僕は、呆然となっていた

 僕は、呆然となっていた。

 目の前で起きた出来事は、完全に理解の範疇を超えている。何が起きたのかすら、完全には把握できていなかった。

 一方、明は冷静そのものだった。高宮の体を静かに横たえると、扉の方を気にしながら彼の体を調べ、所持品をチェックする。

 ポケットに入っていた小型の懐中電灯を取り上げ、己のポケットにしまい込んだ。


「こいつ、ロクな物を持ってないな。おい飛鳥、準備しとけ。ここから、とっとと逃げるぞ。だが、その前に……」


 そう言うと、明は立ち上がった。こちらに近づいて来る。


「お前は邪魔だ。悪いが、ここに残っていてくれ」


 そう言うと同時に、明は上条の頭を掴んだ。瞬時に引き寄せ、首を脇に抱え絞め上げる。咄嗟のことに、上条は抵抗すら出来ない。

 数秒後、明は上条の体を寝かせる。フロントチョークで絞め落としてしまったのだ。




 この異様な状況を、ワイドショーのコメンテーターなら何と言うかは知らない。ただ、僕は明に言われた通り動いていた。

 目の前で、ひとりの男が死んでいる。ほんの数秒で、明に殺されたのだ。言動に怪しい点があり、ナイフを手にしていたとはいえ、高宮はまだ直接の攻撃はしていない。脅迫すらしていない。

 上条にいたっては、同級生だった男である。一応は仲間と言っていい存在だ。

 しかし、明は迷わなかった。一瞬の判断で高宮を殺し、上条を絞め落としたのだ。常識的に考えれば、やり過ぎであろう。もし、これがホラー映画なら、明の方がモンスターの役割を担うはずだ。

 にもかかわらず、僕はその後もずっと明に従った。


 怖くて逆らえなかった、というのも理由のひとつだ。それに明は強い。あの状況で頼りになるのは彼だけだった、というのも確かである。

 だが、それ以上に……僕は、明という人間に完全に魅了されてしまったのだ。

 僕がこれまで生きてきた世界で重視してきたもの……常識や良識、善悪、愛、友情、金、学校の勉強や運動、不良か真面目か、ダサいかダサくないか、クラスの上下関係、モテるモテない、将来の夢や展望──

 そういった平凡な概念を、この男は超越しているように見えた。まるで、アクション映画の主人公のようだ。その選択には迷いがなく、仮に選択した行動が間違いであっても、その間違いをも力ずくで正解に変えてしまえる……そんな風にも思えた。

 明の姿は、クラス内では最下層の生徒である僕の目には、とても眩しく映った。そんな人間に、逆らえるはずがない。


 今から一連の出来事を思い返してみても、明の行動は全て正しかったのだ。

 当事者でない者……ワイドショーのコメンテーターなんかは、したり顔で言うかもしれない。なぜ相手を言葉で説得しなかったのか、と。それは、法と秩序が支配する日常ならば正しい選択肢である。

 だが明は、その動物的、いや怪物的な勘で悟っていたのだ。あそこにいた者たちは、説得など通じる相手ではなかった。

 もし明が、即座に高宮を殺していなかったら? そして、何のためらいもなく人を殺せる明のような男が、あの場にいなかったら?

 その問いには、自信を持って答える。僕たちは、みんな殺されていただろう、と。明という怪物がいたからこそ、生き延びられたのだ。

 自分の判断に絶対の自信を持ち、さらに行動には躊躇がない。その上、喧嘩自慢のヤンキーなどとは次元が違う強さも併せ持つ……それが明という男だ。その性質は人ではなく、怪物のそれである。

 断言するが、あの場にいたのは極悪人の集団だった。極悪人を倒せるのは、善人ではない。極悪人よりも、さらに強く凶暴な者なのだ。そう、人間を超越した怪物のような存在だろう。




「まずは、そこにあるジャージをカバンの中に詰めてくれ。あと、ヤカンの中身は捨てておけ。喉が渇いても、絶対に飲むなよ」


 そう言いながら、明は上条の体を調べていた。彼の所持品もチェックしている。


「まあ、こんなもんか。じゃあ、そろそろ逃げるとしようぜ」


 上条の所持品を調べ終わると、明は立ち上がった。扉の隙間から、外の様子をうかがう。


「明くん、どこに逃げるの?」


 声をひそめ聞いてみた。


「ここ以外のどこかだよ。おあつらえむきに雨はやんだが、山の中は進めない。地図もコンパスもないのに、下手に山の中を歩くと危険だからな。かと言って、ここにとどまっていたら殺される。少なくとも、その可能性は非常に高い」


 明は、外の様子を窺いながら答えた。だが、思い付いたように付け加える。


「食い物はあるか? あるのなら、今のうちに食べておけ」


 そう言われ、初めて自分が空腹だったことに気づく。カバンの中をあさり、持ってきていた菓子をむさぼるように食べた。

 美味かった……口の中に入った瞬間、全身に糖分が染み渡っていくような、そんな錯覚を覚える。

 僕が食べている間、明は外の様子を窺う。


「静かだな。女たちは今頃、どっかに売られる最中かもな。それとも、もっとひどい目にあってるか……今さら確かめようがないけどな」


「売り飛ばされる? それって何なの? どういうこと?」


 異様なものを感じた僕は、思わず尋ねていた。売り飛ばされるとは、どういう意味だろう?


「あいつらは三人とも、顔も体も悪くない。金持ちの女子高生好きの変態だったら、結構な額を出すんじゃないのか? 俺は知らんけどな。興味もないし」


 そう答える明の表情は、完全に冷めきっている。心の底から、関心の無さそうな様子だった。彼女たち三人がどのような運命を迎えようが、知ったことではないのだろう。


 売られる、だって?

 じゃあ、いわゆる性奴隷って奴か。

 やっぱり、ここは普通じゃない。


 創作物の中でしか見たことのない、性奴隷などという言葉。そんなものが現実に存在し、僕たちの人生に関わってくるのか。

 もしそうであるなら、三人はこの先……人権も与えられることなく、奴隷として扱われることになるのだ。

 誰に知られることもなく闇の中で生活し、奴隷として死んでいく人生を送ることになる。

 恐ろしいと思った。また哀れだとも思ったが、かといって助けようなどという気も起きなかった。そもそも、僕に彼女らを助けられる力はないのだ。自分自身のことさえ、面倒みきれないのだから。

 いや、それ以前に……奴らは、僕たちをどうする気なのだろう? 女は性奴隷にして売り飛ばすのだとしたら、男の僕たちのことはどうする気なのだろう?


「奴らは、僕たちをどうする気なんだろう?」


 不安のあまり、明に尋ねていた。だが、返ってきたのは答えではなかった。


「ちょっと待て、外を誰かが歩いてるみたいだ」


 小声で呟くように言いながら、なおも扉の隙間から外の様子を窺う明だったが、不意にこちらを向いた。


「そろそろ出るとするか。逃げるなら今のうちだぞ……ん?」


 もう一度、明は外に視線を移す。直後、舌打ちをした。


「おいおい、いきなりウジャウジャ出てきてるぞ。ゴキブリみたいだな。あれは面倒だ。もう気づかれたのか?」


 外を覗きながら、何か思案しているような表情で言う。

 横にいる僕は、とても不安になってきた。


「ウジャウジャいるってどういうこと? 外はどうなってるの?」


「なんか知らんが、人があちこちから出てきてるんだよ。ウジャウジャは言い過ぎだが、少なくとも外に五人いるのは間違いない。恐らく、全員が男だな。しかも、武器らしき物も持っている。武装した五人か……えらく厄介だな」


 そう言うと、明は僕の方を向いた。


「選択肢は、今のところ二つある。奴らと戦いながら、無理やり強行突破するか……それとも、しばらく様子を見るか。お前はどう思う?」





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阿修羅の道の十字路で 板倉恭司 @bakabond

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