33話 我儘姫の受難 後編


「きゃっ……」

『ヴィオレッタ様!』


判断は一瞬。マグニはヴィオレッタの小さな体を抱き込み、地面を素速く転がる。

振り下ろされた巨大な鞭は、獲物を捕らえることなく、地面を激しく揺るがすのみ。

ゆらり、と揺らめくその正体は、巨大な植物の蔦だ!

不気味な赤茶色の蔦には、土にまみれた大きな葉がいくつも連なっている。大きな葉は上下に折りたたまれ、その隙間からは肉食獣のものにも似た、無数の鋭い乱杭歯がギラギラ光る。


「なっ、んだあれ!?」

土の下に潜るものコッドソブテラ!巨大な肉食イモですよ、あれは!』

「イモぉ!?あれがあ!?」

「どうみても気持ち悪い人喰い蔦じゃないのーッ!」

『腐肉や生きた動物を栄養にしてるんです!マナがたっぷり詰まった栄養満点の魔獣が大好物で!』

「それって私たちのことじゃないのーッ!!」

『とにかく逃げやしょう!コッドソブテラの活動範囲は狭いです、逃げ切れば追ってはこない!』


だが蔦の群れは獲物を逃がすまいと、幾つも生えてきて、マグニたちを狙う!

咄嗟にマグニは短剣を抜き、蔦へと斬りつけた。太い蔦は意外にも軽くスパンッと小気味良く切れて、ぼとりと落ちる。

だが隙ありとばかりに、地面が隆起し、地中から起き上がった蔦が、ぐるりと子供達を取り囲む。葉の大群がガチガチと飢えを主張するように歯を鳴らし、さてもどこから喰ってやろうか舌舐めずりする。葉の大きさは人の頭ほど。これに囓りつかれたら、ひとたまりもなさそうだ。

何度マグニが蔦や葉を切り落としてもキリがない。蔦は素速い動きで、マグニたちを殴りつけてくる。隙を見せれば、肉を食いちぎられかねない!


「な、な、舐めないでよねッ!あんたたちなんかに喰われてやるほど、安い体じゃないのよ!私の怒りを思い知れ、不遜なる舌に獄炎の罰を!罪罰の炎よ、焼き切れホム・インフェルゲヘナ・ウッタルデア!」


ヴィオレッタは両手を前に突き出し、呪文を唱える。

凄まじい光量が、両掌から溢れ出すほどに収束していく!ちりちりと肌を焼く感覚に、咄嗟にマグニは自身の顔を庇った。

……が。「ペフンッ」という愛らしい音と共に、その掌から出てきたものは、小さな火の玉。しかもヨレヨレッと宙を舞うと、肉食の葉にぱくん!と喰われ……ボン!と口の中で爆ぜて、葉が「ギー!」と怒りに喚いてのたうち回るのみ。

しかも他の葉や蔦が殊更怒りにかられ、ますます攻撃が激しさを増す!


「ヴィ、ヴィオレッタ!今のが最高火力なの!?」

「ち、ちが!そんな筈じゃなかったの、もっとドカーン!と強い術が出るはずだったのー!ホム・インフェルゲヘナ・ウッタルデア!ホム・インフェルゲヘナ・ウッタルデアー!」

『この頃のヴィオレッタ様は、呪文の出力にムラが出ますからなー……百年ぶりともなると体内のマナ脈のどこかが詰まってるんじゃ……』


ボフン、ボフンと愛らしい火の玉が、次々に掌から溢れ出る。

しかし不思議なことに、その真っ赤な火の玉が宙に浮かぶと、蔦はマグニたちから気をそらして、葉は次々にそれを食べてしまう。そして口の中でバフン!と爆ぜると、己についた火を消そうと、怒り狂ったように地面をのたうち回る。学習能力はないのだろうか。

だが、びたりと静止してるにも関わらず、蔦は火の玉と自分たちを交互に狙ってくる。しかもその動きには、まるで始めから組み込まれているかのような、規則性のようなものが見てとれた。この法則性はなんだろう?──その時、マグニは閃いた。


「モルトーさん、肉食イモの本体はどこに?」

『あ-、あそこ!蔦はバラバラに見えやすが、実のところは一本太い所から分かれていやす。あすこの根のところで全部繋がっているはずです』

「分かった。ヴィオレッタ、他に使える術はある?」

「え、あ、あと、風を起こす呪文とかなら……でも今の私じゃ、突風を出すのが精いっぱいかも」

「上出来。もっとその火の玉を出し続けて、なるべく上の……あの木のてっぺんへ届くくらいに飛ばして、集めて!」

「へっ。つ、蔦じゃなくていいの?」

「僕の予想だけど……アイツらは危険なものかを見分ける能力はなくて、ただ単に熱かマナを狙って動いているんだ!だから僕らの位置が分かるんだよ!だからマナの熱を利用して、上に沢山のマナが集中すれば……」

「! 成程ね、やってみるッ!」


ヴィオレッタは左の掌にマナを集中させ、火の玉を次々噴かせる。軽やかな音と共に生まれ、火の玉はチロチロと燃えて呑気に浮かぶ。次いでヴィオレッタは右手に意識を集中させ、風を生み出す呪文を放つ。無数の火の玉たちは突風にあおられ、頭上をくるくると舞った。するとマグニの狙い通り、蔦がそれを追いかけて火の玉の動きを追うように、蔦をぐるぐるしならせて背を伸ばし、恐ろしい牙を剥いてバクバクと食らわんと食らわんとする!


「今だ!ヴィオレッタ、なるべく離れて!」


全ての蔦が頭上の火の玉を貪る隙を突いて、マグニは根の部分へと駆け寄る。モルトーの言う通り、地表に出てきた蔦は、わずかに地面からせり出した、一本の太い根元から分かたれて伸びていた。

蔦がマグニに気づくまで、僅か数秒。だがその数秒を稼いだ時点で、マグニの勝ちだ。本体へと直に繋がる根元にナイフを突き立て、気合いを入れるため一呼吸。


「(最初に威圧を使ったあの時を……迷宮の中でマナを送り込んだ、あの感覚を思い出せ──!)」


マグニは本能で理解していた。ありとあらゆる生命はマナを求め、それを糧とする。

だが水や食べ物ですら過剰に摂取すれば体に害なすことと同じように、マナも許容量を超せば毒とある。ある時は酩酊し、ある時は不調を引き起こし、ある時は死に至らしめる可能性すらもある!

ならば、ただでさえヴィオレッタのマナが凝縮された火の玉を栄養として食らっている時に、


「腹が減ってるんだろ!そんなに飯に困ってるなら、はち切れるほど食らいやがれッ!食あたりしても文句は言わせないけどなぁッ!」


マグニは己を奮い立たせ、体内のマナを放出する。マナは少年自身の激情、燃え盛る闘争心によって炎のマナに変換され、ヴィオレッタが放った宙に舞う風のマナと反応を起こし、バチッ!と激しく爆ぜた。

普段は不可視の熱源でこそあるが、膨大なマナが一度に放出されると、輝きによって可視化される。マグニ少年から解き放たれたマナもさながら、暗雲から迸り、地を奔る雷撃の如き力強い煌めきを放っていた。

並の生物であれば、食あたりどころではすまない量。雷撃に変化したマナが、蔦の根元を通して肉食イモの本体へ、濁流の如くなだれ込む!


「(す、すごい……マグニがつくった炎のマナと、私の突風術でうまれた風のマナが合わさって、雷撃に!まさに名付けるなら、大雷霆槍ケラウノス……!)」

「欲張りな食欲がアダとなったな。土の中で……永遠におねんねしてろッ!」


地を揺るがすほどの、ズドン!という重々しい音が辺りに響き渡る。鳥たちが怯えて梢から飛び立ち、隠れ潜んでいた小さな獣たちも脱兎の如く逃げ出す。マナの放つ強い輝きを前に、呆気にとられていたヴィオレッタも、揺れが足に響いて、「きゃっ!?」と尻餅をついた。


「あいたたた……た、倒したの!?」

『ヴィオレッタさま、あれを!蔦が……』


モルトーの声につられて見上げると、あれほど暴れていた蔦がすべて沈黙し、次々にバタリ、バタリと地に伏せる。

マグニの放った膨大なマナの雷撃によって、全ての蔦が黒焦げと化していた。あれほど貪欲に火の玉を食らっていた葉ですら、チリチリと燃えてだんまりだ。

その光景に感嘆の溜息を漏らしていると、マグニが「大丈夫!?」と駆け寄って、ヴィオレッタを助け起こした。


「ふうっ、どうやら上手くいったみたい。イチかバチかだったけど……これで暫くはイモも動けないかな。今のうちに逃げよう」

「いや……動けないどころか……多分、倒しちゃったわよ、あなた」

「へっ」


マグニは周囲を見やって、やっと状況を飲み込んだようだ。真っ黒焦げになった蔦の群れを見て「うわあ!?」と自分で驚き、ヒイている。本人としては、おそらく気絶させるだけのつもりだったらしい。

その時、足音が二人の元へ近寄ってきた。ぱっと振り返った先に居たのは──水瓶を頭と両肩に乗せたガルムの姿であった。


「おう、どこまで足を伸ばしたかと思えば。随分と派手に遊んでいたようだな」

「ガルム様!こ、これはその……」

「なんだ、良い匂いがすると思ったら……肉食イモか。お前が仕留めたのか、小僧」

「あっえっはい、いや気絶させようと思ったら、やりすぎちゃったというか、自分でもここまでやるつもりは……」

「はっ、え」


思わぬ称賛の言葉に、マグニは固まった。……叱られると思っていたのに。

当のガルムは萎びて転がる蔦を踏んづけて根元まで近寄り、「これ、掘って持って帰って食うか」と振り返る。

掘ると聞いて、ヴィオレッタが「えーっ!?」と露骨に嫌そうな顔で不満を漏らす。


「肉食のイモなのよ!オエーッじゃない!?」

「栄養たっぷりで腹も膨れるし、量もある。文句なしだろう。只のイモなんだし」

「人間も!食べてるかもしれないのよーっ!?それに服が汚れるーっ!」

「それを言ったら全ての野菜が屍を養分にして生長しているだろうが。ぐだぐだ文句言わずに掘れ。小僧、お前もだ」

「あっ……は、はい!」


結局、3人がかりで地面を掘り返し、表面がジリジリに焼け焦げた巨大なイモをどうにか掘り当てた。しっかり火が通ったおかげか、イモ自体はもう動く様子もなく。

水瓶はマグニとヴィオレッタで抱えて(「勝手にウロチョロした罰その2だ」とガルムが押しつけた)、巨大なイモはガルムが背負って持ち帰ることに。


「ガルム!貴方ね、二人を放ってどこをほっつき歩……キャーッ!?お、お化けイモーッ!?」

「おう、水なら運んできたぞ。ついでに今晩の飯もだ」

「ただいま、ステラさん。ヴィオレッタも戻りました」

「……た、ただいま。心配かけて、ごめんなさい」

「お、おかえり。二人とも無事でよかったけど!泥だらけになっちゃって……しかもそのイモは何!?私はどこから叱ればいいの!?」

「マグニが仕留めたイモだ、料理してくれ。俺たちは水浴びしてくる」

「ちょっとー!説明とイモを放り出さないで!ちゃんと話しなさいよーッ!」


結局、事の次第はマグニ達が説明し、「ガルムが近くにいたから良かったけど、もう子供だけで危ないことはしないこと!」としっかりステラに叱られてしまった。

その後、「よく二人だけで戦えたわね。無事で本当によかった」と強く抱きしめられて、二人はやっと体が震えていることに気づいて、ステラを抱き返したのだった。

……そしてイモはといえば、五分の一が今晩の食事となった。

イモを大量にすり潰して小麦粉や卵などと混ぜてジャガイモ生地に。そこに肉や葉野菜の千切りの塩漬けなどを混ぜて丸めて、フライパンでこんがり黄金色になるまで焼けば、ダダナランの家庭の味、ブランボという料理に早変わりだ。外はカリカリ、中はもっちり。強い塩気とジャガイモ生地の相性は抜群だ。あっという間に四人とチチフで平らげてしまった。


「おなかいっぱーい……もうねむーい……」

「流石にこれだけあると、満腹ですね」

「うむ、酒が進むな。ステラ、麦酒まだあるか」

「飲み過ぎですっ!もう寝なさいな。残った芋の加工と夜の見張りは、私がやっておくから」


ステラはぴしゃりと言い放ち、転がっている芋を風の鎌鼬でスパスパ細かく切り分けていく。マグニは眠い目を擦って寝袋と敷き布を引っ張りだし、焚き火からやや離れた位置に敷き始めた。全員ぶんの寝袋を広げる横で、ヴィオレッタがまた不機嫌そうにガルムの元へ歩み寄る。


「ちょっと、ガルム。尻尾かしなさい」

「はァ?」

「枕がないんだもの!尻尾を!かしなさいよ!」

「……」


数分後、ヴィオレッタはガルムの長い尾を枕にして、寝袋に包まれていた。

根負けしたガルムは、「俺様の尾を枕代わりなど……兄上の妻でなければ引っぱたいてやるところだ……」とぶつくさ文句を垂れていた。恐れ多い光景にも程がある。

(僕でも一生こんな我儘言えないな)とマグニが感心していると、今にも寝そうなヴィオレッタと目があった。


「マグニ、あんたもこっちで寝なさいよ」

「えッ」

「いいから。来なさい。私の言うことが聞けないの?それにガルムの尻尾、柔らかくて気持ちいいわよ」

「……、あの、ガルム様」

「貴様も俺の尾っぽを枕代わりにするというなら」 ガルムが低く唸った。

「明日の夜、貴様のケツを千回叩いて柔らかくしてから枕にするから覚悟しろ」

「し、しませんよっ!絶対にしませんッ!」


恐ろしい光景を脳裏に描いてしまい、ぶんぶんっと首を横に振る。

ガルムの尾を枕にしない位置を選んで、ヴィオレッタの横に転がる。さっきのやりとりが面白かったのか、ヴィオレッタは悪戯っぽく肩を揺らして笑っていた。

呆れながらも、マグニは微睡み始めたヴィオレッタと、向かい合うように寝転がる。


「ヴィオレッタ。僕も君と同じだったんだ」

「なにがー?」

「僕も昔ね、イーサンを相手に、同じような事をしていた。冷たい態度を取ったり、わざと目の前で酷い失敗をしたり……困らせるようなことを沢山したんだ」

「……。あんた、そんなタイプに見えないけど」

「うん。でも、イーサンはいつでも僕のことを優しく諭してくれて、時に叱ってくれて、本気で、僕に向き合ってくれてた。たった2年だったけど……僕を愛してくれてた。……まあ、それ以降は甘えられる人がいなくて、今の僕になっちゃったけど。だから君のこと、少しは分かるんだ」

「……」

「今は僕のこと、信じられなくてもいい。だから正面からぶつかることを、怖がらないで。僕も、ステラさんも、ガルム様も。何度でも……君と……向き合うから……」


眠気の掌が、マグニの瞼をそっと先に閉じた。

その言葉を聞き、ヴィオレッタはじっとマグニの顔を見つめ、「馬鹿正直で、おせっかいね」と小さく笑って、同じように目を閉じる。モルトーも、嬉しそうに目を閉じて二人の間に潜り込む。そんな様子をじっと見つめるガルムの横で、ステラが微笑ましそうに「頼られて嬉しいんでしょ?」と茶化すので、ガルムはその白い額にべちん!とデコピンをかますのだった。


「いったーい!なんでぶったの!」

「なんとなくだ、たわけめ」


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