15話 大切なもの
ガルムとステラが農作業に従事する一方。
買い物を終えて、コマタの小さな噴水に腰を下ろし、マグニとアミリーは買ったばかりの果物を手に談笑していた。
時刻は昼下がり。通りを歩く者の大半は、パンを焼きに行く女達か、町の増築を手伝う冒険者や大工達だ。
通りのあちらこちらから、大工達のかけ声や、金具を叩く賑やかな音が響き渡る。
「へえ!アミリーさん、
「あはは、びっくりした?こう見えて私、2年前から冒険者やってるんだ。あっちこっち冒険しててさ、海越えを終えて、つい最近ここに来たばかりなの。
今は仲間と一緒に、コマタでギルド開設を手伝ってるってところ」
「そうだったんですね……その、てっきりあの宿屋の看板娘とばかり」
「まあ間違ってないかな。あの宿屋は、死んだお母さんの残してくれた宿なの。親を知らずに、ずっとムドランで育ってたから、お母さんに会えたことはないんだけどさ。
……ファンタジアの治安が一番ひどかったころね、私のお父さんとお母さんは悪い人たちに追われることになって、この宿屋も手離すしかなかったんだって。私をムドランの小さな村に預けて、その後殺されちゃってさ……」
アミリーの双眸が、やや悲しみと寂しさの色に染まる。
はっとしたマグニが、行き場のない手を宙に彷徨わせ、祈るように指を組む。
「……えっと、ごめんなさい。悲しいことを思い出させてしまって」
「ううん、私こそ急に重い話しちゃってごめん。まあそんな事情もあってさ、ここ最近、やっとコマタまで来て、あの宿を綺麗に建て直してるところだったの。
思い出がいっぱいある場所だけどさ、ただの宿屋として腐らせるより、ギルドの拠点にして、皆の役に立ってくれるほうが、お母さんも嬉しいかなって思って」
「でも、貴女に残してくれたものなんですよね?」
「だからこそよ。自分で持て余すより、色んな人に大切にされる場所になってほしいじゃない。だからマグニ、あの部屋を綺麗にしてくれて感謝してるの。
あそこ、実はお父さんとお母さんの部屋だったからさ。あんなにお部屋を丁寧に綺麗にする人、几帳面なエルー人でも珍しいんじゃない?」
アミリーは笑いながら立ち上がり、うんと背伸びをする。
彼女の笑顔に悲壮や切なさの類いはなく、今を生きる新芽のような逞しさを感じた。
そんな折、ヴンダー平原の上空に、にわかに集まる暗雲。
アミリーは怪訝そうに「やあねえ、にわか雨?そろそろ宿屋に戻ろうか」とマグニの腕を引き、宿屋へと向かう。
「ねえ、マグニは何のために旅をしてるの?」
「僕、ですか。……まあ、色々ありまして……」
「色々って、例えば?やっぱり武者修行?お父さん、いかにも強そうな戦士!って感じだったものね。強そうなマナの気配を感じたし、お姉さんも只者じゃないって感じだったし」
「そ、そんなところです」
「やっぱり!マグニも細いけど、結構鍛えてますって体してるもの。うちの婚約者と気が合いそうね」
まさか厄災を全て打ち破り、この世界を征服するつもりです。とはとても言えない。
都合良い解釈に乗っかって、苦笑いで誤魔化すマグニ。しかし宿屋の入り口まで戻ってきた時、聞こえてきた喧噪に二人の笑顔が消えた。
開きっぱなしの扉の奥から、穏やかでない怒号と、テーブルを叩く音が聞こえてくる。掲示板前にある、共有スペースのほうからだ。
「何の騒ぎかしら?」とアミリーは不安げにそちらを見やる。
「話が違うじゃねえかっ!リーダーの俺が4、お前等で2、2、2、て決めてただろうが!」
「トドメを刺したのはオレだろぉ!オレが4もらうべきだ!なぁ!?」
「大体テメェはリーダーのくせして、ずっと後ろで見てただけじゃねえか!このヘタレ!デブッケツ!」
「んだとぉテメェだって縦にも横にも俺より
「すぐ人の体型イジってんじゃねえぞビビリ!そのケツ火炙りにしてやろうかァ!」
冒険者と思わしき面々が、互いに胸倉やら髭やらを掴み合って一触即発。
片角が折れた獣顔のガオ人、ふとましいポリマン人と痩せたポリマン人、剛毛の髭を生やし厳つい鎧を被ったカナメ人(彼らは手先が器用で、ポリマン人より小柄な種族だ)というメンバーだ。
なんとも迫力ある喧嘩が勃発している。カウンターには、彼らが仕留めたと思わしき魔獣の骸と、剥ぎ取られたいくつかの素材が放置され、受付の女性が困り果てた顔で両手を彷徨わせている。
察するに、討伐任務に成功したはいいものの、互いに報酬金の配分で揉めているのである。冒険者がパーティーを組めば、まま見られる光景だ。察するに彼らは駆け出し。経理や会計を担当してくれる者もきっといないのだろう。
アミリーは呆れたように溜息を零した。
「あの連中、一週間前に冒険者デビューしたばかりの新参者ね。まーた喧嘩してる。性懲りもない……うちで口論しないでほしいわ」
「何で喧嘩してるんですか?報酬金くらい、平等に分け合えばいいのに」
「いやまあ、それが一番でしょうけどね。基本的にギルドって、「功労者」を中心に報酬金や素材の分配が決まるのよ。要はメンバーの中で誰が一番パーティーに貢献した人は誰かってのをきちんと記録する必要があるの」
「必要なんですか?それ」
「私も詳しい理由はあんまり分かってないけどさ。だって一番偉い人が多く取り分を貰うべきでしょ?」
説明を受けている間にも、ついに不満が爆発したらしく、冒険者たちは互いに不満をぶちまけ始める。やれ呪文の詠唱を噛みすぎだの、
アミリーはぎょっとすると、急いで止めに入る。
「ああっちょっと止めて、喧嘩するなら外でやって!宿屋で喧嘩は禁止ってチェックインの時にサインさせたでしょうがっ!」
「なんだとこのクソガキ、宿屋風情が冒険者の話に首突っ込むんじゃねえっ!」
リーダーを名乗っていた片角のガオ人が、ぎろりとアミリ―を睨みつけた。八つ当たりの標的を見つけたといわんばかりに、拳を振りかぶる。
が、咄嗟にマグニが間に割って入り、もろにその顔で拳を受けてしまった。めぎ、と嫌な音が響く。マグニは「うぐっ」と呻きながらも、一歩も引かない。
だが、音が響いた直後、悲鳴を上げたのはガオ人の方だった。
「ぎっ……いいっ!?お、俺のっ俺の拳がッ!?」
マグニの顔を殴ったガオ人の拳は悲惨な有様と化していた。皮膚がめくれて血まみれになり、指の骨が一部折れてしまっている。固い岩石を遠慮なく殴ってしまったかのよう。一方でマグニの顔には傷ひとつない。
痛みに呻くガオ人と、流石に異常を感知して喧嘩の手が止まった新参のパーティーたちを眼前に、マグニは目尻を吊り上げる。
「ぐあああっ、い、痛いっ、痛いいいいっ!」
「リーダー!?」
「ここは、アミリ―さんの大事な宿なんです。貴方達の勝手な感情で、傷つけないでください」
「このガキ、何しやがった!ぶっ殺してやるッ!」
仲間の血を見て逆上したのか、鎧のカナメ人が棍棒を手にずんずん近寄る。
もはや何に対して怒っているかなど忘れているかのよう。だが、マグニは、刺々しい棍棒を目前にして、自分が丸腰だというのに、まるで恐怖心というものがなかった。
寧ろこれまで感じたことのない、腹の底からカァーッと熱せられて全身が沸騰するような感情のせいで、怖いという感情が引っ込んでしまっていた。
ぎろり、とカナメ人を睨む目が、ひときわ強い銀色を放つ。
「暴れるな、と言ってるんです!」
「ぎゃ、ぐふう!?」
マグニが声を荒げた刹那。パーティーの四人は、ぐしゃりとその場で床に倒れこむ。
宿屋の面々は驚愕し、一歩後ずさる。何もした気配がないのに、いきなり人が倒れこんだのだから当然だ。
その感覚は、四人にしか分からないだろう。まるで山ひとつが、自身の全身に圧し掛かっているかのような重圧感。しかし魔術を使用している気配はない。
違う。これは自分たちが自ら膝をつき、倒れこんでいるのだ。「そうしなくてはならない」という使命感が、巨大な重圧感となって、自分たちは脱力している。
冷汗をかく四人を見下ろし、マグニの目が爛欄と輝きながら告げる。
「今すぐ、喧嘩を、やめてください。いいですね」
「……………………は、はい……」
四人の唇が一斉に動くと、その重圧感は消える。
四人はまるで化け物を見るような恐怖心を露わにマグニを見ると、情けない悲鳴を上げながら荷物を抱え、自室へと逃げ込んでいく。
呆気に取られていた面々の視線が、マグニへと突き刺さる。当のマグニもまた、すぅーっと熱が体から引いていく感覚を覚えながら、好機の視線に思わず気まずさを覚えた。
今の感覚はなんだ?他人を足の裏で踏みつけるような征服感があった。あれは、自分より強い存在を見下ろす高揚感だ。そしてあの怯えた目は、そんな支配欲に駆られた連中に怯える、幼い頃の自分の目によく似ていた。
アミリーがおそるおそる「あの、マグニ」と声をかけようとした時。アミリーの背後から大きな手がぬうっと伸び、少年の頭をむんず、と掴んだ。
「戻ったぞ。なんだこの騒ぎは」
「が、ガルム様、ステラさん」
「ただいま、マグニ。……何かあった?」
ガルムとステラであった。作業服は土と泥まみれ、二人の顔も泥のはねた跡がある。
受けた依頼を終えたらしく、カウンターに向かい「はい、こちら依頼者さんからの依頼完了書です」と書類を提出しにいくステラ。
ガルムは有無を言わさぬ圧を放ちながら、「水浴びするぞ。一緒に来い」とマグニを担いで外へと連れ出していく。
マグニは軽々担がれながらも、アミリ―に「さ、騒がせてしまってすいませんでした!」と声を張り上げ、そのまま連行されていく。ぽかん、と口を開けているアミリーの隣を、ステラが「こらっ、せめて先に泥を落としなさいよね!」と喚きながら続く。
宿屋の面々は渋い表情で、「なんだったんだ、今の」「あいつの目、見たか?銀色だったぞ」「まさか……見間違いだろう」と口々に噂する。
アミリ―は不安に駆られた表情を浮かべ、「後のことお願いね」と宿屋の面々に告げると、思い立ったように宿屋の外へと飛び出していった。
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