明は慎重に
明は慎重に、扉をそっと開けてみる。隙間から、外の様子を窺った。
その表情から察するに、誰もいないようだった。僕も隙間から、念入りに周囲を確認する。暗闇に目を凝らし、耳をすませた。
その時、僕の目は歩いてくる何者かの姿を捉えた。無論、明にも見えているだろう。
近づいてきたのは、革ジャンを着た中肉中背の男だ。たったひとりで、直枝の潜んでいる小屋に近づいている。暗くてよく見えないが、武器は持っていないようだった。
思わず首を捻る。おかしな話だ。さっきは、ボクサーと力士という強者のコンビが僕たちを探しに来た。しかも、そのふたりの死体がすぐ近くに転がっている。
そんな状況だというのに、あの男は恐れる様子がない。たったひとりで近づいている。何の緊張感も感じられない。表情まではわからないが、その動きはスムーズだ。周囲を警戒する様子がまるでなく、リラックスしているように見える。
あいつは、いったい何者なんだろうか。ひょっとしたら、本物の軍人か何かなのかもしれない。
その時、明が小声で囁いてきた。
「あれは、恐らく囮だ。俺たちを、罠に掛けるためのな。うかつに近寄ったらヤバいぞ」
「じゃあ、どうする?」
「だがな、あいつを放っておいたら直枝が危ない。仕方ねえ、俺が行くよ」
「えっ、行くってどういうこと?」
その問いに、明は不敵な笑みを浮かべた。僕の肩を軽く叩く。
「あえて、奴らの罠に乗ってみる。俺が行くから、お前はここで様子を見てろ」
その声は、自信に満ちていた。この得体の知れない状況にも、怯んでいる素振りがない。
やはり明は最強だ。だからこそ、ここは僕が行かなくてはならない。
「いや、僕が行くよ」
「何だと!?」
驚愕の表情を浮かべる明の前で、僕は立ち上がった。
「明に万が一のことがあったら、僕たち三人は終わりだよ。だから、僕が行くのが一番いい。何かあったら、君が直枝を助けてくれ。そして、僕の代わりに奴らを潰してくれ」
「おい! ちょっと待てよ! お前、何を考えているんだ──」
返事も聞かず、僕は歩き出した。外に出ると、サバイバルナイフを構え、静かに近づいて行く。
この時、僕は妙に冷静だった。明の言葉を聞きながら、頭をフル回転させ考えたのだ。もし彼が罠にかかり、万一のことがあったとしたら、僕に助けられる自信はない。その場合、全員おしまいだ。
しかし、僕が罠にかかったとしても……明なら助けてくれる。直枝を連れ、逃げることも出来る。
もっとも、理由は他にもあった。僕の中に生まれていた、ドス黒い凶暴な何か。その何かが急き立てたのだ。
早く奴を殺せ、と──
僕の足音に気付いたらしく、男は振り向いた。ニヤリと笑う。
「引っかかったな、クソガキが」
言うと同時に、立ち上がる気配がした。周辺に隠れていた者たちが姿を現したのだ。
だが、僕にそんなものは関係なかった。目の前の男に、ナイフごと体当たりを喰らわす。そのまま、直枝の隠れている物置小屋へと突っ込んで行ったのだ。
予想通り、男は防刃ベストを着ていた。先ほどのボクサーと同じだ。そのため、ナイフの刃は刺さらない。だが体当たりで男は吹っ飛び、小屋の中で倒れる。
おそらく男は、僕が隠れていた連中に不意を突かれ、やられると思っていたのだろう。何の構えもせず呆気なく吹っ飛び、あっさりと倒れていた。次の瞬間には、僕を体の上に乗せたまま、仰向けになっている。その顔には、驚愕の表情が浮かんでいた。
だが、僕は止まらなかった。考えるより先に体が動く。馬乗りになった体勢で、男の喉にナイフを振り下ろした。同時に辺りを見回し、他の男たちからの攻撃に備える。
その必要はなかった。他の男たちは四人いたが、その全員の注意が明ひとりに集中していた。僕のことなど、誰も注意していない。無論、向かって来るような素振りすらない。
その状況を確認した僕は、下でもがき苦しんでいる男の喉に、もう一度ナイフを降り下ろした。
大量の血が流れ、肉を切り裂いた感触が伝わってくる……。
男の命が抜けていく瞬間が、はっきりわかった。
だが、余韻にひたっている暇などない。明は、たったひとりで四人を相手にして闘っているのだ。すぐに助けなくてはならない。
僕は、ナイフを手に立ち上がる。外にいる男たちのひとりに斬りかかって行った──
・・・
「引っ掛かったな、クソガキが」
接近していく翔に気づいた男が、ニヤリと笑う。
と同時に、物陰や周囲の建物の陰に隠れていた男たちが姿を見せた。一斉に行動を開始する。全員、翔に襲いかかって行こうとするのが見えた。
その瞬間、明は表に駆け出して行った。その瞬間、相手の男たちは一斉にこちらを向く。
相手は四人だ。全員、闇の中でも微かに光る物を持っているのがわかった。間違いなく武器であろう。ただし、誰も銃器の類いは持っていないらしい。うちひとりが、ボウガンを持っているのが見えた。
それならば、何も怖くない。今までやってきた通りに、仕留めればいいだけの話だ。
明は、まずボウガンの男に突進する。
ボウガンの男は、不意の明の登場に対し完全に意表を突かれていた。慌ててボウガンを構える。だが、矢を込めていないことに気づき慌ててセットしようとする。あまりにも、お粗末な行動である。間違いなく素人だ。
しかし、明は容赦しなかった。素人だろうが何だろうが、殺すだけだ。弾丸のような速さで、足元に滑り込む。全体重をかけたスライディングキックを、男の膝に見舞う──
明の足刀が、矢を込めようと四苦八苦していた男の左膝に炸裂する。
次の瞬間、鈍い音とともに、あり得ない角度に足が曲がっていた。明の蹴りにより膝を砕かれたのだ。男は激痛に耐えきれず、悲鳴をあげながら倒れる。
だか、明の動きは止まらなかった。男の手からボウガンを蹴り飛ばすと、その場から前転して素早く立ち上がる。
立ち上がった明に、今度は警棒のような物を持った男が突進してきた。何やら喚きながら、凄まじい形相で棒を振り上げる。
しかし、明は怯まない。先ほど膝を砕かれ倒れていた男を、無理やり引き上げて立たせる。
自身への警棒の一撃を、その男の体で受け止めた。敵の体を盾代わりにしたのだ。直後に、凄まじい悲鳴があがった。
明は、動きを止めない。盾代わりにした男の体を、警棒の男に叩きつけた。と同時に、男の警棒を握っている右腕を自らの両手で掴み押さえ込む。無駄がなく、かつ自然な動きだ。時間にして僅か二、三秒であろうか。
直後、男の手首に下方向の力を加え、同時に肘関節に上方向への力を加える。肘がテコの支点となり、一瞬のうちに肘関節が破壊された。アームバーという名の関節技だ。
男は悲鳴をあげ、警棒を落とした。明は肘を極めた体勢のまま、男の体を振り回す。
その瞬間、長いチェーンのような物を持った男が突進して来た。明めがけ、チェーンが振り下ろされる──
だがチェーンが当たったのは、先ほどまで警棒を振り回していた男の体であった。またしても、敵の体を盾代わりにして攻撃を受け止めたのだ。父から教わった戦法のひとつに、複数の敵と闘う時には、相手の体を上手く障害物にする……というものがある。今も、それをきっちり実践していたのだ。
明は男の肘を極めていた両手を離し、右手で警棒を持っていた男の喉を掴む。その直後、一瞬で握り潰す──
と同時に、チェーンの男に左手で払うような目突きを見舞う。
確かな手応えを感じた。眼球に指先が当たり、男は苦痛に顔を歪める。目を押さえ、よろよろと後ずさった。
その時、別の悲鳴が明の耳に飛び込んで来た。明は顔をしかめ、そちらに視線を移す。
すると翔が、最後に残った男に斬りつけているのが見えた。相手の返り血を全身に浴びて、地獄の悪魔のような容貌になっている。そんな姿で、男に斬りかかっていた──
翔の凶行を横目で見ながら、明は目の前にいる男の髪を掴んで引き寄せる。強靭な腕で首をねじり、脊髄を一瞬にして破壊した。
男の目から、光が消える。明は死体となった男の体を、その場に放り出した。つかつかと翔のそばに近づいて行く。
翔の闘いを手助けするためではない。彼の暴走を止めるためだ。
・・・
僕はナイフを振り上げ、目の前にいた男に向かって行った。
すると、男の顔が恐怖に歪む。だが、手を止めるわけにはいかないのだ。首めがけて斬りつけた。
ナイフは、男の喉を深く切り裂く。だが僕は、すぐにナイフを振り上げた。いざとなると、人間は簡単には死なないのだ。だから、動かなくなるまで攻撃を続けなくてはならない──
ナイフが男の喉を切り裂いた瞬間、傷口からは大量の血が迸った。男の口から、言葉にならない悲鳴があがる。必死の形相で喉を押さえる。
許しを乞うように、もう片方の手を前に差し出した。
だが、僕は攻撃を止めない。男を斬った。斬って斬って斬りまくった──
そう、こいつは極悪人なのだ。上条と大場と芳賀を、無惨な死体に変えた集団の一員なのである。放っておけば、また何人もの罪もない人間を殺すだろう。
今の僕は正義であり、目の前の男は紛れもない悪である。だからこそ、殺すのだ。
いや、僕が殺さなければならないんだ。
死んでしまった三人のためにも。
明を助け、直枝を守るためにも──
「おい翔! いい加減にしろ! そいつは死んでる! もう止めろ!」
どこからか、明の声が聞こえてきた。その声のお陰で、僕はようやく我に返る。ナイフを持つ手を下ろした。
ふと気がつくと、顔も手も血まみれだ。男は、足元で死体と化している。さらに周囲には、他の死体も転がっている。
僕は男の着ていた服をはぎ取った。タオル代わりに、自分の顔についた血を拭く。さらに、ナイフの刃にこびりついた血と脂を拭う。
その時、何者かの射るような視線を感じた。視線の方向に顔を向けると、そこには明が立っていた。厳しい目付きで、僕の行動をじっと見つめている。
「お前、本当に大丈夫なのか? 気分が悪いなら言ってくれ。倒れられても困る」
明はポツリと、呟くかのような口調で言った。その表情は険しいが、身を案じてくれているようにも感じられる。僕は笑みを浮かべて、頷いて見せた。
「うん、僕は大丈夫だよ。それよりも、直枝の様子を見てくる。ここにいたら危ないかもしれないし」
そう言って、僕は小屋の中に入って行った。見ると、直枝はさらに痛々しい顔になっていた。表情は青白く虚ろで、目には力がない。
だが僕たちの顔を見て、安堵の表情を浮かべる。
「無事だったんだね、二人とも。良かった……本当に良かった。心配してたんだよ」
その言葉を聞いた時、僕の胸に不思議な感情が湧き上がった。先ほどまで心を支配していたものとは、真逆の何かだ。
その時、生まれて初めて、他人の存在をいとおしいと感じたような気がする。
「二人とも、帰って来てくれないかと思ったんだよ。本当にありがとう」
直枝はそう言った直後、下を向き、肩を震わせた。
その瞳からは、大粒の涙が零れ落ちる。口からは、すすり泣きの声が洩れた。
「なんで……なんで……こうなっちゃったのかな……なんで……こんな事に……あたしたち、なんか悪いことしたのかな……」
言いながら、直枝は泣き続ける。その嗚咽は、しばらく続いていた。
だが、僕には何も出来ない。明も同じだった。こんな時に、どのような言葉をかければいいのか分からない。直枝の心からの問いかけに対し、僕たち二人では答えを出せなかった。
その本当の答えを知っているのは、奴らだけなのかもしれない。
だからこそ、ケリを付けなくてはならないのだ。
僕はそっと、自分の血まみれの手を拭いた。だが、いくら拭いても綺麗にはならなかった。
相手の流した血で、真っ赤に染まってしまったままだった。
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