なんだって
なんだって……。
おかしな点？
明の問いに、僕は何も返せなかった。はっきり言えば、今僕たちの置かれている状況の全てがおかしいのだ。こんな事件は、普通に生きていれば遭遇しないはずである。
しかし、彼が求めているのは、そんな答えではないだろう。僕は記憶をたどり、何がおかしいか思いだそうとした。
やはり、確実に怪しいのはアレだろうか……そう思った時だった。
「あ、雨の中を歩かせて、こんな汚い村に連れて来るなんて、お、おかしいよ。変だよな？」
言ったのは……もちろん上条だ。うわずった声で、必死になって語っている。
この男は普段、同級生をアゴで使っているようなタイプだ。声も大きく、体も態度もデカい。クラス内では、確実に上位ランクだろう。実際、うちのクラスでも一番めだつ男だった。
そんな彼が、明に対しては必死になって媚びを売っているのだ。少なくとも、僕の目にはそう見える。あまりにも滑稽な姿であった。その姿は、哀れみさえ感じてしまうほどだ。
しかし、明に憐れみという感情はないらしい。
「だから、何が変なのかを聞いているんだよ。だいたいな、あの状況で洞窟に残るのは、いい選択とは言えないんだよ。土砂崩れの可能性もある。雨の中でも、無理して人家のある場所に行くという選択は正解ではないかもしれないが、完全な間違いとも言いきれない。したがって、今の答えでは落第だ」
上条に向かい、冷たく言い放つ。次に、僕の方を向いた。
「飛鳥、お前はどうなんだよ？ さっきみたいに、よく考えて答えてみろ」
問われた僕は、頭をフル回転させた。おかしな点と言われ、今思いつくのは「あの男」のことしかない。高宮を見て覚えた違和感の正体について、必死で考えてみた。
しかし、またしても邪魔が入る。
「村だって、おかしいよ！ この村は変だ！ こんな村ありえねえだろ！」
上条が金切り声で叫び、思考を邪魔してきたのだ。
正直、イラついた。先ほど抱いた微かな哀れみが、あっさり消えていく。こんなことなら、さっき明に殺されてくれた方が良かったとさえ思った。
明も、似たようなことを感じたらしい。僅かに表情が変わった。
「上条、どこがおかしいんだ？ まず具体的に言ってみろ」
それでも冷静な口調で聞き返すと、上条はとんでもない勢いで喋り出す。
「今時、電気ないなんておかしいだろ──」
「俺は、そんなことを言っているんじゃない。お前、本当に駄目な奴だな。俺が喋っていいと言うまで黙れ。でないと殺す」
明に有無を言わさぬ口調で凄まれ、上条は真っ青になりながら口を閉じる。
そのやり取りを見て、僕はホッとした。よくもまあ、あんな下らない的外れな言葉が出てくるものだ。明が止めなかったら、延々と続いていたことだろう。
待てよ？
言葉？
頭に閃くものがあった。と同時に、明が聞いてくる。
「おい飛鳥、お前も落第なのか──」
「言葉だよ！」
今度は、僕が明の発言を遮っていた。だが、彼はあっさりと黙りこみ、こちらをじっと見ている。
そんな明に、僕は語り続けた。
「あいつ、流暢な標準語を喋っていた。山奥の村に住む人間に有りがちな訛りがないし、喋り方や態度からして都会人っぽい雰囲気だったよ」
言いながら、明の反応を見る。だが、表情に変化はない。何を考えているのか、まったく読み取れなかった。
どうやら、これだけでは足りないらしい。僕は喋り続けた。
「あと、こんな山奥の村の人間にしては人当たりがいいし、妙に馴れ馴れしい。あいつは、大場たちにベタベタと触ってた……」
僕の語りは、そこで中断した。ようやく、高宮に抱いていたモヤモヤの正体がわかったのだ。
「どうしたんだ？ もう終わりか？」
聞いてきた明の雰囲気は、先ほどとは違うものになっている。どうやら、興味を持ってくれたらしい。その横では、上条が悔しそうに僕を睨んでいる。
だが、今は上条に構ってはいられない。すぐに答えた。
「いや、まだだよ。あいつ、林業をやってるって言ってた。こんな山奥に住んで、林業をやってる……てことは、日頃から重いものに触れたりチェーンソーみたいな道具を使ってるはずだ。トゲだらけの木を持ち上げたりするかも知れない。なのに、あいつの手は妙に綺麗だった」
そう、指が綺麗過ぎたのだ。高宮に抱いていた、もうひとつの違和感。その正体は……体はいかついが、指がしなやかで長く傷ひとつ付いていないことだ。
林業といえば、かなりキツイ作業のはずだ。なのに、あの傷ひとつない手はおかしい。
「飛鳥、お前は合格だ」
明はそう言って、ニヤリと笑った。
「まあ他にも色々あったけどな、そいつをいちいち挙げるのは時間の無駄だ。とりあえず、あの高宮が嘘をついてるのは間違いない。何のために嘘をつくかだが……たぶん、とんでもない犯罪がらみだ。こんな山の中なら、人が死んでもわからないしな」
そこで、明の顔つきが険しくなった。瞬時に口を閉じ、扉に視線を移す。
数秒後、入口で物音がした。扉が開き、高宮が入って来る。にこやかな表情で口を開いた。
「君たち、そろそろ食事の時間だ──」
「おい、俺たちをどうする気だ！」
突然、喚き声が響く──
予想だにしなかった事態に、僕は唖然となっていた。高宮の言葉の途中で、上条がいきなり立ち上がったのだ。しかも、直後に高宮を睨みつけ吠え出す──
「お前、言葉に訛りがねえだろうが！ それに、林業にしちゃあ指が綺麗すぎるんだよ！ お前の目的は何なんだ！」
なおも怒鳴り続ける上条。その姿は異様だった。人として壊れているようにしか見えなかった。
もっとも、今の僕ならわかる。結局、この男は怖かったのだ。
人間は恐怖ゆえに、必要以上に攻撃的になる。さらに、この状況で明に見放されたくない……その思いが、上条を過激な行動に駆り立てたのだろう。
だが、これは最悪の選択でしかない。高宮の目が冷たく光った。
「そうか、気づいたのか。だったら仕方ないな」
直後、高宮の手が腰のベルトからぶら下げている物に伸びる。そこには、大型のサバイバルナイフが装着されていたのだ。ナイフは、スムーズな動作で鞘から抜かれる。
彼の右手に、抜き身のサバイバルナイフが握られている。先の尖った、刀のような形状だ。
この男は、ナイフで何をするつもりだったのだろう。脅す気だったのか？ あるいは殺す気だったのか？ 今となってはわからない。
なぜなら、直後に状況は急転したからだ。その時、何が起きたのか……間近で見たはずなのに、部分的にしか思い出せない。
それくらい明の動きは早く、またスムーズだった。
・・・
明は、高宮の動きにすぐさま反応する。刃物に手が伸びた瞬間、音もなく立ち上がっていた。
すり足で、一気に間合いを詰めていく。ボクシングの跳ねるような動きではない。だが、速く滑らかな動きだ。高宮がナイフを抜いた時には、既に攻撃の射程圏内に入っていた。
ほぼ同時に、左手が放たれた。明の強靭な四本の指は、鞭のようなしなやかさな動きで飛んでいく。その攻撃は、高宮の目を打った。
すると、高宮の手からナイフが落ちた。口からは呻き声が洩れる。反射的に目を抑え、後ろにのけぞった。眼球に指先が当たったのだ。耐えられるはずもない。
がら空きになった喉に、今度は明の右手が伸びる。手のひらが、高宮の喉を掴んでいた。強い握力で、一瞬にして握り潰したのた。
高宮は白目をむいたが、明は追撃の手を緩めない。さらに高宮の頭を引き寄せ、首を脇で挟み、絞め上げる。フロントチョークだ。その強靭な腕で、きっちりとどめを刺した。
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