34話 <運命> 前編


これは、マグニとガルムが出会う数日前のこと。

クライン国内の城下町に聳え立つ、創造神ユグドラシルを奉る神殿。

凝灰岩と軽石を用いられた、白を基調とした荘厳な建物の内部は、ユグドラシル神を象徴する神樹と創造の十三神像が鎮座しており、参拝者は清められた花水や貢物を献上し、祈りを捧げる。

陽のあるうち静謐と清浄を体現したような空間だが、夜ともなればほぼ暗闇に包まれ、寂しさと一抹の恐怖を煽る。

広々として高い天井を照らすものは何もなく、礼拝の空間には、壁に等間隔に設置された十三神像の石像が、悠然と佇むのみ。

草木も眠る朧月夜。神殿の暗闇に、ぼうと小さく灯る蝋燭の火がひとつ。ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ……小さな灯火が瞼を開けるように灯り、神像たちを照らしていく。

灯ひとつひとつは仄かなものだが、それでも神殿内を照らすには充分だ。

半円状の壁にそれぞれ並ぶ神像らに見下ろされるかのように、神殿の祭壇の前で、一人の白いローブを着た男が、頭を垂れ片膝をついている。━━おもむろに、神像のひとつが、口を開いた。


【あの悪童がファンタジアに落とされ約一月ほど。あまり色良い話は聞かぬな】

【悪評は多けれど善き知らせはなし。善を積めど悪行が勝る。やはりあのような野良犬に善行を積ませるなど、どだい無理な話だったのでは?】

【あの悪逆非道で愚劣なる魔王が、素直に功徳を積む性分なものか。どうせファンタジアでもろくな事をせんだろう】

【事実上の永久追放なのにネ〜、ユグドラシル様はよく、あの暴れん坊に恩赦の余地を与えたもんだよ】

【九百回ぽっちの処刑じゃ足りないからな。あやつにとっては今回の刑罰こそ、贖罪に、値する内容ではあるだろう】

【筋金入りのニンゲン嫌いだものなァ】

【我らは常に公平であらねばならぬ。たとえ相手が我らに牙を剥き、償いきれぬ罪を重ねた罪人であろうと……】

【でもステラまで連れて行くことあるかね】

【あれでは人質同然ではないか。大人しく追従させられて可哀想に……】

【いラこえっかーてテなスなか】

【おい誰だ今の】

【凍てつく風の噂で、かの魔王が勇者を得たと聞いたが、あれは真なりや?】

【ていうかあ、勇者の血筋はとっくの昔に絶やしちゃったんじゃなかったのぉ。勇者ブームがリバイバルしてんの?】


がやがやと、やにわに石像たちが口をきき、各々が自由に語らい始める。

石像が雑談を交わす摩訶不思議な光景を前にしているというのに、男は一言も口をきかぬまま、黙って床を睨みつけるのみ。

深夜にそぐわぬ騒がしさの中、ひとつの神像が【静聴!】と高らかに宣言する。ぴたり、とやにわに雑談が終わり、厳かな声が跪いた男へと向けられる。


【<贖裁巡界>は単なる刑罰に非ず。かのが改心する唯一の機会であり、ユグドラシル神は慈愛の本心から、ステラ様の迅速な帰還と、心を入れ替えた悪童を祝福しアガルタに招くことをお望みだ。だがそれは我々の本意ではない。

我らが愛する地を穢した者は、例え一万の時が流れようとも、例え何千回と罰を受けようとも、決して許されるべきではない。悪に穢れた者は、その爪先すら楽園に足を踏み入れることなど、あってはならぬ。

故に、ヴォーダンよ。追加制裁の権をそなたに授ける。後は、分かっているな?】

「はっ。……十三神様がたの御心のままに」


男が声を発したとき、神殿に吹き込まれた突風が、明かりを全て吹き消した。

白いローブを翻し、男は静かにその場を後にする。神殿は再び静けさを取り戻し、男もまた、夜の闇へと消えていった。



ディアファンを目指して旅を続けるマグニたち。

一番立派な木のてっぺんによじ登って見回せば、遠くにだがディアファンの町が一望出来るほどまでの距離まで近づいて来た。

旅の足取りは順調。何度か大型の魔獣に襲われることはあったが、全てガルムとマグニが戦いの経験値として倒していき、マグニは勇者として着実に実力をつけている真っ最中。

この日はいよいよ町まであと一息という所で、一行は昼食がてら休息を取っていた。


「さて、私としてはそろそろ、二人に基礎魔術を教えようと思いますっ!」

「魔術を?」

「えー、また勉強の時間ー?私は必要なくなーい?」

『いやいや、結局ヴィオレッタ様、殆どの魔術を忘れちゃってるじゃないですか』

「それに、ヴィオレッタはマナの扱いを忘れてしまったんでしょう?リハビリと思って、基礎から学び直していけばいいと思うわ。そのうち魔術も思い出せるはずよ」

「むう……まあ、攻撃呪文とかは好きだから、別にいーけどっ」


食事を終えると、ステラは荷物から古めかしい本を一冊取り出した。

表紙こそ綺麗だが、かなり読み込んでいると分かるほどに、本のの部分がくたびれている。背表紙には本の題名が書かれているが、マグニには読めない。おそらくクラインで使われている言語でないことは分かった。

だが中身は白い文字通り、何も書かれていないのだ。少年少女が両側から不思議そうにステラの本を覗き込むと、本がひとりでに浮き上がる。

わ、と驚くマグニを横目に、ステラが本に手を翳した。


「【汝、この書を開きし者。魂の契約をせし蛮勇なる術師よ。

ダヱモンの名を冠せし異界の魔神と盟約を交わすならば、血肉の贄を以て魂との結びとし、その名を唱えるがいい】」


ステラが唱えた刹那、紙面がぱあっと淡い金色の輝きを放つ。

すると、風もなくパラパラと捲れた真っ白な頁に、まるでインクが染み出すかのように、びっしりと凄まじい量の文章や図面などが浮かび上がってきた。

ゆっくり降りてきた本をステラが手で受け止めると、ヴィオレッタが興奮したように「高等魔導書のレメゲトンだわ!すごいっ!」と両手を振り回す。


「レメ……なんて?」

「レメゲトンを知らないの!?魔術師なら誰もが憧れる神代の魔導書よ。著者も分からない、どうやって製本されているかも分からない、なんなら世界で何冊残っているかも分からないっていう超レアな魔導書なんだから!

本の持ち主の力量や才能次第で、本がどんな魔術を習えるか、習うべきか教えてくれるの。持ち主が望めば、過去に消されてしまった禁術だって教えてくれるのよ」

「お、おっかない本なんだね」

「凄い本ってこと!こんな凄いものを持ってて使いこなしちゃうなんて、やっぱりステラって凄腕の魔術師なのね。もしかして王宮お抱えだったりしたの?」

「はい二人とも、お話はそこまで。お勉強を頑張ったら質問に答えてあげるからね」


──繰り返すが、魔術の基本は、マナへ干渉するということだ。

ただマナを力任せに出力するのみの手法は、<魔能スキル>などと呼ばれており、マグニの「威圧」や、ガルムの「破壊する輪唱ヴォークス・オッフェンド」などがそれにあたる。

一方で、魔術は術式というマナへの干渉方法を用いて、マナの持つ<属性>を抽出、変換し、時に組み合わせて、様々な事象を引き起こすのだ。そして術式によっては、同じ属性のマナを扱う際にも、引き起こされる事象は千差万別である。

例えば炎のマナと水のマナを組み合わせた際にも、術式が異なれば、自身の体温を調節したり、湯を出したり、氷を生み出したりすることが出来る。

水と土のマナであれば、植物の生育を早めたり、即席の壁を生成したり、土壌の質を変えるなども可能だ。

だが、より自然の摂理や法則から剥離した術を用いるのであれば、それだけマナを消費するし、術式も複雑になり、成功率も変動する。そのため、魔術師達は日夜、魔術の研鑽や改良に没頭し、技術を高め、より普遍的な魔術へと改良するのである。


「それじゃあまず、二人とも、水のマナを扱うところから始めましょうか。一番安全だし、基礎中の基礎だものね」


ステラは二人に、即席で作った小さな杖をそれぞれ手渡し、万が一、魔術が暴発した時を考えて、二人に防護術もかける。

防護術は、攻撃呪文が着弾した際に、全身を包んで柔らかい衝撃へと変換してくれる便利なものだ。

最初に学ぶ呪文は、水の塊をぶつけるだけの水撃呪文だ。水のマナを一箇所に集中させ、弾のように投げつけたり、勢いのある水流にしてぶつけるというもの。

ヴィオレッタは呪文と術式を読み込むと、得意げに鼻を鳴らし、杖を振るう。


「ふふん、水魔術なら得意よ!私、一番最初に覚えたもの!せっかくだからマグニ、ちょっと的になりなさいよ!」

「えっ。痛いのは嫌なんだけど」

「どうせ、ちょっと水掛けられたくらいの威力よ!ね、いいでしょ、ステラ?」

「まあ、簡単な術だから、傷ついたり死ぬなんてことはないけど……」

「ですって!それともマグニ~、ビビってんの?勇者が水のかけあいくらいで?ガルムに「怖いよ~」って泣きついちゃうわけ~?」

『ヴィオレッタさま、あまり調子に乗って術を使わないほうが……』

「ムッ。そんなことないやいッ!来いよ、今日は水浴び要らずにしてやるっ!」

「そうこなくっちゃ!さ、食らいなさい!」


大丈夫かしら、とハラハラした様子で見守るステラ。端から眺めながら、「安い挑発にすぐ乗りおって……」と呆れるガルム。

そんな二人の視線などお構いなしに、ヴィオレッタは教わった通りに杖を向け、マグニに狙いを定めると、呪文を唱える。


『(なんだか嫌な予感がするんだよなあ。昔からヴィオレッタ様の魔術って、ちょっと乱暴なところがあるからなあ……)』

「<水よ、敵を穿て!水打撃パティシュマイム>!」


──何も起きない。水のマナが徐々に、ヴィオレッタの杖の先に集まるだけだ。

なんだ、とマグニは拍子抜けした顔で見つめ、「ちょっとー!なんで出ないのよー!」とヴィオレッタは怒りに任せてブンブン杖を振り回す。だが、それがいけなかった。

再び目覚めたこの少女が、初めて魔術を使ったときから兆候はあったのだ。彼女の術は、とにかくマナが魔術に出力変換されるまでの初速が遅いのだ。

つまりは、杖にはどんどん水のマナがじわじわと収束していき──ステラとガルムがマナの異様な膨張に気づいた時には遅く。

収束し続けた水のマナが瞬間的に多量の水へと変換され、ヴィオレッタの杖先から暴発していた!


「あ」

「いっ?」

「うえええええええっ!?」


迸る水量は最早、激流と呼んで差し支えない水量。慌ててヴィオレッタが軌道を変えようにも、荒ぶる水の勢いはそう簡単に変えられるものではない。

凄まじい勢いで放出された水は、地面を抉りながらもマグニへと直撃!

少年の体に水が着弾した瞬間、防護術が発動したかと思うと、……マグニの体は、空高くへと放り飛ばされていた。


「おわあああーーーーーーーーーー……!!」


青空へ高く舞うマグニ。放射線を描き、ゆっくりと遠く離れた森へ消えていく。

残された面々は、唖然、呆然と見つめるほかなく、視線がヴィオレッタへ集まる。

当のやらかしたヴィオレッタは、じわっと目に大きな涙を溜めて、ステラたちへ振り返り、わっと泣き出してしまった。


「ど、どうしよう……私……マグニを殺しちゃったー!」

『うわーっ泣かないで、ヴィオレッタ様ーッ!まだ死んだと決まったわけじゃありませんから!』

「まあ、大丈夫だろう。防護術は発動しているし、小僧は頑丈だ。そう簡単に死にはせん」とガルム。

「それでも探さないと!魔獣がいる場所に落っこちてたら大変よ!」


わたわたと慌てる女子二人を相手に、ガルムは「分かった、分かった。俺様が探してくるから」と投げやりに慰める。

だがマグニを探そうと、森のほうへ歩きだそうとした瞬間。一瞬にして、その場を冷たい殺気が支配した。やにわに空が翳り、空気が凍てつく。分厚い雲がゴロゴロと奇妙な音を鳴らす。……自然現象ではない。強大なマナの持ち主が放つ、<威圧>に近い現象が起きたが故に、一瞬にして天候が変化したのだ。

ガルムは周囲を見回し、ステラとヴィオレッタも、突如として肌を突き刺す妙な寒気に、戦闘態勢を取る。三人の視線は、殺気のもと……森の小道へと向けられた。

草叢を掻き分け、悠然と一人の男が、ゆっくりとした足取りで歩み寄る。

一見すれば、ただの旅人だ。白く猫のように気ままな髪に、白いローブ、そして手には大きな杖。顔の半分が隠れるほどに前髪が長く、隙間から青い瞳がのぞいている。ステラは杖と男の顔を見るなり、はっと息を飲んで、ヴィオレッタを自身の影に隠した。ガルムは一歩前に出て、男の顔を嘲るように見下ろした。


「やあ、久しぶりだねぇ、野良犬。まだ惨めったらしく生きているとは予想外だ。

てっきり羞恥と悔しさのあまり、腹でも切って土の下で大人しく寝ているかと思ったんだがね」

「……これはこれは。大仰な演出で現れるのは貴様のクセだな。の坊や。ふらふら地上を彷徨っているとは、いよいよ職務放棄か?」

「ナンセンスな呼び方は控えてもらおうか、罪人マーナガルム。その肥えた舌を斬り捨てて、お前の息子に食わせてやろうか?」


その会話からも察する通り、二人の一触即発、険悪な仲は明らかだ。

ヴィオレッタは殺気を丸出しにする男とガルムを見て、ステラに小声で囁いた。


「ね、ねえ。あの人、だれ?友達じゃなさそうだけど」

「それは……」

「なんだ、ステラ。その子は……ああ、その気配は、例のプリンシアか。ということは、見つけたんだね?引っ込んでなよ、出しゃばり女。身内を庇いたい気持ちは分かるが、君の出る幕じゃない」

「な、なによ。なんか腹立つ言い方するわね。あんた、絶対友達いないでしょ」


訳の分からないことをのたまう男に、ヴィオレッタは更に警戒心を露わにする。

だが男はステラとヴィオレッタにまるで興味などないようで、一瞥だけした後、鋭い視線はガルムへと向けられたまま。


「その様子だと、まだ話してないんだ?」

「……貴様には関係のないこと。世間話をしにきただけならば、さっさと失せろ。貴様に構っている暇などないんでね」

「これも仕事なんでね。神々はお前に大層お怒りだ、邪神にして叛逆の獣、マーナガルム。”追加の罰”だ、謹んで受け取るがいい!」


言うや、男ヴォーダンは、瞬きの間に、ガルムの間合いへと詰める。

ヴィオレッタも、ましてやステラすら反応出来ない速度。ガルムですら咄嗟に身を半歩退くだけで精一杯。

ヴォーダンは杖を振るうと、杖が瞬く間にグニャリと柔らかな材質へ変化し、ガルムの体を絡め取る。身動きできない数瞬の隙に、ヴォーダンの掌がガルムの胸へと押し当てられた。白い輝きが掌から溢れ出し、一筋の光となって、分厚い胸板を貫く──!


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