五人

 五人?


 僕は、明の出した問いについて考えてみた。

 外に五人いるという。しかも、武装しているかもしれないのだ。強行突破は、さすがに無理があるだろう。

 それに、本音をいえば闘いは避けたい……。


「強行突破は、ちょっと無茶だと思う。明くん、五人を相手にして勝てる?」


 小声で尋ねると、明はかぶりを振った。


「出来ないことはないよ。でもな、正直やりたくはない。この状況で、五人相手に正面から闘うのはギャンブルだ。他の選択肢が何もない時にやる手だよ」


 外の様子を見ながら、冷静に答える。落ち着いた声だった。聞いていると、不安が和らぐような気さえしてきた。


「じゃあ、しばらく様子見だね」


「いや、それもいいとは言えないな。ここは連中のホームだ。俺たちがここに留まるのは、どう考えても悪手だよ。それより、もっといい手がある。そいつだ」


 そう言って、明は倒れている上条を指差した。


「そのバカを、今すぐ起こせ。荷物の用意は出来てるな? だったら、すぐに叩き起こすんだ」


 何で上条を……困惑しながらも、言われた通りに上条を起こそうとした。揺すってみるが、起きる気配がない。

 映画やドラマなどで、気絶していた仲間を叩いて起こしているシーンを思い出した。試しに、頬を思いっきり叩いてみる。


「う、うーん……なんだよ……」


 唸りながら、上条は目を開けた。

 次の瞬間、何を思ったか僕を突き飛ばしたのだ。


「く、来るな!」


 叫びながら、怯えた目で立ち上がる。今の状況が飲み込めていないのか。それとも短時間に二度も絞め落とされたせいで、記憶が混乱しているのか。

 すると、明が動いた。


「黙れ」


 じろりと睨み、低い声で一喝した。その途端、上条は動きを止める。

 明は、高宮の落としたサバイバルナイフを拾う。鋭く尖った刃の先端を、上条へと向けた。

 上条の顔が、恐怖に歪んだ。立ったまま、小刻みに体を震わせている。

 一方、明はナイフを突きつけたまま口を開いた。


「お前、そこの扉から走って逃げろ」


 横で聞いている僕は、さらに混乱した。外には五人いるのだ。逃げたら、確実に襲われる──

 上条も訳がわからないらしく、ポカンとして明の顔を見ている。

 すると、明はナイフを振り上げた。


「逃げろって言ってんのがわからないのか。言う通りにしないと殺すぞ。さっさと行け」


 口調は静かだが、その目は殺気を帯びている。

 次の瞬間、上条は血相を変えて逃げ出した。扉を開け、滅茶苦茶な勢いで走って行く。

 直後、外で騒ぎが始まった。喚く声や叫ぶ声、そして肉を打つような音が聞こえてきたのだ。


「今のうちだ。逃げるぞ」


 明は平静な口調で言うと、姿勢を低くし静かに進んで行く。僕も、その後ろから音を立てずについて行った。


 いつの間にか、空には月が出ていた。上条と男たちの姿が、月明かりに照らし出されている。

 凄惨な光景だった。上条は男たちに捕まり、滅茶苦茶に殴られ蹴られている。ケンカの強さが取り柄だったはずの不良が、抵抗すら出来ず一方的にやられているのだ。

 僕は呆然となり、その光景を見ていた。すると、背中を小突かれる。


「飛鳥、さっさと行くぞ。ボサッと見てる場合じゃない」


 明の声で、僕は我に返った。目を逸らし、彼の後をついて行く。

 その時、悲鳴と罵声とが聞こえてきた。五人がかりの暴力の嵐の前に、上条は悲鳴を上げて泣いて許しを乞うている……そんな状況が、容易に想像できた。

 だが僕たちは、静かにその場を離れた。音は徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなった。




「ここに隠れるぞ」


 明の指示で、僕たちは木造の建物に入った。床に座り込み、一息つく。

 そこは、恐ろしく汚い場所だった。

 外に設置されたライトや月の光が微かに差し込む中、ゴミや廃品などが無造作に撒き散らされているのが見えた。片隅には、藁のような草が詰まれている。異様な匂いが漂っているところから見るに、元は家畜小屋だったのだろうか。もっとも、隠れるにはぴったりの場所だ。


「あの、上条はどうなるんだろう?」


 僕の呟くような問いに、明はこちらを向く。


「あんなバカがどうなろうが知らねえよ。あんなに使えない奴だとは思わなかったぜ」


 吐き捨てるような口調だった。間違いなく、さっき高宮に絡んでいった件を言っている。その表情には、哀れむ様子など欠片ほども感じられない。

 確かに、あれを見た時は僕も腹が立った。目眩が起きそうな気分になった。

 だが、度重なるミスの代償が、あの最期なのか。あまりにも哀れな話だ。


「明くん、上条は僕たちを逃がすために──」


「そんなことより、さっきからお前は俺を名前で呼んでるな。どういう心境の変化だ」


 僕の言葉を遮り、明はそんなことを言ってきた。

 言われてみれば、その通りだ。なぜ僕は、彼を名前で呼んでいるのだろう? 思わずうろたえた。


「え、あ、いや……明くんが嫌ならやめるよ」


「別に嫌じゃない。それなら俺も、お前を翔って呼ぶよ。それより、こいつを持っていろ」


 そう言って、明は僕にナイフを手渡してきた。ずしりと重い。刃は鋭く、刀身はギラリと光っている。

 これで、何をしろと言うのだろう……聞く前に、明は答えてくれた。


「いいか、これはお前が使え。俺は素手でも戦えるし、武器も一応は持ってる。だから、お前がこのナイフを使え。いざとなったら、こいつで敵を刺し殺すんだ」


「ぼ、僕が?」


 このナイフで戦え、というのか。そんなこと、出来るわけがない──


「さっきの見たろうが。あいつらは普通じゃない。上条は確実に殺される。あの女たちも、全員売られたか、あるいは死んでいるか」


 そこで明は口を閉じ、親指で喉をかき切る仕草をした。

 その仕草を見た時、ある疑問が口をついて出る。


「ところでさ、明くんは、なんであんなに強いの?」


「親父に仕込まれた」


 即答であった。僕は、つい調子に乗って喋り続ける。


「へえ、凄いお父さんだね。ひょっとして、武術家なの?」


 途端に、明はクスリと笑った。


「まあ、ある意味じゃあ武術家より凄いぜ。なんたって七人殺して警察に捕まり、仮釈放なしの終身刑だからな。今は、アメリカの重警備刑務所の囚人だよ」


「えっ……」


 言葉を失っていた。てっきり、武術家である父親から古武術を仕込まれた……そんな、アニメやライトノベルなどにありがちな話を想像していたのだ。

 まさか、殺人犯だったとは──


 衝撃のあまり何も言えない僕に、自嘲気味の笑みを浮かべながら、明は話を続ける。


「俺の親父はな、完璧にイカレてたんだよ。正直いうと、息子の俺から見ても、何を考えてるのかわからないタイプだった。天才とナントカは紙一重って言うが、あいつはその両方だ」


 自分の親について、とんでもないことを真顔で言っている。この時点で、僕は圧倒されていた。

 しかし、驚くのはまだ早かった。本番は、ここからだった。


「俺にわかっているのは、奴がメキシコやアメリカで何十人も殺したってことだけだよ。そして、殺した奴から金を奪ってた。実際に殺した人数は、七人どころじゃねえんだよ。俺はな、そんな化け物と一緒に生活してたんだ。戦う方法は、全て親父に教わった。あいつは、今の俺なんか比較にならないくらい強いよ」


 にわかには信じられない話を、明ほ淡々と語っていた。しかし、僕にはわかる。明は、つまらない嘘をつくタイプではない。

 それに、彼の話には納得できる部分があった。明は僕より歳上だが、それでも二十歳にはなっていないだろう。

 にもかかわらず、こんな異様な状況で妙に落ち着いていた。しかも、何のためらいもなく人を殺してみせたのだ。この平和な日本で生まれ育った人間には、考えられない話だろう。

 だが……殺人鬼の息子として生を受け、さらに人殺しのための英才教育を受けて成長した男ならば納得できる。

 そう、あの時の明は最強だった。今も、明以上に強い人間を見たことがない。




 話を終えると、明は僕をじっと見つめる。

 ややあって、口を開いた。


「どうだよ? 俺のことが怖くなったんじゃないのか?」


「怖くない、と言えば嘘になるよ。でも、それ以上に……僕は家に帰りたい。今は、一刻も早く家に帰りたいんだ。そっちの気持ちの方が強いよ。それに、明は明だ。父親が何者だろうが、僕には関係ないよ」


 僕の口から出たのは、そんな恥ずかしい言葉だった。直後、頬が紅潮するのが自分でもわかった。思わず下を向く。

 だが、明は何も言わなかった。

 正直、こんな恥ずかしい言葉を吐いた後は、バカにされるよりも沈黙される方が遥かにキツい。僕は恐る恐る顔を上げる。

 すると明は、隅の一点を凝視していた。不思議に思い、声をかけてみる。


「あき──」


 言い終わる前に、明の手が伸びてきた。僕の口を塞ぐ。黙ってろ、という合図なのは明白だ。

 一体どうしたのだろうか。僕は、疑問を感じつつも頷いた。すると明は無言で、そっと小屋の隅を指差す。

 そこには、汚ならしい毛布や布切れか何かが積まれていた。その一角に、音もなく近づく。次の瞬間、明は手を伸ばし毛布を取り去った。同時に懐中電灯で照らす。

 そこにいたのは……一緒に事故を生き残った女子、直枝鈴だったのだ。ジャージ姿の彼女は、怯んだような表情を浮かべながらも、すぐに立ち上がり後ずさる。

 だが、向こうも僕たちが誰であるか気づいたらしい。


「えっ?」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る