11話 旅の指標


二人が宿屋に戻ると、ガルムは既に起きて、二人を待っていた。

もうショウサイ村に留まる理由もないため、荷造りをしている最中、マグニはふと気になったことをガルムにぶつけた。


「あの、疑問なのですが。僕が英雄になる、具体的な計画ってあるんですか?」

「勿論ある。でなければわざわざ貴様らに目的は話しておらん」


マグニが荷物をまとめ終わるまでの間、ガルムは今後の展望について語りだす。

その間、ステラは宿を引き払う手続きのため受付に向かう。

二人きりになったことで、少しの気まずさと緊張感を覚えた。


「マグニ、貴様は【フィンブル・ベル】を知っているか」

「は、はい。各地に出現する厄災……と聞いたことがあります。見た事はないですけど」


大いなる災いフィンブル・ベル。厄災と称することもある。

このファンタジアでは神話の時代から、そう呼称される恐ろしい存在が何度も歴史に現れている。時には病魔、時には戦、時には巨大な怪物、時には人を食らう大迷宮、時には神々に仇なす邪神として認識され、ファンタジアの人々を幾度となく恐怖に陥れ、地表の生きとし生ける者たちを絶滅せんと猛威を振るった。

だがこうした災いは、時の英雄たちによって討伐され、あるいは調伏されてきた。歴史を紐解けば、英雄たちはファンタジアを守護せんとする神々の寵愛──加護を賜り、フィンブル・ベルを打倒するという盟約を交わす。そして加護を受けた神々との盟約により、「必ず」自身の国を得て、歴史に名を残す偉人や聖人として讃えられる──というお約束が待っている。

そして今、ここ百年近くのファンタジアは「大厄災の時代」と呼ばれている。

実に九つの土地で、七十二の【フィンブル・ベル】が確認されているが、未だその討伐・解決の大半が達成されていないのが実情だ。


「そのフィンブル・ベルを貴様が解決して回るのだ。この世に蔓延る全ての大厄災をすべて解決する頃には、貴様も俺様の首を刎ねる程度の実力はついてるだろうさ」

「ず、随分無茶じゃないですか!?フィンブル・ベルは神の加護なしにはまともに相対すら出来ないと聞きます。一つの大国が総出で討伐にあたっても解決できないほどの厄災なんですよ?」

マグニ、貴様が大厄災どもを下すのだ。英雄としてのハクがつくだろう?出来ん、とは言わせん。やるのだ、マグニ。

だいたい、厄災如きを祓えん者を擁立したところで、俺様自身の格にケチがつくだろ」

「そ、そんなことは……」

「俺様は他者に押しつけたりはせん。マグニ、貴様が見事英雄となった暁には、俺様が貴様の願いを叶えてやらんこともないぞ。それこそ、元の世界に戻してやるとかな」


なんてことないように、ガルムはマグニを見下ろし言い切った。

少年はただ圧倒された。何故こうも自信たっぷりに宣えるのか。そして何故、ちっぽけな元奴隷にこれだけの期待をかけられるのか。

世界を手に入れる。全ての大厄災を打ち倒す。自分に出来るだろうか。あまりに途方もない夢の景色は、けれど不思議と少年の心を高揚感で打ち震わせた。

会話に一区切り着く頃、ステラが「何話してるの?」と部屋に戻ってきた。午後までには、部屋を清掃し、宿を引き払わなくてはならない。

三人(というよりマグニとステラ)が部屋の掃除をするなか、一度切れた会話が再開される。


「とはいえ、足りないものが多すぎる。まず準備が必要だ。戸籍、戦闘訓練、人脈……」

「コセキ?」 首を傾げるマグニに、今度はガルムが呆れる番だった。

「そうだよ、歴とした戸籍!お前、まさか知らないのか!」

「し、知ってますよ!ただ、実感が湧かなくて、びっくりしちゃって」


ショウサイ村が属する「クライン国」では、奴隷に関する制度がいくつか存在する。

そのうちの一つが「新民制度」だ。

奴隷は本来「所有物」として扱われており、戸籍というものが存在しない。

しかし、何かしらの理由で奴隷という身分から解放された際には、戸籍を得ることが出来るのである。これは何かしらの理由で戸籍を奪われた者も同様だ。


「奴隷のままでは格好がつかんし、信用も得られんし、何より国からの福祉なんかも獲得できん。さしあたって、お前も戸籍をきちんと用意しないとな」

「(思ったより切実な所から必要だったんだ、英雄計画の準備って……)」

「私たちも戸籍登録したものね。大変だったわ、色々書くことも多くて偽そ……信用を得るまでが大変だったのよ」

「(今偽装って言いかけたな……?)では、戸籍を得るなら、やはり都まで向かうんですか?」

「いや。登録するなら冒険者ギルドだ。都は遠すぎるからな」


ここで少し、ショウサイ村付近の話について触れておこう。

ショウサイ村はクライン国と、どの国家にも属さない地域、「秘境地帯ウットカルド」の境界線に位置している。

クラインを初めとして、いくつもの国が、自国領地の拡大のために、秘境地帯の開拓に積極的である。ショウサイ村も、領地拡大の足がかりの一つだ。

秘境地帯は、現在もなお未発見の動植物が多く生息しており、該当地域には様々な謎が隠されている。

そうした場所を探索し、あるいは研究し、国に報告する者たちのことを「冒険者」と呼ばれている。

「冒険者」に資格は原則として不要であるため、こぞって色んな者たちが、この秘境地帯へと足を踏み入れた。


……だが、問題は多く存在する。秘境地帯には、どの国の法律も適用されることがなく、そのため無法地帯といっても過言ではない。

だが統治がなければ、冒険者同士で諍いは起こり、開拓も遅々として進まない。

それどころか、冒険者たちの暴走によって、あやうく国際問題に発展しかけた事も少なくないのである。

数々の問題に直面した後、複数の国々は協定を交わし、冒険者たちを統治するための国際機関が設立された。

それこそが「冒険者ギルド」である。


「冒険者ギルド……エラブッタ様から、話だけは聞いたことがあります。たしか、どの国の生まれでも、どこにいても、所属することが出来るんですよね」

「ああ。ギルドの窓口は大抵の大きな町にある。ここからだと……ディアファンの街で登録すりゃあいいだろう。戸籍も冒険者ギルドの所属とする。国の戸籍で用意すると、後々面倒だからな」

「ギルドでも戸籍って用意してもらえるんですね?」

「身元不詳、スネに傷を抱える者もいるからな、そうした連中をしっかり管理するって意味もある。ま、俺様たちの国を手に入れるまでの辛抱だ」


日がすっかり上がる頃、三人はショウサイ村に別れを告げた。

見送る者はツボネ夫人と数人の奴隷のみ。しかし十分だった。騒がれるのは好ましくなかったし、マグニは世話になった人たちへの挨拶を事前にすませていた。

もっとも、ガルムは「英雄の最初の一歩ぐらい、盛大に送り出して貰うのが筋だろうに」とぶつくさ文句を言っていたが……。

旅立つ際、ツボネ夫人は「マグニ、貴方にこれを」とあるものを渡した。

それは、ポリマン人の伝統的な刺繍が施された、布製の三角錐の耳飾りだった。本来なら子供の成長を祈るための装身具だ。

すっぽりと耳を覆える大きさで、マグニの耳を隠すように付けてやると、ツボネ夫人は目を潤ませて微笑んだ。


「どうか貴方の旅路を、風と月の調べが導きますように」



ディアファンまでは徒歩で約1ヶ月ほどかかる距離だ。

こちらも魔獣が多い道を進まざるをえないが、二度目は不思議と強い魔物の類いに出会うことはなかった。

せいぜいが、小さな獣であったり、村の近くで見かけるような草食の魔獣ばかり。いずれもガルムが少し威嚇するだけで、逃げ出してしまうため、難儀はしなかったというほうが正しいだろう。

尤もガルム自身はつまらなかったのか、旅の間にもマグニを鍛えることにしたらしい。


「お前は体力こそあるが、筋力が足りん。まず基礎から鍛えることにする。俺様が考えたメニューをこなしていけ、サボったら許さん」

「はい!」

「英雄は多芸であれ!最初は無手からだが、そのうち剣術、弓術、槍術、全て叩き込んでやるからな!」

「はい!」

「あと肉食え肉!量も食え、そんな痩せっぽちで筋肉がつくと思うな!強い戦士は肥えた恵体であれ!」

「は、はい!たくさん食べます!」


──そんな具合で、歩く最中にも鍛錬、野営地でも訓練といった具合。

常人であったなら、すぐにばてて動けなくなってしまうだろう。ひとえに奴隷時代で培った体力があるからこそ、マグニは文句ひとつ言わず、ガルムの提示したメニューをこなしていく。

無手の基本動作を反復し、足腰が立たなくなるまで防御の構えを覚えこませ、木の棒で素振りの練習。

ステラは「あまりやりすぎると体に酷だから、程々にしなさい!」と二人に何度も口を酸っぱくして説教したほどだ。

しかしながら、ガルムは改めてマグニへの評価を改めることとなる。武芸は一朝一夕で身につくものではない。しかしマグニは教わったことはみるみる吸収し、自身のものにしていった。

こればかりは才能だけではないだろう。

そう勘づいたガルムは、ある日の鍛錬の後、河原で水浴びをするマグニに問いかけた。


「マグニ。お前、武芸を教わるのは初めてではないな」

「えっ、分かるのですか?」

「基本動作の所作を見れば分かる。俺様の知る様式とは異なるが、防御の構えの基礎に通ずるものを感じた。

それに単なる無芸の奴隷が、下積みもなしにこんな短い期間ですぐ技を会得できるわけがない。それにお前の口調も、奴隷にしては上品すぎる。師がいたのではないか?」

「……流石の慧眼です」


河原で同じく衣服を洗っていたステラは、その手を止めて視線を二人に向ける。

二人の視線を受けて言い淀み、マグニは口を紡ぐ。足元ではチチフが呑気に水浴びをして、ブルブル水飛沫を飛ばした。

かしましく梢の擦れる音と、川のせせらぎが、少年の言葉の続きをせかす。

ややあって、水で萎んだチチフを抱き上げると、言葉を選ぶようにマグニは語り始める。


「確かにガルム様の仰る通り、僕は幼い頃に武の基礎を学びました。

この世界に落とされて日も浅い頃、奴隷として首輪を繋がれてすぐの頃です。

最初の主人に買われた時、同じく奴隷として買われた大人のイリスの奴隷に教わったのです。言葉も、身を守る術も」


マグニは懐かしむように水面を見つめる。

その瞳の奥には、幼き頃の情景がまざまざと浮かんでいるのだろう。

その横でステラがちょん、と洗濯物をつつくと、濡れた衣服達はおのずから宙でグルグル身を絞り、水分を吐き出していく。


「最初の主人が暗殺に遭って亡くなるまでの2年ほどを、共に過ごしました。

最初はろくに口もきけない僕を、我が子のように可愛がってくれました。ドジを踏んだら庇ってくれて、食べ物がないときは分け合って。

住んでいた場所が戦地に近いこともあって、戦に巻き込まれた時のためにと、護身の術を仕込んでくれたのです」

「その人は、良き父代わりだったのね」

「はい。……5年前、主人が亡くなって、新しい主人が決まった際に離れ離れになってしまいましたけど。元気でいてくれるといいんですが……」

「探しにけばいいじゃないか。お前の足で」


さらりと、こともなげにガルムは言葉を放つ。

マグニがぽかんと口を開けていると、ガルムの指が少年の喉仏を軽く小突いた。


「お前を縛る鎖はない。強くなれば、どこに行っても己の身を自分で守り、好きな所へ行ける。

師に会いたいなら尚更、教わった分以上に強くなれ。その師とやらも強いんだろう。生きていればいずれ何処かで会うことは叶うだろうさ」

「……は、はいっ!」


弾かれるように頷く様を見て、ガルムは満足したようだった。

「やっと辛気臭い空気が消えたな」とぼやきつつ、荷物を置いた野営地へと洗濯物を担ぎ戻っていく。マグニも急いで、洗った鎧を抱えて追いかける。

ステラは並ぶ二人の背中を見つめつつ、ぽそりと「素直じゃない人」と呟くも、笑みを忍ばせるのだった。

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