴、お前は見ない方がいい」


 言うと同時に、明の手が伸びた。鈴の目をふさぎ、後ろを向かせる。鈴は震えながらも、おとなしく従った。

 一方、僕は慎重に部屋に入って行く。周りに用心しながら、胸像……いや、死体を観察した。

 その人体で出来た胸像は、腰から下が切断され丸いテーブルの上に乗せられていた。腕も肩の部分から切り取られ、切断面は綺麗に縫いつけられている。しかも、その縫い目がほとんど見えないのだ。

 これは、普通の人間に出来る芸当ではない。資格を持った外科医か、あるいは剥製を造るような職人の仕業だ。

 その上、両の眼球も抉り取られ、ぽっかりと穴が開いていた。大きく開けられた口の中には、何かが詰められている。よく見ると、それは人間の握りこぶしだった。わざわざ手首を切断し、口の中に詰め込んだらしい。

 しかも、手の形がファック・ユーなのだ。握った手の中指だけを立てている、例のポーズである。口の中から、ファック・ユーの形の手が飛び出ている……もはや、悪趣味というレベルすら超えているだろう。


 奴らは、こんなものを作っていたのか。となると、上條たちを殺したのも、こんなのを作るためか?

 狂ってる。


 そんなことを思いながら、僕は明の方を見た。


「明、鈴と一緒にここで待ってて。僕は、他の部屋を見てみるよ」


「いや待て、三人で行こう。ひとりで行動するのは危険だ。鈴、部屋の中央は見るなよ──」


「大丈夫」


 鈴は胸像から目を逸らしながら、部屋を横切って行く。僕たちは三人で、建物の中を回った。

 だが、他の部屋には何もなかった。人のいる気配もない。虫や小動物の蠢く、カサカサという音が聞こえるだけだ。

 僕たちは仕方なく、胸像のあった部屋に戻る。


「奴らは普通じゃない。このままだと、僕たちも胸像にされる。明、これからどうしようか?」


 そう言った時だった。突然、外から声が聞こえてきた。


「おい君たち! さっさと出てきなさい! 話をしようじゃないか」


 中年の男の声だ。僕たちは振り返り、窓から外を見る。




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