おい起きろ

「おい起きろ。大丈夫か!?」


 誰かに揺り動かされ、僕は目を開けた。

 まず感じたのは、顔に当たる雨と強烈な寒さ。さらに、全身を走る鈍い痛みだ。


 痛み?


 そう、頭と体がズキズキ痛むのだ。僕は混乱しながら、何とか上体を起こす。その時になって初めて、自分がバスに乗っていないことに気づいた。地面は、アスファルトではなく土だ。草も生えている。さらに、すぐ近くには木が生い茂っている。

 しかも、降り注ぐ雨が体に当たり続けている──


「飛鳥、大丈夫か? これが何本に見える?」


 誰かが僕の目の前に、指を見せる。工藤明の声だった。

 三本にしか見えないが、それがどうしたと言うのだろう。


「さっ、三本……」


 反射的に答え、周囲を見回してみる。その瞬間、殴られるような衝撃が襲う──

 まず目に入ったのは、すぐそばにある巨大な鉄塊だ。その正体は、僕たちがついさっきまで乗っていたバスである。巨大な観光バスが、目の前で横倒しになっているのだ。ハリウッドのアクション映画のようである。

 それだけではない。手を伸ばせば届く距離に、誰かが倒れていた。見覚えのある顔である。

 そう、先ほどバスガイドに絡んでいた鈴木だ。首が、百八十度回転した姿で倒れている。生きている人間には、不可能な姿勢だ。


「ひっ!」


 悲鳴をあげ、しゃがんだ姿勢のまま後ずさる。すると、今度は手に何かが触れた。ぐちゃりという音が聞こえた。

 恐る恐る、手に触れたものを見る。

 ちぎれた腕だ。テレビやネットでも見たことのないような、ぐちゃぐちゃになった本物の死体が転がっている。

 それらを見た瞬間、僕の神経は限界を迎えた。耐えきれず、胃の中のものを全て戻してしまった。

 直後、目から涙が溢れる──


 何があったんだ?

 夢か? これは夢なのかよ? だったら早く覚めてくれ! 

 でないと僕は……。


 混乱している僕の耳に、誰かが吐いているような音が聞こえてきた。誰かが泣いている声も聞こえる。誰かが喚いている声も……。

 顔を上げ、もう一度周りを見渡した。辺りは巨大な木に囲まれている。下は土だ。どこかの山の中にいるとしか思えない。しかも、雨はまた降り続いている。

 その時、ようやく思い出す。僕はスマホ持っていたのだ。これで、誰かを呼べばいい。

 だが、スマホは通じなかった。圏外になっていたのだ。




 この最悪な状況下で生き残っていたのは、以下の六人だった。

 上条京介。

 大場佳代。

 芳賀優衣。

 直枝鈴ナオエ リン

 工藤明。

 そして僕、飛鳥翔。後の者は、全員死んでしまったらしい。

 絶望にうちひしがれ、雨に打たれながら立ち尽くす僕たち。その時、声を発した者がいる。


「とりあえず、荷物持って雨風をしのげる場所に移動しよう。でないと、あっという間に奴らの仲間入りだぞ」


 そう言うと、明は死体を指し示す。その瞳には、いつもと違う何かが感じられる。どこか楽しそうにも見えた。

 僕たちは困惑しながらも、彼の指示に従う。というより、従うより他なかったのだ。皆が疲れきっている上、事故により思考能力は低下している。明に従う以外の選択肢がなかった。

 運のいいことに……という表現が適切かどうかは微妙だが、横転したバスから近い場所に自然の洞窟があった。中は広く、全員が余裕で入れる大きさだ。僕たちは痛む体を引きずりながら移動し、洞窟内でホッと一息つく。

 明を除く全員が、途方に暮れていた。先ほど見た死体の山は、あまりにも衝撃的であった。ついさっきまで、普通に話したり動いたりしていたはずの人が、みな死んでいる……これは、皆の心のキャパシティを完全に超える事態だ。放心状態で座っていることしか出来なかった。

 だが、僕たちは何もわかっていなかった。恐怖の修学旅行は、まだ始まったばかりだったのである。

 バスの事故は、これから巻き込まれることになる事件のオープニングに過ぎなかったのだ。




 皆が虚ろな表情で座り込んでいる間、明だけは妙に落ち着き冷静に行動していた。彼はパンフレットやしおりなどを集め、持っていたライターで点火する。

 その炎の暖かさは、皆の心を僅かながら癒してくれた。僕たちは、火の周りを囲んで座り込む。

 ふと疑問を感じた。明はなぜ、ライターなんか持っていたのだろう。タバコを吸うのだろうか? だが、そんな疑問はすぐに消え去る。今の不安に比べれば、そんな疑問は取るに足らない事だ。

 なぜ、修学旅行なんかに参加してしまったのだろうか。こんなものには、何の興味もなかったのに。


 石原高校は、都内でもトップクラスの馬鹿な学校である。進学率など、放っておけば銀行の金利に追い抜かされてしまうのではないかと思われるくらい低かった。

 その代わり、という訳でもないのだろうが……校内のイベントには、妙に力を入れていた。修学旅行もそのひとつで、なぜか学年ごとに行われていたのだ。

 言うまでもなく、僕はそんなものに参加する気はさらさらない。こんなバカどもと泊まりがけの旅行など、刑務所に入るのと同じだ。聞いた当初は、仮病を使い休むつもりだったのだ。

 だが当日になると、僕は憂鬱な表情を浮かべながらも、修学旅行のバスに乗っていたのである。

 なぜ、修学旅行に行く気になったのかといえば……両親が、修学旅行に出れば一万円の臨時ボーナスを出すと言ってきたからだ。要は、金に釣られて旅行に参加したのである。

 おそらく両親は、僕のあまりの社交性のなさに危機感を抱き、高校にいる間に何とか最低限の人付き合いができる人間にしたかったのだろう。

 学業以外のイベントに積極的に参加させれば、友人ができるかもしれない……そうすれば、もう少し社交的になるかもないと考えた。そのために、金で釣るという手段に出たのだろう。




 こんなことになるなら、参加しなければよかった……そんなことを思っていた時だった。


「なあ、これからどうすんだよ」


 不意に、上条が口を開く。明らかに苛立っている様子だ。その声からは、憤りが感じられる。たき火の暖かさと雨風をしのげる場所が、彼に元気を取り戻させたらしい。

 だが、上条の問いに返ってきたのは、冷めきった声だった。


「知らないよ。放っておきゃあ、助けが来るんじゃないか。来ないかも知れないけどな」


 声の主は明だ。妙に投げ遣りな口調である。


「じゃあ、来なかったらどうすんだ?」


 彼の返事は、上条を苛つかせたらしい。さらに怒気を含んだ声で尋ねた。

 しかし、明は怯まない。


「簡単さ。お前らは死ぬ、それだけだ」


 静かな口調で答える。すると、上条の表情が変わった。


「何だと! てめえバカにしてんのか! 死ぬって何だよ! 何で俺が死ななきゃなんねえんだ!」


 喚きながら立ち上がる。目には、凶暴な光が宿っていた。

 周りの人間は、場の殺伐とした空気に圧倒されていた。表情が硬直し、何も言えなくなっている。

 だが、明の態度は変わらない。すっと立ち上がったかと思うと、ふうと溜息を吐き口を開いた。


「お前は、何を言ってるんだ? 人は誰でも、いつかは死ぬんだよ。早いか遅いかの違いだけだ。この状況で助けがこなければ、お前らは死ぬ。それだけだ。まあ、俺は死なないだろうけどな」


 恐れる様子もなく、そう言い放つ。それを聞いた上条は、凄まじい形相で明を睨んだ。


「なんだと! てめえ、俺をナメてんのか!」


「もう黙れよ。お前と話すと疲れる。見ろよ。他の連中は、静かにお行儀よく座っているんだぞ。お前は図体の割に、情けない奴だな」


 上条の顔を見もせずに、明は言った。その態度は、喧嘩自慢の不良少年を逆上させるのに十分なものだった。


「てめえ殺すぞ! オラァ! 俺が死ぬ前に、てめえを死なせてやるよ!」


 上条はそう言うと、明に近づいた。手を伸ばし、襟首を掴む。

 場の空気は、一瞬にして危険なものとなる。しかし、他の者は何も言えない。

 そして、明の表情は変わっていなかった。


「今、殺すって言ったな。死なせる、とも言った。てことは、殺される覚悟もできているんだよな」


 そう言うと、口元を歪める。彼の顔には、面倒くさそうな表情が浮かんでいた。しょうがねえなあ、とでも言いたげな様子だ。僕は、今もはっきり覚えている。


 本当に、一瞬の出来事だった。

 明の右腕が伸びる。上条の後頭部を通り、首に巻きついた。上条の首を、しっかり脇に抱え込む。

 上条の首が明の脇に挟まれ、頸動脈と気管を腕で締め付けられる。

 明はそのまま、ぐいっと背中を反らせた。

 次の瞬間、上条の体から力が抜けた。


 後で知ったのだが、これはフロントチョークという絞め技だ。明は、ほんの数秒で上条を絞め落としてしまったのである。

 しかし、見ている者には何が起こったのか、全くわからなかった。もちろん、僕にもわからない。わかったのは、目の前で上条が動かなくなったことだけだ。

 一方、明は何事もなかったかのような表情をしている。息は乱れておらず、目つきも変わっていない。上条の頭を脇に抱えたまま、固まっている僕たちの方を見た。

 冷めた表情のまま、口を開く。


「なあ、このバカどうするよ? お前らの意見を聞きたいんだがな」


「ど、どうするって……どういう事?」


 ようやく頭が働きだしたのか、直枝が声を震わせながら尋ねる。


「こいつを殺すか生かすか、どっちにする? 日本は民主主義の国だからな、一応は意見を聞かないと」


 明は、ごく普通の表情で答える。だが、言っていることは無茶苦茶だ。全員、硬直していた。


「えっ……なんで殺すの……」


 今度は大場が、蚊の鳴くような声で言った。普段とは真逆の態度だ。

 しかし、明はすました顔で言葉を返す。


「決まっているだろう。こういうバカはトラブルの元だ。こんな状況だと、バカひとりのために足を引っ張られる恐れがある。それに、俺はこういう奴は嫌いなんだよ。殺したいくらいな」


 その時、直枝の表情が変わった。


「何言ってんの……人殺しは犯罪だよ──」


「こんなに人が死んでるんだ。ひとりくらい増えたってわかりゃしねえよ。それにだ、こいつは自制心がない。長引けば、お前ら女たちを襲うかもしれないぜ。少なくとも俺や、そこにいる飛鳥よりはレイプ犯になる可能性が高い。こいつの日頃の行いを見ればわかるだろう」


 直枝の言葉をさえぎり、明は淡々と語った。

 だが、不意に不気味な笑みを浮かべる。


「そうだなあ、こいつを殺すのが嫌だと言うなら、生かしておかなけりゃならない理由を言ってくれ。そして、俺を納得させてみてくれよ。お前らは、いつもクラスで、ああでもないこうでもないと下らんお喋りに興じてるだろう。そこで培ったフリートークのテクニックで、俺を説得してみてくれよ」


「ひ、人殺しは、つ、罪だから……け、刑務所にも行くし──」


「実にありきたりで、くだらない理由だな。却下」


 芳賀が振り絞るような声で出した意見は、明の一言で却下された。

 直後、明は僕の方を向く。


「なあ、飛鳥。お前はなにか意見はないのかよ? さっきから、ずっと黙ってるけどよ」


「えっ……」


 何も言えなかった。そもそも、今の状況で何を言えばいいのだろう。想定外の異様な展開に呑まれ、まともに考えることすら出来なかったのだ。

 すると、明は溜息を吐いた。


「お前らとの会話は、本当につまらないな。俺も飽きてきたよ。十秒数えるから、その間に何か言ってくれ。もしつまらない事を言ったり、何も言えなかった場合、こいつの首をへし折る。はい、十、九──」


 僕は唖然となっていた。首をへし折る、だって? 一体、どうすればいいんだ? なんて答えればいい? 


「八、七、六──」


 明のカウントする声が響き渡る。他の者たちは、口を開けたまま明を見ているだけだ。僕はといえば、必死で考えを巡らせていた。


 明は本気で、上条を殺す気なのだろうか? いや、ちょっと待て……よく見ろ。

 明の口元、ちょっと緩んでないか? 


「五、四──」


 ひょっとして、明は笑っているのか?

 僕たちを、試してるのか?


「おい、あと三秒だぜ。飛鳥でなくてもいいぞ。答えたい奴が答えろ。三、二、一──」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る