28話 新たな朝
──翌朝。宿の外から響くむさ苦しい喧噪で、マグニは目を覚ます。
何事だろう。ベッドからもそもそと起き上がって、窓から見下ろすと、宿の裏手に人だかりが見えた。
「うおおーっ!も、モルトーさん、お労しやッ……!」
「お頭が……お頭が、そんな愛らしくてちっこい姿になっちまうなんてーッ!」
『致し方ないことなんだ。私の体はどのみちもう寿命だった、受け入れてくれ、お前たち』
厳つい男たちが、ガルムとステラを取り囲んで大騒ぎしている。
記憶が正しければ、モルトーと共にいた冒険者たちだ。中には宿屋で一悶着あった者たちもいる。
ガルムの両手にはチョコン、とチチフが乗っかって、小さな前脚を振り回しながら、手下たちに「落ち着け!」と相変わらずギャップ満載の声で喚いた。
『私はこの人達に着いていくことにした。お前達も立派に育った。これからは巣立ち、それぞれの道を行け。モルトー団はここで解散だ!』
「そんな!あんまりですお頭~!そんなちっこい体でどうするんです!」
「あっしらも着いていきやす、モルトーさん!」
「置いていかないでください~!まだオレたちにはモルトーさんが必要なんですよ~!」
「お供します!どんなことでも役に立ちますからぁ!まだまだ教えてほしいことが沢山あるのに!」
小さなチチフを取り囲んで、むくつけき冒険者の男たちがわあわあと泣き崩れる様は、なんとも愉快なような、痛ましいような。
『お、お前達……!そんなに私のことを頼ってくれるなんて……!』とモルトーも感激のあまりチーチーと泣き始める。
異常な光景と男達の噎び泣く声は、いやでも目をひくもの。道行く冒険者たちや宿屋の従業員が、なんだあれと言わんばかりの胡乱な視線を向けるので、いよいよガルムの堪忍袋の尾が切れた。
みちみちに押し寄せる男たちを残らず蹴り飛ばし、怒鳴り合いの喧嘩が繰り広げられる。
「ええいッ暑苦しい見苦しい未練がましいぞ貴様等ァ!いい加減離れろッ!それでも一端の男かッ!」
「だってぇ~!俺達からすれば親父も一緒なんだぞ~!」
「おしめだって替えて貰ったんだぞこちとら!オイラたちから父親を奪うのか!!」
「巣立ちという言葉を知らんのか!ウマですら生まれて一時間で一人で立つというのに!」
「まあまあ皆様……ゆっくりお別れの挨拶をなさってください。ね?時間はありますから」
ステラが諫めに入るものの、モルトーの部下達とガルムの口論が止まる気配はない。
あれは暫くは揉めるだろうな……と眺めつつ窓を閉めた。生憎、止めたくても、止めに入るだけの気力と体力がない。
ふうっと溜息をついた矢先、背後から布擦れの音がする。振り返ると、ヴィオレッタがベッドから這いだして、緩慢な動作で座り込んでいた。
長い眠りから覚めて、まだ体と意識が追いついていないのか、とても眠そうだ。急いでマグニは、まだ痛みに引きつる体に鞭打って、ヴィオレッタに近寄る。
「おはよう、えっと……ヴィオレッタ。僕のこと、分かる?」
「…………マグ、ニ……?」
「そう、マグニだよ。ここはコマタの宿屋。お腹はすいてる?」
「んん……」
大きな金色の目が、何度かぱちぱち、と瞬きしながら返答する。
ヴィオレッタは緩慢な動作で、ゆるゆると背を向けると、当然のように「ん」と頭を差し出した。
意図が掴めないでいると、ヴィオレッタは「髪。結いなさいよ」と眠たげに睨んでくる。幼い姿なのに、放たれる威圧に思わず気圧される。
視線に負けて、「あっはい」と小声で返し、マグニはいそいそと備えつけの机に向かい、櫛を手に取った。
ヴィオレッタの髪は、百年の時を感じさせないほどに、艶やかでさらさらと手触りがいい。王妃という肩書きも納得だ。
一方で、「ちゃんと可愛く結いなさいよね、ダサい髪型にしたら容赦しないわよ」と、居丈高な態度で要求してくるさまは、我儘な小娘そのもの。
長い髪を手早く、耳の上でそれぞれ二つにまとめて、ステラがいつも持ち歩いている髪紐で縛る。
長い髪が左右対称に、尻尾のようにゆらゆら揺れる。鏡で確認して満足すると、ヴィオレッタはマグニを見上げた。
「(まだ王妃様の時の記憶で止まってるのかな……)」
「ねえ、王様はまだ?モルトーはいつになったら起こしにくるの?」
「そ、れは……覚えてないの?」
その矢先、部屋の扉が開く。ガルムたちが戻ってきたのだ。
ヴィオレッタが扉の方を振り返ると、ガルムの姿を見るなり「王さま!」と弾かれたように立ち上がって、よたよた駆け寄る。
だが顔を間近で見た途端、はっと息を飲んで、悲しそうに数歩後退り、ベッドにぽすっと座りこんでしまった。
「…………私の王様じゃ、ない」
「ほう、流石に二度は間違えんか」
「王様、……どこ?モルトーは?う……ふえ……う……うええええ~~~~~~ん!!」
「な……なぜ、泣く!?おい、お、俺様のせいか!?やめろ!俺様は泣き喚く子供は嫌いだ!」
じわ、と金色の双眸に涙が溜まったかと思うと……いきなり大声を上げて泣き出してしまった。
さしものガルムもギョッと驚き、固まる。ステラが「なに泣かせてるのよ!」と非難し、ヴィオレッタを抱きしめる。
「俺様のせいじゃないだろ!」と苦し紛れに喚くガルム。チチフも飛びだして『ヴィオレッタ様!モルトーはここにいますよ!』とモルトーの声が必死に少女を宥めた。ガルムは居住まい悪そうに、関わりたくないとばかりにそっと部屋を出て行く。
十数分ほどかけて泣き止ませ、ヴィオレッタが落ち着いたところで戻ってきた。
「さて……今一度、どこまで記憶があるか確認しておこう。貴様、名前は?」
「ぐすっ……ヴィオレット・ミルトニア・オールストン……」
「あれっ。ヴィオレッタ、じゃなくて?」 マグニが問いかけると、ヴィオレッタがきっと睨んだ。
「そっちは王様とモルトーだけが呼んで良い愛称よ!従者のくせに
「じ、従者ぁ?」
「そうよ!あなた、勇者なんでしょ。勇者はプリンシアを支える人なんでしょ。じゃあ私の従者ってことじゃない」
「なっ……」
なんだその理論は。マグニは呆気にとられたが、モルトーは横で『一理ある!』と頷いている。
だがこの自信満々な態度を前にして、奴隷根性が染みついたマグニが反論出来るわけもなく。良いわけあるか、という言葉をなんとか飲み込んだ。
ガルムが次々と質問し、ヴィオレッタは記憶を頼りに答えていく。
「歳はいくつだ?」
「きゅう……ううん、十歳になったわ、春の収穫祭の時にね。国の皆で大きなお祝いをしたの」
「ダダナランの地名は?」
「全部覚えてるわ。夏から秋にかけて、王様と三……四ヶ月くらい、一緒に視察したもの」
「パブリ語が随分うまいな。百年前のダダナランの母国語はダール語だろう」
「モルトーに習ったのよ。私、歌と言葉を覚えるのは昔から上手だったから、色んな国の言葉を勉強したの。すごいでしょ」
ヴィオレッタは質問されるごとに、少しずつ覚えていること、忘れていることを自覚し始めた。
昔のこと──特にダダナランで生活していた頃ならば何でも答えられるようだが、記憶はどうやら十歳前後で止まっているらしい。
魔術に関する記憶も殆ど抜け落ちていて、モルトーに教わった知識程度に留まっている。
だが、勇者に関する伝承、プリンシアのこと、家臣達に裏切られたあの雨の日のことや、迷宮での記憶、マグニのことはしっかり覚えていた。
モルトーが小さなチチフに憑依した経緯も、なんとなく理解しているようで、「苦労をかけちゃったわね」とチチフを撫でて抱きしめる。
しばらく問答が続いた後、今度はヴィオレッタが疑問に切り込んだ。
「ねえ、貴方は何者?なんで王さまにそっくりなの?姿だけじゃない、目の色も、声も、何もかもそっくりだわ」
「……答える必要があるか?」
「耳の形と匂いは違うけど、分かるもの。マナの質や濃さも王さま自身みたい。それに……竜を倒せる人は、そういない。
ガルムは唇をへの字に曲げて、むっすりと黙り込む。
そういえば、彼は出自はおろか、経歴もまともに語ったことはなかった。罪人であること、ファンタジアの「外」という場所から来たこと以外、彼の過去については一切知らないままだ。自身の過去について触れられることを嫌がっているようにも見えたから、マグニもこれまで無闇に問えずにいた。
ステラが眉尻を下げて、ガルムと目配せすると、ゆっくり首を縦に振る。やれやれ、といわんばかりにガルムは鼻を鳴らすと、やっと口を開いた。
「──貴様等のいう「王」、ダダナランの王、ロボ・フェンリル・ダダナランは……俺様の、実の兄だ」
「…………あ、兄ぃ!?」
『道理で瓜二つなわけです!ウルラン人は兄弟でよく似るといいますしね!』
「いやでも、王様って百年前の方なんですよね?……今何歳なんですか!?」
「このぶっちゃけを聞いて、まず気にするところが
思わぬ言葉に、マグニもモルトーもヴィオレッタも、同時に驚嘆の声を上げる。
だがマグニが驚くのも無理ないこと。通常、ウルラン人の平均寿命は55歳くらいだ。明らかに倍以上は生きている計算になる。
興奮する三人を手で制して、「だから話したくなかったのだ」と言いたげに大きく溜息を漏らす。
しかしヴィオレッタは「でも、私、貴方に会ったことはないわ。王さまの弟なのに」と突っ込むと、今度はステラが言葉を続ける。
「百年前であれば、この人は罪人として729の罪状の判決を受けて、ずっと私たちの国で収監されていたの。だから貴方が知ってるはずもないわ、国の外どころか、監視もなしには、お手洗いにも行けないもの」
「なっ……729の罪状?とんでもない大悪人ってこと?」 ヴィオレッタは少し慄いて、すす……とガルムから距離を置く。
「まっ歴史上ではそうなっているな。世界中の教科書や歴史書で、俺様の悪口を叩かれ放題だ。おかげで有名人だよ、サインいるか?」
「と、とにかく、その罪を購うため、私たちは贖罪の旅をしているの」
ステラが言葉を遮り、あの銀の天秤を出現させた。すると、天秤の片方の盆には、以前よりも善行の証である白い石が幾つか増えている。
この善行の証が、罪の重さを表わす石と釣り合ったとき、神との謁見が許され、故郷に戻れるのだとステラは語った。
ヴィオレッタは戸惑いながらも、「じゃあ、今は良い人になる修行の最中ってことね!」と納得はしたようだ。
説明が終わると、再びガルムが口を開く。
「今後だが、ヴィオレット王妃。貴様にも旅に同行してもらう。……マグニがそう望んだからな」
「! 本当に……いいの?だって私……この国で暗殺されたのよ?もし生きてて、外に出ているって知られたら、危ないわよ」
「うん。約束したからね。一緒に王様を探しに行こうって。大丈夫、君のことは必ず守るから」
「それに、危険で言えば俺様の方が上だ。クライン国の植民地となったダダナランは現在、クライン王の親族がダダナランの政権を握っている。だが王弟の俺様の存在を連中が知ったら、向こうも黙っちゃいないだろう」
「もし……王さまが死んでしまっていたら、貴方が本来、次の正統な継承者だから?」
「そういうことだ。国民が正統な王の帰還を望んでいるとしたら、俺様の存在は脅威というわけだ。ククク……、兄と国を奪われた弟としては、いずれはこの国にお礼参りをせねばならん。腕が鳴るなあ?」
「また悪いこと企んでる顔して!国を相手に単身で戦争なんて論外ですからね!」
『坊ちゃん、なんでこの人は自分が危ない目に遭うって分かってて、こんなに楽しそうなんです……?』
「危険と冒険が大好きな人なんです。こういう性分なんですよ」
『成程ね。頼り甲斐はありますな……頼る相手として正解かどうかはさておき……』
とはいえ、とガルムの尻尾が少し下がる。
「兄上は間違いなく生きている、それだけは断言して良い。まずはこの世界のどこかにいる兄上を探し出し、合流することが第一目標だな」
『アテはあるんです?』
「この国の中でまず情報を探す。当分は貴様等も身分を隠すほかないだろうな。流石に百年も前に消えた王妃の顔なぞ、いちいち覚えているヤツなど希有だろうが……」
話しているさなか、ぐううううう!とヴィオレッタの腹から、腹の虫が喚く音が部屋じゅうに響く。
続けて張り合うかのように、ぐうううううう!と腹の音が、マグニの腹からもひとつ。
互いに大きな音に驚いて目配せしあったあと、顔を赤くしながら、皆が同時に「ふはっ!」と噴き出して大笑い。
ひとしきり笑い疲れると、ステラがそれぞれの顔を見やって、にっこり笑う。
「まずは、朝ご飯ね!実は宿の厨房を借りて、美味しいパンを焼いておいたの。一緒に食べましょ!」
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