17話 迷宮深殿 <ビフレスト>
時は少しだけ遡る。
一方、コマタの町長が住まう家屋に、アミリーは足を運んでいた。
長時間、商談や会議が続いていたらしく、やっとお開きという空気が漂っている。
アミリーは顔馴染みの面々──商人ギルドの面々や、コマタで新たにギルドを運営することになった組員達、そしてコマタの町長らに挨拶して回る。
町長宅で食事や酒を楽しむ面々、明日の活動について相談する声がとびかうなか、視線をめぐらせ、客間の一角にあるソファに目を留めた。
ソファに座る二つの人影を見つけ、アミリーは手を振る。
「ジョイナ!ナダ!ここにいたのね。随分あちこち探したのよ」
声をかけられた二人は、難しい顔を浮かべて、テーブルに広げた地図を睨んでいた。アミリーの声に気づくと、二人ともぱっと顔を上げる。
ナダは中性的な淡い金髪の青年だ。
肩まで切り揃えた髪は前後同じくらいの長さで、刺青の描かれた広い額を惜しげもなく晒している。群青の混ざった紫の瞳は、眠気に負けて気怠げだ。
一方でジョイナと呼ばれた長身の少女は、やや焦茶の混じる金髪を雑にまとめて、やや幼さの残る愛らしい顔立ちには、銀に橙の亀裂が走る瞳が煌めいている。
彼女は農夫の格好のままで、服も泥にまみれていたが、アミリーは気にせず近寄る。
「アミリー、おつかれさま。宿屋の仕事は終わったの?」
「ええ、お掃除とか準備はちゃんとすませてきたわ。それよりジョイナ、どうしたの?そのカッコ」
「ゴムの木畑の手伝いに行ってたのさ。昼間は面白いものが見れたよ、美女の魔術師がどでかい雷呪文を使っててね……」
「まあ!後でベッドの中でたくさん聞かせてちょうだい、ジョイナ」
筋肉質な両腕でアミリーを抱きしめた。がっしりと硬い腕に抱かれ、アミリーは頬を染めて、恋人の豊満な胸に顔を埋める。
暫く熱烈に抱擁し合う二人を見て、ナダが「それ以上肌と肌をくっつけたいなら、自分たちの部屋でやってくれ」と窘めると、やっと二人は体を離した。
「それでどうしたの、二人とも。とても怖い顔してたわ」
「ああ、それが……」とジョイナはまたも硬い表情を浮かべる。
「新たな
「なんですって!?じゃあ……また現れたの、新しい災厄が!」
【迷宮深殿】。土地によってはビフレストの他に、ラビリュントス、ヨミクダリ等といった呼称がある。
迷宮深殿は常に、災厄と共にあるといってもいい。
災厄には謎が多いが、明らかになっている要素の一つとして、「全てのマナを使役し暴走させる」力を持つという点にある。
しばしば災厄が強大な生命体や概念として出現すると、その力でマナを暴走させる。暴走したマナの塊は、主に虚のマナが主に作用して周囲の土地や建築物を文字通り吸収して再構築し、しばしば特異かつ不規則な領域が出現する。
その様態は迷宮深殿によって様々だ。森の中に出現したにも関わらず砂漠が広がっていたり、水で満たされていたり、炎と溶岩しか存在しなかったり、多種多様。
そのうえ、迷宮深殿は自身の領域を守護する魔獣を自身で生成し、あるいは外部から取り込んで配置する。侵入する者は等しく殺害せしめ、犠牲者をも飲み込んで成長する、まさに生きた要塞というべきだろう。
「でもどうして?ここで戦争が起きてるわけでも、災厄そのものが訪れた気配もなかったのに。いっちゃあ悪いけど、ここ何もないド田舎でしょ?」
「それをこれから調査しないといけないんだ。コマタ支部初の仕事になりそうだね」
「只の視察のつもりだったんだが、思わぬ収穫だ。問題は、こんな時に我らの王様がどこかほっつき歩いているということだが……」
「調査隊も派遣しないとだしね。今回の迷宮深殿にはお宝が眠っているかな?」
「興味ないね。歴史的遺物があるなら話は別だが」
迷宮深殿は無謀な冒険者が踏破を挑むこともある。
内部ではしばしば、金銀や宝石、価値ある骨董品が出現することも多く、高値で取引されるためだ。
中には強力な魔術道具も発掘されるため、厄災討伐の名目のもと、【迷宮深殿】に一攫千金の夢を求める者も後をたたない。
とはいえ、単身で潜るのは命懸け。調査隊を編成して集団で探索に挑むことが定席だ。
手続きが面倒だなぁ、と天井を仰ぐナダ。眠れていないのか、目の下には苦労のクマが色濃く滲んでいる。
しかし嘆く時間も惜しいとばかりに、眉間を指でつまみつつ、「それで?」とアミリーへ目配せする。
「私達に用があるんだろう?何か急ぎの連絡があるとみたが」
「あ、そうそう!二人にどうしても話したいことがあって。……あんまり大声じゃ言えないわね」
アミリーは言うと、急いで消音術の呪文を唱える。
これで三人の会話は、他の者たちには聞こえない。それでもなお用心するように、アミリーは声を絞って、興奮気味に二人の耳へ囁きかける。
「私、出会っちゃったかも!首輪のない、新しいイリスと!それもね、王様と同じくらい強そうな子!」
◆
コマタの町が、とっぷりと夜の酔いに沈む頃。
食事を終えて賑やかな酒屋から出てきた一行だったが、マグニはすっかり顔を真っ赤にして、酔い潰れて夢の中。
ステラも白い頬を林檎色に染め、時折しゃっくりを漏らす口からは、酒の匂いがぷん、と漂う。その足取りはふらふらで、手持ちの杖で自分の体を支えてどうにか歩いている。
ひとり素面のままのガルムは、マグニを背負い、ステラには自身の服の裾を掴ませるままに、呆れて夜道を歩く。
「ったく、
「
「くぅー……くぅー……」
「
「子供に飲ませないでくらさいよぉ~、育ち盛りにお酒は毒れすぅ~」
「酔っても説教が母親臭いな、貴様。こういうものは徐々に慣れさせておかんと、酒の席で恥をかくのはコイツなんだぞ」
こんな時にも言い合いは続ける二人。銀盆の月と星空が、優しく宿屋までの道を照らしていた。
だが黒く尖った耳が、路地裏の影に潜む不遜な追跡者の気配を察した。ふさふさの耳が忙しなく動き、緩んでいたガルムの眉間にうっすらと皺が寄る。
「──それはそうと、不愉快な連中だな。こそこそせずに面を出せ。おおかた、あの酒場で無粋に絡んできた連中だろう?匂いでバレバレだ」
ガルムが低い声で、夜道の影に呼びかける。ステラも酔いが若干醒めて、杖を構え直し臨戦態勢を取った。
やがて隠れきれないと察したのか、数人の男達がぞろぞろと姿を現す。皆、酒場で先程マグニにちょっかいをかけてきた冒険者達だ。夜の暗がりの中であろうと、彼らの鋭い目つきが薄ぼんやりと浮かぶ。
その中で一人、眼帯を付けたエルー人の男──モルトーと呼ばれていた男だ──が、へらへら笑いながら両手を挙げたポーズで近づいて来た。
「まあまあ、そんな怖い顔しなさんなって、旦那。喧嘩売りに来たわけじゃないンですから」
「ほお。団体様で追っかけまでしておいてか。それとも、酔っ払いの荷物を抱えているなら、勝算があるとでも踏んだか?」
「すみませんね、私の部下は大変な心配症でして。……お前達、下がりな」
モルトーに指示され、部下達は再び建物の暗がりに姿を消す。
足音がすっかり遠ざかり、モルトー一人だけになったことを確認して、ガルムはやっと話を聞く態度に切り替えた。
酒場での時と打って変わって、不遜で軽薄な態度はなりを潜め、飄々とした笑みはそのままにどこか食えない態度が見て取れた。
「改めまして、私はモルトー・ジルヴェーニ。今はしがないケチな冒険者仲間の頭領でさァ。
このコマタの町を根城に、様々な遺跡や遺物を失敬しちゃあ売り払って生計を立てている身でしてね。
実を言うと、旦那がたにお願いがあって、こうして声をかけたンです」
「フン、盗賊か。生憎ケチな遺跡泥棒に興味はない、失せろ」
「まあまあ、そう言わず。旦那がたは【厄災】の討伐が目当てなんでしょう?見たところ、相当の腕前の方。それも貴き血筋の方とお見受けします」
「……随分と耳がいいんだな」
「目や耳は多いほうがいい、そうでしょ?」
ぱちん、とモルトーは右目をウインクさせた。
したり顔が癪に障る。よっぽど右目を目潰ししてやるべきかと、一瞬ガルムの脳裏に邪な感情がよぎったが、理性が勝った。
一方で、二人の会話の騒がしさに、マグニは目を覚ます。フワフワの黒髪に顔を埋めたまま、微睡みと覚醒をいったりきたり。
何の話をしているのだろう。沈みかけた意識をどうにか起こして、マグニは目を閉じたまま、彼らの会話に聞き入る。
「……実をいうと、その災厄討伐の仲間に入れて欲しいんでさ。こう見えて自分は結構な腕ききだと自負してるんですがね」
「要らん」
「い、いけず!志高い御方なら、もう少し興味を持って話を聞いてもらってもいいのではッ!?」
「俺様の目的になんら掠りもしなさそうだったし、耳に入れる必要もない。それに貴様のような輩はな、未来の英雄の教育に悪い」
「しどいっ!そんだけ耳が大きいくせにっ!!」
「だいたい、あのお仲間たちを頼ればいいだろう。俺様たちに目をつける理由が分からん」
「部下たちは皆、厄災討伐に向かうだけの実力が伴っとらんのです!全滅するのが目に見えてるというのに連れて行けますか!」
ギャーギャー喚き、みっともなくガルムの足元に縋るモルトー。
しかしこの場で、意外にも異を唱える者がいた。ステラである。
本来ならこの手の怪しげな男は敬遠しそうなものだが、ぴっと手を挙げると「お待ちなさいな」とガルムのほうを諌めた。
「ガルム、見た目や職だけで、人となりを決めつけて突っぱねるのはいかがと思いまふ……ますよ。少し話を聞いてやってもいいのでは?」
「まだ酔いを引きずってる奴がそれを言うか」
「ああ〜聖霊様守神様女神様!お慈悲に感謝いたします!やはり見目美しい方は心も広いっ!いよっ未来の国母!」
「おいこら、気安く足元に縋るな」
モルトーがすかさずステラに擦り寄るので、ガルムの太い尾がモルトーの頭部に直撃。
立ち話では何だから、とたんこぶをこさえたモルトーは、宿屋まで着いていくと、談話室にてガルムたちと向き合う。
やや硬いソファに腰を据え、ステラとマグニは酔い覚ましの水を飲みながら、モルトーの話に耳を傾けた。
「私、実は遺跡を巡るがてら、あるもの探しておりまして。それが私の本命でしてねぇ」
「探し物?それと厄災になんの関係があるというのだ」
「私の探しものはね、百年も前、厄災の出現と共に行方知れずとなった【ダダナランの宝】でさ」
ダダナランの名前を聞くと、ぴくりとガルムの指が動いた。その動揺を見逃すことなく、したりといわんばかりにモルトーは唇の端を吊り上げる。
━━嵐の国ダダナラン。常に嵐を起こす、巨大な分厚い積乱雲に囲まれた王国だ。
堅牢を超えて災害となる環境ゆえに、国内外に出入り出来る者は限られており、故に交通の不自由さから実在すら疑われる「おとぎの王国」として名高い。
眠気がやっと離れてきたマグニは、まだ重たい目を擦り、あくびする。
「実は今日、コマタの北西部にあるヴンダー遺跡で、迷宮深殿が現れたという話を耳に挟みましてね。
まっ翌朝には誰もが知ることとなるでしょうが……この迷宮深殿を、一番に攻略したいんです。ダダナランの宝をこの迷宮深殿で見つけることができれば、是非とも手に入れたい!」
「……ふぅん。盗賊からすりゃあ喉から手が出るほどの宝、というわけか。他にも財宝はあるかもしれないというのに」
「私からすりゃ、そんなものはした金です。なんならダダナランの宝を見つけた暁にゃ、残りの宝は旦那方にお譲りしましょう。いかがです?悪くない話でしょう」
ガルムは黙した。ステラとマグニは目配せし、沈黙の中でガルムを見守る。
どのみち、迷宮深殿に潜るためにはメンバーが足りない。迷宮深殿への探索にはギルドの許可が必要だし、最低でも4人のメンバーで向かわねばならないという規則がある。
探るような金色がモルトーのにやけ顔を暫く観察していた。談話室の暖炉で赤々と燃える炎の勢いが弱まる頃、ふっとガルムの唇が弧を描いた。
「良いだろう。貴様のいうダダナランの宝、俺様も興味が沸いた。準備ができ次第、潜るとしよう。━━ヴンダー遺跡の迷宮深殿にな!」
◆
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