16話 王の気質
十分後、ガルム達は宿屋の裏手にある水場で泥を落としていた。
ガルムは暫く農村でどれだけこき使われたか、延々と愚痴をこぼした後、やっとマグニに何があったのか問いかける。
マグニは先のことを思い出してやや恥を覚えながらも、とつとつと語る。
「フウン。まさか早速【威圧】が使えるようになるとはな」
「威圧、ですか?」
「チフ?」
「俺様がよく使うスキルだ。自身のマナの総量を相手にぶつけて勝利し、相手から敵対心や戦闘意欲を根こそぎ捻じ伏せる技だ」
「魔術とは違うのですか?」
「マナはエネルギーそのものよ。マナはそのままの形じゃ使えない。「魔力」や「霊力」と呼ばれるものに出力変換し、魔術に組み込んで初めて使えるの。
私達みたいな魔術師や祈祷師あたりは、この魔力の痕跡や気配を察知する力に特化しているわけね」
ステラが手で水を掬う。
例えば、水の中には水のマナが宿っている。マナに干渉しない限り、水のマナは水に含まれる栄養源でしかない。しかし、そこに魔術式を付与することで、水のマナが水を高熱の湯に変えたり、氷に瞬時に変化させるのだ。
魔術の講釈をしつつ服の泥を落とすステラの横で、チチフは桶に張られた水の中を、気持ちよさそうにちゃぷちゃぷと泳ぎ回る。
「だがマナは違う。出力前のマナそのものは、生命の力そのもの。
お前はマナそのものの総量ならば、そんじょそこらの連中じゃあ歯が立たんくらいだ。それをモロにぶつけられるんだ、新米冒険者の胆力なぞべっきりへし折れるだろうよ。くくく」
「ぼ、僕……そんなつもりなくて。ただ、喧嘩をやめてほしくて……人をあんな風にぺしゃんこにしてしまうのも、初めてで」
「なにを凹んでいるのやら。喜べ、マグニ。威圧のスキルを使えるのはごく一部、つまりは英雄や王になる素質を持つ者であることを意味する。やはりお前を選んだ俺様の目に狂いはなかったというわけだ」
口角を吊り上げ、上機嫌にガルムはそう告げる。
しかし、マグニの顔色は良くないままだ。ガルムからすれば褒めたつもりだったのだが、反応が芳しくないことに思う所があるのか、笑顔を打ち消した。
「なんだ、嬉しくないのか」
「あんまり、です。マナの力とはいえど、人を力でねじ伏せるなんてこと、僕は……好きじゃない」
「好き嫌いでモノを語るな。第一、【威圧】は圧政の為に使うわけではない。力を示すことは、そのまま人心掌握にも繋がる。ただぶつけて相手を押し潰すだけなら、拳ひとつあればいい。勘違いするなよ」
やや刺々しい空気に包まれ、沈黙が訪れる。
ステラはじろり、とガルムを見やり「だいいち、呑気に喜んでいる場合じゃないでしょう」と窘める。
実際、あの宿屋で騒ぎを起こしてしまったのだ。マグニはあの宿に対して、戻りづらいと感じていた。
「ガルム、もしかしたらマグニがイリスだとばれてしまったかもしれないわ。この子を守るためにも、明日には宿を発つべきじゃない?」
「馬鹿言うな、来たばっかりだぞ。耳を見たわけでもあるまいし、カリカリしすぎだ。どうしても不安だってんなら、俺様がそれなりの策を考えてやる」
「ふうん?お言葉ですけど、どんなお粗末な言い訳を考えるつもり?
まだマグニは戸籍登録すら出来てないのよ、より慎重にこの子のことを守ってあげなくちゃ。私たちは保護者なんだから」
「フン。マグニに手を出すということは、この俺様に喧嘩を売るということだ。そんな命知らずがいるなら、直々に教育してやるまでよ」
「ああもう、またそうやってすぐ喧嘩の口実を見つけようとする!やめなさいってば!」
泥を落とし終えて、宿へと戻るガルムたち。マグニは内心、穏やかではなかった。
コマタで自分を覚えている人が、もしいたとしたら。宿にいた面々が一斉に指さして「あいつはイリスだ!捕まえろ!売っぱらえ!」と喚き散らすのではないのかと。
もしそうなった時、自分はどうすべきだろうか。
戦うには未熟すぎる。けれどガルム達に守って貰うのは……何か違う気がする。自分が起こした騒ぎの後始末を、ガルムたちに任せていいはずがない。
やはり、いざとなったら、自分が戦わなくては。
しかし意外にも、宿へ戻っても、誰もマグニに反応しなかった。
ステラが借りた農具や作業服を受付に返す間も、特に誰かに絡まれるでもなく、ひそひそと噂されるでもなく。拍子抜けだ。
ガルムはフン、と鼻を鳴らし、「ほら、杞憂だったろうが」とステラの不安を一笑に付したので、また口論が始まる。
とはいえ、絡まれないならそれに越したことはない。
特に何事もなく夜は更けて、三人は夕食をとるため、宿屋からそう離れていない酒屋「黒ボアのひづめ」亭へと足を運ぶ。
夕食時ということもあってか、店内は労働者や冒険者たちでごったがえしていた。
空いている席を探して歩き回っていると、やおらマグニの細腕を、ぬっとテーブル席から伸びた腕が掴んだ。
「おい、このおチビちゃんか?昼間、宿屋で新米共を、触りもせずにノシたチビスケってのは」
「そうですぜ。モルトーさん、こいつどうします?シメますか?」
ぎょ、っとマグニが振り返ると、数人の冒険者たち囲うテーブルだった。手の主はガタイの良いガオ人だ。ぐいっと引っ張られ、冒険者たちがマグニを囲む。
昼間、宿屋で暴れていた新人冒険者達の姿もある。まずい、目を付けられた。
モルトーと呼ばれた、黒髪に眼帯をつけたエルー人の男が近寄って、マグニの顔をじろじろと覗き込んでくる。
エルー人は通常、顔と同じくらい長く尖った耳と、長身痩躯に青、あるいは白い肌が特徴の種族だ。彼らはかなり長命なうえ、目視でマナを見る力に長けているものが多いと聞く。マグニを最初に見つけ、イリスだと看破して捕縛した者もエルー人だったと記憶している。
あまり顔を長く見られたくはない。エルー人は相手の目を見てマナを測るからだ。さっと目を反らそうとしたところ、無遠慮にがっしり顎を掴まれた。
「おういおチビちゃん。俺のツレを酷い目に遭わせてくれたらしいな?面をよく見せろ」
「ハッ、一丁前に可愛い耳飾りつけてよお。マンマの手作りでちゅか~?」
「はっ離してください……!」
「おいおい、こんな細っそくて女みたいなガキにノされたのかよ。お前等、だせえぞ」
「コイツがイリスだって話、マジか?売ったら幾らになるかね」
「ガキンチョ~、大人に生意気な態度とったらどうするか知ってるか~?まずは誠意見せないとな?ゴメンナサイは言えるかな~?」
新米冒険者達は苦笑いしながらも、「どう料理してやろうか」といわんばかりにマグニを睨みつける。
モルトーがからかうように、耳飾りに手をかけた。耳を確かめる気だ。
このままでは、イリスだとばれてしまう。早く離れないと。マグニが力任せに、相手を引き剥がそうとした時だった。
後ろから伸びた、見慣れた大きな手が眼帯男の腕を掴み、ミシミシと骨を軋ませる音を鳴らし圧迫する。モルトーは「ちょっちょっちょっ!折れる、折れるッ!」と悲鳴をあげ、マグニの顎から手を離す。
視界がぐあっと浮かび、肩に担がれる。顔を見ずとも、ガルムだと気づいた。
「何やってんだ、お前。ステラに説教されるぞ」
「チフ、チチフッ!」
「が、ガルム様、チチフ」
チチフがマグニの腰に飛び乗ると、フーッ!と冒険者達に威嚇し、体を膨らませて体毛を無数の棘に変える。ボンチフの攻撃態勢だ。
数人の男達が「なんだテメエ!」と立ち上がり、剣呑な空気に包まれる。
すわ取っ組み合いの喧嘩か。ガルムなら片腕だけで、この場にいる全員をしめあげることも容易いだろう。
しかし、当の腕を掴まれたモルトーが、焦燥を滲ませた顔で「止せ」と全員を諫めた。その視線はガルムの金色の瞳に向けられている。眼帯男は、まるで小さな蛙が巨大な蛇に睨まれたかのように、嫌な脂汗をどっと浮かべていた。
かろうじて苦笑いを浮かべると、テーブルの男達を落ち着かせるように手を振り、苦笑いを浮かべる。
「あ、アンタのツレかい。悪かったよ、ちょっかいかけてさ。
ここにいる俺の部下がよ、宿屋でそこの坊ちゃんに、マナをぶつけられてノサれたなんて話を聞いてさ、興味が出ただけなんだ。なっ、そんな怖い顔すんなよ」
「フン。他の連中はともかく、お前はちょっとばかし、身の振り方ってやつが分かっているらしい。もう少しその「ちょっかい」が笑えないことになっていたら」
言いながらガルムはぐっと顔をモルトーに近づけ、嗤う。
「その小汚い右腕の半分を、テーブルのナイフにでも付け替えてもらうことになったかもしれんな?」
ぽん、とガルムは左手で眼帯男の肩を叩くと、マグニを連れてその場を去る。
二人を探していたステラが「もう、何してるのよ」と呆れたように空いた席へ連れて行き、「ちょっとばかし同業者と話をしていただけだ。なあ、マグニ」とガルムがなんてことない顔で告げる。
その様子を見ていた冒険者達は、モルトーへ「おいおいなんだ今のへっぴり腰、情けないぞ」とからかうものの、モルトーが掴まれた腕の裾を捲って見せた途端、全員が黙り込んだ。
どす黒い、手の形の痣が肌にくっきり浮かんでいる。それだけでなく、痣をよく見れば、痣は単なる鬱血ではなく、びっしりと刻まれた魔術紋の色であった。
呪文の詠唱もなく、マナの変換を気取らせることもなく、手を掴んだあの一瞬で、ガルムがモルトーの腕に刻んだものだと全員が気づき、顔色を変える。
「ば、爆散の魔術紋だ……それも、肉体の一部だけを的確に一瞬で爆発させるためだけの、高度な術式。あの一瞬で仕込んだのか?」
痣を見た魔術師が声を震わせた。冒険者達が見ている前で、ふっと魔術紋が消える。
モルトーは裾を戻すと、「おっかない男だね、ありゃ」とぼやき、苦笑と汗を拭いた。
「もしあの場でちょっとでもやり合おうもんなら、一瞬で俺の腕が吹っ飛ばされてたな。おっかない、おっかない。見た目は戦士然としてるが、ありゃ王族か、どっかの貴族かもしれないね」
「王族?あんなデカくて厳つそうなのが?」
「お前等は気づかんかったかもしれんが、あの時一瞬、【威圧】をかけられたのさ。内臓丸ごとを人質に取られた気分だったぜ。もしかするとあのチビも、どこかの王族の子とかかもな。お前達がノサれたのも、【威圧】かもしれん」
冒険者達は目配せし、「もしかしてとんでもない奴に喧嘩を売ったのでは?」と戦々恐々とした様子で縮こまった。ガルムたちを気にしてか、酒の味はしなかった。
一方でモルトーは、離れたテーブルで夕食を頬張るマグニとガルムを、じいっと舐めるような視線で観察し続けていた。
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