30話 幕間 ある戦場にて
──コマタより遙か南東、クライン国と隣国ビステッカの国境線。
この国境線を跨ぐ、新たに開拓された元秘境地帯「ベルクベル」の所有権を巡って、約三十年ものあいだ長い争いが続いていた。
今日もまた、鉱山から程近い荒地にて、荒々しい怒号と地を抉る爆音が、兵士たちの断末魔が絶え間なく響いている。
ビステッカ側の塹壕では、衛生兵たちが疲弊した顔で、負傷者たちの救護に当たっていた。いくら治癒術を行使しても、また次の患者が増えるのだから、たまったものではない。
「はぁ〜あ。オレたち、いつになったら帰れんだろうナ。イーサン、そこの包帯とって」
鳥頭の衛生兵が、翼の生えた腕をばさばさ鳴らす。彼は天鳥人と呼ばれる、鳥に類似した二足歩行の人種だ。尤も空は飛べないので、地上をバタバタ走り回りながら救護に勤しんでいる。
イーサンと呼ばれたポリマン人はというと、救急箱を開けて、うんざりしたように大きな息を漏らした。
「もうないぜ。俺のパンツでいいか?」
「ばっちイ!脱ぐナ!じゃあそこの旗寄越せ、そっちのがまだ使えル!」
「冗談だってカルル、怒るなよ」
「……あと7日耐え忍んで停戦に持ち込むか、屍になれば故郷の土は踏めるんじゃないか。私もいっそ最前線に出られたなあ」
「バカ言うなコルト、戦術師試験に落ちて治癒隊に流されたくせに。お前まともな爆炎術すら使えないんだろ?」
「そりゃ、<増血術>で相手の体の内側からパァン!と爆発させて……」
「【空上の死神】がその戦術用いて大量虐殺した件、もう忘れたのか?教科書にも<禁忌の術用法72条>の手法として載ってるくらいだ、軍法違反だからやめな。大人しく治療に専念しろ」
「ちぇ、いい案だと思うんだけどな……イーサン、水出してくれ」
コルトと呼ばれたザベン人(耳が蝶の翅の形をした褐色肌の人種)の衛生兵が、短い杖で負傷兵の患部を癒す。
彼の顔が揺れると、耳の翅からキラキラと鱗粉が溢れ落ちる。この鱗粉は毒だが、調合すれば痛み止めとして用いられるのだ。
兵士たちは痛み止めを塗られながら、苦悶の声を漏らしている。
「にしたっテ、なんでこんなに戦況が泥沼化してんダ?予定なら1週間前には砦を占拠するはずだったよナ?」
「クライン軍にサージ王子の精鋭が加わったせいだよ。あの陰険王子は耐久戦に長けてるって噂だぜ」
「サージって確か、クライン国王の養子カ?あのぱっとしない奴」
「腕は確かだよ。7ヶ月前に起きたパステールへの急襲作戦を成功させたのも、その王子だそうだ。従兄弟から聞いた」 とコルトが口を挟む。
「へえー。それでこのベルクベルにも派遣された、と。クラインはさっさとこの戦争を終わらせたいとみたな」
このベルクベルには豊かな鉱石資源が存在しており、当初ビステッカが「開発を完了した国土」として有することを決定したばかりであった。
この秘境地帯の鉱山はビステッカと、ビステッカの同盟国コンフォテュールとベジグラータとが共同運営する、大規模な鉱業組合が開拓し、掘削と採鉱に励んでいた。ビステッカにとってはこの採掘業は貴重な財源のひとつである。
しかしビステッカの決定に相次ぐかのように、クライン国が突然声明を出した。国境を跨いだ先の「ベルクベル」の面積6割はクラインの所有する土地であると主張し、これまでにクライン国領内の秘境地帯で採掘した鉱石分の金額を支払うべきだと要求。
ビステッカはこれを「ベルクベルはわが国と同盟国とが開拓した土地であり、現在はビステッカの国土である」とし、不当な請求だと突っぱねた。だがクライン国はビステッカより早く、秘境地帯が自国の所有地であることを証明した文書━━ホーロンやダダナランをはじめとする複数の国がこれを承認したとするもの━━を発表。その国々のいずれもがクライン国との友好国である。
ビステッカとその同盟国は、この後出しも同然で公開された文書が捏造であると反論し、その真偽も明かされないまま険悪化、国境線をかけたベルクベル戦争へと至ることになった。
「もう暦の上では春なのにぃ。早く帰らせロー!家でかみさんと患者が待ってんだヨォ〜!このままじゃうちの診療所が潰れちまう!」
「カルル、痛い、暴れんな。翼が当たる!」
「私もだよ、早いとこ村に戻って畑の世話しなきゃ。その点イーサンは身が軽いよな、独り身の傭兵なんてさ」
「うっせ!こっちは好き好んで一人を満喫してんだい!それに言ったろ、可愛い息子がいるってよお」
「ああ、弟子で息子の……マグニだっけ?クラインで離れ離れになった、行方知れずの。こっちでさんざん探してたけど、鉱山や少年兵の中にはいなかったもんな」
「そうは言ったってお前、根無草なんだロ。この戦が終わったらウチの診療所に来いヨォ。息子探しなら手伝ってやるし、ウチで助手として雇うゼ?オレたち、戦友なんだからサ!遠慮すんなッテ!」
「申し出は有難いけどよ、アテはあるし、やる事があるんだ。気持ちだけ受け取っておくよ、カルル」
彼ら衛生兵がいる地点は、クライン軍とビステッカ軍の歩兵隊が衝突し合う最前線から少し離れた地点だ。
通常なら火砲術師たちで編成された後方支援隊たちが作戦司令部の側に控えているが、現在は戦局の変化に伴って新たな作戦のために移動してしまっている。
治療を終えて、搬送担当の衛生兵に塹壕から引き上げた負傷者たちを受け渡したところで、奇妙な爆発音を聞いた。直後、地面が揺れる。
「……なあ、なんか北西の方が騒がしくないかカ?さっき交戦やめの号令が出てたよナ?」
「確かあっちは、クライン軍の戦術師部隊と補給隊が張ってるところだよな……え!?」
衛生兵たちは、北西側に立ち上る黒煙をみとめ、すかさず小型の望遠鏡を手に取った。
明らかにクライン軍が奇襲を受けている。食糧を載せた馬車が焼かれ、奪われ、ウマたちが慄きながら兵士たちを踏み殺している。
戦術師たちが奇襲者に杖を向けるが、魔術を放つより早く首を切り裂かれ、胸を突かれて倒れ伏していく。
だが奇襲者たちの装備を見るに、ビステッカ軍ではないことは明らかだ。黒煙に紛れて現れた、赤と金で彩られた旗を見て、コルトーが素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「六角晶の太陽と神樹の印!ハインバーグの旗だ!?」
「ハァ!?なーんでぽっとでの新国がこんなところニ?奴らは中立派のはずだロ!ボロ負けしてるこっちに加担してくれるのは有り難え限りだがヨ!」
「知るかよ!まさかビステッカと同盟を組んだのか?……おいおい嘘だろ!先頭に立ってるやつを見ろよ!」
コルトが興奮気味に望遠鏡をカルルへ押し付ける。
歪んだレンズ越しに見えるのは、黒い獅子の頭と翼を持つ魔獣に跨り駆ける、黒髪の騎士。その顔には無数の傷を刻み、煤けた浅黒い肌に、ギラギラと金色の瞳が輝いている。
「黒い獅翼馬に、金の瞳!間違いなイ、ナ・ブジ・エウシンヴァ将軍ダ!」
「漆黒の
その時、コルトの視線がふと上空を向いた。黒煙で染まる空から、流れ星のような光の筋が地面に何発も放たれる。
クラインの兵士に光が直撃すると、彼らは苦しみ悶え「助けて」と絶叫する。足は引き伸ばされて木の根に、腕は筋肉が削げ落ちながら無数の枝に、頭は縦に引き裂かれながら生い茂る梢となり、見事な樹木は変わっていく。たちの悪い悪夢を見ている気分だ。
光を放つ主は、背に大きな翼を生やした天鳥人の少女だ。ニコニコと無邪気な笑顔を浮かべ、淡く長い金髪を靡かせて、衛生兵たちの元へ徐々に降下していく。その顔を見た途端、カルルがさあっと青ざめた。
「ひっ!く、【空上の死神】スルーズだ!こっちに来るゾ!お、オレたち殺されちまウ!」
「下がれカルル!訓練通り、いざとなったら閃光術で目眩しして退避だ!」
怯えるカルル、杖を構えて先を少女へと定めるコルト。
しかしイーサンだけは慌ても騒ぎもせず、無防備に前へと進み出た。コルトはぎょっとして「危ない、イーサン!」と声を荒げ、引き留めようと手を伸ばす。だがその手はボロボロの上着だけを掴んで、ばさりとイーサンの体から剥ぎ取られた。
直後、二人の衛生兵の目に映ったのは、イーサンの背中に刻まれた刺青。六角晶の太陽と神樹の印。
イーサンは振り向きざまに、銀色に煌めく目を見開いたが、すぐに寂しげな笑顔を浮かべて、二人へ手を上げる。
「上官に呼ばれちまったんでね、ひと足先にここから抜けるぜ。二人とも、無事に帰るんだぞ」
「待てヨ、イーサン!行くナ!」
「裏切るのか!仲間だと思ってたのに!!」
「……達者でな、
怒りに声を戦慄かせ、コルトの耳の翅と杖先が紫の光を帯びる。
だがその杖先から呪文が飛び出すより早く、少女スルーズの細腕がイーサンの体をしっかり抱き上げ、あっという間に真っ黒な空へと消えていく。
スルーズはニコニコ笑いながら、「おかえり、イーサン」と頬擦りする。三十路すぎの男に十代の少女が恋人のような仕草をする様は、戦場には不釣り合いだ。
「もー、退屈だったよ。イーサンが居ないから、新しい術発案しちゃった」
「見てたよ、血が凍るかと思ったぜ。こりゃ<禁忌の術用法72条>が73条に更新されるのも時間の問題だな」
「えへへ〜、そんなに褒めても何も出ないぞー!それで、見つかった?マグニって子」
「いや、駄目だった。腕も立つし賢い子だ、もしかしたら最前線にいるかもと踏んでいたんだが……」
「まあまあ、元気出して!きっとそのうち会えるって!あ、ナ・ブジっちー!」
スルーズは戦場を駆けるナ・ブジ・エウシンヴァの元へ降り立った。すかさず従者が空きのウマを寄越し、イーサンはその背に飛び乗る。
周囲の雑兵を大剣のみで蹴散らし、ナ・ブジ将軍は愛馬を宥めつつ二人は視線を向ける。全身が返り血まみれだ。
「潜入ご苦労、イーサン・ハスコック。おかげで易々とクラインの背後を突けた。このまま適当に撹乱し、後の始末はビステッカに一任して我々は帰投する」
「はいよ。時に、クラインを敵に回して良かったんです?中立を保つんじゃなかったんスか」
「元よりビステッカとハインバーグの密約はそのうち、向こうに漏れる。こちら側の内部に内通者がいたが、一人逃してしまってな。
今頃は泡を食って、補給隊が潰されたことを本国に報告しているだろうさ」
「あーらら。……でも、それも策略のうちだったり?」
「おそらくクラインは本国から急ぎ、増援を寄越すだろう。その道中を更に叩き、別の軍勢で空いている砦をひとつ頂く。
クラインは戦争好きなあまり、軍力を分散させすぎた。その報いを受けてもらう」
「ほーこわこわ……しばらくクラインの国境線はどこも荒れるだろうなー。俺、クラインに行きたいんで、どっか新たに配属させてもらえませんかね」
へらへら渇いた笑みを浮かべるイーサン。
ナ・ブジは硬い表情のまま、飛んできた矢を短剣で叩き落とし、駆け寄ってきた雑兵を大剣ですかさず貫く。
「では新たに命を授ける。我らがヴィーザル王と合流し、新たな迷宮深殿を探し出せ。ディアファンの方にいるはずだ」
「拝命致しました、将軍様」
「ねーねーナブジっちー!私も行きたい行きたーい!実験も飽きちゃったしー!」
「駄目だスルーズ。先の残虐な術の行使について、しっかり反省と懲罰を受けてもらう」
「えー!まだどの軍法にも違反してないでしょー!」
「倫理観の問題だ、バカ!ヒトを木に変える術なんて戦場で使っていいわけないだろ!」
わあわあと騒がしく駆け抜けていく、ハインバーグの軍勢。
彼らの通る道に転がるは、クラインの兵士たちの骸と、哀れにも地に根を張る名もない木々たち。
この戦闘からわずか4日後、クラインの軍勢は退却を余儀なくされ、指揮をとっていたサージ王子は行方不明。
ビステッカと同盟国軍の辛勝という形で、この戦争は思わぬ終幕を迎えるのであった。
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