29話 ジョイナの勧誘


日の出をとっくに過ぎていることもあり、宿屋の食堂は空き気味だ。

作り置きのパン生地を焼いて、野菜がくったくたになるまで煮込んだミルクスープと薄切りの燻製肉、甘酸っぱいクベの実で作った真っ赤なジャムを朝食にする。

黄金色に焼けて湯気のたつパンに、ジャムとバターをべったり乗せると、ヴィオレッタが目をきらきらさせていた。

「パンにジャムをこんなに乗せていいの!?」とはしゃいで、嬉しそうに頬張る。


「凄いわ、お祭りで食べるパンみたいな柔らかさね!もっちもちだわ!しかも甘いわ!」

「ゴムパンだよ。王妃様なのに、あったかいパン食べたことないの?」

「ダダナランでよく食べるパンは、黒石パンっていうの。冷たいし、黒くてもっさりして、少し酸っぱいパンよ。それにジャムはつけないで、お肉やスープを食べるお皿にしたり、お野菜を盛って食べるためのものだったし」

「パンをお皿にするの?面白いね」

「お肉やスープでパンを少しずつ柔らかくして、色んな味がしみこむのよ。7日使ったらすっかりふやけて柔らかくなるから、好きな具を詰め込んで食べる。あれも美味しかったな~、腐りにくいから保存食にもなったのよ」

『懐かしいですなァ。ダダナランはパンと肉料理には力を入れるものの、当時は粗食主義がまだまだ強くて、我が王が即位してからは食事改革や作物の栽培数の増加、教育に食育や栄養学を必須にするという制度も入れまして……』


ヴィオレッタとモルトーは故郷の話をしながら、ゆっくりと平らげていく。百年も食事をしていなかったのだ、感慨もひとしおだろう。

ガルムは先にさっさと食事を終えて、「ひとまず今日一日は休め。俺様は用事がある」と告げ、食堂を後にする。ステラも「後片付けもあるし、次の旅支度もしなきゃ。三人は好きなようにしてていいからね」と皿を下げ、宿の厨房の手伝いへと向かった。

後には二人がぽつんと残され、マグニはヴィオレッタたちの話を、とつとつと聞いていた。最初は饒舌だったヴィオレッタだが、皿が空っぽになるにつれ、口調がだんだんゆっくり、たどたどしくなっていく。


「眠い?」

「んん……いっぱい食べたら……ぽかぽかして……」

「チフッ、チチフッ」

『沢山召し上がられましたからねェ』

「ベッドで寝なよ。ほら、立って」

「やだぁ……おんぶ……じゅーしゃは私の、あしでしょ~」

「(いや力強ッ。てこでも動く気なしじゃん……)まったく、しょうがないな……」


結局、ヴィオレッタを背負って、部屋まで連れて帰った。ベッドに優しく転がしても、少女はくうくうと夢の中。満腹の倖せな微睡みで、頬がほころんでいる。

モルトーは嬉しそうに寝顔を見下ろすと、「部下たちと一人ずつ話がしたいです。夜には戻りやす」と断りを入れて、窓から身軽に出て行った。あとには二人だけが残された。

丸くて柔らかい頬をそっと撫でていると、ドアをノックする音。ステラだろうか、と振り返ると、そこには見知らぬ金髪の女の姿。マグニより背が高く、すらっとして引き締まった体。その出で立ちは、一瞬男と勘違いするほどに立派だ。


「やあ。お邪魔してもいいかな」

「ど、どちらさまですか?」

「ジョイナ・トラン。アミリーの婚約者だといえば分かってくれるかな?」

「あ……」


まさかアミリーの婚約者が女だったとは!この世界では同性同士の夫婦はそう珍しくない。四つの性を持つポリマン人ならば尚更だが、ショウサイ村では同性夫婦がいなかったため、一瞬呆気にとられた。

沈黙を肯定と受け取ったか、「手出しはしないよ。二人で話がしたくてね」とウインクし、両手をひらひらさせると、中へ入り無遠慮に椅子へと腰掛ける。

ヴィオレッタの前に立つように身構えるマグニへ、ジョイナは「大丈夫、本当に何もしないよ。武器も持ってないだろ」と笑いかける。

それでも警戒心が解けないと分かると、やれやれと肩を竦めた。


「本当はあまり見せびらかすものじゃないけど……君の信用を得るためには致し方ないか」


いうや、ジョイナは長い金髪をはらって、両耳を晒す。

尖った両耳に手を当てて、短く呪文を唱えると、両耳の先端が徐々に萎びていく。ぐにゃぐにゃと変形した耳は、丸くカーブを描いた小さな形に変わっていった。

その意味を理解した瞬間、マグニはひゅっと息を飲む。


「丸い耳……!イリス!?」

「君もなんだろ。同類を見つけたのは久しぶりだ。会えて嬉しいよ」


見抜かれている。隠すことは出来ないと察して、マグニもおずおず耳飾りを外した。

丸い耳を見て、やっぱりね、とジョイナは笑う。妙に心が浮つく。また「ニンゲン」と話せるなんて、夢にも思ってみなかった。実に七年ぶりだ。ジョイナは改めてマグニの顔をまじまじ見つめると、口を開いた。


「実を言うとね、迷宮で君の活躍を見たよ。迷宮深殿の踏破、おめでとう」

「あ、ありがとうございます……?」

「君の話はアミリーから聞いてたけど、大したもんだ。"威圧"も使えて、過酷な試練を乗り越えられる者はそうはいない。

君の連れ……ガルムとステラだっけ。あの二人だって只者じゃない。だろう?どっちかはご主人様?」

「あー、はい、いえ……どうなんだろう……」


まさか世界征服を狙う元ダダナランの王弟です、とは言えない。

はぐらかした様子を前に「ま、色んな事情がありそうだから、そこはこれ以上つつかないでおこうか」とジョイナは一度言葉を切る。

やおら、懐から手鏡を取り出すと、マグニへ顔を見るよう促した。意図が読めないまま、よく磨かれた鏡を見つめると、マグニは「あっ!?」と声を漏らす。

マグニの灰色の目が、大粒の砂金を散りばめたような金色が浮かぶ、澄んだ銀の色彩に様変わりしてしまっている。まるで薄雲に霞む星空のようだ。


「ど、どうして?前まで汚い灰色だったのに」

「迷宮深殿を踏破したからさ。過酷な試練を乗り越えたイリスは、神の色……つまり黄金のマナへと変質するんだ。

マナの質がかなり上昇して、マナそのものを視る力を得た証だよ」

「き、気づかなかった……あれ、ジョイナさんの目も金色ですね。もしかして……」

「察しの通り。私も迷宮深殿の踏破者だからね。もちろん、君以外のイリスにも何人かいるよ」

「……!!」


ジョイナの言葉の意味に、少年の肌が粟立つ。

自分以外にも、イリスの冒険者が存在している!しかも彼等は迷宮深殿を攻略するだけの実力者ということだ。

尚更、彼女は何故声をかけてきたのだろう。同じイリスとしてのよしみから、だけとは思えない。その疑問には、まもなくジョイナ自身が答えることになった。


「御託を並べるのは得意じゃないから、簡潔に言おう。マグニ、君を勧誘しにきたのさ」

「勧誘?」

「そう。。虐げられているイリスたちを集めて保護し、この世界の常識を覆す!イリスが他の人種と同様に、平等に生きていける世界を築くんだ」


しん、と部屋が静まり返る。少年は反応に困って、向かい合う少女と見つめ合う。

ジョイナの瞳は真剣だった。冗談でも、妄想を騙っているわけでもなく、まっすぐこちらを見つめてくる。

ガルムがこの世界を征服すると宣言した時と同じ、夢を見て本気で叶えようとする、魅入られるほどに輝く覚悟の目だ。

ここでふと、マグニは己がどうしたいかを考えた。彼女の本気には、自分も本気で、自分の想いを答えなくてはならない。

暫く痛いほどの、ほんの少しの静寂が二人の呼吸に紛れていた。マグニは背筋を正し、


「お誘いは嬉しいです。でも、一緒には行けません」

「……あのご主人様たちが理由?」

「僕には、やりたいことと、やるべきことがあるからです」

「やりたいことと、やるべきこと、か。聞いてもいい?」

「僕がです」


澱みなく、その言葉が出た。我ながら少し驚きだが、これがマグニの今の本心だという自信があった。

今度はジョイナが目を点にして、言葉を失う番だった。目の前で餌を失ったボンチフのようにあんぐりと口を開けて、マグニの顔を凝視し硬直している。

だが直後、ふっと息を漏らすと、弾かれたように「アッハッハッハッハ!」と仰け反るほど笑いだす。その大笑は嫌味のない爽やかで、愉快な漫才を楽しむかなような無邪気な笑い声だった。

その笑い声でヴィオレッタが「うるさいわねぇ……」とモゾモゾ起き上がり、ジョイナを見るやぴゃ!と跳び上がってベッドから転がり落ち、マグニの背後に隠れる。

その様子がまたツボに入ったのか、また噴き出して体を震わせた後、笑いを噛み殺しながら問いかける。


「その言葉、本気なんだよね?」

「はい。知らない誰かの夢に乗っかるより、自分でしたいことを、自分が何が出来るかを探したいのです。

例えそれが無謀で、途方もなくて、叶うかどうか分からないものだとしても、僕はその夢を一緒に追いかけたいんです」

「……そう。迷いも曇りもない目だ。人を誑かす才能があるよ。アミリーが君に惚れたら殺してたね」

「へ」


今なんて言った?思わずジョイナの顔を二度見する。顔こそ笑っていても目は本気だ。

面食らったマグニを置いて、ジョイナは立ち上がり背を向ける。

そして去り際、マグニに向けて小さなものを投げつけた。咄嗟に掴んだものは、金色の通行手形。翼と太陽、そして木にも似た5本指の手の印章が刻まれている。


「これは……」

「あげるよ。気が変わったら、私たち<マン・フリー>はいつでも君たちを歓迎する」

「あの、どこへ?」

「私たちはそろそろ発たないといけなくてね、これでお暇するよ。アミリーが待ってるんだ」

「ちょっと、待っ……アミリーに伝えていただけますか!僕によくしてくれて、ありがとうございますと!」

「ハインバーグに寄ることがあったら、私たちを探してくれ。その時に自分で直接言いな〜」


咄嗟に追いかけようとしたものの、怖がるヴィオレッタが背中にしがみつくので、結局その背中に向かって声をかけるしか出来なかった。

ジョイナはマグニを一瞥もせず、呑気にひらひら手を振って部屋を後にする。

通路を出て階段まで差し掛かったとき、ちらりとジョイナは通路の一角を見やった。そこには音も気配も完全に断ち、昏い金色の双眸を光らせたガルムが、睨みつけている。つくづく作業着がおそろしく似合わない男だ。


「……そう怖い顔しないでよ。勧誘は失敗したし、手出しはしてないんだからさ」

「それにしては、物騒な言葉が聞こえたが」

「私、こう見えて嫉妬深いんでね。牽制ってやつ」

「人様の所有物に手を出そうとした奴が言う台詞か?」

「おっと……もしかして焦ってる?あの子にお熱って感じだもんね」


突き刺すような殺気が、ガルムの影から漏れ出る。しかしジョイナは意にも介さない顔で「おおおっかなーい」と茶化した。

一触即発もかくやの空気の中、それを壊すように「ガルム!いつまで油売ってるの!戻ってお掃除手伝いなさい!」とステラが呼ぶ声が上階から聞こえてくる。

行ったら?と親指で示すと、やっとガルムから放たれていた殺気が溶けて消えた。掃除用具を片手にずんずんと巨体がジョイナとすれ違う。

その一瞬に、ジョイナはガルムへ囁く。


「ここ最近のクラインは物騒だ。特に南へ行くことは勧めないよ。そうだな、北東なんかが良いよ」

「……フン、小娘に指図される謂れはない。失せろ」


振られちゃったね、とジョイナは笑い、階段を軽やかに降りていく。宿屋を発つのだろう。

その一挙一動を睨みつけながら見送っていると、また上階からステラが「ねえ!屋根の掃除、一人でやらせる気なの?貴方も手伝うのがお仕事の条件なんだからね!」とまた喚く。

「うるさい、今そっちに行く所だったんだ、馬鹿」と罵り返して、ガルムは面倒くさそうに、ずんずんと屋根に続く階段を上がるのだった。




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