19話 牙を剥く迷宮


深い森の中を探索すること、しばらく。

道中、何度かヴァルフルやアダマワームといった魔獣に襲われながらも、マグニ達は難なく先へと進んでいく。

モルトーが戦いに場慣れしていることもあったが、常に背後でガルムが厳しく指示していたので、マグニは眼前の敵にのみ集中し、ひたすらに経験を積んでいた。


「怯むな!固い装甲の敵はひっくり返して腹を攻撃するか、装甲の継ぎ目を狙え!」

「はいっ!」

「敵から目を反らすな!頭は低くし、正中を隠せ!常に全ての方向から敵が来るつもりで意識を向けろ!」

「は、はいッ!」


素早い敵を相手にしても、後方ではステラが魔術で支援してくれる。

補助魔術のおかげで敵の動きを見切りやすくなり、ガルムと同期しているからか、回避のタイミングも掴めるようになっていた。

戦闘が終わっても、グリファントの群れと戦った時には感じた疲労や筋肉痛の反動もない。ステラ曰く、「迷宮深殿の中は、より濃度の高いマナに満ちているから、肉体への反動が緩和されているのかも」とのこと。

倒した魔獣の数が五十を超えるころ、一行は魔獣のいない静かな泉を見つけ、ここで一度休憩を挟もうという運びになった。

清らかな水面をじっと見つめつつ、ふとマグニの口から疑問がするりと漏れ出た。


「本当に室内、なんでしょうか。水も飲めそうだし、魔獣たちも生きている……んですよね?本当に厄災が生み出している、おぞましい存在とは思えません」

「まあ実際、室内とは言い切れませんねェ。迷宮なんて呼ばれちゃあいるが、実態はちょっとした小規模な異世界だ」


その問いに答えたのは意外にもモルトーであった。

拾い集めた薪に器用にも火を付け、赤々と燃える火を眺めながら、朗々と語り出す。


「迷宮神殿の謎はまだまだ奥深い。

分かっていることといえば、内部の動植物は可食可能な個体も存在すること、濃密なマナが一定の数値を保ち循環していること、金銀財宝の類いは高濃度のマナで形成されているために価値が高いこと、迷宮深殿の主を破壊するか打倒すれば、迷宮深殿はその形状を保っていられず崩壊するということ……くらいですかねえ。

マナは虚の素を主として時空間の歪みを生み出すことがままあるんだが、厄災の主自身の持つ心のシンボルや精神状態が虚のマナと作用して無空間を創造、核となる厄災のエネルギーと接続したマナ印加の暴発が局地的に発現する。

周囲の建築物や生命体を飲み込み、吸収された情報をマナが模倣し、常に拡張し続ける多重次元構造の複次元的空間を生み出してる、だとか聖都の連中が発表してましたが、私の考察としては……」

「じくう……?マナいん……?たじゅ……?」

「……って、お子ちゃまにはちょっとむつかしすぎる話でしたかねえ」


ぽんぽんと出てくる難しい単語の濁流。話の流れについていけず、マグニは目が点。

その様子にガルムもふっとからかうような笑みを浮かべながら、仕留めたアダマワームの装甲を器用にバリバリと剥いでいく。

その横でステラが「うそっ、それ食べる気!?」と喚いているが、聞く耳を持つ気はないようだ。


「要は、迷宮深殿には核となる主がいて、その主が膨大なマナを利用し、この無限の空間を生み出しているということだ。ある意味で、限られた時間と空間を再現した、天地創造の疑似的な模倣……とでも考えれば良い」

「それって、かなり凄いことなのでは?」

「とはいえ、常に不安定な状態だし、その様相は固定じゃない。それは世界として正しくない状態だ。そんなものがわんさかと世界に沸けば、世界の秩序そのものが崩壊し、地形も生態系も乱れる。

厄災討伐は、この世界ファンタジアの統治の為には、避けて通れぬ道というわけだ」

「むむむ。目的は邪悪そのものだけど、その過程が善行として真っ当だから止めるに止めれないッ……!」

「フン、抜かせ。俺様が改心して品行方正な模範的紳士になるとでも考えているなら、とんだお門違いだ」


ガルムはぷりぷりで土にまみれたアダマワームの身を水で洗い、ぬめりを落とす。

腹を捌いて内臓の類いを全部搔きだし、余計な筋や尖った部位を次々切り落としておろしていく。ヴンダー平原で摘んでいた、辛味のある薬草で白く弾力の強そうな身を包んで、串で刺していき、火でこんがりと炙る。

そのうち、香草で包んだ鶏肉を焼くような、食欲をくすぐる不思議な匂いが漂い始める。


「ええ……本当に食べるのぉ……芋虫じゃないですか……」

「ワームの肉くらいでグダグダ抜かすな、これまで携帯食で保ち続けていたから金がかかるんだろうが」

「せめてヴァルフルの肉にすればいいじゃない。あっちのほうがまだ抵抗ないわよ」

「ダメだ、あんな痩せた肉どもじゃマグニの精がつかん。だいたい好き嫌いするな、俺には散々野菜を食わせるくせに」

「野菜は必要な栄養だからであって、そもそも保存食持ってきてるのだからそっちにすればいいでしょう!わざわざ芋虫なんて!私が得意じゃないの知ってるクセに!」

「じゃあお前だけ食材を無駄にするか?ん?無益な殺生は蛮行だとあれほど口を酸っぱくして言ってたお前がか?んん~?」

「ぐ、ぬぬ……!」


半泣きになりながら、こわごわワームの丸焼きを頬張るステラ。

「くっ……普通に美味しいっ……!悔しいっ……!素朴で淡白な味付けに香草のツンと鼻を抜けていく香りとピリッとした辛味がクセになる……!肉も硬すぎずちぎりやすい口当たり……!芋虫なのにっ……!!」と感想がとめどなく溢れながらも、むしゃむしゃと頬張っていく。

ガルムお手製のワーム香草焼きに舌鼓を打ちながらも、マグニはちらりと、隣で粛々と串焼きを一口ずつ齧るモルトーを見やった。

眉ひとつ動かさず、指先を汚すことなく、肉汁一滴も溢さないで口に運ぶ所作は、一朝一夕で身につく器用さではなさそうだ。

初対面からしてあまり良い印象はない一方で、マグニはこのモルトーという男に興味が湧いていた。

視線に気づくと、モルトーは「どうしたんだい、坊ちゃん」と剽軽な声でマグニへ声をかけたので、少年は思い切って胸の内にあった疑問を漏らした。


「あの、ダダナランの宝ってどんなものなんですか?」

「━━どんな、か。言葉にするには、少し難しいねェ」


モルトーの片目が、焚き火へと向けられた。緋色のかけらがぱちんぱちんと爆ぜるのをじっと見つめ、整った横顔が物思いに耽る。

それ以上の返答はなく、沈黙と火の爆ぜる音ばかりが続く。もしかして聞かれたくないことだったろうか。謝ろうかと思った矢先、モルトーが再び口を開いた。


「サクラという花を知ってるかい」

「へ?サクラ、って……花のですか?」

「ダダナランのスプレの時期だけに咲く、淡い薄紅色の花さ。雨風が少し舞うだけで散り、花開く時期もわずか半月ほどだけ。

だが一度咲けば、空を一面の花絨毯に変え、春の芽吹きと美しさ、命の息吹をまざまざと教えてくれる。──だがダダナランの宝はそれ以上に、儚くも美しく、俺にとっては価値あるものなのさ」

「はあ……」


やけに抽象的かつ詩的な表現で締めくくり、モルトーはまた胡散臭い笑みを浮かべて「腹ごしらえも終わっし、少し進みましょう」と声をかける。

はぐらかされたのだろうか。結局宝が何なのかはぴんと来ないままだった。何となく華々しい宝石のような印象を受けるが、どうにもその全容は靄がかかっている。

それほどまでに独り占めしたい宝ならば、何故ガルムや自分たちに声をかけてきたのだろう?迷宮深殿は確かに恐ろしい場所かもしれないが、戦闘におけるモルトーの腕前は申し分ない。わざわざ見ず知らずの者の手を借りるほどのことだろうか?


「……ん?」


泉に目を向けたとき、マグニは思わず動きを止めた。

水面は、マグニの顔を反射している。──だが、その背後に、何者かがいる。

若い女だ。長く、サクラを思わせる淡い薄紅色の髪に、まるで陶器を彫ったような、あどけなさの残る白い肌に、愛らしい顔立ち。その大きな双眸は、ガルムとは違う淡い金の瞳だ。

思わず振り返るが、誰もいない。ぱっとまたマグニが水面に目を向けた時、不審に思ったモルトーが「どうした、坊ちゃん?」と近寄った。

刹那、水面からぬるうっと白い腕が伸びて、マグニをズルッ!と引きずり込む!


「うわあああああっ!?」

「チフーーーーッ!?」

「なっ、坊ちゃん!?」


水面に取り込まれるマグニを助けようと、モルトーがその体を抱き上げようとした。

だが少年の体にしがみついたまま、モルトーも水面の底へ、激しい水音と共に引き込まれていく。

騒ぎに気づいたガルムとステラが、急いで泉へ戻ると、まさに二人が水底へと取り込まれるさまを目撃したところであった。

ガルムが舌打ちし、泉を覗き込む。二人の姿はなく、透明な水の揺らぎがあるばかりで、底が見えない。


「クソッ、油断していた!まさか迷宮深殿が冒険者を取り込むなど……!ステラ、二人とチチフのマナを探れ!」

「今やってるけど、こんなこと初めてだわ。濃密な虚のマナが邪魔をして、あの子たちの気配をキャッチできない!」


その時だ。二人の周辺の地面が膨張し、激しい振動と共に崩落を始める。泉もまた水面が激しく揺れ、まるで水そのものが意志を持つが如く膨らみ、水が弾け飛ぶ。

フィールドの魔獣たちは異常事態に怯えながら右往左往と逃げ回り、中には樹木などに激しく頭を打ち付けてひっくり返る。

やがて轟音と共に地表がバカリ!と砕き割れ、巨大な影がぬるぅり、と姿を現した。


「な、あ、あッ……!?」

「……おいおい。一体どういう心変わりだ?」


巨大な影が、木々の梢を突き破り、シャアッと掠れた鳴き声を発した。

その頭部は狼にも似た女の顔、裂けた口には一対の鋭い牙が水の反射を受けて輝く。長い喉と胸部は、ごわついた毛ときめ細やかな蛇の鱗に覆われ、複数の乳房が無造作に揺れている。関節などなさそうな両腕の先、手のような部分は鳥の如く厳めしい皮膚と爪が突出し、下半身は芋虫と蛇を掛け合わせたような不気味な姿。おまけに、背から腰にかけて、皮膜のついた翼がばさり、と荒々しく風を巻き起こす!

ステラは杖を構えて牽制の鎌鼬を放ち、距離を取りながら、その全容を見上げて生唾を飲む。


「こ、これは……婚姻の女神ミルトニアの使い魔が一柱、【メリュジーヌ】!?」

「フン、か。読めてきたな、ダダナランの宝がなんなのか。

しかし今はマグニたちの救助が先決だ。ステラ、の許可を寄越せ」

「! でも……」

「不本意だろうが、二人を救出するためだ。一の鎖のみでいい、この層をぶちぬいて、下層にそのまま飛び込む!お前とて、二人の命は惜しいだろう!」

「……その言葉に偽りはありませんね?もう、これ乱用させたくないんですけど!」


メリュジーヌの咆哮が、階層の夜空に轟々と響き渡る。

普通の獣や冒険者ならば、その不愉快で耳障りな声に竦み、動けなくなっていただろう。だがガルムは涼やかな顔で、「音痴ヘタクソめ」と罵りながら、鉤爪を振り下ろしたメリュジーヌの腕を片手で受け止める。

ガルムを中心としてズンッ!と激しく地が揺れ、彼の足元が凹む。だが構わず、ガルムはメリュジーヌの全体重を受け止め続けている。

何度もメリュジーヌの巨体がガルムを上から殴りつけるたび、周囲の地面に強烈なヒビが入り、地が揺れる。

その様子を見つめながらも、ステラは杖をくるりと回し、目を閉じて詠唱する。


「【──告げる。月をば喰らう魔狼を縛る鎖。

縛るは九つ、この世から失われし世界の神秘。

これ即ちポリマンの小指、ウルランの足音、エルーの髭、ドゥナラの足、ミーマンの吐息、天鳥の唾、カナメの唾、アルマスの肉、ジャガントの安息。

九象を糧に貪り喰らう枷よ、円環世界に仇なす咎人の楔を、その頸に刻まれた輪を、我との繋ぎをば解放せん!】」


詠唱が終わった。直後、ガルムの右手から鎖の砕け散る軽やかな音が響く。

その右手から枷は消え失せ、代わりに妖しげな赤い光をたたえる、一振りの杖が握りしめられていた。

杖そのものからは禍々しい炎の影が揺らぎ、杖の半分は黒曜石のような光沢をたたえる刃で出来ていた。

ガルムは右手て軽く一振りすると、その先端を地面へと向ける。


「一の鎖、解放。その名は害なす魔杖なれば。地を飲み水を枯らし、果てなく燃え盛れ──レーヴァティン!」


まさに、一瞬であった。先端から噴き出す獄炎が、泉へと向けられた刹那、泉の水が悉くに蒸発し、一閃の炎が巨大な穴を穿つ。

噴き出した炎の余波がメリュジーヌの表皮を焼く。すかさずガルムの左腕が、駆け寄ったステラを抱き込んだ。崩落していく地の穴へと、二人とメリュジーヌは吸い込まれていく。

やがて、夜の森の階層に残されたのは、レーヴァティンから噴き出した、消えることのない炎のみとなったのだった。


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