二十八話 剣聖の憂鬱 其の伍

 自分の血が地面に落ちた事を見て、バサラの意識がほんの少しだけ闘争の狂気から遠のいた。


 次の瞬間、彼は自分がここまで呼吸をしていないことに気付き、過去に囚われていたところから現在へと戻されると同時に限界が押し寄せる。


 ジークフリートの体に剣は振るわれる事なくガランと音を立てて地面に落ち、バサラも膝をついた。


「御師様!?」


 ジータは急いでバサラの近くに駆け寄ると彼はなんとか息をしようとする。


「はぁ、はぁ、はぁ、お、ぉぉ、え、はぁ、え? 僕、おぇ、おぇぇぇ」


 呼吸も絶え絶えでなんとか息を吸うことが出来るようになったバサラを見て、ジークフリートは自分の体にもう一撃喰らわせる可能性があった者が現れたことに感動しており、その感動のあまり笑っていた。


 そして、そんな彼らに向けてジークフリートは声を上げる。


「おっさん、俺と組まねえか?」


 だが、その声はバサラには届かず。

 酸素の足りぬ頭は強制的な微睡が入り、彼の視界は黒に染まった。


***


 暗闇の中、一つだけ輝く火があった。

 それは闘争の狂気。

 力強く煌々と輝く炎に染まる自身の姿。

 弟子達には見せたくない、戦いにあてられ、闘争のみを求める自分を。


 奪われた幸せを奪い返そうと躍起になり、土地に居座る神を殺し尽くした。そこで得たのは復讐をやり遂げた爽快感や、達成感はなく、今でもあの戯神に言われた言葉が反復する。


「良いのかい? 名誉も、地位も、誰に讃えられる訳もなく、誰に好かれる訳でもない! そんな人生に君は殉じると言うのかい? 人らしからぬ願いだな! 神ですら名誉も、地位も欲するのにお前は何も求めないのか?! 無償で、人類を救うと言うのか?」


 言葉が魂を持ち、根を張り続ける。

 それは正しく呪いの様に。


***


 太陽が一番高く登った頃。

ハッとなり目を覚ますとそこはジータの屋敷である自身が借りている部屋であった。


 起き上がろうとするものの全身の筋肉が悲鳴を上げ、これまでに一度もない痛みが彼の体を襲った。


「いっだだだだだ!!!!」


 大声を上げてしまうとその横には大剣を壁に置き、読書に勤しんでいたジークフリートが居た。


「お、起きたか? おっさん!」


「あはは、どうもジークフリートで良いのかな?」


 バサラは起き上がる事を諦め、ベッドに横たわったまま、答えるとジークフリートは嬉しそうに口を開いた。


「そうだぜ! 俺が、この国で一番、いや、この地で一番強い生物、剣聖ジークフリートだ! 俺が名前を言ったってことはあんたにも俺に名前を教える義務があるだろ?」


「あはは、そうだね。初めまして、ジークフリート殿。僕の名前はカツラギ・バサラ、よろしくね」


「バサラ、なるほどバサラか! 良い名前だな! 気に入った! よろしくな!」


 お互いに挨拶を済ませてたところ、ドアが開くとそこには水に濡れたタオルの入った桶を持って来たジータが立っていた。


「御師様!!!! 心配いたしましたよ!!!!」


 ジータはそう言うと急いでベットの横に駆けると桶をテーブルに置き、おでこにあったタオルを新しく濡らしたものへと変えた。


 ひんやりと冷たいタオルがおでこから徐々に体を冷やして行く。自分のことを心配してくれていたジータに対してバサラは声をかけた。


「ごめんね、心配かけちゃって」


「とんでもございません。剣聖がバカな事をしたばかりに」


「待て待て! 今、俺のせいにしたか?!」


 そんなことをしながら三者三様にわちゃわちゃと会話を続け、バサラもようやく痛みが和らいで来るとそれを見計らってかジークフリートが切り出した。


「バサラ、ジータから聞いたぜ。現四護聖の師匠だってのに国の剣術指南役になるのを拒んでるって」


 ジークフリートの言葉に少し困った表情を浮かべ、気不味そうに答える。


「うーん、拒んでるって訳じゃないよ。でも、周りのみんなは努力をして、その功績を認められてからじゃないと納得出来ないと思うんだ」


「うわ、真面目だなぁ」


「そうです、御師様はとても真面目で、その部分が良いところです。ですが、それが過ぎるのも事実」


「あはは、ごめんよ、ジータ」


「ならよう、最強の剣聖が出す任務をこなせば箔が付くってもんじゃねえか?」


 ジークフリートの一言にバサラは「え?」と声を出すもそれに一番に食いついたのはジータであった。


「それはありですね」


「ええ?!」


 二度目の驚嘆が部屋の中に響き渡った。

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