第1話(2)

「これが私……?」


 一条は病院のテレビモニターに映るかつての自身の姿とはかけ離れた今の姿に唖然としていた。


 (私は若返ったのかしら?いや、そんなはずはないわ。これくらいの年の時にはもっと胸はあったわ)


 かつての自分と視線の先にいる自分を照らし合わせるが、やはり一致しない。

 一条の高校生の頃から華奢で背も高い――いわゆるモデル体型で、その時には胸は抱えられるくらいにあったが、今の身体はその真逆だ。

 顔の印象もかつては落ちついた――どちらかと言えば雑誌モデルのようなすっきりと落ち着いた印象だったが、今は目もくりっくりでアイドルのようなかわいらしい印象が強い。


(それに……)


 一条はこちらに寄り添いながら瞳に涙を浮かべる二人の男女へと視線を移す。

 

 高身長で栄養失調なのかと思うくらい痩せ細った無精ひげの男性と、男性と対照的にとても小柄で顔つきもどこか今の一条の姿と似た女性。


(この人たちとは一体何者なのかしら?)


 この身体になるまで――生まれてから勤務していた学校で身を投げるまでの二十四年間、一条がこの男女と何かしらの関りを持った記憶はない。

 つまり、一条にとっては赤の他人だ。

 その赤の他人が自身に対して涙を浮かべていることに、一条は強い違和感を感じざるを得なかった。


「すみません。一体、私の身に何が起こったのですか?」

「そうね。説明するわ」


 小柄な女性は声を潤ませながら、こう続ける。


「あなたはこより。一こより(にのまえ こより)、私たちの大切な娘よ」

「一こより……お二人の娘……」


(やっぱり、この身体は別人のものなのね。ということは、今この身体には複数の意識があるはずよね?だけど、そういう感覚が一切ないのはどうして?)


 今の一条は一こよりの身体に宿っているにも関わらず、一こよりの意識も記憶も存在していない。

 つまり、違和感を感じないのだ。


(それと、どうして一条麗華わたしが他人の身体に?もしかして、助けを求めていたあれはこの身体の持ち主……?)


 目を覚ますに起こった出来事を思い出す。

 あの世界で出会った謎の存在は何度も「生きたい」と呟いており、その様子はまるで死の間際であるかのようだった。

 そして、一条が目を覚ました先は病院の一室。


(きっと彼女が一こよりなんだわ。だけど、だから何なの?あの子の意識は?記憶は?どうしてこの身体にないの?いったいどこへ行ったのよ?)


 困惑する一条に一こよりの母親を名乗る女性はさらにこう続ける。


「半年くらい前、あなたは心臓の病気が原因で倒れてしまったの。お医者さんからはあと三か月って言われたのに、あなたはそれでも頑張って生き続けて、やっと心臓を提供してくれる人が見つかったのに……あんなことになって……」


 そこまで説明をすると、女性は顔を手で覆って、会話が続けられないほどに取り乱してしまう。

 すると、隣に寄り添っていた男性がそんな彼女の背中を優しく擦って、落ち着かせようとする。


「続きはオレから説明しようか。お前は心臓移植の手術を受けることになったんだ。だが、手術当日、お前の心臓が突然止まっちまったんだ」

「心臓が止まった?」

「ああ。あと数十分で心臓が届くって時にだ。医者はお前が何とか息を吹き返さないかと色々試してくれたんだが、全部ダメでな。医者ももうダメかもしれないって言い始めた時に心臓が届いた」

「それで、心臓移植は成功して……でも、それだけではないですよね?」

「……ああ、そうだ」


 一条が彼らと初めて言葉をした時、彼はこう言ったのだ。

 「まさか本当に聞いていた通りになっちまうとは……」と。

 つまり、(一こよりが記憶喪失なのは二人の勘違いだが、)二人は娘が記憶喪失になる可能性があることを事前に知っていたのだ。


「手術は成功した。だが、直前に起きた心肺停止で脳にかなりの負荷を負っちまったらしいんだ。だから、お医者様から、『もう目覚めないかもしれない。目を覚ましたとしても記憶や身体に重度の障害が残るかもしれない』って言われたんだ」

「なるほど……」


 彼の話を聞いて、一条は手足を動かしてみる。


「身体の方に別に違和感はないですね」

「ほ、本当か!?なら、今まで通り生活できるのか……うう、うおおおお!!」


 彼は突然顔を真っ赤にすると、病室に響くほどの大きな声で泣き出してしまった。


「あらあら、一歩(はじめ)さんったら」


 一条は子供のように泣く男性の姿を前に、口をぽかんと開けてしまっていた。

 それ見た女性は一条に笑みを浮かべながらこう説明する。


「昔から涙もろいのよ、この人。ほんと子供みたいで困った人なのよ」

「だってさ、知(とも)ちゃん。もし目を覚ましても、記憶をなくしちまった上に身体も思うように動かせなくなっちまうなんて、そんな不憫で辛いことはねえだろう?でも、そうはならなかった。記憶はなくしちまったが、前みたいに暮らせるんだ。こんなにうれしいことはねえよ」

「そうね。それは本当にそう」


 涙が引っ込み始めた女性も彼の涙につられて再び涙をこぼしてしまった。

 そして、涙を流す二人は娘の身体をそっと抱き寄せる。


「こより、おかえりなさい」

「半年間、よく頑張ったな」


(なんて温かいご両親なのかしら。だけど、ごめんなさい。私は……)


 一条にとって二人は赤の他人であり、それは当然逆の立場でもいえることだ。

 しかし、一条は「私はお二人の娘ではありません」と自身の正体を明かすこともできなかった。

 二人に真実を伝えることがどれほど残酷なものかは一条でも容易に想像できる。

 だからこそ、一条は二人の愛情を黙って受け取りながら、悩むしかなかった。


(私はこれからどう生きていけばよいのかしら……)




 それから数日後、術後の検査や診察を終えた一条麗華もとい一こよりはリハビリに勤しんでいる。

 しかし、一条はこのリハビリに酷く苦戦していた。


「リハビリ……やっと終わったわ……」


 リハビリを終えて病室へと戻ってきたころには、一条は疲労困憊となっていた。


「身体が違うだけでこんなに感覚が違うなんて、聞いてないわよ……」


 一条がリハビリに苦戦する理由。

 それは一条麗華と一こよりの体格差だ。

 一条の身長は170㎝に対してこよりの身長は145㎝。

 この25㎝の差が身体の感覚をまったくの別物にしている。


 例えるならば、重いもの持つことに慣れてしまった状態で軽いものを持とうとすると、力加減を間違えて予想以上に勢いよく持ち上げてしまうような状態である。


「若返りって良いことだけはないのね」


 一条はベッドへ倒れ込むように寝転がり、備え付けのテレビの電源を入れる。

 映し出されたのはお昼のニュースだ。

 画面の端には現在の時刻と共に『十一月二十六日』と今日の日付が映し出されている。


「……あれからまだ十日しか経ってないのね」


 一条が勤務先の学校から飛び降りを図ったのは十一月十六日だ。

 そして、一こよりが心臓移植を行ったのはその日から二日後の十一月十九日。


(私が死んだ日と一こよりが心臓移植をした日がほぼ同時期。これって偶然かしら?)


「大学時代に臓器移植の意思表示を記入したような?ああ、そうだ。先輩からパンフレットを貰って……」


 大学時代、一条は同じ教育学科の先輩から臓器移植の意思表示カードが付属した臓器移植のパンフレットをもらったことがあった。


(あのカードって記入した後はどうしたかしら?財布の中に入れて……出してなかったらそのままなはず。となると、私が飛び降りた後、あのカードが見つかって心臓をこの身体へ移植することになった、ということかしら?)


 一条は服の襟を指でつまみ、胸元を見やる。

 膨らみがほとんど存在しない非常に平坦な胸の中心、ちょうど肋骨の上端と下端をまっすぐ結ぶように大きな傷跡が刻まれている。


「……ここにある心臓が一条麗華わたしの心臓なら、この現状も説明がつくわ。でも、私が言うのもなんだけど、この心臓で大丈夫かしら?」

 

 一条の身体は三階建ての校舎の屋上から飛び降り、地面に叩きつけられている。

 当然臓器もそれなりのダメージを負っているはずである。


「こんなお古を使わせてしまうなんて、なんだか申し訳ない……」

「何が申し訳ないのかしら?」


 突然聞き覚えのある声がすぐ側から聞こえる。

 ハッとして声のした方を向くと、こよりの母――知世(ともよ)が病室の入り口から顔出しながら病室を覗き込んでいた。


「知世さん!?いつから居たんですか!?」

「ふふふ、今来たところよ」


 知世は一条が「知世さん」と呼んでも嫌な顔一つせず、ニコリと笑みを浮かべている。


「一人ですか?一歩さんは?」

「もちろん一緒よ」

「よう、こより!オレたちがいなくて泣いてなかったか?」


 そう言って、知世の後ろから飛び出すようにこよりの父――一歩が姿を現す。


「……子供じゃないんですから。泣いてません」

「そうか。お前が前に入院した時は、オレたちが帰ろうとすると「帰っちゃダメ―!」って言って泣き出したんだがな」

「ちなみにそれは何年前の話ですか?」

「こよりが小学生に入ったばかりだから、十年くらい前ね。ふふ、懐かしいわね」

「十年前って。一歩さん、完全に私を子ども扱いしてますね?」

「当たり前だろう!オレたちからしたらお前はいつになっても可愛い子供だからな!」


 そう言うと、一歩は一条の頭を乱暴に撫でる。


「一歩さん、こよりに怒鳴られなくなったからってやり過ぎよ」

「ああ、すまんすまん」


 一歩が頭を撫でるのを止めた頃には、一条の髪は見るも無残なほどにボサボサだった。


「こより、嫌な時は遠慮せず言わないとだめよ」

「……はい」


 一条は一歩のスキンシップが嫌とは思わなかった。

 こんなにもまっすぐ愛情を伝えられると、まるで自身が童心に帰ったかのような、あるいは年に数回しか会わない祖父母に甘やかされる時のような、気恥ずかしくも気が緩む心地よさを感じてしまうのだ。

 思春期の子供からしたら、うっとおしくてたまらないだろう。


「ああ、そうそう。スマホ、持って来たわよ」


 知世は思い出したかのように鞄から一台のスマホを取り出す。

 スマホにはウサギや猫といった数種類のデフォルメされた動物が散りばめられたピンクの手帳型カバーがついていた。


(あら可愛い。こよりさんは動物が好きなのかしら?)


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


(こよりさん、使わせてもらうわね)


 一条はスマホを受け取り、さっそく電源を入れる。


「あ、パスワード……」


 電源が入った直後に表示されたのは「パスワードを入力してください」という文字。

 テンキーから正しい数字の組み合わせを入力することでロックが解除する方式のようだ。


「あら、これじゃあ使えないわね。一歩さん、こよりのスマホのパスワード覚えてる?」

「すまん。まっ――たく覚えがない」

「そうよね。一歩さんが知っていたら、それはそれで問題だものね」

「知ちゃん、もしかしてオレを試した?」

「仕方ないから、今は私のスマホを使って」

「知ちゃん!?」


 一歩が声を荒げることには気にも留めず、知世は鞄の中からスマホを取り出す。

 ソフト素材の透明なカバーを付けただけの飾りっ気のないスマホだ。


「一さんのお父さん、お母さん。先生が今後についてお話したいとのことですが、今お時間よろしいでしょうか?」


 一歩と知世にそう呼びかけたのはこの病院の看護師だった。


「了解しました。そう言うことだから、ちょっと行ってくるな」

「あの、行ってらっしゃい」

「はい。行ってきます」

「寂しくてもなくんじゃないぞ?」

「……泣きません」

「はは!じゃあ、行ってくるな」


 一歩と知世が看護師に連れられ病室から立ち去ると、病室は一気に静かになった。


「ありがたく使わせてもらいます」

 

 一条は知世のスマホの電源を入れる。

 こよりのスマホとは違ってロックはなく、すぐにホーム画面が表示された。


 一条は検索バーに「私立晴丘高校 教師 飛び降り」と打ち込み、検索を開始する。

 すると、いくつかのニュース記事がヒットする。

 一番上に表示された記事のタイトルには 『「恋愛感情を抱き、無理やり関係を迫ってしまった」女性教師・二十四歳、飛び降り自殺を図る』と書かれていた。


(自分のことを書かれた記事を見るのって、結構勇気がいるわね……)


 ニュース記事の文字を触れようとした指は震えていた。


「……」


 一条は一度スマホを手放し、深呼吸。

 深呼吸で乱れた気持ちが落ち着いたのを待つ。

 数秒後、両手で自身の頬をパチンと叩き、意識を切り替える。


 「……よし」


 そして、一条は再びスマホを手に取り、ニュース記事の文字に触れた。

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