試練の章 クライン国

神話 試練の神と支配の悪魔


昔々、まだこの世界、つまりはファンタジアができる前のこと。

神の国アガルタには、創造女神ユグドラシルから生まれた素晴らしい子供たちがいた。その数は実に五千を超える。

子供たちは皆、何か一つ素晴らしい力を持っていた。空を照らしたり、海を落ち着かせたり、くず石を宝石に変えるなど、力のありかたは様々だ。けれどその力は、アガルタの外側では決して使ってはいけないという決まりがあった。


神々の中でも、とびきり出来のいい子といえば、一番目の息子、つまりはヴォーダンの名を挙げる者が多いことだろう。

ヴォーダンは試練を越える知恵と魔術を統べる男神である。母に似て美しく、武芸と機知に富み、誰もが一目置いていた。だがヴォーダンとて短所もある。彼の二つ名は「狂気の主」であり、彼がひとたび怒り狂えば、肥沃な大地が砂山と化し、海を荒れ狂わせ嵐を呼ぶほどの癇癪を起こすこともあった。

ヴォーダンを押さえつけられる者は、ユグドラシルくらいのものといわれていた。


そんなヴォーダンにも、頭の上がらない相手がいる。

先に生まれた、姉の星神である。ユグドラシルの枝から最初に生まれた星神だけは、荒れ狂うヴォーダンをなだめい言うことを聞かせることが出来た。

無垢なる星神は、流れ星の神であったため、色んな世界を行き来する「銀の鍵」と「月の門」を扱うことが許された。星神は美しいもの、楽しいもの、素晴らしいものを求めて、「月の門」を通じて、アガルタに繋がる九つの世界を行き来していた。

そんな自由気ままな星神の身を案じて、周囲の神々やヴォーダンは、よく星神に忠告していた。


「姉様、冷たい鉄の世界にだけは行ってはいけませんよ。あそこは暗くて、汚らしくて、やかましいだけの、最悪の場所なのですから」

「ええ、分かっているわよ。でも、ちょっとだけなら大丈夫でしょう」


さて、そんな星神を、冷たい鉄の世界で暮らす者が見上げていた。

ちっぽけで邪悪なワルテルである。ワルテルは鉄の世界の嫌われ者であった。

誰もワルテルのことを好きではなかったし、ワルテルも鉄の世界が大嫌いだった。

毎日のように、ひとりきりで夜空を見上げていたワルテルであったが、月の門を通じて現れた星神に、一目惚れをしてしまったのだ。

ワルテルは星神に声をかけて、顔を合わせる度に、素晴らしい贈り物を手渡した。

中でも悪魔が生み出した、美しい詩と物語は、星神の心を虜にした。星神はすっかり邪悪なワルテルに夢中になった。


「ワルテルよ、素晴らしい贈り物のお返しに、私は何を渡せるだろうか?」

ある日、星神がそう問うと、待ってましたとばかりに邪悪なワルテルは言った。

「空の誰よりも美しい星神よ、私は貴女の煌めく心が欲しい」

「ならばワルテル、あなたに惜しみない祝福を与えましょう。真っ黒な空に」


星神はワルテルに祝福の光を与えた。

鉄の世界は数え切れない程の星の光で彩られ、どの世界よりも美しく冷たくなった。鉄の世界の人々は喜んで、毎日のように踊り、笑い、楽しく暮らした。ワルテルは鉄の世界を、祝福の力でさらに鉄の世界を美しいものにした。

だが、これを知ったアガルタの神々は、大変に怒り狂った。ちっぽけで邪悪なワルテルのために、神の力を使ってしまったからである。

ヴォーダンは必死に彼らを宥めたが、神々は星神を許しはしなかった。


「なんということをしてくれたのだ!鉄の世界に祝福を与えてしまうとは!」

「ちっぽけなくせに邪悪なやつめ!八つ裂きにしてくれる!」

「いいや殺すだけじゃ飽き足らない、永久に苦しませてくれる!」


ヴォーダンをはじめとする神々は怒り狂った。

ユグドラシルは神々の心を鎮めるため、世界を乱した罰として、星神から名前と力、そして命を奪った。

だが寧ろ、その罰がヴォーダンの狂気に火を付けた。ワルテルと鉄の世界に罰を与えるべく、神々は一年かけて世界を壊しつくした。

地の上にある形あるものは、浄化の炎で燃やした。鉄の大地は更地となった。

肉を食らう獣と草を貪る虫が放たれた。大地の上で生きている者はいなくなった。

大地は踏み砕かれ、海は余すことなく毒に変えられた。僅かに残った大地も全てどろどろに溶けて、後には暗闇しか残らなかった。


「助けて、助けて。とんでもないことをしてしまった。私はどうすればいいのだ」


逃げ場を求めてワルテルは、空を飛ぶ黒い鉄の汽車をこさえて、銀の鍵を手に、月の門をくぐり、世界という世界を逃げ回った。どの世界もちっぽけで邪悪なワルテルを拒むので、最後にワルテルはアガルタの地の底にある、果ての世界へと逃げ込んだ。

果ての世界では、悪神マーナガルムがひとり、ぐうぐうと昼寝をしていたが、ワルテルの匂いに気づくと目を覚ました。

ワルテルは泣きながら、これまであったことを話すと、マーナガルムは底意地の悪いにやにやとした笑顔で聞いていた。


「ああ、マーナガルムさま。私は何をすればよろしいのでしょうか。なんでもします、どうか私を助けてください」

「ワルテル、お前はもっとも哀れで邪悪なやつだ。気に入った、俺様が匿ってやる」


そう言うとマーナガルムは、空から大地まで届くほどの、大きな顎を開けると、ばっくりとワルテルを飲み込んでしまった。

その後、他の神々がマーナガルムの元へやってきて、「ワルテルはどこだ」と尋ねたが、この狡賢い狼はそしらぬ顔をして「さてね、おれの顔を見て、怖がって逃げてしまったよ。今頃、黒い汽車に乗って、この果ての世界のどこかを、逃げ回っているんじゃないのかねえ」と答えた。

果ての世界は本当に真っ暗で、どこまで行っても果てがないので、神々はワルテルを追いかけることを諦めて神の国へと帰ってしまった。

腹の中に閉じ込められたワルテルは、二度と外に出ることはなく、乗り手を失ったワルテルの汽車は、今も色んな世界の空を走り回っているそうな。


──ファンタジア叙事詩「ヴォーダンの歌」より抜粋


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